@5の1 『労働法規と幻想は同じ意味である』
「死にそうだったよね? 死にそうだったんだよ? わかってる? 死にたいの?」
いきなりご挨拶だった。
朝っぱらからチャイムのご訪問。確かめる必要もないほどの強い直感で、凶事が訪れたことを確信した俺は、隣に座るシンタに向けて、口に人差し指を当ててジェスチャーした。
しっかとうなずいたシンタはやおら立ち上がったかと思うと、玄関を開け放った。
こんな簡単な合図も理解できないとか本当に現代人なのかな、もしわざとだったらぶっ殺そうかな、とぶつくさ言ってると、玄関から現れたニューカマー。
そいつが開口一番述べたところが冒頭の台詞である。
「…いや、いま行こうと思ってたんだよ」
「それ」
ウラシマ少年が指差したのは、WeeVのそばに転がっているパッケージである。
ゾンビオフェンス13と銘打たれてある。13作も進んだ大人気シリーズという意味ではない。ラスボスが12使徒およびイエッサのゾンビとそれを操るユダという、ある種の宗教に信心深い人々を向こうに回すことをためらわない系FPSだ。
「おととい出たばっかりのゲームだよね? なんでここにあるの?」
「シンタが持ってきた」
「そうなの? シンタさん」
「なんでそんなすぐバレる嘘つくんすかトノ」
「なんでそんなつく意味すらないような嘘つくのタツオさん」
なんなのこいつ? ちょっとは協調性持とうとか思わないの? 俺が白つったら黒を白っていわなきゃ駄目だろ、そんなんで友達といえるの?
俺が親の仇を前にしてもこうはなるまいというほどの憎悪をたぎらせてシンタを睨んでいると、ウラシマ少年がひょいっと身軽に動いて、パカッと軽快にWeeVを蹴り飛ばした。衝撃でゾンビオフェンス13がイジェクトされて宙を舞う。
空飛ぶ円盤となったゾンビオフェンスをかっこよく二本の指で掴んだウラシマ少年は、ちらっと俺に流し目をした。
「ちょま」
パキン
無情というものに効果音をつけるとしたら、それはきっとこんな音だろうと思った。
ものっそいきれいに真っ二つに割れた、ゾンビオフェンス13だったディスクを前に俺は腹の底からの呪詛をあげた。
「何してくれてんだてめえええぇぇぇ! 安月給の俺がどんな思いで買ったと思ってんだこの野郎! お前の命より遥かに価値が上だったって体に教えてやろうかクソジャリがあああぁぁぁ!」
「やっぱりタツオさんが買ったんじゃん」
今度のウラシマの声音は呆れを含んだそれではなかった。
それどころか、下唇をかみ締めて、ぶるぶると怒りに震える上目遣いで、目じりには涙すら浮かんでいた。
えー、ええと。
「と、もしゾンビオフェンスに手を出すやつがいたら言ってやるっすーってシンタくんが言ってました。これももちろんボクじゃなくてシンタくんの所有物です。ボクは今日は予定があるって言ってたのにシンタくんがどうしてもって。いやマジでクソだなシンタくん。社会人として大事なものを覚えないままこの年になっちゃったんだろな」
「理不尽すぎないっすか? それはいくらなんでも理不尽すぎないっすか?」
「…」
しかもウラシマ少年は俺の口上をまったく信じてない様子なのである。なぜだ。
この年で人を信じる純粋さを失ってしまったのだろうか。
「死んじゃうんだよ…タツオさんも…オトギキングダムも…パパもママも」
「なあウラシマくん。確かに約束を守らなかったのは俺が悪い。そのことについては素直に謝罪しようと思う。すまなかった。でも、君はこんな話を知っているだろうか」
それは、俺が昔バイトしてたとある食品系会社に伝わる話だ。
地元でもわりとでっかい規模と古い歴史を誇る会社なのだが、歴史が古いだけあって建物も古い。事務所がある本部も食品倉庫も工場も、全部築50年(一部は100年)を越えたものの使いまわしで、設備の老朽化なんて生易しい状態ではなくなっていた。
それだけ古くなると、壁の塗り直しや屋根の葺きなおしといっても当然のように一括で全面工事するしかないという話になってくる。いきおい、今年はそれだけの予算が組めないからつって工事は毎年毎年先延ばしだ。
しかしながらそんなお財布の問題はあくまで会社の事情であって、自然の雨風がそんなもんを考慮してくれるわけもない。突風や台風の吹き荒れたあとなどは必ず一箇所か二箇所、屋根に大穴が開く。風通しがよくなったでは済まされない。食品を扱う会社である以上、雨漏りをそのままにはしておけない。しかしやはり工事予算はない。どうするか。
その会社では、大工経験も何もない従業員を屋根に上がらせたのである。
会社の先輩に「昔はあそこに上がってたんだよー」と教えられた倉庫や工場の屋根は、どう小さく見積もっても地上8メートルは楽にあり、万一ここから落下でもしようものなら即死が約束される高さだった。
そこの屋根に、年に何度も使わないし、あってもどうせかける場所もないから、というまったく意味がわからない理由でもって、命綱なしで上がらせる。
地上に居る人間の声もよく届かないほどの高さで、しかも若干郊外に位置する立地のため、周辺に遮る建物がなくまともに吹きつける強風。想像するだけで恐怖である。会社がその恐怖体験の提供を15年も続けた結果、高きが低きに流れるように、卵を落とせば割れるように、ごく当たり前の現象として人が落っこちた。
会社としては大騒ぎである。翌朝さっそく従業員一同を会社の広場に集め、事故・怪我のない仕事を徹底するように訓戒を垂れるとともに、命綱用のロープをその日のうちにホームセンターに買いに行かせた。
「なんか話の筋がもう見えてきたんだけど…」
「いやあ田舎の会社だとケッコーよくある話っすよねえ」
「で、翌週にまた大風が吹いて屋根が飛んだので、別のやつを屋根にあがらせた。命綱を持たせて。もちろんさっき言ったように、古い会社の古い三角屋根で、命綱をかける突起なんかない。従業員が屋根に突起を取り付けていいかと聞いたら『そんなもんつけるために穴開けたら、なんのためにおめえが上がるんだかわかんねえべや!』と一喝されたという」
「うわあ」
「よくあるよくある」
ウラシマ少年とシンタの反応は見事なほど対照的だ。でも俺は信じてる。ウラシマ少年もこの弘前でしかもちょっと裏社会寄りのとこで暮らすなら、いつかきっとこの手の体験を実地でする日が来るって。
「で、アホらしくなったその従業員はその後の待遇が悪くなってもいいや、最悪こんな会社やめるし。と思って命令を拒否。要領が悪いことで有名だったべつの人にお鉢が回り、その人は屋根の上でも鈍さを発揮して一発で落ちた。もちろん警察沙汰になって、翌年、倉庫も工場も新品ぴかぴかの屋根と壁がついた。その資金を工面するためにワーキングシェアとかいう謎の名目で従業員全体の労働時間が減り、代わりに同じ時間でもより多く仕事をこなせる出来る人間ばっかやたら残業を振られる完全無欠のブラック体制が完成した。俺が入ったころは先輩たちが口を揃えて『あいつらが落ちてなきゃよー』とか言ってて、重役もどうもなんねえけど社員も終わってる会社だなと思って試用期間が終わる前にケツまくって逃げたものだ。やめる直前くらいの時期に『外崎くん正社員に興味ないか?』とか言われたときは背筋が凍るかと思ったぜ」
「そこまで行くと能力関係なく会社に来てくれるってだけで御の字みたいな感じっすね」
「まあ他より給料がいい会社だったのは確かだ。だから何も知らないアホがいくらでも来てくれる。しかし給料がいいつっても、全国でぶっちぎり最高に最低時給が安い青森県で、その最低時給より40円高い程度の給料であんだけ人間を人間と思わない扱いができる会社の責めの姿勢はすごかったなあと今でも思ってる。そういう会社が潰れるどころか相変わらず地場に名だたる大会社として大手振れてるとこが青森県ってすごいとこだなあと感じる次第だが」
「それで、その話とタツオさんが修行しないことになんの関係が?」
「よく聞け、ウラシマ少年」
俺は彼の両肩をがっしと掴み、その目を覗き込んで言った。
「馬鹿は死ななきゃ治らないというが、あれは本当だ。人間、本当に死ぬまでは、危ないから気をつけようとか思わないものなんだ。俺だってこないだ確かに死に掛けたが、もうさすがにあれと同じ目にあうことはそうそうないだろう、と根拠もなく自分の安全を確信してるんだ。だって人間だもの」
「あれと同じ目どころか次はもっと危ないよ。だって白雪ただの女の子じゃん。タツオさんには毒はきかないし。今度はふつうに一撃でタツオさん殺せるような人が来るとか思わないの?」
「いいかウラシマ。そこらへんの山肌の家に住んでる婆に、この家は明日土砂崩れが起きて流されるから避難しろ、と言ったとして婆はちゃんと逃げるだろうか。そんな話は自分に関係ない、だって何十年も土砂崩れなんてここで起きてないもの、と言い放って逃げないと思うぞ婆」
「その例えでいうなら最近ちっちゃい土砂崩れが起きて家の一部が流されたみたいな状況だよね今? おばあさん逃げないわけないと思うんだけど?」
ああいえばこうゆう。
俺はだんだん絶望的な気持ちになってきた。こんなに言葉を尽くしてるのに、こいつを説得する術はないのか? どうしてわかってもらえないんだ? 俺はただ、衣食住を得るため以外の労役なんかまったくしたくないだけなのに。
「ところでお二人はなんの話をしてるんすか? 修行っていう胸ときめくフレーズが聞こえてきたっすけど」
くそう、ただでさえめんどい事態なのに馬鹿が混ざってきた。俺は聖徳太子じゃねえんだぞ。
「お前には関係ない話だから黙ってろ」
「こないだこの部屋で毒ガス騒ぎを起こした白雪みたいな暗殺者がこれからいっぱい来るのに、タツオさんが修行してくれないんだよ。シンタさんからも何か言ってやってよ」
ふつうに全部解説する構えだった。なんなんこのクソジャリ。
「ちょ、待ってくださいよ。あれってトノが狙いだったんすか? なんで?」
「なんでって、タツオさんが私たちの世界で召喚された勇者だから。結局勝手にこっちに戻ってきちゃったけど」
「勇者!? トノが!? 何言ってんすか!? 『安達祐美』と『アダルトな魅力』くらい関連性ゼロなんすけどそのふたつのワード!?」
「てめえ」
悔しいが認めざるを得ない。しかしシンタにいわれるとなんか殴り倒したくなるほど腹立たしいのはなんでだろう。
「てゆか、それで異世界行ったのに戻ってきたってどういうことっすか!? いま日本中で何百万人のオタクが異世界行ってチート能力で無双したいと思ってると思うんすか!」
「そんなどうしょうもないやつが何百万人も居るのか…この国の未来はどうなっちまうんだ」
日本終わったな。
「冗談じゃないっすよ! なんでトノなんすか! こんなキングオブ人生に疲れたおじさんなんすか! 俺が若いころからどんだけ異世界行って戦いの宿命に身を投じたかったか知らないとはいわせないっすよ!」
知ってる。そのオタク趣味が高じて、こいつは東京行って声優を目指したのだ。アニメの世界でヒーローになるために。なんて悲しい過去なのだろう。
「ウラシマさん! 今ならまだ間に合う! やり直せるっすよ! もっかい今度は俺を召喚してください! 俺だったらこんな世界に未練もないし、そっちの世界に骨をうずめる覚悟でガンバルっすから! 残業も毎日するし、そのうち30時間までならサービスでおKっす!」
「ううん…」
シンタの勢いに、ウラシマ少年が完全にドン引きしている。
そもそもやり直しなど利かないんだろうし、できたとしてもシンタは呼ばないな…と顔に書いてあった。うべなるかな。
「おおお…おおおぉぉぉ…! なんでっすかあ…! 余は信じぬ! 信じたくない! なんでこんなに一心不乱にヒーローを目指してきた俺が後回しで、この人が勇者なんっすかあ…! 世の中こんなに間違ったことないっすよお…!」
シンタはさめざめと泣いた。男泣きであった。男の涙をこんなくだらねえことに費やして、こいつの人生これでいいのかと他人事ながら心配せずにいられない。ていうか後回しって。さらっと自分にもチャンスが来るって信じてないかこいつ。
シンタを勇者にするかどうかはともかく、まあ俺としても別にこんな能力いらんし、誰かに代わってもらえるもんなら代わってほしいくらいだが。これのせいで命が危ないわけだし。
「だから俺はこいつにこの手の話を振らないほうがいいと暗に示してたのに、当て付けのためにこの事態を招いたウラシマくんは反省してますか?」
「…ごめんなさい。いやでもタツオさんが素直に私の言うこと聞いてたらこんなことには」
「俺の扱いひどくないっすか!」
「こんにちわあ白雪ですう。こちらにウラシマちゃんが来てるって聞いてきたんですけどお」
あ、ついこないだ俺を毒ガス騒ぎの参考人としておまわりさんボックス送りの憂き目にあわしてくれた白雪ちゃんだー。おいすー。思い出したくもないが、あのあと5時間以上も拘束されて犯人なんだろ? といわんばかりの扱いを受けた挙句に謝罪の一言もなく開放されて、もうしばらく警察署があるってだけで堅田近辺に近づきすらしたくねえと思わされたものだが。まあなにはともあれ。
…振り出しに戻る!
ああああああああああああああああめんどくせええええええええ。
なんでたまの休日くらい黙ってゲームさせてくんないの? おじさんにとって自由な休日というのがどんな貴重かどうしたらこいつらはわかってくれるの? グーか? やっぱりグーで教育しかないのか? だが俺はウラシマに勝てるのか? 白雪ちゃんに鎧袖一触だったこの俺が。無理か? でも無理でも行くときは行かないといかんのが男じゃないか? よし。
「…一回だけだぞ」
「は?」
「しょうがねーから一回だけ修行してやるつったんだ! おら、高照神社だ、行くぞ!」
タツオさんのためにすることなのに、なんでこんなに居丈高なんだろう? という内心の不満をまったく隠しもしない顔をするウラシマとそのほか二名を引き連れ、俺はとうとう冒険の旅に出るのだった。
「え? え? なんですかあ? 白雪もですかあ?」