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夢幻空花なる思索の螺旋階段

作者: 積 緋露雪

ゆらりと動いた「そいつ」の面影を追って内部にのめり込むしかない思索の宿命を実験的に描いた哲学的な作品集。

自同律の不快


不合理故に吾信ず。

――吾は何故に存在してしまつたのであらうか。

と愚問の一つでも発してみるが……、

知らず識らず自他逆転の仮象に埋没して行く……。

其処で吾はふう~と溜息をついて沈思黙考の闇の大海原で溺れる……。

――嗚呼。吾は何処ぞ! 



浮遊と落下


――この浮遊感は何なのだらう。ふわふわと浮いてゐるやうでゐて、何故だらう、何処か底の知れぬ奈落へと落下してゐるやうな嫌な感じだけが脳裡を掠める……。

――さて、不意にお前は今口に出したな、《許して下さい》と。お前は今、パスカルの深淵の真つ只中なのさ、へつ。精精じたばたするがいい! 


カルマン渦 断章 壱


時間もまた流れる流体の一種ならば時間のカルマン渦も時間の表層に生滅してゐるに違ひない……。その時間のカルマン渦の一つ一つが《もの》の生滅を象徴してゐるとしたならば……そこに見えるPanorama(パノラマ)は正に諸行無常の位相の数々に違ひないのだ。

その時間のカルマン渦の一つにたゆたふしかない吾はまた、ゆるりと流れ行く時間を味はひながら己の無常といふSentimental(センチメンタル)な感傷に耽るといふ極上の楽しみを満喫せねばならぬといふ宿命を自嘲してゐる……。

――あつ、これが物自体の影絵なのか……、へつ、永劫回帰なんぞ糞喰らへだ。ちぇつ、諸行無常の渦巻く音がかそけく聞こえてきやがつた! 



瞼考 壱


此の世の森羅万象は存在する以上多分夢見るやうに存在することを宿命づけられ己の存在に対する不愉快故に夢を見るに違ひない筈だが、その中でも特に生物世界における瞼の出現で多分夢といふものの性格が突然変異するが如く変質したに違ひない。

多分、瞼が出現する以前は闇なるものはその概念すら無く、漆黒の闇といふものは、此の世にその名をもつて登場し瞼の出現と共に脳が創り上げた傑作の一つではないかと思ふ。

盲ひた人に尋ねると眼前には灰色の虚空が拡がつていると聞くが、さうすると、闇は視力のある人にしか見られないもので、闇の出現で夢は具象と抽象を行き来することが可能になつたのではないかと考へらるのであるが、さて、今夜瞼を閉ぢた私の瞼裡の漆黒の闇に出現する世界は吾を吾として受け入れてくれるだらうか……それとも吾は吾に侮蔑されるのか……瞼裡の闇のみぞそれを知る……か、ちぇっ。



地獄問答


――涅槃以外に輪廻転生から遁れられる術があるが……お前には良く解らうが……

――未来永劫に意識と感覚が自我に縛り付けられたまま未来永劫《私》でしかあり得ない彼の世のことかね。

――つまりは……

――つまりは……地獄さ。未来永劫自意識に囚はれ続けなければならず、その上尚も拷問の極致の中にゐ続けなければならない未来永劫に自意識が自意識としてあり続けなければならない地獄……

――ふつ、それでも未来永劫《私》でゐ続けられるのだからある種の人間にとつては極楽じやないかね。

――ふつ。それでお前は地獄に堕ちたのか……


異形の吾


Fractal(フラクタル)的に見れば地球と頭蓋内は自己相似形を成してをり、仮に脳裡に浮かぶ仮象の一つ一つが此の世に存在する森羅万象の《もの》の象徴としたならば、脳裡に浮かぶそれら仮象の全てはもしかすると異形の吾を反映した吾の仮の姿なのかもしれない。例へば深海に棲む生物の異様な姿は、漆黒の闇の中で自らの姿を妄想し続けた上に更には棲む環境に適応するためにさうなつたに違ひないのだ。私の脳裡に浮かぶ仮象といふ大海の奥底には私の知らない異形の吾が必ず棲息してゐる筈である。中には仮象の大海の水面にぬらりと現れてその異形の姿を見せる馬鹿な吾もゐるだらうが、多分奴らの殆どは私が死んでもその姿を現さずに永劫の闇の中でひつそりとその登場の機会を窺つてゐる筈だ。

――お前は誰だ。

――ふつ、お前だぜ。


虚体考 壱 寂寞(じやくまく)


私は、私の内界の何処かに風穴のやうな穴がぽつかりと開いゐて其処を一陣の風が吹き渡るときの寂寞感が何故か堪らなく好きであつたのでその穴を「零の穴」と自身秘かに名付けてその穴について暫くの間詮索せずに抛つて置いたのであつた。

しかし、寂寞は一方で人間にとつて堪らないものであるのは確かで私も次第にその寂寞に堪えられなくなつたのは想像に難くない。

或る日、寂寞に堪えられなくなつた私は「零の穴」の探索に取り掛かつたのであつたが、それを見つけるのに二十数年を要することとなつた。

つまり私は堪え難い寂寞に二十数年間苦悩し続けたのであつた。

――あれか、『零の穴』は……

其処は月面のやうな荒涼とした世界で「零の穴」は直径一メートルくらゐのクレータのやうな穴であつた。

さて、「零の穴」を覗き込むと音にならない音と言へばよいのか、何とも奇妙な寂寞とした音ならざる音が絶えず噎び泣いてゐるやうに聴こえたが、ところで「零の穴」は正に漆黒の闇また闇の底知れぬ穴であつた。

暫く「零の穴」を覗いてゐると何度となく漆黒の闇にAurora(オーロラ)のやうな神秘的なぼんやりと発光する光とも言へない光の帯が「零の穴」全体に波紋のやうに拡がつては消え、すると「零の穴」を一陣の風が吹き抜けて行つたのである。

――成程、これが《虚》の世界か。あの神秘的な光の帯が未だ出現ならざる未出現の存在体の秘術なのか。埴谷雄高は『死霊』を完成させずに彼の世に逝つてしまつたが、何やら《虚体》の何たるかは解つたぜ、ふふつ。

「零の穴」。それは存在以前の《もの》ならざる波動体――これを「虚の波体」と名付ける――が横溢する所謂数学的に言へば虚数の世界、つまり確率論的な波が無数に存在する《もの》なれざる《もの》が犇めき合ふ世界なのであつた。

そして、あのAuroraのやうな神秘的な光ならざる光の帯こそ「虚」が「陰」に変化(へんげ)した、これまた未だ出現ならざる未出現の存在――これを「陰体」と名付ける――なのだ。埴谷雄高においては「虚の波体」と「陰体」とが未分化まま虚体の正体が明かされることなく永劫に未完のまま『死霊』を終へてしまつたが、さて、「陰体」とは数学的に言へば虚数を二乗して得られる負の数のことで、この「陰体」を更に具体的に言へば、闇の中にひつそりと息を潜めて蹲つて存在してゐる《もの》のことでそれらは「光」無くしては其の存在すら解らぬままの永劫に未発見の存在体のことである。

――Eureka !

「零の穴」の奥に向かつてかう私は叫んだのであつた……。

そして、人心地ついた私には、作曲家、柴田南雄の合唱曲のやうな旋律ならざる声の束がやがて風音に聞こえてくると言つたら良いのか、そんな「零の穴」を吹き抜ける一陣の風の噎び泣く音ならざる音が今も私の耳にこびり付いて離れないのであつた。



瞼考 弐――過去にたゆたひ未来にたゆたふ


物理の初歩を知つてゐるならば距離が時間に、時間が距離に変換可能なことは知つてゐると思ふが、さうすると、《私》から距離が存在してしまふといふことは悲しい哉其処が《過去》の世界といふことを意味してゐるのである。つまり私といふ存在は《過去》の世界の中に唯独り《現在》として孤独に存在してゐるのである。

――其処。

と私が目前を指差したところで其処は最早《過去》に存在する世界なのである。

これは考へやうによつてはとても哀しいことであるが、私たちはこれが普通のこととして受け入れてゐるである。

しかし、不思議なことにここで一端到達すべき目的地が《現在》である《私》の側で発生するとその目的地は《過去》の世界にありながら《過去》から到達すべき《未来》の世界にあれよと転換してしまふのである。つまり、《過去》は到達すべき《未来》に、到達した《未来》は再び《過去》にと《未来》と《過去》は紙一重の関係で《過去》と《未来》は入れ替はりが可能な摩訶不思議な関係にあるのである。

さて、先に《現在》が私であると言つたが、それはつまり《過去》か《未来》の世界の孤島として存在する《現在》の私自体の《現在》はと更に問へばそれは外界と距離なく接してゐる皮膚の表面といふことになるのである。さうすると《現在》の私から負の距離を持つ私の内界は当然《未来》といふことになるが、しかせうくよく考へてみると私の内界では《未来》も《過去》も関係なく《現在》に置かれてしまつた《私》の意識はある種自在感を持つて《過去》と《未来》を行き来してゐるやうにも思へるのだ。

つまり、私は《過去》でも《未来》でもない《現在》といふ処に保留されたまま存在してゐるといふことになる。だから瞼を閉ぢて出現する闇に《未来》も《過去》も関係ない《現在》といふ表象が浮かんでは消え、また浮かんでは消えてを繰り返し、私は《現在》で逡巡しながら《未来》へと歩み出してゐるのである。

ところが《もの》たる肉体をもつてしまつた私の内界には限りがある。つまりそれは死を必然のものとして賦与されてゐるといふことである。さうすると中原中也の『骨』といふ詩が不思議に味はひ深いものとなつてくるのである……。

中原中也の『骨』の出だし――


ホラホラ、これが僕の骨だ、


…………

…………

――つまり、骨が《私》の到達すべき《未来》たる《死》! 


カルマン渦 断章 弐


時空がカルマン渦を巻いてゐる光景は誰しも目にしてゐる筈で、それは主体が動くといふ行為をすると時空のカルマン渦は必ず発生してゐるのである。一番それが解るのは電車から見える窓外の光景でそれが無限遠の近似を中心に渦を巻く時空のカルマン渦であることが一目瞭然である。

すると主体は左右の時空のカルマン渦の間に生じた《現在》といふ狭間にしか存在出来ない哀しい宿命を背負つてゐる存在を電車の窓外の光景を見ながら噛み締めつつも、例へばここで主体の《存在》の仕方を《個時空》と名付けると此の世の存在物は皆《個時空》といふことができる。

さて、そこで《個時空》は主体だけの現象であるが、ここで更に主体が《他者》の存在を考慮に入れると途端に客体に転換するけれども《他者》にとつて客体と化した私はその《他者》といふ何物かが出現させた《他者》による時空のカルマン渦に絶えず巻き込まれてしまつてゐるのである。

…………

…………

――二つの《個時空》が同時に同じ場所に存在できる《超越》といふ事象を、さて、人間は成し遂げることが、未来の何時か成し遂げることが出来るのだらうか……

――お互ひ同士波と言ふ音を使つて会話が出来るではないか。

――ふむ。しかし、人間は同一空間に二つのものが同時に存在する様を夢想する生き物なのだよ。

――はつは。お前は此の世に存在し存在した全生物に変態しながら同一空間に二人の人間が存在してゐた時期を忘れてしまつたのかね。つまり《個時空》が全く同じである二人の人物が一人として此の世に存在する奇跡の時間を……

――……

――よおく考へてごらん。きつとお前なら思ひ当た.る筈だから……

――ふむ……

――お前は宇宙の始まりからずつと此の世に存在してゐたのかね、ふつ。

――はつは。そうか母胎の中だね。受精卵といふ一つの球体から此の世に存在するあらゆる生物に変態し、全生物史を十月十日で体験する胎児の時代か……

――さうさ、お前の母親と胎児のお前は同一の《個時空》に存在してゐたんだぜ。

――つまり、誕生は《楽園》といふ胎内からの追放か……。存在の悲哀、汝其は吾に何を与へ給ふたのか……。

――へつ、生老病死さ……。



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