第6話 別離
ハルゼーは、トラック島が近付くにつれて、胸の高鳴りを感じていた。
もう少し、もう少しすれば、日本人を奈落の底に突き落とす攻撃隊を発艦出来る。
そんな彼に、冷や水を浴びせる出来事が発生する。
彼が座乗する旗艦エンタープライズの右舷を航行していた空母『レキシントン』から突如水柱が上がった。
潜水艦による雷撃である事は明らかだ。
「くそっ! ここまで来て・・・レイ、何やってんだ!」
ハルゼーは、懇意としている護衛艦隊を率いるレイモンド・スプルーアンス少将に悪態をつく。
それと共に『レキシントン』座乗の司令官、オーブリー・フィッチ少将を呼出し、状況を聴く。
彼の言うところによれば、『レキシントン』の被害は意外に軽微で、艦の持つ機能には問題無い。
ただし、機関に影響が出ており、速力は20ノットが限度だろうとの事だった。
20ノットといえば、艦載機の発艦に必要な合成風力を作るにはギリギリの速力である。
ハルゼーは考えた末、再びフィッチを呼出す。
「フィッチ、直ぐにボーイズを全機発進させ、トラックに向わせろ。上空待機は無しだ」
「す、直ぐにか?」
「ああ、ちょっち早いが仕方が無え。発進し終わったら、お前とこの艦は真珠湾に引返せ。
後は俺たちで何とかする」
「・・・・・・・・・・」
フィッチはしばらく電話の先で無言だったが、ハルゼーの意図するところが解せた様だ。
「了解した。後は頼む」
「ああ、任せろ」
『レキシントン』がこの先、足手纏いになる事は明らかだ。
歩速が鈍ったところで、先程の様に潜水艦の雷撃に再び遭うかもしれない。
しかし、奇襲攻撃を掛けるには弾数が多いに越した事はない。この艦の持つ100機近い艦載機は貴重だ。
結果、ハルゼーは『レキシントン』に対し、早期出撃を命じたのである。
ただ、この時点での発進は、艦載機の航続距離からみて充分とは言えない。
上空待機無しは、そういったロスを無くす為だった。
空母『レキシントン』に宿りし艦魂のレキシントンにも、心配した仲間が集まっていた。
「レディ・レックス」の愛称で呼ばれる同艦の艦魂だけに、彼女も又、長く真直ぐ伸びた金髪、
180cm近い長身を晒した姿には、どこか気品を感じられる。
その彼女は、右脇腹を左手で抑えて、壁に凭れ掛かっていた。
顔には苦痛の表情を浮かべ、抑えた左手の下からは一筋の血が流れている。
「大丈夫? 姉さん・・・」
屈んで、視線を同じにし、心配そうに覗き込むのは、妹のサラトガだ。
姉と同じく長身だが、金髪の巻き毛が愛くるしい。「シスター・サラ」と呼ばれる由縁である。
彼女たち姉妹より小柄な他の二人、ヨークタウンとエンタープライズは、立ったまま見下ろしている。
ヨークタウンは茶色に近い金髪で、いかにも勝気の塊の様な妹に比べ、姉らしいおっとりさがある。
レキシントンはそんな三人を見上げながら、
「心配掛けてごめんなさいね。私は大丈夫だから・・・」
そう言って立ち上がり掛けたが、苦痛で表情が歪む。
「姉さん!」
「今はまだ、そのままの方が良いですよ。人間たちが応急修理をしてくれれば、いくらか楽になりますし」
「そうだ。休んでいた方が良い」
最後はエンタープライズの言葉だが、四人の中で一番歳下であるにもかかわらず、
腕を組み、一番偉ぶっているのが彼女だった。旗艦という自負もそうさせているのだろう。
やがて空母『レキシントン』の艦内が、急に慌しくなった様に四人には感じられた。
「ハルゼーのおっさんが、何か言いつけたのかもしれない・・・ 私、様子を見てくる!」
エンタープライズはそう言い放つと、光に包まれ消えた。
しばらくして再び現れたエンタープライズは、状況を説明する。
「ハルゼーが、この艦の艦載機を全機発進させる命令を下したわ。
終わったら、一足先に真珠湾に帰還する様にとも」
彼女からの報告に、残りの三人が顔を見合わせる。
やがて、レキシントンが諦めた様に言う。
「どうやら私は足手纏いみたいね。ま、この状態なら仕方ないけど。
サラ、ヨーク、聞いた通りよ。私は先に帰るけど、子供(飛魂)たちをお願いね。
貴方たちも追って出撃命令が掛かるはずだわ。
そうなれば忙しくなるから、今の内に自分の艦に戻った方が良いわ。
何もこれっきり会えなくなる訳じゃない。だから心配しないで」
彼女は精一杯の笑顔を作って三人に言う。
「分かったわ。待っててね。姉さん」
サラトガは、姉が痛まない程度に軽く抱き締める。
元はといえば、姉妹は巡洋戦艦になるべき艦魂だった。豊満で華麗な裸身同士が重なり合う。
そして、別れを惜しむかの様に頬にキスする。
「道中気をつけて。真珠湾で再開しましょう」
「後の事は任せて欲しい」
ヨークタウンとエンタープライズも敬礼し、三人は揃って消えた。
レキシントンはそれを見送ると、痛みを我慢して立ち上がった。
三人には言えなかったが、何やら不吉に思える違和感があったのだ。
宿りし艦の事は、宿りし艦魂にしか解らない。それを確かめる為に。
彼女が転移した場所は、艦底部だ。
上層階では、艦載機を発艦させる為に喧騒の真っ只中にある中で、ここは人気も無く静閑としている。
やがて、それらしい場所を見つけた。それは艦載機の燃料となるガソリンのタンクであり、
先ほどの雷撃の衝撃で、上部に亀裂が生じていた。
敏感な彼女の嗅覚は、異臭も感じる。
ガソリンが気化したガスとなって、亀裂から漏れ出しているのだ。もちろん揮発性だ。
それに引火する事があれば、己も、宿りしこの艦も無事ではいられないのだ。
しかし、原因が解ったところで、人間には見えない艦魂という存在の自分では、知らせる術が無い。
この様な場所では、人間自身が気付くという事も、まず在り得ない。
気ばかりが焦るが、どうしようも無い。 ただ引火しないのを祈るばかりだ。
『レキシントン』の飛行甲板からは、逃げるかの如く次々と艦載機が飛び立っていく。
ハルゼーも旗艦エンタープライズの艦橋からそれを眺めながら、居たたまれない気持で居た。
艦載機の搭乗員たちの技量は、お世辞にも高くは無い。
その上、発艦出来るかギリギリの状態で、それを行わせているのだ。
事故を起こしても決しておかしくはない。そして一度起こせば、被害を更に大きくする。
幸い予定された全機が空に上がった。
役目を終えた『レキシントン』は、真珠湾に向って戻って行く。
スプルーアンス率いる護衛部隊から引抜いた駆逐艦2隻を共にして。
残った3隻の空母『サラトガ』『ヨークタウン』『エンタープライズ』と、各艦に宿りし艦魂たちは、
任務を達成させる為に先へと進む。
そして、両者の距離が充分離れた頃、水平線の向うに黒煙が上がった。
「フィッチ、何があったんだ?」
ハルゼーは『レキシントン』を呼出すが、返事が無い。ややあって、別の者が出た。
艦長のフレデリック・シャーマン大佐だった。
彼の報告によると『レキシントン』は、何らかの原因で艦底部が爆発、現在、消火・注水作業中との事だ。
指揮官のフィッチ少将は、この爆発の弾みで頭部を強打、昏睡状態に陥ったらしい。
時間差を置いて再び『レキシントン』を襲った災厄に、ハルゼーは唖然とするが、作戦そのものを
中止するには早過ぎる。まだ3隻の空母があるのだし、『レキシントン』だって沈んだ訳では無い。
とはいえ、黒煙を上げる『レキシントン』は、敵にとっては良い目印となる。
同艦が見付かれば、付近を航行中の自分たちも見付からないとは限らない。
既に此処は敵の哨戒圏内なのだ。
いっその事、『レキシントン』を同航する駆逐艦の魚雷で自沈させようかという考えも頭を過る。
しかし彼はそれを直ぐに打ち消す。
『レキシントン』やフィッチ少将の状態も心配だが、今は作戦遂行あるのみ。
ハルゼーはその想いを振り払うかの様に、残り3隻の空母の戦速を上げ、同時に艦載機の発艦準備を
進める様に命じた。
その様子を艦橋の片隅から見ていた艦魂のエンタープライズも又、手を強く握り締め、悲しみに耐えた。
既に『レキシントン』とは、転移可能な距離を越えていた。
レキシントンといったら、やっぱりこの爆発ネタでしょうね。でも、この作品では沈みませんよ。
随伴する2隻の駆逐艦名も明らかにしたかったけど、調べられませんでした。
珊瑚海海戦時から選べばいいかな? 誰か案を出して下さい。
本作の今年の投稿は、今回分が最後となります。来年もお読みいただければ幸いです。
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