第五十七話 二度あることは何度でも
ずいぶん間があきましたが更新です。
いつもよりも文章量がかなり多いです。
「よっこらせっと……」
自分の背丈よりも倍近くある角材を三本ほど肩に担いだ俺は、爆弾でも投下されたのかと思うほどにボロボロになってしまったステラさんの家の修理に駆り出されていた。
テネブラエ、レディ、ステラさんの三人に口撃を喰らったのは先日。翌日である今現在、さすがに顔を合わせないわけにもいかず、今朝がたこの家についた時、
「おおユーイチ。今日は家の修理を手伝ってもらうからの」
とのステラさんからの御言葉をいただいた。その言葉に対して俺は精一杯の難色を示したのだが、
「修理する羽目になった原因はほぼお主じゃろうが!!」
至極まっとうな反応を返された。まあ、俺自身多少は気に病んでいたことなので力仕事程度ならば手伝うことはやぶさかではないのであるが。
「じゃ、ここに置いとくんで」
「お、おう。それと、向こうの角材も何本かこっちに持ってきてくれ」
「了解ッス」
エルフの棟梁が指揮をする中、俺はただ単純労働。角材やらの材料を左から右へ、右から左へと運ぶだけに従事していた。施設に居た頃は、日曜大工などで簡単な小物程度なら作れる腕は持っているつもりだが、さすがに本職には叶わない。しかも見た所くぎなどは使わず、パズルのように角材を組み合わせて使っている。どう見てもまねる事のない技術である。
それ以前に、あまり俺が近づきすぎると他のエルフたちが怯えて仕事にならないらしく、素直に運搬作業についてもらっていた方が有難いそうだ。ならばこちらとしても自分の体の長所を使って運ぶのが良いだろう。人種差別とかではなく、適材適所と考える事にしよう。
「むぐぐぐぐぐっ……」
「お? なに変な声出してんだ、マギサ?」
棟梁に指示された角材を取りに行くと、そこには顔を真っ赤にして角材を持ち上げようと奮闘しているマギサの姿があった。マギサの胴まわりよりも太い角材だ。マギサの細腕で持ち上げられるはずもないのだが、
「はぁ、はぁ……お、おばあさまの指示で手伝いを……」
「息も絶え絶えじゃねぇか。ほれ、それよこせ。持ってやるから」
「…………」
俺の言葉になぜかムッとした表情を浮かべると、持っていた角材を離してさらに巨大な角材に手を伸ばした。この一連の行為に何の意味があるのかわ分からないが、案の定角材はピクリとも動かない。
「何がしたいんだよお前は……」
「人間の手なんて借りない。これは……あれだ、もっと重い奴を持ちたいと思っただけだ」
……ああ、あれか。負けず嫌いって奴だな。これが人種的なことから来るものなのか、単純に俺が嫌われているのかは分からないが、とりあえずその言い訳は無理があると思うぞ。
「お前の腕力じゃ無理だって。適材適所って言葉、俺でも知ってるぞ。あっちでフランとレディがお茶汲みやってるからそっち手伝ってこい」
俺が指さした方向には、建築作業をしている男たちに茶を運んでいるフランとレディの姿があった。美人二人に茶をついでもらっている男たちの表情は、遠目から見ても分かるほどに緩んでいる。ああ羨ましい妬ましい。
「僕がエルフに茶を注げるわけないだろう! って言うかあいつら……あの方になんて真似をさせてるんだ、不敬な!!」
「…………なぁ、あの方ってレディのことだよな? 結局、レディって何者なんだ? ステラさんよりも立場は上なんだよな?」
「『様』を付けろ無礼者…………って、ああ……いや、うん。あの方については……その、言えない」
「? 言えないって……」
「『盟約』の関係で、あの方のことを知っているのは今ではほんの一握りのハイエルフだけなんだよ。僕やおばあさま、それと元老の数人だな」
そこまで言うと、再び噛みつかんばかりの険相でエルフたちを睨みつけた。良く分からないが、『盟約』とやらでせいぜい睨みつけることしかできないでいるらしい。
ま、それもひどい話だ。なにも知らない人間が「理由は言えないけどめちゃくちゃムカつくなお前」と言われているようなものだ。理不尽にもほどがある。
ふと、遠目に居たレディと目が合った。レディはふわりと笑うと、俺に向けて軽く手を振ってきた。俺も振り返そうと手をあげたのだが、レディの隣に立っているフランの表情を見てすぐさま手を降ろす。
だって、もう文字として現れてたからな。フランの顔の横に漢字で『殺』ってさ。こっちの世界の文字じゃないだろそれ、と突っ込みを入れたくなるほどくっきり浮かんでたよ。
「さ、さーて。作業に戻るぞ、マギサ。ほら、お前はもっと軽いのを持て」
「……? お前に言われなくても…………ん?」
唐突に、マギサが空を見上げた。ほぼ垂直に向けられたその瞳は、何かを確実に捕えている。当然そんな行動を取られると俺も気になって仕方がない。太陽を遮るように手をかざしつつ空を見上げると、かすかにであるが、何とも判断に困るシルエットが青色の空の中に潜んでいるのが分かった。鳥……にしては骨格が違いすぎるし、そもそも距離と大きさが一致していない。かなり距離があるので、少なく見積もっても十メートル以上はあるだろう。まあ、このファンタジー世界にそのぐらいの大きさの鳥が居てもまったく驚きはしないが。
「……なにアレ?」
「多分……ワイバーンだな。このあたりでは珍しいな」
「ワイバーンって……ああ、ドラゴンのことか」
「いや、ワイバーンだ。前足がないだろ?」
「それって違うのか?」
「違うなぁ」
うん。ややこしい。
「…………なあ、なんかヒューって音しないか?」
「するなぁ」
「これ何の音だ?」
「さあ? そう言えば、俺が空から落下する時とかに聞こえる音に似てるような……」
「じゃあ何かが落ちてきてるってことじゃないか?」
「ははっ、ワイバーンのクソだったりしてな……」
ドゴォンッ!!
そんな音が辺り一帯に響いた。音と同時に、衝撃波が俺とマギサに襲い掛かり、その威力は傍に居たマギサが気を失ってしまうほどだ。発生源は俺のすぐそば、約一メートルほどの位置。その音と衝撃波は、俺たちが聞いた落下音……鉄でできていると思しき筒が地面に落下し、めり込んだために発生したものだった。
「…………直撃しないだけ進歩か」
意味の分からない悟りを開いてしまった自分に悲しみを覚えつつ、俺は再び空を見上げた。そこには、ギャアギャアと鳴いているワイバーンの姿がある。そして一方の落下物である鉄筒をよく見てみると、大きく『飛竜配達』と張り紙がしてあった。
ああ、そう言えば前の街で大金をはたいて契約してたっけ。新聞を配達してくれる云々……それにしても、言葉通り投げやりすぎる配達方法だなオイ。下手をしなくても死人が出るぞこれ。
とはいえ、大金を払って命の危機にさらされたものだ。読んでおかなければ損ばかり、と鉄の筒のふたを開けると、中には二枚の紙切れが折りたたんで入っていた。
『連合軍、魔軍に対して戦況これ優勢なり』
王国騎士団主力が所属する南部戦線で大規模な戦闘が多発。しかし、このことごとくを打ち破った連合軍は各地の戦力を吸収しながら旧王都『マケドニオ』へと前進中。敵方の抵抗も激しくなる中、連合軍の戦力も中央からの応援によってさらに増強され、互いの戦力はやや連合軍が優勢か。ただし、ここしばらく南部戦線の指揮官であるム―レス公爵への取材が全面禁止されており、致命的な怪我を負ったのではと言う噂が流れている。
とはいえ、このペースで進軍が続いたならば、近々マケドニオで開催される『全誕祭』に間に合う可能性がある。度重なる戦闘で疲れ切った兵士たちには最高の知らせだろう。この知らせが伝わったマケドニオでは、いち早く盛り上がりを見せている模様。
筆=クルト・フィッシャー
『今日の小話』
戦場にもかかわらず、なぜかいろめいた空気が流れている南部戦線。噂では、どこかの国の王女様が恋に落ちたとか落ちていないとか。前回のシルフィ・ド・アラム・モントゥ王女殿下の目撃情報も合わせ調査中。この情報が真実であるならば、一大事件なのは間違いないだろう。
「…………大したこと書いてないなぁ。あんだけ金払っておいてこれかよ」
ため息をつかなくてはやってられん。新聞をめくりあげて二枚目に視線を移すと、そこにはさらに大きなため息をつく理由に十分な条件の文章が書き連ねてあった。
「飛竜配達、実はあなたが初めてのお客さんなんだよね。だから勝手も分からないし、竜も鉄筒を空から落とすと思うから頭上には気を付けて。言い忘れててごめんね、てへぺろ」
筆=テイル・デッサン
「………………落とす前に言え!!」
なにが「てへぺろ」だ! そんなあやふやなもんを俺に押し付けてたのかよ! 実験台じゃねぇか!!
ありえないほどムカつく文章が書かれた紙を破り捨てた。それはもう……ありったけの憎しみをこめて。
「マギサ様っ!!」
紙の内容に憤慨していると、一人のエルフが息を切らしながら俺とマギサの間へと突っ込んできた。
「ま、マギサ様……大変で…………おわっ!? 人間!? 貴様、マギサ様に何をした! またよからぬなことを仕出かしているのではないだろうな!!」
「あ? またって……俺、お前に会ったことあったっけ?」
なぜか急に威嚇してきたエルフに俺は首をかしげた。まったく見覚えが無い。この里にやってきてから、エルフとまともに会話する機会なんてほとんど無かったわけであるし、まずこの男との接点が無い気がするのだが。
このエルフの大声により、ようやく目を覚ましたマギサ。寝ぼけまなこで男を一瞥すると、俺と同じように首をかしげた。
「? 誰だお前」
「ま、マギサ様……もうこのやり取り何度目ですか……」
エルフが今にも泣きそうな表情を浮かべ、震えた声でそう言った。あれ、何だろう……すごく良心の呵責がある。初対面のはずなのに、何なんだこの申し訳なさは……
「って、いや。こんなことやってる場合じゃ無かった。大変なんです!!」
「大変なのはわかったから、なにが大変なのか言えよ」
いまいち要領を得ないエルフを前に、苛立ちを隠そうともしないマギサのしかめっ面が現れた。だが、ことはわりと真剣なことだったらしく、エルフはマギサにおびえることなく、言葉をつづけた。
「向こうの集落で……火事がっ!!」
問題です。下は大火事、上も大火事なーんだ?…………いや、問題じゃないなこれ。答え出ちゃってるよ。ちなみに解答はそのまんま大火事である。しかも、俺の目の前で本物の大火事が起きていたりする。ちょっと不謹慎だったな、反省。
エルフの案内で、そう離れていない場所に合った集落にたどりついた俺とマギサ。そして騒ぎを聞きつけたレディとフランも同じころに野次馬に来ていた。
たどり着いた集落では、さっき言った通りに大火事が発生していた。かなり大きな家が完全に炎にのみ込まれている。家の所々が崩れ始め、もはや玄関や窓と言った出入り口もその役目を果たすことができなくなっていた。
「なんで火事なんかが……」
マギサは火事現場を呆然と見つめていた。
「おい。どうすんだよこれ。消防車……なんてないだろうし、とにかく消火しないと……」
「あ、ああ、そうだな。おいお前! 水魔法が使えるエルフを集めろ。飛び火しないうちにアレを消すぞ!」
「はい、ただちに!」
マギサを呼びだしたエルフに指示を与え、マギサ自身も行動を開始した。周りの水魔法が使えないエルフたちに井戸から水を持ってきて少しでも火の勢いを押さえようとしたのである。俺は、素早く指揮に着けるマギサの行動力に感心しつつ、目の前の惨状に焼け石に水と言う言葉そのままの意味を感じ取っていた。火の勢いが強すぎるのだ。
しかも、不幸は重なるものだと言わんばかりに、入ってこない方が有難い報せが俺のもとへとやってきた。
「ユーイチ様!!」
大声をあげたのはフランだった。俺の傍へと駆け寄ると、俺の袖を強く掴んで必死な表情を見せた。
「ど、どうした、フラン?」
「ユーイチ様……家の中から、子供の泣き声が……」
「「!!」」
子供? あの家の中から? あの日の海の中から?
自分の顔から血の気が引くのをはっきりと感じ取った。それと同時に、フランの言葉を聞いたであろうこの場の人間すべての顔が青ざめたのが分かった。フランは下をうつむき、マギサは何かを言いだそうとしてそれを飲み込んだ。正直に言ってしまおう、俺たちは動揺していたのである。
「な、中に誰かが居るにしても火が弱まらないことには…………すぐに魔法で……」
「待ちなさい!!」
声をあげたのはレディだった。うろたえる俺たちを鎮めるかのようなその重々しい声は、一瞬周りの音をすべて消し去ってしまうかのような迫力があった。
眉を吊り上げ、一見残っているようにも見える表情を浮かべていたレディは、俺たちの会話を聞いていたのか、
「魔法で火を消すのは待って。火の勢いが強すぎて崩れかかってるから、強い呪文はダメ。中に人が居るなら初級呪文で少しずつやらないと」
「で、でも急がないと……子供が居るんです!」
「急いでやって建物を崩してしまっては元も子もないでしょう! 助けたいなら落ち着いてやりなさい」
まるで子供を諭す母親のようなセリフと雰囲気は、この場に居る奴らの気を落ち着かせるには十分な物だった。俺と同じくらいの歳の容姿ながら、纏っているオーラと言うのだろうか……年季を感じさせるものがある。
すぐさま行動に移すマギサ達。集まった魔法使いのエルフに指示を出し、水魔法を燃えている建物へ放っていく。だが、ちょっと強い水鉄砲程度の魔法だ。轟々と燃え盛っている建物へはあまり効果があるとは言えず、火が消えるまでにどれだけ時間がかかるか見当もつかない。
と、魔法の使えない俺は隣でバケツリレーに参加していたのだが、不意に俺の服を引っ張る力に意識がそれた。俺の服を掴んで小刻みに震えているのはフランだった。
「どうした?」
「ユーイチ様……子供の声が…………」
それ以上の台詞はフランの口からは出てこなかった。いや、言っていたのかもしれないが、少なくとも俺の耳には入っていなかった。だが、それでもフランが言わんとしていることは理解できる。間違いなく、|子供の声が消えた〈・・・・・・・・〉のだろう。それが子供の生命の危機を指し示すのか、それとも単に中には元々人などいなかったのか…………ま、どっちを信じるって聞かれれば、最初のフランを信じるって即答するだけだけどな。
俺は燃え盛っている建物を見た。そしてそれを消そうと奮闘する魔法使いたちを見た。
まったく度し難い。俺って奴はなんて有言不実行なのだろう。平和な方が良いとか、他人の事情に首を突っ込まないとか、色々言ってきたは良いものの、ほとんど実現できてない。なんでだろう? 歳相応に世の中を斜に構えてアホなことを言ってても良いはずなのにな。…………ホント、なんでだろうな。
「なあテネブラエ、ちょっと問題なんだけど」
『あ? なんだよ藪から棒に』
「大火事の建物に突っ込もうとする少年が居ました。さて、この少年を周りの奴らはなんて呼ぶでしょうか?」
『…………あー、そりゃアレだ。「大馬鹿野郎」って言うんだろうな』
まったく……この愛しの我が相棒は、いつだって俺が聞きたくない真実を語ってくれやがるなぁコンチクショウ。
「大・正・解!!」
そんな言葉を吐いた俺は地面を思い切り踏みしめて、建物へと一直線に駆けだした。後ろでフランが俺の名前を呼び、それに気がついたレディたちも同様に俺の名前を読んで止めにかかる。……だけど俺は止まらない。止まれるわけがない。佐山雄一は急には止まれないのだ。マグロがそうであるように、止まってしまっては死んでしまうのだ。それが俺自身の命か、他人の命かは関係ない。何もかもを守るなんてそりゃあ無理だ。けど、自分の手の届く範囲くらい、守ろうとしても罰は当たらないだろう。だから俺は止まらない。止められないのである。
『ユーイチ! 突っ込むのはさすがにまずいぞ! レディの姉ちゃんも言ってたろ、下手すっと……』
「ああ、崩れるんだろ! 分かってる!」
イメージ。そうイメージだ。頭の中に一つの部屋を創るイメージ。そしてその先に火事の建物の内部があると想像する。たったそれだけ。空間術とは、そんなあいまいな根拠の上に成り立っている不安定な術なのである。
「開け!!」
呪文を唱え、俺の影から湧きでて来た黒い煙の中に飛び込んだ。
「熱っ!!」
黒い煙のトンネルを抜けると、そこは火の海だった。文芸小説をほとんど読まない俺でも知っている一節をもじってみれば、まさに今の状況その通りだ。
建物の中は火の海と言う言葉が似合う場所。右も左も上も下も、すべてが赤色の火に包まれていた。
「おいっ、どこだ!!」
叫んでみた。だが、聞こえてくるのは火が燃えるゴーッと言う音か、建物が崩れ始めてきしむ音くらいだ。返事らしきものは返ってこない。
「げほっげほっ……返事しろコラァ!!」
『どんな呼び方だよ!』
煙が喉を通って肺に達した。思わずせき込むほどに、火事現場と言うのは想像以上にツライ場所だった。おまけに熱い。煙を吸い込むと同時に熱気も体内に運ばれてしまい、喉は当然、肺まで焼けるかのような感触だ。
こんな場所に数分でもいればたちまち燻製の出来上がりだ。直接的に言ってしまえば、死んでしまうと言うこと。体力のある俺でもこんな状態なのだ、正直、子供が無事でいるなんて無理だと言う論理思考が俺の中を駆け巡っている。
……らしくない。俺はもっと頭が悪いはずだ。論理? なにそれおいしいの? って言うような人間だろうが。
「…………ゲホッ」
「『!』」
かすかだが、本当にかすかなのだが、俺じゃない人間のせき込む声がした。
「おいテネブラエ! 今のお前じゃないだろうな!?」
『剣が咳してたまるか』
そりゃそうだ。だとすれば俺が思いつく限り答えは一つ。
「そこかっ」
咳が聞こえた位置に駆け寄ると、見えづらいが、崩れ落ちた柱の隙間にエルフの子供がかろうじて収まっていた。どうやら気絶しているようだったが、見つけたなら話は早い。後は助けだすだけである。だが、ことはそう上手くいかない物で、炎に包まれた柱のおかげで手を伸ばしても子供に届かない。そもそも、子供一人が通れるスペースもないのだ。手が届いたとしても救いだすことは難しいだろう。
「あーもう……あーもう! 痛いのは嫌なんだよ!!」
丈夫になったり強くなったりしてくれているこの体であるが、基本的に痛みが和らいでいるわけじゃない。痛い物は痛い。これから俺がする行動もさぞかし痛いことだろう。ああ嫌だ嫌だ……
俺は神様に祈るかのように掌を合わせた。でもって、これは神に祈る所作なんかではない。両手をこすり合わせ、ただ覚悟を決めただけ。
「ふんぬっ!!」
炎に包まれた柱を両手で掴むと、力いっぱい持ち上げた。勿論、赤くなるほどに熱を帯びた柱である。当然のごとく俺の両手は肉の焼けるチリチリと言う音が鳴り始めた。
『おいおい無茶すんなよ!』
「無茶だけど……他に方法ないだろうがっ!」
重量挙げ選手のように、腰から胸、そして頭上へと柱を高く掲げた。
不幸が重なると言う言葉がある。手がバーベキュー状態と言うことが一つで、もうひとつ重なるように、家全体がきしむ音がした。感覚で分かる。あ、この家崩れるわ……と。
『方法ってんなら、子供もろとも空間の中にしまえばよかったんじゃないか?』
「…………」
『…………』
さ、30秒前に言ってほしかった。無駄に香ばしい匂いが漂っている俺の両手を見つめ、なんだか泣きそうな気分になってしまった。今なら涙で火事を消せそうである。
「ま、まあそれなら話は早い。とっととズらかるぞ」
『なんかその台詞だと泥棒みたいだな』
「うるせぇよ! 開け!!」
毎度おなじみ、影が黒い煙へとメタモルフォーゼ。気絶しているエルフの子供を飲み込んだ。
……と、空気を読んだのかどうかは知らないが、子供を空間にしまい込んだ瞬間、屋根が限界を迎えたらしく俺の頭上めがけて崩れ始めた。
「なんでこのタイミングで!?」
『は、早く飛び込め! 生き埋めはごめんだ!!』
「ふーじ○ちゃーん!!」
持ち上げていた柱を投げ飛ばし、男なら誰であろうと習得してみたいと思うとあるダイブを敢行。こんな状況下でやるような行為ではないけれど、テンパってたんだから仕方ないじゃない。
炎に包まれていた建物が崩れ落ちた。中に人が居たとしたら、完全に押しつぶされてしまうであろう大崩壊。それが俺たちの目の前で起こった。不謹慎だが、中々スペクタクルな光景である。
「ユーイチ様ーー!!」
フランが涙を浮かべて名前を叫んだ。なんてこった、中にはまだユーイチと言う超絶イケメンが取り残されているらしい。こんなかわいい女の子を泣かせるなんて、なんて良い男なんだユーイチ。きっと男らしくて人徳があって、頭が良くて高学歴。モデルにならないかと誘われるほどのスタイル抜群のイケメンに違いない。
「中にまだ誰かいるのか!?」
「ゆ、ユーイチ様が……ユー………………ユーイチ様?」
「おう、やっと気付いてくれたか」
みんな気付いていなかったようだが、俺はこうして無事である。
間一髪と言う言葉がふさわしいタイミングで空間に避難することができ、気絶した子供を抱えて外へと戻ってきていた。その際、出口がフランの影にできていたようで、結果としてフランを驚かせることになったのである。
「に、人間!? 生きてたのか……すくに治癒魔法の使える者を連れてこい!!」
少しばかりのタイムラグが生じていたが、他の奴らも俺の存在に気がついた。そのうちのマギサは、すぐさま俺が抱えた子供を奪い取り、治癒魔法ができると言うエルフに診せた。どうやら俺の大やけどした両手は目に入っていないらしい。
「はぁーー…………」
それはそれは深いため息をつきながら、フランが膝から崩れ落ちた。
「ははっ、心配してくれたか、フラン?」
「そんなの…………心配したにきまってるじゃないですか……」
「…………悪い」
さっきまで結構険悪な雰囲気だったので、からかうように言ったのだが、本気で心配されていたらしい。俺に見せてくれないその顔は、もしかしたら泣いてクシャクシャになっているのかもしれない。
そんなフランに和みつつ、俺は彼女の頭を撫でた。
「ユーイチ、よくやったわね。偉い偉い」
和んでいた空気を邪魔するがごとく、レディが俺の頭を撫でて来た。フランの頭を俺が撫で、俺の頭をレディが撫でると言う不思議な構図の出来上がりだ。
「……お前は俺のオカンか」
「私はまだ子供を産んだことはないわよ?」
「そう言うことを言ってるんじゃないんだよ」
恥ずかしい上にもう少しだけ空気を呼んでほしかった。……ああ、ほら。フランさんが膨れてらっしゃる。せっかく雪解け間近だったのに、人口的に機械で雪を降らされた気分だ。
「所でユーイチ、あなた……」
「うん?」
「…………ううん。やっぱりなんでもない」
何なんだよ。気になるじゃないか。
笑顔で首を振ったレディは、やきもきする俺を置いて消火作業へと戻って行った。あれですか? 放置プレイですか?
しかも、レディから視線を外してフランへと戻すと、そこに彼女はいなかった。……いや、よく見ると俺の視界の隅っこに小さく映ってる。本当にちっちゃい。遠くの木の影でこっちを睨んでる。振り出しに戻ってしまったらしい。
「ユーく―ん!」
この名前で俺を呼ぶのは一人しかいなかった。金髪のエルフたちの中で一人だけ、緑色の髪の毛をなびかせるアエルが俺に向かって手を振って駆け寄ってきた。アエルが居たエルフの集団は、他のエルフたちとは違う独特な雰囲気を放っており、多分あれがハイエルフと言う物なのだろうと確信した。マギサやステラさんにも同じ雰囲気を感じていたからだ。
そして、その集団の先頭に立つのはステラさんだった。他のハイエルフたちを引きつれているその姿は、なるほど、長老らしい風格を兼ね備えていた。
「火事があったって言うから飛んできたのぉ。……ってわぁ!? 手がグチャグチャだよ、ユーくん!」
ようやく俺の手の惨状に触れてくれたのがアエルだったと言うのは嬉しいのか悲しいのかよく分からない物がある。まあ、佐山雄一パーティーの中で唯一回復魔法持ちであるので、嬉しいと思うべきなのだろう。あっという間に呪文を唱えて俺の両手が全快した。
「これはどういう有様じゃ、ユーイチ」
「ああ、ステラさん。アエルのおかげでちゃんと治りましたよ」
「いや、そっちではなく……向こうの話じゃよ」
ステラさんのすらっと細い人差し指が向けられた方向を見てみると、消火作業が終わったらしい元火事現場が見えた。火は完全に消えているが、同時に建物の原型が完全に消滅している。残っているのは真っ黒に燃え尽きた炭のみである。
「なんか、火事が起きてたんで救助作業をしてました」
「火事? この里でか? うーむ……」
怪訝な顔をしてうねるステラさん。なにやら首をひねったり顎に手を当てたりと考え込んでいるようだ。そんなに火事が珍しいのだろうか、まあ、こんな木に囲まれた地域で火事なんか起きたら天災レベルの大事件になりそうではあるが、人……と言うかエルフが生活してるんだから、火事くらい起こってもおかしくはないと思うんだが。
「エルフって言うのは基本的に火を使うことはないのよぉ。魔法も火系統のを使えるのは本当に数えるくらいみたいだしね~」
俺の表情を読み取ったのか、アエルが説明してくれた。
「火を使わないって……じゃあ飯作るときとかどうするんだ? なにを作るにしても必要だろ?」
「火を使えない代わりに熱魔法を使ってるの。私は火系統の魔法も使えるけど、里の中じゃ使うだけで犯罪になっちゃうから使えないのよぉ?」
火魔法を使っただけで犯罪って言うのもすごいな。さっきも考えたことだけど、一歩間違えただけで大惨事なのだからその位敏感にならないと危ないんだろうなぁ。
「アエルの言った通り、少なくとも今この里で火魔法を使えるのは……恐らくアエルだけじゃろう。その上このあたりは湿気が多く、自然発火するとは思えんし……」
「ひょ、ひょっとして私を疑ってるのぉ?」
「いやいや、アエルは先程まで妾と一緒に居たじゃろうが。そう言うことではなくてじゃな……」
『放火ってことだろ?』
ステラさんはうなづいた。テネブラエの言う通り、アエルとステラさんの話が正しいならば放火としか考えられないだろう。火を使える人間がそもそも少ないうえ、内有力候補にはアリバイがある。まあ、魔法に限らなければそれこそ子供であっても火は使えるわけなのだが、それでもやはり疑問は残る。なぜ放火する必要があったのか、と言うことだ。こんな閉鎖的な隠れ里で放火して何の得があるのだろう。放火犯の思想なんて知りたくもないが、不可解ではないだろうか。自分が住んでいる里に、自分が巻き込まれるほどの大災害になる可能性も排除できないのに実行する。思慮が足りないとしか言いようがない。となると、もう一つの可能性として浮上してくるのが、外部の人間が里に居る可能性だ。自分の居住地域に影響が及ばないならば、いくら火で遊ぼうとも気に病む必要はあるまい。……いや、この可能性だって全然高くないな。確かこの里は隠れ里で、エルフが長ったらしい呪文と流血を伴ってでしか入れないはずだ。そう簡単に外部の人間が入れるとも思えない。
…………ああ、駄目だ。ちょっとした探偵気分を味わいながら推理をしてみたは良い物の、状況整理くらいにしか使えないな。俺が頭が悪いことを俺はもっと自覚すべきだと自責の念を感じるべきだろう。
「…………」
「……あの、なんか視線が集まってる気がするんですけど」
俺に対し、俺以外の奴らの視線が集まっていた。もちろんそれは「俺以外」と言う注釈がつくので、アエルにステラさん、レディにマギサも含んでのことだ。唯一ないとすれば、もはや姿すら見えなくなってしまったフランのみであろうか。
知らぬうちに注目の的になっていたことに少しばかりの気恥しさと不安を感じ取った。もちろん、不安の方が圧倒的に大きい。
「いやまあ……その……のう?」
「今この里にはユーくんとフランちゃんしか外部の人間はいないのよぉ?」
……なるへそ。どうやら俺の考察程度なら、ほとんどの人間が一瞬のうちに答えを導けるようだ。
「いやいや、俺たちにだってちゃんとアリバイはあるって! ついさっきまでステラさんの家を直してたんだぜ? マギサだってそれは知ってるだろうが!」
「そ……そうだな。確かに」
青ざめた表情で声を詰まらせながらマギサは言った。何だろう、その言い方だと俺がマギサを脅して無理やり言わせているみたいじゃないか。逆に俺の新犯人説に拍車がかかる気がする。伏線じゃないか。
「いや、そもそも妾はユーイチを疑っているわけではないよ。むしろ心配しておる」
「心配?」
「妾たちが考えたことは、みての通りほとんどの者が考え付くことじゃ。そして、それはそのままお主たちへの悪意へと変わりかねん」
前途多難、先行き真っ暗。まったく、俺のいく先々でなぜこうもトラブルが多発するのだろう。しかも里へ来てからと言うもののTO LOVE的な物も頻発しているように思う。ま、そっちはどうでも良い話だ。現状の問題点、ステラさんが言うようなエルフたちの悪意の集約。つまり何と言うか……襲われるかもしれない。
「もちろん、全員がそう言うわけではないが、気を付けた方がよかろう。この里を去るまでは出歩くのは控えるべきじゃな」
「まあ、わざわざ火中の栗なんて拾いたくないですから」
『火中の子供は拾いに行ったけどな』
上手いこと言ったつもりか。
「火事の調査については部下に任せるよ。妾もこれから用事があるのでな」
「どこか行くんですか?」
「まあの。収穫祭の最後の儀式があるのじゃよ。元老とともに2、3日は空ける予定じゃから、恐らく次にお主たちと会うのは里を去るころじゃろうな。火事の原因の調査も含めて少し歯がゆいがの」
「はあ……分かりました」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ひどい話だ。アリバイがあっても、証人が居ても証言があっても「なんか怪しい」と言う理由だけで犯罪者扱い。エルフたちの俺とフランを見る目はまさにその通りだった。こうして冤罪が生まれるのである。だいたい、俺ってば人命救助すらしてるんだぜ? そんな人間を疑うなんてことさらひどい話じゃないか。
やれやれ、情緒不安定なフランをなだめて今住まわせてもらっているステラさんの別荘に連れ込もうとするだけでも大分エネルギーを使ってしまった。ひっかくわ噛みつくわ、理由を説明しても一向に機嫌を直してくれないんだよ。結局として最終的にアエルに全投げして俺一人帰ってくる羽目になった。まったくやれやれだ。
今は俺一人で温泉に使って煙の臭いにまみれた体を洗い流している所だ。もちろん、前回と同じ轍を踏むつもりが無いため、キチンと入る前に中に誰かいないか確認し、清掃中と書かれた看板を脱衣所の入り口前に据え置いておいた。これなら後から誰かが入ってくる心配はあるまい。
「ま、あと2、3日の辛抱だしな。せいぜい風呂を楽しませてもらおうじゃないの」
風呂に肩まで使って体の疲れを溶かしていく。
『ったく、ホント好きだな。風呂なんて毎日入るものじゃないだろ?』
「風呂は毎日入るものだよ!」
脱衣所から聞こえたテネブラエの声に反論する。錆びてしまうので今日もテネブラエはお留守番である。
どうにもこの世界は風呂という概念が乏しいらしい。貴族の道楽と揶揄されるほどであるらしく、しかもその道楽ですら毎日入っているわけではないそうだ。こんな素晴らしいのになんでだろうな。
「あ~、こんな幸せと2、3日でお別れなんてもったいない」
できる事なら一日中入っていたい。異世界から来てからはいる事が出来なかった期間分は取り返しておきたいし。
「本当に……もったい…………ない……」
風呂に入ってると眠たくなるって言うけれど、まさにそれだ。うつらうつらと瞼が重力に負けてゆき、俺は夢の世界へと移動した……グッナイ。
と言うのも一瞬前。感覚的にほとんど変わっていなかったのだが、どうやら小一時間ほど眠っていたらしい。体が火照って吐きそうだ。風呂って気持ちいいけど、長湯するのはさすがに体に悪いようだ。
さて、そろそろ上がるとするか……と、立ち上がると、脱衣所あたりから何やらガチャガチャと言う金属がこすれ合う音が聞こえて来た。誰かいるのだろうか? テネブラエ……と言うことはあるまい。奴は一人では動くことすらできない。俺は脱衣所に向かって「誰かいるのか?」と声をかけた。
「ム、ダレカイルノカ!?」
同じ言葉が返ってきた。ただしカタコトで。なんだ、ただの山彦か…………ってそんなわけないよな。絶対誰かいるよなこれ。
案の定、次の瞬間には風呂場の引き戸が思い切りスライドして開かれた。余りの勢いで開かれたため一度バウンドして再びしまってしまう引き戸。何がしたかったのだろう。
「クソッ、ナンダコノフベンナドアハ……ッ」
「ハヤクアケロヨ、バカ!」
本当に何がしたいのだろう。コントか何かだろうか。
気を取り直してもう一度。引き戸が開かれ、脱衣所から二人組の男が風呂場へとはいってきた。一人は軽装、もう一人は全身を硬そうな鎧で覆っていた。しかも各々剣と槍を携え、明らかに臨戦態勢のようだった。
「な、なんなんだよアンタら……」
鎧を身にまとった方は顔が見えないのでよく分からなかったが、軽装な方の男は明らかにエルフではない。どういうことだろう? 話では今この里に居るよそ者……つまりエルフ以外の人種は俺とフランだけだったはず。ならばこの目の前の奴らは何者なのか……とか何とか考える以前に、
「土足で風呂に入るんじゃねぇ!!」
俺は抗議の声をあげた。
だが、この抗議の声をまるで意に介さず、男たちはズカズカと俺に近づいて来た。外から靴を拭くことすらせずに来たのか、こびりついた泥がベタベタと風呂場の床に張り付いて行く。
これは許せん。かけ湯をせずに風呂に入るとか、風呂で泳ぐとか、手ぬぐいを腰に巻きつけたまま湯船につかるとか。そう言うマナー違反が鼻で笑えるレベル。俺は湯船から出て、手ぬぐいを腰に巻きつけて男たちに近づいた。口で言って聞かない奴らには拳骨が一番。……なんて考えていたのだが、その考えは男たちの行動によって吹き飛んで行った。
「ムンッ!!」
「っ!?」
槍を持っていた全身鎧の方が、その槍を俺に向かって全力で突き出してきたのだ。なんとか捌いたものの、あまりに速く正確な突きだったため、俺の手の甲は摩擦熱で皮がめくれてしまった。痛い。
「いきなりなにすんっ……」
「イマノヲサバクトハ……ダガ、イチオウケイコクシテオクガ、ツギハホンキデユク。オトナシクスレバヨシ、サモナクバ……」
「すっげぇ聞き取りづらいけど……さもなくば、何なんだよ」
「ナオヨシ。スキニテイコウシテモラッテカマワナイ。セイゼイシゴトノアイマニタノシマセテモラオウ」
「オイオイ、オレヲサシオイテモリアガッテモラッチャコマルゾ。オレダッテタタカイタイ」
やっぱり聞き取りづらいな。何なんだこのカタコト言葉は……と言うか何なんだこいつら。また襲撃イベントか? なんで何度も同じ種類のイベントが発生するんだよ。もういい加減あきたよ、飽き飽きなんだよ畜生め。
「ジャアジャンケンデキメヨウ」
「ソウシヨウ」
おいおいなんかじゃんけん始めちゃってるんだけど、ホント何なのコレ。どう反応すればいいの? 突っ込むべきなのか、ボケに乗っかるべきなのか…………ヤバい、泣きそう。
いや、くじけちゃだめだ! 何とか打開点を探すんだ!!
テネブラエどころか服すらまともに着ていない俺。そして鎧を身に纏い、武器を携えている男が二人、しかもかなりの手練れっぽいその男たちの向こう側に俺の装備がある。というひどい現実が見えた。…………あ、駄目だこれ。詰んでる。
「…………ふっ。とうとうあの忌まわしき封印を解く時が来たようだな」
俺はボソリとつぶやいた。
本当に、考えるだけでも恐ろしい。こんな状況でなければ使いたくない奥の手。そんなベールに包まれた技が今、明らかになる。
「あーーーーーー!!!!」
「ムッ!?」
「ナンダ!?」
「脱衣所でパツキンエルフが服を脱ぎ始めてるーーーー!!」
秘技、視線逸らし!! …………何言ってるんだろう、俺。自分でやっておいてなんだけど、こんな何の脈絡もなくやっても引っ掛かるわけないじゃん。馬鹿みたいだな、俺……あ、俺馬鹿だった。
「ナンダトッ! マジデカ!?」
「ヌカッタ! コンヨクダッタトハ、ワガジンセイイッショウノフカクッ!!」
引っ掛かったぁぁーーーー!? 馬鹿だこいつら!!
全力で脱衣所へと視線を向ける男たち。エロは世界……ではなく、佐山雄一を救ってくれるらしい。
『え…………俺?』
脱衣所に居たのはテネブラエだけ。当然パツキンエルフなんてものは影も形も見えるわけがない。
俺は無防備に背中を向けた男たちに向かって走り出す。風呂場でダッシュなんてマナー違反甚だしいけれど、こんな時ぐらいは風呂の神様だって許してくれるはずだ。
「隙有りーーー!!!」
「グボアッ!?」
毎度おなじみラ○ダーキック。隙だらけの背中に蹴りをいれられた軽装の男は、軽々と宙を舞って脱衣所に飛び込み、棚やら俺の服やらを吹き飛ばして着地した。と言うより落下した。あれでは起き上がってこれまい。
「キ、キサマ……」
「はっはっはー! 戦いの最中によそ見をするお前らが悪い!」
俺は胸を張って残りの鎧の男に言い張った。が、
「パツキンエルフナドドコニモイナイデハナイカ! ワタシヲダマシタノカ!?」
「そっち!? 相方の方はどうでもいいのかよ!!」
なんかアホなことを言いだした。優先順位がまちがいなく間違っている。
「コノウラミハラサデオクベキカ!」
「うーん……なんだろう。何か腑に落ちない……」
不意打ちをしかけたという事実はあるものの、相手側の怒りの方向性が全く違うので相手の言葉に反論すべきかいないべきかいまいちよく分からん。だが、どうやらそんな風に冗談を言っているのもこれまでのようだった。
槍を構えた鎧の男には、少しの隙もありはしない。一撃目から分かっていたことだが、この男、相当に腕が立つようだ。
「ユクゾ!!」
わざわざ攻撃のタイミングを発声したのは、ただ馬鹿なだけなのか、正々堂々がポリシーなのかは分からない。だが、そんなハンデなど一瞬で無くなってしまうほどに鎧の男は強かった。一撃、二撃、三撃と、長く扱いにくい槍を巧みに操って俺に攻撃を繰り出してくる。もはや数えることなど意味はなく、無数の矛先が俺に向かって突き進む。ただでさえテネブラエを持っていない状態。リーチの差があり過ぎるので、俺は防戦に徹するほかなかった。
「このっ……!」
「ホウ? コレモサバクトハ、ヤハリソウトウナツカイテ! ブジントシテコレホドノタノシミハナイ!!」
「だからなんでカタコトなんだよ! 聞き取りづらいって言ってんだろ!!」
槍を跳ね除け、俺は大きくジャンプした。湯船をまたぎ、奥にある大岩へと着地。鎧の男から距離を取った。正直やってられん。今のところ全部捌ききっているのは良いものの、俺の両手は傷つくばかりだ。だが、いささか軽率だったかもしれない。槍と言うリーチを生かす武器を相手に、リーチが果てしなく短い俺が距離を取っては逆効果だろう。
「ム?…………チッ」
「……あ?」
鎧の男の舌打ちが聞こえた。しかも、男は程よく開いたリーチを縮めようともせず、湯船のふちで槍を構えたまま立ち止まっていた。
……だがまあ、その理由は俺の無い頭の割にすぐ導き出された。完全に見たまんま、湯船が原因であった。目の前の鎧の男は、その仮称の通り鎧姿。それも全身ほぼすべてを覆っている重そうな鋼鉄の甲冑だ。だとすればおのずと答えは見えてくる。俺はほんの一瞬だけ視線を男から逸らす。その先には、先程吹き飛ばした軽装の男が持っていた両刃の剣が落ちていた。一度男へと視線を戻し、今度は湯船へと向ける。そこには、石鹸や手ぬぐい、なぜか黄色いアヒルの某人形が詰め込まれた桶が浮いていた。
…………よしっ。作戦決定。そして決行。
「行くぞ!!」
「オウッ…………オウ?」
威勢の良いことを叫んで突撃。だが、俺が突き進んだ先に鎧の男の姿はない。ただ湯船に浮かんだ桶があるだけだった。桶を床へと放り投げ、同時に俺も思い切り飛んだ。そして着地。石鹸の上。
「ナンダト!?」
「うおぉっ! おっかねぇ!!」
飛び乗った勢いで石鹸はスケートのように滑り始めた。何とも器用なことをする……と自分でも感心するほどである。石鹸はそのまま俺を乗せて、目的の両刃剣のもとへと一直線。鎧の男の追走も振りきって剣を拾い上げた。勢い余って素っ転び、頭にでっかいコブを作ったのは内緒である。
さて、武器を手にしたことでピンチの度合いがだいぶ小さくなった。今だリーチの差はあるものの、素手で痛い思いをしながら戦うより遥かにましだ。
「それじゃ改めて……勝ちに行かせてもらうぞ!!」
「コイッ……ッテ、アレ?」
威勢のいいことを叫んで二回目の突撃。ただし、その方向は鎧の男から真逆である。だってほら、逃げるが勝ちって言うじゃない?
「マテ、キサマッ!!」
俺の行動にあっけにとられることもなく、鎧の男はすぐさま俺の後を追ってきた。位置関係的に、唯一の出口である脱衣所の引き戸へは男の方が先にたどりつくだろう。だが、別にそれは問題じゃない。俺はすぐさま踵を返し、男へと向かって剣を振りおろした。
「ヌウッ! ナニガシタインダキサマハッ!!」
「さて何がしたいんでしょう!?」
剣を振りおろし、横に薙ぐ。防戦一方だった先程までとは違い、防御の合間に攻撃を入れ始めた。そのことごとくを器用に捌いている男の実力に感心しつつ、俺は攻撃の手を緩めることはしない。常に前進。前進あるのみ。
俺は前へ、鎧の男は後ろへ。攻撃と防御が入れ替わり立ち替わり、少しずつ俺が押して行った。
「……ッ! オオッ!!」
「! もらった!!」
功を焦ったのか、一瞬だけ見えた隙を見逃さなかった。伸ばしきった槍の先から俺の軸を外し、槍を滑るように男の懐に飛び込んだ。よく言うだろう? 槍は懐に入られると弱いってな。
「でえぇいっ!!」
男の腕に、剣をこれでもかと言うほど力を込めて振りおろした。完全に捕え、剣が直撃する感触もしっかりあった。しかし攻撃は通りきっていない。男の鎧の前に、砕け散ったのは俺が持つ剣の方だった。鉄が砕けるって、どんだけ丈夫なんだよこの鎧。
だがまあ、そもそも剣が通ると思っていなかったと考えていたのは負け惜しみってわけじゃない。金属で出来た鎧を、同じく金属である剣で斬るなんてことは漫画の世界のみでの話だ。だからこそ、俺は全力で剣を振りおろすのにためらいを感じなかったのである。
「グアッ……!」
「痛ぇっ!」
攻撃事態は届かなくとも、衝撃そのものは男の腕を直撃していた。同じように俺の両手もしびれてしまったのだが、目論見どうり男の片手を封じることには成功したようで、男は槍を地面に落していた。片手では槍を扱えないのである。
「あと……十歩!!」
俺の剣は無くなり、相手の槍も今は持てない。なら最後の選択肢を予想するのは簡単だろう。殴り合いである。
俺の右拳が男の顔面を捕えた。もちろんそこも鎧で覆われているわけで、衝撃でよろめきはするものの、ダメージ的には俺の拳の方がデカかったりする。だけど俺は繰り返し殴る。殴り続ける。別に俺がマゾだからってわけじゃない。後少しなのだ。
「あと三歩!!」
「?…………! ソウイウコトカ!」
「ああ、まあそりゃ気付くわな」
そう。俺は今、男を湯船へ突き落とそうとしている。武器も無しに鎧の男を無力化しようとするならば、水に落とすのが手っ取り早いのだ。一度逃げようとして移動したのも、男に湯船を見せないための位置取りだったのである。
俺の目的に気がついた男は俺の拳を防ぐわけでも無く、避けるわけでも無く、受け止めた。もう一歩も動かない。そう言いたいように仁王立ちで、俺の両手を取り、力比べをし始めた。驚いたのは、怪力と胸を張って言える今の俺の腕力に対して、互角の勝負ができていると言うことだ。今の俺はプロレスラー並みの筋肉達磨ですら意に介さないくらいの力を持っているはずなのだが、それに対抗できると言うのは驚きと言う他ない。
「ナカナカアタマノツカッタタタカイカタヲスルジャナイカッ……。バカソウニミエテ、ジツハソウデモナイノカ?」
「馬鹿って言うのは間違ってないけどな。けど馬鹿だってなぁ……頭使って戦うことぐらいできんだぜ?」
俺は馬鹿であると否定はしない。どころか大いに肯定しても良いくらいだ。けど、頭は中々良い物を持っていると自負している。……そう。ジジイの拳骨を喰らっても一日で治るほど、丈夫な頭蓋骨を持っているのである。
「ふんっ!!」
思い切り振りあげた頭は一直線に男の兜を捕え、自分でも驚くべきことに真っ二つにかち割った。
互いに脳味噌を揺らし、一歩二歩と後ずさって行く。しかし、三歩目で俺たちの位置の関係上、俺は尻もちをついただけだったが、男は足を湯船のふちに引っ掛けてお湯の中へと飛び込んだ。哀れ男は鎧に入ってきた水の重みに耐えきれず、湯船のそこへと沈んで行った。
「…………」
「…………」
…………………………あれ? これってまずくないか? 沈んだ男は一向に浮かび上がってこない。それどころか、もがき湯船を揺らすこともない。
「やべぇよ……殺っちまったよ、とうとう……」
俺はすぐさま湯船へと飛び込み、救助活動を開始。本末転倒と言われてしまうかもしれないが、俺は男を無力化したかっただけで殺したかったわけじゃない。殺人なんて死んでもごめんである。想像力が足りないとか俺を非難する声もあるかもしれないが、丸腰状態の時に襲われていたのだから、その位勘弁してもらいたいものだ。