第十八話 戦ったということは
僕は間違っていた。
この世界を学ぶ時、自身が暮らしてきた環境を照らし合わせて物事を判断してきたつもりだ。
勿論、この世界の風習や技術が、元の世界のものとは全く違うものだと言うのは理解できた。
だけど、人は変わらないと思った。
笑ったり、怒ったり。人を好きになったり、それでも想いが伝わらなかったり。
人は、世界がどれだけ変わろうと人だった。
そう考えていた僕の考えは間違いだった。
「この世界は、『狂って』いる」
そう口にしたのは僕ではなく、シルフィでもない。
僕たちをここまで案内した男。ム―レス公爵その人だった。
僕はその言葉に非常に共感した。だが、頷こうと思考したにもかかわらず、僕の体はまったく言うことを聞かずに、ただ胃の中にあるものを外へと全て吐きだした。
「な、なんだ……これは…………」
シルフィの言葉は震えていた。
この光景を見て、吐くことすらしない彼女には感心するが、同時に、なぜ平気なのかと正気を疑ってしまう。
僕が今見ている光景…………累々と積み重なる死体の山。
内臓をまき散らし、脳漿をぶちまけ、苦しみもがいたであろう苦痛の表情の死体たち。
女性や老人、子供。まだ母から母乳をもらっているような赤ちゃんでさえも、平等に山の中に埋まっている。
神を信じていない人間でさえも、この光景を見れば神を仰ぎ、その理不尽さを口汚く罵ることだろう。
「これが、貴様らが戦った後に残った物だ」
「…………ずいぶんと、他人事のように言うのだな。その指揮を執っていたのはあなたであろう?」
何とか言い返すシルフィだったが、その顔は青ざめ、肩もかすかに震えている。
強気にふるまってはいるが、さすがにおびえているようだった。
そんなシルフィに、気丈さを褒めることもせず、ズカズカとム―レスさんが詰め寄ってゆく。
ついにはシルフィを真下に見るほどに近くまでやってきた。
ただでさえ小柄なシルフィと、ただでさえ巨大なム―レスさんが並ぶと、その身長差をもって「美女と野獣」とでも表現できるだろうか。
ム―レスさんは、文字通りシルフィを「見下し」ながら言い放った。
「そうだ。お前の父親に命じられてな」
「……っ!」
シルフィはグッと息を息をのんだ。
ム―レスさんの言うことは間違っていない。僕だって王様に命じられてここまでやってきたのだから。
「兵たちも、私も、すべてはすべてはお前の父親がくだした命に従っているだけだ」
「……だが! 陛下は女子供まで殺せなどとは仰ってはいないはずだ!!」
「……確かに、明言はしていない。だがな、知っていたか? お前の父親より何代も遡った頃から、『魔族は皆殺し』と言う暗黙の方針があったことを」
「…………は?」
「やはり知らなかったか……どれほど素質にあふれようと、努力をしようと、所詮は……」
何かをあきらめたようにため息をついたム―レスさんは、その巨大な手のひらをシルフィへと向けた。
だが、
「っ!」
「む?」
思わず、シルフィの前に飛び出してム―レスさんの手を制止させた。
彼のあまりの言動に、その身から発する気配に、僕の本能が危険信号を伝えたのだ。
そして、僕の頭によぎったひとつの疑問を、ム―レスさんへと投げかける。
「ム―レスさん。あなたは…………僕たちの敵ですか?」
「……違うな」
ム―レスさんが手を降ろした。
そしてその時、何度か経験し体に電気が流れたような感覚が僕を襲った。
今までの中で最も大きく、強い感覚。一瞬のうちに、冷や汗で体が濡れそぼってしまうほどだ。
その感覚が僕を襲った直後、ム―レスさんは僕を見下ろしながらこう言った。
「お前たちが私の敵であるだけだ」
間違い無い。
この感覚は…………殺気だ。
「……っ! ム―レ……っ!!」
殺気に確信をもった僕は、エクスカリバーに手をかけ、引き抜いた。……いや、引き抜くはずだった。
剣が鞘を走る直前、僕の目の端に映ったひとつの光景。
ム―レスさんの拳だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
頭がガンガンする。
「…………ん……」
幼いころから何度も経験した感覚。
「…………ル君……」
母親に、父親にやられた…………痛み。
『マモル君!!』
「! がはっ!?」
エクスカリバーの大声で僕は目を覚ました。
気がつけば僕の体は、先程までいた位置よりもはるか遠くの木の根元まで吹き飛ばされていた。
体中に痛みが走り、思わず身をよじってしまう。
そして、その痛みで思い出した。僕はム―レスさんに殴り飛ばされたのだ。
凄まじいほどの速さと威力だった。
何とかエクスカリバーを盾にし、威力を削いでもこの有様だ。すごいとしか言いようがない一撃だった。
「……にしても、細いのに思いのほか丈夫だね、エクスカリバー」
『認識を改めてくれてうれしいわ。けど、あまり冗談を言っている暇は無いの』
その言葉で僕は一人の人物を思い浮かべた。
シルフィだ。
僕がどれだけの間、気を失っていたのかは分からないが、わずかな間でもシルフィを一人にしておくのは今の状況では危険すぎる。
…………そう思ったのだが、
「轟々と蹴散らせ業火の氾濫!!」
シルフィの呪文とともに、爆炎が辺りを包み込んだ。
それなりに離れている僕の場所にさえ届く熱風は、髪をなびかせるどころではなく、唇をめくり上げるような豪風だった。
と言うかシルフィ、戦えたんだ……
「ム―レス公! あなたは騎士団の中でも忠義に熱いものと陛下に聞いている! それがなぜこのようなまねを!」
シルフィが叫ぶと、彼女が巻き散らした炎の中から飄々とム―レスの姿が現れ、
「その質問に私が答えると思うか? 自分の胸に手を当てて考えてみろ」
「この様な時に子供をあやすような言葉を使うな!」
「ほう? 現実を知らず、知ろうともせず、考えもせず……それが子供でなくてなんだ!?」
「っ!」
炎を手で払いながら、そして怒りの形相で顔をゆがめながら、ム―レスさんはシルフィへと近づいてゆく。
「はぁっ!!」
「むっ!?」
金属音が辺りに響き渡る。
僕の振るった剣戟と、ム―レスさんの手甲が交わる音だ。
見事に防がれた一撃の反応を空中で一回転してから殺し、地面へと着地した。
「勇者……か。貴様程度の実力でよく戻ってこようと思ったものだな」
ぐっ、微妙に反論できない。
考えてみれば、ゲイルとの模擬試合でもそうだったように、エクスカリバーの光のような速度の能力があまり役に立っていないように思う。
確かに早いのだろうが、今のところ防がれてばかりだ。
『あら、ちゃんと使えばもっと強いと思うのだけれど』
「善処する…よっ!」
すぐさま能力を発動する。
地面を蹴り、ム―レスさんへと切りかかった。無意識的なのか、剣先は斬っても致命傷にならない個所。肩と腕に向けられていた。
意外と言うべきか、この一撃はやすやすとム―レスさんの肩を切り裂いてしまった。
自分から斬りかかっておいてなんだが、こうもあっけなくダメージを与えられたことに自分でも驚きだ。
と言っても、多少は反応されたのか、イメージしていたよりも深くは斬れていなかったらしく、ム―レスさんの肩からはわずかな血が流れ落ちているだけだった。
「なるほど……素早さだけは大したものだ」
ム―レスさんは、自身の傷を見てそうつぶやいた。
そして、なぜかシルフィは自慢げな表情で、
「さすがは勇者と言ったところであろう?」
「なんでシルフィが自慢を……」
まあ、シルフィの自慢はともかくとして、ム―レスさんの言う通り、僕は自分でも驚くほど速くなっていた。
エクスカリバーの能力のおかげだが、これは使えば使うほど、慣れれば慣れるほど速度が上がっているように感じる。
いつか、ゲイルと模擬試合をした時、身体能力強化の魔法を使われてスピードが拮抗していたが、今現在においては比べ物にならないほどの速度に至っている。
正直に言うと、ゲイルやム―レスさんとエクスカリバー無しに戦えば、ほぼ間違いなく僕は敗北することになるだろう。
だが一点。エクスカリバーを持っていると言うだけで、速度において僕にかなう人間はほとんどいない。
そしてそれは、ム―レスさんでも例外ではない。
「残念ですが、僕の速度についてこれない以上、ム―レスさんは僕には勝てません。降伏してはいただけませんか?」
「うむ。マモルの言う通りだ。不平不満があるのなら堂々と訴えよ。ム―レス公程の立場の人間の言葉ならば、誰であろうと無視はできないはずだ」
そのようなシルフィの正論は、なぜかム―レスさんのため息を誘うことになった。
とても深いため息をつくと、ム―レスさんはやれやれと首を振り、
「お前たちは……何も知らない」
顔を上げて僕たちを睨みつけ、
「お前たちは……この世界がどれほど残酷な物なのか知らな過ぎる」
腕を上げ、呪文をひとつ唱えた。
「召喚!」
あまりに堂々と、かつゆっくりとした動作は、僕たちが阻止しようと考える暇もなく、実行に移された。
土煙が巻き上がり、肌で感じられるほど対気が震えていることが分かる。
土煙の向こう側。ム―レスさんがいるであろう空間から放たれるプレッシャーは、勝利を確信していた先程までの僕を全力で否定してくる。
そして、土煙を吹き飛ばし、ム―レスさんの姿が露わになった。
「神鎧『オクトドラコ』」
竜をかたどった全身甲冑。先程までの鎧とは雰囲気からして違った。
ただでさえ大柄なム―レスさんが身にまとえば、たとえ身を守る道具であれ、攻撃的に見えてしまう。
かすかに隙間から見えるム―レスさんの眼光は、僕を後ずさりさせるには十分すぎる迫力だった。
そのように僕が怖気づいていた時、突然シルフィが大声を上げて僕に走り寄ってきた。
「まずい!! マモル! ム―レス公がアレを出したと言うことは……っ!!」
ム―レスさんが手を僕に向けた。
そして、それ以外のアクションが取られていないにもかかわらず、地面が裂けた。
地面が揺れ、裂けた地面、岩などが僕へと突き進んできたのだ。
シルフィが僕を突き飛ばしたのと、僕が立っていた位置へ地面が襲いかかってくるのは同時だった。
「ぐっ!」
シルフィのタックルのおかげで、ム―レスさんの攻撃は避けることができた。
シルフィを抱きかかえ、地面へと倒れ込んだが、直撃するよりもはるかにましだ。
背中の痛みに堪えつつ、僕の頭には疑問が浮かび上がった。
……魔法? いや、ム―レスさんは呪文を一切口にしていなかった。
シルフィとの勉強会で聞いた限り、呪文以外に魔法を発動させることがないわけではない。だが、威力が落ちたり、代わりに魔法陣を敷いたりと、リスクが必ずあるはずなのだ。
にもかかわらず、ム―レスさんの攻撃は威力は十二分。魔法陣が敷かれている様子もない。では一体今のは……
答えを探すように、シルフィを見ると、瓦礫の破片が当たったのか、少しばかりの血が額から流れ落ちていた。
心配の声をかけようとするも、シルフィは血をぬぐい、口を開いた。
「マモル、妾が教えた魔物の種類については覚えているか?」
「魔物? 魔物が今何の関係が……」
言いかけて僕は気がついた。
そしてム―レスさんを見据え、確信する。
ム―レスさんには、茶色がかった靄がかかっていた。
一見するだけでは、土煙と混じって解らないだろうが、見るべき見方をすればそれが意志を持っていることが分かる。
ただ風に舞う土煙とは全く違う動きを見せているのだ。
そこで僕は確信を言葉に置き換える。
「妖精か……!」
シルフィとの勉強会では、短いながら様々なことを教わった。
そのうちの一つが『魔物』に関する知識だ。
『魔物』と言うのは元の世界で言うところの害獣のことだ。簡単に言えば、人間に危害を加える生物の総称。
その魔物も、いくつかの階級に分かれている。
最も下位にいるのが『魔物』。低い知能で、最も弱い部類。
上位にあるのが『魔獣』。魔法を使うことができ、知能も高い。
そして最上級には三種類存在する。
知能は低いが、あらゆる災厄をまき散らす『災害級』。
きわめて高い知能を持ち、人間と契約を結ぶことがある『聖獣』。
そして最後の一種。聖獣と同じく、人間と契約を結ぶことがある『妖精』。
ム―レスさんが纏っているのは、このうちの妖精に当たるのだろう。
「正解だ、マモル。王国と代々契約している妖精『グノーメ』。ム―レス公はその力を行使できる王国唯一の人間なのだ」
「さすがに手の内は知られているか……ならばもう隠すこともない」
ム―レスさんがそう言うと、靄がその姿をはっきりと映し出す。
褐色肌で、インドの民族衣装であるサリーのような身に付けた女性がム―レスさんの横に出現した。
ただ、それを見るだけで彼女が人間ではないと断言できる。
身体的特徴はすべて人間のそれと同じなのだが、何と言うか……揺れている。
まるで幽霊のように実体がなく、煙のように形があいまいなのだ。
その精霊はケタケタと笑い、再びム―レスさんの周りで靄のようになった。
「精霊を使うということは、魔力の無限供給と無詠唱での魔法の行使ができると言うこと……」
「……チートにも程があるだろう」
「言葉の意味は分かりかねるが、どうした? 怖気づいたのか?」
「いや……どうでしょう?」
睨みつけてくるム―レスさんに再度剣を構える。
その瞬間、僕とシルフィが立っている地面が爆発した。
何のモーションもなく、ム―レスさんの魔法が発動したのだ。
「!! くそっ……!」
瓦礫の雨に晒されながら、何とかシルフィを抱きかかえてその場から移動する。
ム―レスさんの後方まで一瞬で移動できたのは一重にエクスカリバーの能力のおかげだ。
もし、エクスカリバーの能力がなければ、今頃シルフィと仲良くひき肉になっていたに違いない。
「う……おえっ……。マモル、ぎぼちわるい……」
「え……あっ! ごめんシルフィ!」
口を押さえ、吐き気を押さえるシルフィを地面に下ろした。
速く動き過ぎて酔ってしまったのだろう。シルフィの顔ははっきりとわかるほどに真っ青だった。
「…………速いな。先ほどよりもずっと速い」
「……それはどうも」
「だが、先程も言った通り……」
「?」
「お前はただ素早いだけか!!」
表情すら分からないム―レスさんの全身甲冑。
だが、その内側から放たれるム―レスさんの重く、低い声とプレッシャーは、僕の全身を震わせた。
物理的な振動もあっただろうが、その大半は精神的な物。
つまり、僕はム―レスさんに恐怖していたのである。
「……シルフィ、援護を頼めるかい?」
「あ、ああ……」
へたり込んでいたシルフィが立ちあがった。
生唾を飲み込み、エクスカリバーを握り直す。
汗にまとわりつく埃も、瞬きをせずに乾く眼球も気にしない。
そんな余裕は一切ない。一瞬でも気を許せば、間違いなく僕たちはム―レスさんに殺される。
ム―レスさんは強い。僕なんかとは数段実力が違うだろう。
でも戦う。
そして勝つ。
負ければただ殺されるだけだ。
僕が……そして何よりシルフィが。
そんなことは絶対にさせない。させるわけにはいかない。
ふと、僕の頭に雄一の顔がよぎった。
やれやれ、こんな状況に雄一が遭遇したら悪態をつきながら戦うのだろうなぁ……
そんな意味の無いことを考えている自分に笑いかけ、僕は地面を蹴った。