第十七話 戦うということは
「突撃ーーーーー!!!」
遠くから猛々しい声が僕の耳に届いた。
川を渡っているのか、水を踏みしめる音と鎧がこすれ合う音が響く。
どうやら僕とゲイルが居ない場所で戦闘が始まったようだ。
一方の僕たちと言えば、川を越えたさらに向こう側、魔軍の後方へと夜中のうちに渡っていた。
あわただしく動くゴブリンなどの魔物を木の影から覗いている。
「後方でもずいぶんと敵の数が多いな」
『魔軍は元々数がすごく多いの。各陣地にこれだけ潤沢に配置できるのはそのためね』
「とはいえ、強力な魔物が前線に居るのは間違いない。ここにいるのは補給や後方援護射撃をする部隊のみだ。武勲をあげるにはもってこいの場所だな、マモル」
「……今更だけど、僕はエクスカリバーの力を使ってるとはいえ、元はただの高校生なんだ。武勲をあげれるなんて思ってはいないよ」
エクスカリバーの力で非常に速くなったうえ、魔法も使える今の僕だが、自分の倍以上もの化け物相手に立ちまわれる自信はこれっぽちもない。
後方で敵は弱いと言っても、鬼棍棒を携えたオークなど、見ただけで戦意がくじかれる迫力だ。正直に言えば、僕の体はすっかりと竦んでしまっている。
そんな化け物たちが目の前で所狭しとうごめいているのである。及び腰になってもしょうがないだろう。
『あらあら、あなたの世界では謙虚さが美徳と考えられているのだったわね。だけど、私が居る時点で謙虚になる必要なんてないのよ?』
エクスカリバーが自信満々に語りかける。
その言葉に同意するように、ゲイルは大きくうなづいた。
「エクスカリバーの能力の本質は、ただ速度が上がるだけのものではないんだぞ」
「え……ああ。確か、前にもう一つ能力があるって言っていたけど、それのことかい?」
『ええ。私のもう一つの能力『魔掃』。とりあえず、習うより慣れよね。さっそく使ってみましょうか』
実際にやっているのかはともかく、すぅーっと大きく息を吸い込み、エクスカリバーは、
『魔軍のみなさーーーん!! ここに王国の人間が居ますよーーーーー!!!』
大きな声で叫んだ。
一斉に振り返る魔物たち。その視線の先には間違いなく僕たちが居た。……と言うより、エクスカリバーが僕らの存在をアピールしたのだ。
「ちょ……っ!!?」
「エクスカリバー! 何を!?」
エクスカリバーに弁解させる暇もなく、魔物たちは僕たちに向かってきた
初撃を何とかかわすも、次々にやってくる魔物たち。その手に持つ剣で、槍で、棍棒で。僕たちに襲い掛かってくる。
エクスカリバーの力で、魔物たちの動きはスローモーションにしか見えないため、すべて避けることはできたが、ふとエクスカリバーを見て僕は顔をしかめた。
この様な細い剣で筋骨隆々の魔物を切ってしまえば、逆にこちらが折れてしまうのではないか?
そう考えると、エクスカリバーでの攻撃をためらってしまう。
『あら、ダメよマモル君。私を使ってくれないと、能力の説明ができないわ』
「そんなこと言っても……危なっ!?」
エクスカリバーには申し訳ないが、やはり怖いものは怖い。
敵の攻撃をかわしつつ、魔法で応戦するに留める。
「マモル! 何も、オークのような巨大な敵を相手にする必要はない! ゴブリンで良いからエクスカリバーを使ってみろ!!」
「…………ああもう!! どうなっても知らないぞ!?」
半ばやけになって剣を振るった。
剣はゴブリンへと向かった。だが、意外なことに、その刃はゴブリンまで届かない。
エクスカリバーから光が走ったかと思えば、目の前のゴブリンはおろか、辺り一面の魔物たちを巻き込んだ。
そして、けたたましい化け物たちの叫び声を交えつつ、僕の目の前から化け物は光とともに消え去った。
「な……っ!?」
僕は目を疑った。
今の一撃で、少なく見積もってもこの場にいる魔物の一割が消えてしまったのだ。
剣が折れるとかの心配なんて全く無意味だったと思い知らされた。
『「魔」を「掃う」能力。これが私の一番の能力なの』
「敵が魔物である以上。そして、エクスカリバーを使う前提で言えば、マモルは無敵だ」
そう言われても現実感がなさすぎる。
街で暗殺者たちと戦ったのならばまだ実感はあった。殺意を向けられていたとしても、それは結局のところ人間だ。技量に差があれば『勝つイメージ』が創れる。
だけど、今回のような魔物は違う。そもそも僕の世界にはいなかったものだし、相対すれば体が竦むのは当然だ。
そんな化け物を相手に無敵だと言われても困る。ただ剣をふるうだけで勝てるなんてイメージが全く掴めない。
『とはいえ、『魔軍』を相手に戦っている間は、しっかりと弱点もあるのだけれどね』
「弱点?」
エクスカリバーの言う『弱点』。説明されるまでもなく、早々に僕の体へと襲いかかってきた。
「死ねぇーー!!」
「うわっ!?」
剣を片手に、男が僕に向かってきたのだ。
先程のゴブリン達よりも素早く重い剣撃をエクスカリバーで受け流すと、大きく後ろへと後退した。
良く見ると、男の周りには男と同じような形の鎧を身に付けた人間が数人いた。いや、『人間』と呼ぶべきかは正確には分からない。
男たちの頭には角が生えていたのである。中には背中に翼をもつ者もいた。
王都で何度か見た獣人族かとも思ったのだが、少しばかり雰囲気が違うようだった。
肌で感じるほどに魔力が男たちから流れ出ている。
「はぁっ!!」
「くっ!?」
横からゲイルが目の前の男に切りかかった。
防がれたものの、つばぜり合いへと持ち込んでいる。
「マモル! こいつらは魔族だ! エクスカリバーの能力は効かない!!」
「ま、魔族?」
その名はシルフィからの授業と、会話の中で何度か聞いたことのある名前だ。
確か、人間に近い様相の、もの凄く強い敵。だったと思う。
『私の『魔掃』は、魔物の中にある特定の魔力を消滅させる能力なの。ただ、魔族はどちらかと言えば人間に近いから使えないのよねぇ』
「じゃあ普通に戦うしかないのか……まあ、ほとんど同じ人間みたいなものだし、問題は……」
問題は無い。と言いかけて僕は口をつぐんだ。
冷静になって考えてみた。僕は今、戦争をしてるんだ。
戦争とは何か? 言ってしまえば、人を殺す行為だ。
魔物を相手にしていた時はそんな考えはなかった。戦争に参加してほしいと王様に頼まれた時も、魔物が相手だとタカをくくっていた。
街で襲われた時は、急過ぎて考える暇もなかった。
だけど今は少し違う。目の前の男たちと戦うと言うことは、すなわちこの人たちを殺すと言うことではないのか?
そう思うと、僕の体は途端に固まってしまった。
『マモルくん!?』
目の前に敵が迫る。
勿論反応はできたが、体が固まっていたため、一瞬の隙ができた。
僕に剣が振りおろされた。
「何をやってる!!」
振りおろされた剣はゲイルによって弾かれた。
慌てて僕も剣を構えるが、ゲイルは手で僕を止めた。
「無理に人間と戦う必要はないぞマモル」
「え?」
「元々戦争とは縁のない世界から来たのだろう? なら人を斬ることをためらうのも理解できるさ。陛下が私をマモル付きにしたのにはそう言った理由もある」
いつの間にか見抜かれていたらしい。
僕自身、考えないようにしていたのかもしれないが、王様やゲイルはきちんと考えていてくれたのだ。
嬉しいやら、恥ずかしいやらで、僕の顔は少し赤くなった。
…………うん。それでも僕が期待されていることは変わりない。今は、僕にできることをしよう。
「ありがとう。なら僕は……」
剣を構える。魔物が大勢僕に向かってくるのが見える。
「全力で魔物の相手をしよう!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「痛って!! ~~~~~~っ!!」
「このくらいで痛がるなマモル。男の子であろう?」
「男でも痛いものは痛いんだよシルフィ」
戦闘は半日で終わった。結果は王国側の大勝。川を渡り、近くにあった魔軍側の村を占拠した時点で終了した。
後方……つまり、僕たちの攪乱が結果を大きく変えたとゲイルは言っていたが、あまり実感は無かった。
大した怪我もなく、負った怪我も今こうしてシルフィに直してもらっている。
薬などは使わず、呪文を唱えればあっという間に傷は治っていった。
『じゃあマモル君。私の能力についておさらいをしておきましょうか』
「ああ。えーっと、エクスカリバーの『魔掃』は魔物の体内にある魔力を消滅する能力。ただし、魔物の上位種である「魔獣」や、人間に近い「魔族」にはこの能力は効かない。これは、体内に魔力を持っている魔物と違い、空中にある『マナ』を返還する魔獣や魔族との差である。例外として、魔獣が扱う魔法は、魔物の体内にあるものに近いため、『魔掃』で消滅することができる」
『そう。だから、マモル君が完全に優位に立てるのは魔物だけだってことね。魔獣の魔法を打ち消すことができるだけでもすごく有利だし、並みの魔族でもマモル君の実力があれば十分に勝てるのだけど』
「とは言え、魔族を目の前にして実感したよ。僕は……人を斬ることが怖いらしい」
「何を言っておる。人を斬ることが怖くない人間なんて居ない。ゲイルは今でもつらいことだと言っていたぞ?」
けど、この戦いで僕がいかに覚悟の無い人間だと思い知らされた。
神様に言われたから、シルフィ達に頼まれたから。実はそこに僕の意志はあまり無かったのだ。
勿論、責任をシルフィ達に押し付けるわけではないし、選択してきたのはすべて僕自身だ。
……僕は流されやすい人間らしい。
何かを目指しているわけでも、何かを欲しているわけでもなく、他人から必要とされた時に動くだけの、自己の薄い人間なのかもしれない。
……と、少し憂鬱な気分に浸っていたが、ここであることに気がついた。
「あ、そう言えばゲイルはどこに行ったんだ? 彼も少し怪我をしていたはずだけど……」
「マモル。そなたはもう少し女心と言う物を知った方が良いぞ?」
「うん?」
「…………つまり、エアリィ姉さまと二人っきりにさせてやれと言うことだ」
「…………ああ! そう言うことか」
そう言えばエアリィさんはゲイルのことが好きだったな。
だとすれば二人っきりになりたいと言う感情も理解できるかもしれない。
つまりあの二人は今……あ、あ、逢い引きをしているのだ。
「そ、その……エアリィさんってどうしてゲイルのことが好きなんだい?」
「む!? そうか! 気になるか!! いや良かった。マモルは鈍いから、そういう話に興味の無い人間だと思っておったので安心したぞ?」
『まあまあ。おめでとうシルフィ。マモル君もやっぱり男の子だったのね』
「うむ! えへへぇ~……」
顔を赤くしてはにかむシルフィ。
別に、僕は色恋沙汰に興味がないわけではない。
好きなタイプと言うのも勿論持っているし、女性のことはしっかりと好きだ。
ただ、今のシルフィのように、やたらとテンションの高い恋の話と言うのが少し苦手なだけなのだ。
元の世界でもクラスの女子からこう言う話は振られたこともあるのだが、どうにも僕は鈍すぎて話しについていけなかった。
でも、興味はある。
ゲイルとエアリィさんを見ていると、なぜか好奇心がわき上がって仕方がなかった。
「ゲイルはな、妾の前、エアリィ姉さまの教育係だったのだ。幼いころからの付き合いだった故、いわゆる幼馴染と言うやつだな。それほど長い付き合いならば、色恋沙汰の一つや二つ、聞こえてくるものであろう?」
「そう言うものなのか……ゲイルは気付いてるのか?」
「気付いているぞ?」
『気付いてるわよ?』
同時に口にするシルフィとエクスカリバー。
「そうなのか?」
「エアリィ姉さまは積極的であるからな。しっかりと告白をしたこともある」
「そ、それで結果は?」
「……断られたらしい。「位が違いすぎる」と言われてな」
エアリィさん、振られていたのか。
それでもまだ想い続けると言うのは、中々つらいものかもしれない。
報われない恋と言うものは、僕はしたことがない。と言うよりも、女の子を好きになったことが無いと言っても良い。
好きな女性像はある。けど、それに当てはまる人が中々いないのである。
人を好きになれない。雄一が言うには、僕は少々「異常」だそうだ。…………女の子からの告白を数十回断ったぐらいで「異常」はひどいと思うけど……
「あれ? でもゲイルって公爵だったよね? それでも王族との恋愛と言うのは位が足りないのかい?」
「いや、足りる。他の国は知らんが、我が王国はそう言うことにはそこまで口うるさくはない。ただ、ゲイルのトニトロス家は少し特殊な状況にあってだな……」
この言葉を境に、シルフィの顔に少し影が落ちた。
言葉を選ぶように、少しづつ口から音を出してゆく。
「十年ほど前になるか……『ある事件』が起きてな? それによって、当時のトニトロス家の当主……つまり、ゲイルの父上殿が亡くなったのだ。当時、ゲイルは十四の歳。並みの貴族ならともかく、大貴族であるトニトロス家を率いるのには若すぎた。他の貴族から良いように攻められ、トニトロス家はずいぶんと没落してしまったのだ」
「……それで、位が足りないってことなのか?」
「エアリィ姉さまはそれでも良いと言っておるがな。姉さま自身…………」
そこでシルフィは口をつぐんだ。
目を横に流し、まるで自らを恥じるかのような表情を浮かべ、黙りこくった。
「シルフィ?」
「いや、そのようなわけで姉さまは今でも納得はしていないらしく、ゲイルに告白し続けていると言うわけだ」
「…………ん? 今でも!?」
「うむ。今でもだ!! 会うたびに告白しておるらしい。それに加え、ゲイルに来る見合いの話はことごとく妨害しているとも言っていたぞ」
『あらあら。エアリィもやるわねぇ。見直しちゃったわ』
お、女の人って怖い……
異性の想い話かと思ったら、一途すぎる女性が重い話だった
ゲイルに同情を感じえなくもない。
「「ほどほどに」と伝えておいてくれるかな?」
「うむ。とはいえ、さすがに家族以外にこのことは知られたくないらしいがな。……ふぅ、おかげで昨日はえらい目にあった……」
それなら僕に言うのもアウトじゃないか? そう言おうとしたが、はかなげな表情で明後日の方向を見ているシルフィだったので、そっとしておくことにした。
「すみませーーーん!! そこの人ーーー!!」
不意に遠くから声が聞こえた。
見ると、丸眼鏡をかけたショートカットの女性がこちらに向かって手を振っていた。
少し遠い位置にいたため、こちらからは細目で見ないと外観が良く分からなかったが、シルフィはその女性の姿を見て慌てふためいた。
とっさに、近くに置いてあった布を引っぺがすと、ローブのように身を包んでしまった。
顔までしっかりと隠すと、シルフィは僕の後ろに隠れてしまった。
「すみ、はぁはぁ……あのゴホッゴホッ!!」
ずいぶんと遅い足で走り寄ってきた女性。僕の目の前に辿りついた時には、すでに満身創痍な様子だった。
落ち着いて息を整えるようにと促すと、膝に手を突き、大きく深呼吸した。
息を整えるのに五分ほど要し、ようやく落ち着いたようだ。
「あ、あの、私ヴェルム新聞社のクルト・フィッシャーと申します。少しお尋ねしたいことがあるのですが」
「はぁ、良いですよ? なんですか?」
「このあたりに王女殿下の目撃情報が寄せられたんですが、何か御存じでないですか?」
「うっ!!」
クルトさんの発言に、シルフィは体を強張らせた。
僕の服を僕の体ごとつかんでいるため、非常に痛い。
クルトさんに聞こえないよう、ヒソヒソ声でシルフィに尋ねた。
「なんで隠れてるんだい?」
「さ、さすがに新聞社に知られたとなると、陛下はともかくサテレスに何を言われるかわからん」
ああなるほど。確かにサテレスさんなら嫌みの一つ……いや、十や二十は言ってきそうだ。
さすがに王族が戦場でうろちょろしていると言うのはまずい。周りの人間の様子を見るに、エアリィさんはしっかりと許可を取ってそうだが、シルフィは違う。王様の許可があったとしても、ほとんど飛び入りの状態なのだ。
メディアの人間からすれば、割と重大なスキャンダルになるのだろうか。
一応、ここはフォローしておくべきだろう。
「えーっと、エアリィ様ならこのあたりでは見かけませんでしたよ? 別の場所にいるのでは?」
「あ……私が探しているのはエアリィ王女殿下ではないんです。ふぅ、やっぱりガセなのかな……あ~、何か記事のネタがないとまたテイルさんにどやされるーー!!」
クルトさんは頭をかきむしって大声をあげる。
そこで、何かをふいに思い出したのか、大声をやめ、僕に尋ねた。
「あ、そう言えば勇者が召喚されたって噂もあるんだった」
「勇者? それなら多分僕の……むぐっ!?」
口をふさがれた。
背後から羽交い絞めに近い形でシルフィが僕の言論を統制にかかっている。おまけに、口と鼻を同時にふさがれた形になっており、大変に苦しい。
「ぶはっ、何するんだよシルフィ!?」
「ああっ!? 名前を出すな馬鹿者!!」
「シルフィ……? 確か王女殿下の名前が……」
「あ~~…………ああ!? こんなところに虫がーー!?」
「痛いっ!?」
唐突にシルフィがクルトさんの顔面を叩いた。それも全力で。
体を大きくのけ反らし、クルトさんが吹っ飛んで行った。
シルフィ、小柄なのにすごく怪力なんだなぁ。
「何するんですかぁ!?……って、ああ!? 私の眼鏡がーー!?」
ぶたれた頬を押さえ、割れてしまった眼鏡を手に取るクルトさん。
「いや、虫がな……いたのでな、つい」
「「つい」の力加減じゃなかったですよ!! も~、眼鏡の替えあと一つしか残ってないのに……」
クルトさんが懐から取り出したのは、先程まで掛けていた眼鏡と同種のものだ。
口ぶりからすると、普段から眼鏡の替えをいくつか持っているらしい。
確かに、見た目鈍臭そうだからなぁ。それに、戦場近くの記者なら眼鏡が割れてしまうのも不思議ではないし。
やれやれと言いながらクルトさんが眼鏡を掛けた。…………瞬間に、
「こんなところにも虫がーー!?」
シルフィがたたき落とした。
地面に落ちた眼鏡は無残にも砕け散る。
手持ちラストの眼鏡をたたき割られたクルトさんは、しばらくフリーズしたかと思うと、次第に肩を震わせ……
「うぅ~……」
泣いた。
と言うかシルフィが泣かせた。
「い、いや……本当に虫がだな」
「うぅ~……」
「とりあえず謝りなさい」
「ご、ごめんなさい……だ、だが案ずるな! 隣村に行けば軍付きの眼鏡屋があるから、そこで新しいのを作ってもらうと良い!」
「うぅ~……」
呻きながら、クルトさんはこの場を去って行った。
クルトさんが立ち去ったことを念入りに確認すると、羽織っていた布を引っぺがし、息苦しかったのか大きく息を吐いた。
髪を整え直すと、大きく咳払いをする。
「手ごわい相手であった」
「意味が分からないよシルフィ。で? なんであんなことをしたんだい?」
「マモル、そなたが言ったことであろう? 勇者は活躍してはならない。つまり、勇者が活躍したことを知られてはならぬということだ」
「自分を名乗ることさえダメなのか?」
「もちろんだ。新聞社どころか一般兵士にさえも言ってはならない。基本的に知って良いのは我々王族、もしくはゲイルやム―レス公と言ったごく一部に限る。と、姉さまが言っていた……はぁ」
シルフィは先ほどよりもさらに深いため息をついた。
一体どれだけエアリィさんに絞られたのだろうか。
「それでどうしてクルトさんの眼鏡を壊すと言う発想になったんだ……」
「目が見えなくなれば取材も中止せざるをえまい? ちなみに、隣町に眼鏡屋が来ていると言うのも嘘だ。良い時間稼ぎになるぞ?」
「……クルトさんかわいそうに」
僕のミスとはいえ、クルトさんには悪いことをしたなぁ。
と、クルトさんが去っていった方向を眺めると、あることに気がついた。
いつの間にか辺りには人気が全くなくなっていたのだ。
先程まで忙しそうに走り回っていた兵士たちはその姿を消し、この場には僕とシルフィだけになっていた。
「なんか、人が居なくなってないか?」
「うん? そう言えばそうだな。他の場所で戦勝祝いでもやっておるのではないか?」
「それにしては人の声が全く……」
耳を澄ませてみても人の声が全く聞こえない。それでころか、鳥や虫の声さえも聞こえないありさまだ。
そして、これは前にも経験したことのある事態だ。
『人払いの術?』
「やっぱりそうか。まさかこんな所でまでやるなんて……暇なのか?」
剣を抜き、周囲を警戒する。勿論王都で襲われた暗殺者たちを警戒するためだ。
だけど、やはり周囲には誰もいなかった。
殺気も何もない、ただ静かで誰もいない空間が広がっているだけだ。
「? 何をしておるのだマモル」
「えーっと、勘違いだったのか?」
『うーん、ただ人が居なくなっただけにしては静かすぎる気もするのだけど……』
剣を鞘に戻した。
どうやら杞憂だったようだ。
そう何度も襲われるのは勘弁してもらいたかったし、なにより、「人を斬る」可能性がある戦闘はできるだけ避けたい。
ワガママと取られるかもしれないが、僕は魔物しか相手にしたくない。
人を殺すなんてまっぴらだ。そんな心構え、ついこの間まで高校生だった僕にできるわけがないのだから。
「勇者、どうしてここにいる」
声が聞こえた。
トーンの低い、ム―レスさんの声だ。
森から出て来た彼は、戦闘もすでに終わったにもかかわらず、重そうな鎧をいまだ身につけている。
鎧をガチャガチャと揺らしながら僕たちの前にやってくると、辺りを見回して「チッ」と舌打ちをした。
「あいつの仕業か……」
ム―レスさんがボソッとつぶやいた。
怪訝な顔をしながら、ム―レスさんは僕とシルフィを見据えた。
その表情は、見る者に威圧感を与えるような迫力のあるで、僕もシルフィも少したじろぐほどだった。
相も変わらず強面な人だなぁと思いつつ、人が居ない原因を尋ねてみた。
「ああ、兵たちは隣の村に移動させた。ここは防御には向いていないのでな」
「なんだ、それなら妾達にも言って下されば良かったのに。マモルなど無駄に警戒していたのだぞ?」
「連絡が遅れ、申し訳ありません。それよりも、少しご案内したい場所がありますので、御足労願えますか?」
「ええ。それは構いませんが……」
ム―レスさんは無言で歩きだした。
だけど、僕の耳にはム―レスさんからある言葉が聞こえたような気がした。
「あいつが来たと言うことは、今が『その時』なんだな」
その言葉が聞こえた時、ム―レスさんの強面な表情は動かなかったが、僕には少し……寂しそうな顔に見えた。
少し長めです。
次回はおそらく番外編になります。