第十五話 シルフィとエアリィ
護です。
一晩明け、現実逃避およびヒステリックを起こしていた二名がようやく目を覚ましました。
若干の気まずさを抱えながら、僕たち一行は目的地である村に辿りついた。
そして、そこで見た光景は…………血の海だった。
比喩ではなく、誇張でも無く、目の前に広がるのは血まみれで横たわる兵士たちの山だった。
幸いと言っていいのか、見える範囲にいる兵士たちはわずかながら動いており、死人はいないようだ。
「うぷ…………何度か見たことはあるが、戦場の近場は地獄だな。慣れぬものだ……」
腹と口を押さえ、吐き気をこらえるシルフィ。
いくらなんでも子供が(実年齢は十六歳だが)見る光景ではない。
僕自身も、吐くことはかろうじて無かったが、血の匂いが鼻を通り、口に広がって非常に不快な状態だ。
「そう言うなら今からでも城に戻ったらどうだ? 今ならまだ間に合うかもしれない……だから頼む!」
「ぐっ……ふっふっふ。良いのか? 妾がこの場に来ておめおめと帰ったと姉さまが知れば…………どうなるか分かるであろう?」
負け惜しみにしか聞こえないシルフィの台詞に、僕たちの中で唯一飄々としていたゲイルが見るからに青ざめた。
「む……はぁ、やはり腹を括るしかないのか……あの方なら火に油にしかならないだろうな」
「分かっているでは無いか。さあ、指揮官のもとに行こうではないか…………吐き気が収まってからな!」
格好の悪い格好のつけ方だなぁ。
と、シリアスな空気とコメディな空気を交えつつ、シルフィとゲイルは指揮所へと向かった。
……シルフィとゲイル。と言うところがみそである。
実はここに僕は含まれていない。なぜか?
「そこのあなた」
「はい?」
僕以外の二人が道角を曲がった時、誰かが声をかけて来たのだ。
目をやってみると、そこには血にまみれた白衣らしきものを身にまとい、顔もマスクと帽子で覆い隠された、いかにもなお医者さんが立っていた。
声から察するに、女性であることは分かったのだが、容姿からは一切女性らしさが伝わってこない。
「手が空いているなら手伝いなさい。人手が全然足りてないんだから」
「え……あっ、いや! 僕はその……」
そうこう言っているうちに二人の姿が見えなくなってしまった。
「つべこべ言わずついてきなさい!」
「ええっ!?」
問答無用で連れ去られた、もとい、連行された。
ほぼ同じ意味合いなのでどちらでもいいが、とにかく手を掴まれて引きずられていった。
…………最初に「手が空いているなら」という前置きが必要だったのかどうかが疑問に残るところである。
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連行された先は何のことも無い、少し大きめの民家のようだ。
だが、中に入ったとたん、村中に広がっていた血の生臭い匂いを凝縮したかのようなにおいが僕を襲った。
「うわっ!?」
思わず後ずさってしまう。
中には数人、兵士が横たわっていた。それも、道端に倒れていた人たちとは比べ物にならないほどに、目に見える形で重症を負っている。
ようやく収まっていた吐き気がぶり返した。
「吐くなら外で吐きなさい」
口に手を当てた僕の行動から察したのか、女性はドア向こうの外を指さした。
何とか吐くことをこらえた僕は、女性の指示で窓という窓を片っぱしから開いて行く。
「あなた、医療の知識はある?」
「いえ、心臓マッサージくらいなら学校の授業で習いましたけど」
「さすがに心の臓が止まってる人はいないわよ…………じゃあ、止血は? 縫合はできる?」
これも僕には無理だ。首を横に振った。
医療の知識は、民間療法並みの物しか持っていない。
せいぜい、捻挫の対処法や熱中症の解放の仕方程度である。高校生ならば、これだけ知っていたら褒められるレベルだ。
しかし、女性にとっては褒められるものでは無かったらしく、あからさまにため息をつかれた。
「なら、魔法は? そうね……火の魔法は使える?」
「あっ、それならできます」
実は、ここに来るまでにシルフィに一通りの基礎魔法や攻撃魔法を習っている。
完璧とまでは言わないが、そこそこにこなせるはずだ。
「じゃあ、外に井戸があるから、水を汲んでお湯にして頂戴。とにかくたくさんお願い」
それからの彼女の働きに関しては「すごい」の一言に尽きる。
一時間かそこら。とにかく、それほど長い時間が流れていないにもかかわらず、重症の兵士たちの傷がどんどん治療されていった。
手術を見た経験こそないが、もう少しショッキングな物だと思っていた。だけど、目の前の光景は、それを感じさせぬほど手際が良く、逆に安心感を与えるほどだ。
僕と言えば、結局お湯を沸かすことしかできなかったが、結果として役に立ったようだ。
「ありがとう。おかげで助かったわ」
「ああ、いえ。役に立てたのかどうか……」
手術が終わったのか、お礼を言われた。
実際のところ、役に立っていたかと言うのは疑問に残るところであるが、
「いや、謙遜する必要はないわよ。あなたの魔法はすごく……」
「こらぁ!! マモル!! こんなところで何をやっておるのだ!!」
女性が僕を褒めている中、家の中にシルフィが入ってきた。
しかもどなり散らしながら。
「いつの間にか居なくなっているt…………っぶ!」
次々に捲し立てるシルフィの口がふさがれた。
横を見ると、白衣の女性がシルフィめがけて帽子を投げ飛ばしていた。
その帽子はシルフィの顔面にクリティカルヒットしている。
「怪我人のそばで大声をあげない。そんな常識も分からないのかしら、シルフィ?」
帽子を外した女性。その中から金色に光る長髪がこぼれ落ちた。
それは、今まで血の生臭さが残る家を払しょくするかのごとく、窓から吹く風になびいた。
そのギャップに驚いたが、それ以上に驚いたのは次の、
「え、エアリィ姉さま……」
「えっ……?」
シルフィが女性に向かって『姉さま』と言ったのである。
「で? なぜあなたがこの村にいるのかしら? あなたは王都で陛下のお手伝いをしているはずだったけど?」
「あ、いや……そのですね? そ、そう! ゲイルの奴が「これも社会勉強だ」って言ったんです! ちゃんと、陛下の承諾も得ていますよ?」
またすぐにバレる嘘を……この子は少し場当たり過ぎる気がするな。雄一の時もそうだったし。
「シルフィ、マモルの奴は見つかったか?」
…………何と言うか、お約束なのかもしれないが、もの凄く悪いタイミングでゲイルが入ってきた。
気まずいことこの上ない。
「ゲイル、君って割と運が悪いね」
「ん? 何の話を…………」
「ゲ~イ~ル~?」
「…………………………用事を思い出した」
あ、逃げた。
エアリィさんを見るや否や、踵を返してドアをくぐりなおそうとしたゲイル。
しかし、無情にもその首根っこをエアリィさんが掴んだ。
「その用事をすっぽかすのと、私から逃げるのは、どちらが恐いのかしらねぇ」
「……申し訳ありません」
観念したのか、シルフィの隣に連行されてしまった。
うん。状況が全く掴めない。
目の前の女性がシルフィのお姉さんだってことは何となくわかった。
でも、この修羅場は一体何なのだろうか?
「えーっとすみません。お邪魔なら僕はここで……」
「ま、待てマモル! せめて説教が終わるまでここにいてくれ! 心が折れてしまう!!」
「そうだ! と言うかエクスカリバー! 君からもエアリィ様に事を説明してくれ!! これは誤解だ!!」
必死に嘆願する二人。そう言えば、この村に来てからエクスカリバーが一言もしゃべって無かったと思い出した。
『あらあら、もう少しこの光景を見ていたかったのだけど』
「「このドSッ!!!」」
あ、この世界ってSとか通じるんだなぁ……と思った僕は不謹慎だったろうか。
「……勇者召喚に特別遊撃隊ね……」
『納得していただけたかしら?』
エクスカリバーからの説明と、僕のフォローによって、多少納得した様子のエアリィさん。
助かったとばかりに安堵のため息をつくシルフィとゲイル。が、
「で?」
「は?」
恐らく「だから何?」と言う質問なのだろうが、安心していたシルフィは呆けた返事を返した。
「それで、あなたがここにいる理由は?」
「いえ、ですからさっき……」
「はぁ……シルフィ、あなたのその場ですぐにバレる嘘をつく癖は直しなさいと言ったはずでしょう? これは後で折檻ね」
ああ、シルフィがついた嘘はすでにバレていたようだ。さすがにお姉さんである。
取り繕う島もない。
「あう……」
「で、ゲイル? この子の嘘はともかくとして、私はあなたに「シルフィは王都で陛下の傍にいさせるように」と直接頼んだはずだったのだけれど」
「…………本人の御意志と、陛下からの命でございまして」
「陛下の?……命令書はある?」
エアリィさんに催促され、ゲイルが懐から出したのは、例の王さまからの念書。
フランク過ぎるその内容を見たエアリィさんは、ため息をついてこめかみを押さえた。
「あの方はもう、シルフィにはとことん甘いのだから…………」
『少し、羨ましくなるくらい……かしら?』
「…………」
納得はできていない様子のエアリィさん。
エクスカリバーの言葉に対し、気のせいかもしれないが、その表情は少しさびしそうに見えた。
「とにかく、エクスカリバーのご主人様に謝っておく必要がありそうね……先ほどは失礼いたしました勇者殿」
唐突に、エアリィさんが僕に頭を下げた。
「え……ぼ、僕ですか?」
「はい。先ほどは知らぬとは言え、私の失礼なふるまいをお許しください。改めまして、私、モントゥ王国第一王女。エアリィ・ラ・アラム・モントゥと申します」
「ぼ……いえ、私はマモル・オトタケと言います。あの……私も姫様と知らなかったので……」
「で、す、が!」
「は、はい!!」
急に態度ががらりと変わった。
敬語でしおらしい言葉づかいをしていたエアリィさんは、僕を睨みつけた。
あまりに急な転換だったので、頭を下げられた以上に緊張してしまう。
「あなたのシルフィとの関係はあまり感心できませんね。まあ確かに、顔は十分。治療の際の行動から頭もそう悪くなさそうだわ」
「ちょ、姉さま!!」
エアリィが品定めをするように僕を睨みつけ、その感想を述べると、なぜかシルフィが顔を赤くしながら声をあげた。
「礼節もちゃんと分かっているようだけど……あなたはこちらの世界では身分を持っていないのでしょう?」
「えーっと……はい」
「姉さま! それは……」
「シルフィは黙ってなさい。……シルフィはこの国を率いる次代の王です。勇者と言えども、今のあなたがシルフィにふさわしいとは思えません」
僕は首をかしげた。
エアリィさんはさっき、自分のことを『第一王女』と言ったはずだ。にもかかわらず、シルフィを指して次代の王と言った。
継承権とかはよくは知らないが、普通、こう言う物は生まれた順に決まる物なのではないだろうか。と言うよりも、そもそもがなぜ、シルフィと僕の関係が継承権がどうのと言う話になるんだ? 関係が無いだろうに。
そして、エアリィさんの発言がひっかっかったのは僕だけではなかった。
うなだれていたはずのゲイルが顔をあげ、視線鋭くエアリィさんを睨みつけたのだ。
「エアリィ様! またそのように御自分を……」
「ゲイル」
ゲイルの言葉を聞き終わる前に、視線で『黙れ』と言ったような感じがする。
実際、何かを言いたげではあるものの、ゲイルの口は閉ざされた。
「シルフィ。あなたが勇者を慕っているのは分かります」
「ね、姉さま!? 何を!?」
「あなたを見ていれば嫌でもね……まったく、色恋沙汰などシルフィにはまだ早いわ。そもそも……」
「わあー!! わあー!! 姉さまだってゲイルのことが好きなくせに!!」
…………その場の空気が凍った。
唐突に人の恋沙汰をカミングアウトしたシルフィ。
と言っても、意外なことにゲイルはやれやれと首を振るだけで気にしていない様子だ。
全く関係の無い僕が固まっていると言うのに、余裕な奴だ。
「シルフィ」
「あっ! いえ、その……」
限りなく優しくシルフィの名前を呼ぶエアリィさん。
名前を呼ばれ、発言の重大さを理解したのか、シルフィがうろたえ始めた。
しかし、時すでに遅しと言うやつである。
「……いっぺん、死んでみる?」
「ご、ごごごご…………ごめんなさーーーーい!!」
微笑むエアリィさんは、なぜか阿修羅のごときオーラを身にまとっていた。