第十六話 嫁?
「さて……覚悟はいいか、フラン?」
「ゆ、ユーイチ様がよろしければ……」
フランはおずおずと、そして緊張して赤く染めあがった顔を俺に突き出してくる。
そんなフランに、ゴクリと唾を飲み込んでから手を伸ばす。顔に手が触れると「んっ」と言う艶めいた声がフランから漏れた。
俺の手はフランの艶やかで指通りの良い髪の毛を伝い、首筋へと到達する。
「ゆ、ユーイチ様……」
「大丈夫。できるだけ痛くないようにするから……」
「あの……私、そんな所を触られるのは初めてで……」
「お、俺だってそうだよ! こんなの、今まで触る機会なんて……」
俺の人生で、こんな状況に陥ったことなど一度もない。
正直、かなりテンパっている。
フランを傷つけてしまわないか、戦々恐々だ。
下手をすれば血が出て取り返しのつかないことになるかもしれん。
俺はできるだけ優しく、ゆっくりと手を動かした。
「あっ!?」
「な、なんだ!? どっか痛かったか!?」
「は、はい……少し」
「悪い、俺初めてで……すぐ終わるから。天井のしみでも数えてくれ」
くそっ!
早く済ませないと、覚悟を決めてくれたフランに申し訳が立たない!!
「一体どこにあるんだよ穴は」
「あ、このへんじゃ……ないでしょうか」
フランが優しい手つきで俺の手をリードする。
……男として、これはどうなんだ?
女の子ばかりにさせて、それでいいのか!?
否!!
俺が男を見せずしてどうするんだ!!
「フラン!」
「ユーイチ様!」
お互いの汗が混じり合い、お互いの名前を叫んだ。
「表っ側で何やってんだいアンタ達ーーー!!」
なぜか顔を真っ赤に染めたアズラさんが厨房から飛び出してきた。
手にはなぜかフライパン。料理でもしていたのだろうか。
「何って……フランの首輪の鍵穴を探してたんですけど」
フランの首輪。フラン自身には確認できない位置にあるので、俺が確かめなければならなかった。
おまけにこの首輪、結構きっちり首にフィットしてしまっているので、少し動かすだけでもフランに怪我をさせてしまいそうで怖い。
「く……首輪?」
「いやしっかし……夜だってのに結構暑いなぁ。汗が流れてきちまう」
「この時期は特に蒸し暑いですから。昼間はそうでもないんですけど…………あの、アズラさん。どうかしましたか?」
騒々しく登場し、固まっていたアズラを心配してか、フランが声をかけた。
すると、持っていたフランを背に隠し、
「あ、あはははは……そうかい! 首輪……ねえ? な、なら良いんだよ。続けておくれ」
後ずさり気味に厨房へと戻って行った。
……ああ、もう夜でお客さんもいないけど、あんまり俺たちが大きな声を出していたから注意をしに来たのかもしれん。気をつけないとな。
『あっはっはっは! まあ、声だけ聞いてりゃ勘違いもするわな!』
「勘違いって……何が?」
『いんや? こっちの話だ。それよりユーイチよ、残念なお知らせがある』
「あ?」
『その首輪には鍵穴なんてものはついて無い』
「…………」
『…………』
「最初に言え!!」
さて、テネブラエに聞いた限り、フランの首輪は権利書がカギと同じ役割をしているらしい。
何回も説明されたが、詳しくは良く理解できなかったので、俺の中ではパスワード式のカギだと認識することにした。
そして解除方法だが、非常に簡単。
所有者が権利を放棄する呪文を唱えればいいだけ。
『けど勿体なくねえか? ユーイチの財産って言えば俺様と嬢ちゃん位なもんなんだぜ? 金もすっからかんだしよ』
「わ、私はユーイチ様が望むのなら奴隷のままでもかまいません!」
「まてまてお前ら。俺が住んでた場所に奴隷なんて文化は無かったんだよ。そんなものをもらっても困る。それに、そのユーイチ様っていうのも止めてもらいたいし」
日本には奴隷はいない。
地球規模で考えれば、現代でも人身売買は存在するらしいが、少なくとも俺の近くでは見たことがない。
しかも、現代日本は事あるごとに人権がどうのこうのとうるさいのだ。
そんな生活に慣れ親しんできた日本人としては、急に奴隷を与えられても困るだけだ。
『欲のねぇこったなぁ……ま、俺様を携えるって奴は案外、それが条件なのかもしれねぇな』
「お前はその条件って奴は知らないのか?」
『知らん。興味もない』
あっそ、とテネブラエのことは放っておくとして……さっそく呪文とやらを唱えてみることにする。
用意するのは権利書。これだけ。
権利書に手をかざし、
「えーっと…………我は権利を放棄する」
こんな呪文を唱えるのは中二病を発症しかけた中学時代以来だ。
だが、その時とは違い、今度は本当に本物の魔法だ。
俺が呪文を唱え終えると、権利書が炎に包まれた。
「熱っ!? てかあぶねぇ!?」
俺が穴を開けたテーブルに火が映りそうになり、慌てて水をかけて消化する。
後にアズラさんに報告し、修理代のためにこき使われたのは別の話である。
ひとしきり燃えたのち、権利書は見事に灰となって崩れ落ちた。
多分、強制力が失われたのだろう。
フランの首輪にも動きがあった。
「あ……」
かすかに光ったかと思えば、真っ二つに割れ、地面に落ちたのだ。
首輪の内側には、俺には読めない文字のようなものが刻まれている。
『うわ~、こりゃひでぇ……獣人だからってここまでするか、普通?』
「ん? どうした?」
『首輪の内側にある文字な? 付けてるやつのあらゆる身体機能を弱体化させる術式なんだよ』
「……それってひどいのか?」
『ひどいなんてもんじゃねえよ。体中に鉛の重りを付けてたようなもんだ。内臓機能なんかも落とすから、大して喰わなくても働けるが、息がしづらかったり、色々制約も受ける』
「……それはひどいな」
『確実に寿命は縮まるな。今時、凶悪犯罪者にも使わないやつだ』
なんつーことをしやがるあの野郎。
人権とかそういうの近代的な考え方を抜きにして、人としてやっちゃいけないことだろうが。
「…………あれ? でも、フランってかなり力持ちだったよな。馬鹿でかい籠とか背負ってたし」
『まあそうだな。かせをはめられた状態であれなんだから、外れた今となっちゃ……』
その時、俺の頭には筋肉モリモリのフランが、悪漢を薙ぎ払う光景がよぎった。
しかもなぜか「とぅっとぅるー!」と叫びながら。
「いやいや! ねぇよ!!」
『うおっ!? なんだよ急に!』
「あ、いや……なんでも」
いかん、そんな姿は想像するだけでもおぞましい。
ふとフランを見てみると、俺が大声を出したのにもかかわらず、ぼんやりと自身の首を触っていた。
「フラン?」
俺が声をかけると、ようやく我に返ったように俺に笑顔を向けるフラン。
少し弱弱しいものだったが、それでもしっかりとした、かわいい笑顔だった。
「ユーイチ様……本当に、ありがとうございます」
頭を下げ、お礼を言われた。
照れくさいやらなんやら。少し俺のかをは顔が赤くなってるかもしれない。
ここまでしっかりとしたお礼を言われたのだ、俺も何か気の効いたことを言うべきなのだろうが……あんまり良い答えが浮かばない。
とりあえず、フランの頭を撫で、
「ん。お勤めご苦労様でした」
って違う!!
もっと何かあるだろ俺! てか今のは出所した人に向ける言葉じゃねぇか!!
「はい。本当に……」
「…………」
フランは目に涙を貯め、嬉しそうな表情を浮かべる。
なぜか俺は、無性に彼女の頭を猛烈に撫でたくなった。
そして実行に移した。
「わっわっ!? ど、どうしたんですか?」
「あ、いやごめん。何となく」
フランの髪の毛をくしゃくしゃにした時点で我に返り、手を離す。
そこで、少し疑問に感じたことがあった。
「フラン、耳隠してるのか? そういえば、街中で耳立ててるの見たことないような……」
「え……」
キョトンとした表情でフランが首をかしげた。
あれ? なんか変なこと聞いたのか、俺?
『ああ、嬢ちゃん。ユーイチは常識のない奴だから。悪いが説明してやってくれ』
「んだとコラ!!」
『本当のことじゃねぇか!!』
やいやいと言い争いをひとしきり終え、改めて理由を聞いてみた。
「えーっとですね……あまり、獣人をよく思わない人もいますので。普段はこうして髪の毛の中に隠してるんです」
そう言って、猫耳を手で押さえつけるとあら不思議。
パッと見では気付かないくらいに、髪に隠れて猫耳が見えなくなった。
おお、マジックだな。
「なんてもったいないことを!! 絶対需要あるだろ! そんな萌え要素!!」
俺は知らずのうちに声を荒げていた。
差別だと? くそっ! 猫耳は愛でるためにあるものだろうが!!
『何を興奮してるんだよ。それにもえって何だ?』
「萌えっつーのは、その……あれだ……えっと、萌えだ!!」
はっきり言って俺にも萌えがなんなのかは分からない。
だが、萌えは萌えなのだ。それ以上でも以下でもない。
「はぁ、これは萌えというのですか」
俺の言葉は理解できていないだろうが、フランは耳をピコピコ動かしながら言った。
ああ、かわいい! かわいいよそれ!!
「でも、その……気持ち悪くないですか?」
「あ? 耳を髪に隠せることがか?」
「い、いえ。そうじゃなくて……」
「ふふん! 舐めるなよフラン! 似たようなマジックなら俺だってできるぜ?」
両手の甲をフランとついでにテネブラエに見せ、親指を人差し指と薬指の間に挟む。
そう、知る人ぞ知るあのマジックだ。
「ふん!」
『おお!?』
「ぬぬぬぬぬ~~~!!」
「お、おお~」
「はあーー!!」
見事成功。親指切断マジック。
対象年齢六歳以下。
だが、意外にもかなり受けはよく、目を輝かせて拍手をくれるフランはともかく、テネブラエさえも称賛してくれた。
「とまあ、こんな感じだ。猫耳がある? そんなもん、自慢することじゃねえよ」
「ユーイチ様……ありがとうございます」
やっと涙を浮かべるわけでもなく、弱弱しくもなく。ちゃんとしたフランの笑顔が見れたような気がする。
ふわっとした空気が周りに流れていくようで、とても心地の良い笑顔だった。
「んで、フランはこれからどうすんの?」
「『えっ?』」
「えっ?」
フランとテネブラエが同時に驚いたような声をあげた。
「あれっ? なんかまずかったか?」
「傍に置いてくれないのですか!?」
『お前、いくらなんでもそれは……』
よく分からないが、なんか責められてる?
「い、いや……だってもう奴隷じゃないわけだし……好きにすればいいと思うけど」
『はぁ……お前なぁ、奴隷身分から解放されたばかりでほっぽり出せるわけ無いだろうが。普通、解放奴隷ってのは元所有者が仕事を斡旋したりするもんなんだよ。しかも、ただでさえフランは栄養失調でフラフラだ。お前が面倒を見なくてどうする』
「つ、つまり……俺にフランと結婚しろってことですか?」
『い、いや……何もそこまでは言わねぇよ。せめて傍に置いて置いてやるくらいの甲斐性は見せろってことだ』
いや、正直こんな可愛い女の子を侍らすなんて、男としては願ったり叶ったりなんだが、フランの気持ちもあるだろう。俺が勝手に決めていい話じゃない。
「わ、私……ユーイチ様の身の回りのお世話もします! よ、夜のお供もお望みならば…い、いたしまひゅ!」
顔を真っ赤にさせながら、噛みながらとんでもないことを口走った。
「い、いや! そこまでしなくていいから! って言うか、女の子がそんなこと言っちゃいけません!」
「そ、それならギルドでたくさんお金を稼いできます! 体力には自信があるんです! 大抵の男の人には負けません!」
「妄想が現実に!? 止めて! それだけは本っ当に止めて! 夢が崩れちゃうから!!」
な、なんて面倒くさいんだこの子は!
えーっと、こんな時なんて言えば納得してくれるんだ?
考えろ! 俺の人生経験から答えを導き出せ!!
…………無理か。
「あーもう、一緒にいてくれるだけでいいから!」
「えっ?」
「あっ?」
…………結構投げやりに口に出したのだが、これってプロポーズじゃね?
言ってから俺の顔が熱くなった。
だが、この言葉にフランがすぐさま反応し、表情がパッと明るくなった。
「は、はい! ありがとうございます! ユーイチ様!」
「あ~…………あとそのユーイチ様って言うのもやめてくれって。もう奴隷じゃないんだから」
「あう、申し訳ありません。ユーイチ……さま……」
ダメか……
「ただの穀潰しってのも居心地が悪いだろう? 私の店で働くってのはどうだい?」
漫才に近いようなやり取りをしていると、両手に料理を抱えたアズラさんが厨房から出て来た。
「と言っても、これまで通りの荷物運びとか店の手伝いだけどね。他に良い就職先ができたらそっちに移ればいいさ」
「あ、ありがとうございます! アズラさん!」
おお! なんだかんだで就職先も決まったようだ。
めでたしめでたし……かな?
「そうと決まればほら! 奴隷解放記念だ。飯作ってきたからどんどん食べな! 今夜はおごりだよ…………坊やのね」
「俺が払うんですか!?」
「テーブル……」
「払います」
あ、なんだろう……肩身が狭い。
俺の食費は大丈夫なのだろうか……
なんかグダグダと一話消化しました。
申し訳ない。