FAMILY BLESSING!
時系列は朔子女史と会う直前の時期あたり(曖昧
雪を踏みしめる音は、どこか心地いい。一歩一歩踏みしめるようにして歩きながら、ちらほらと舞い降りてくる雪を仰ぐ。
クリスマスを過ぎ、気が付くと年が明け、思えばもう二月を間近に控えている。忙しない時世に伴い、街も世間も人もいつだって急ぎ足で様変わりしていく。そうやって過ぎていくものに、次へ行こうと向かうものに、いつも焦りを覚えるのはなぜだろう。今日だって、気づけば何の変哲もなく過ぎ去りあっという間に日も暮れ、自身の影すら闇に溶け込んだ。今日という日もほんの一瞬にすぎないのだ。それでいいけれど、いつだって何かを失ったような気持ちにもなる。一年を迎えるたびに、自分は何を失ってきたのだろう。
なんて、いつになく感傷的になりながら、彼女は名残を惜しむようにゆるりゆるりと寒空の下、帰路に着いた。
「おかえり」
「……ただいま」
ぼんやりと玄関を開けた瞬間、玄関で仁王立ちする新に出くわした。いやに堂々とした彼のふるまいにやや違和感を覚えたものの、もしかしたら外に出たいのかと思い右にずれる。が、新もまた右にずれた。偶然かと思い左にずれるも、また同じ。右左右右左下フェイント右と見せかけて左、と続けるも、まるで鏡のように息ぴったりに模倣された。
なんなのだろう。彼がおかしいのはいつものことだが、のっけからおかしすぎて対応に困る。もしや家にあがらせないつもりだろうか。
「……なにしてるの?」
「別に」
別にという態度ではないが、新が漸く道を開ける。それを訝しみながらも、なにやらいつものようにつっこみをいれ難い空気を察した楓はまた阻まれる前に靴を脱いでそそくさと手を洗うと、いったん着替えに自室へ入ろうと思案した。とりあえず何があったかお母さんに聞いてみよう――そんなことを考えながら。
しかし、それもまたすぐに妨害が入った。着替えを済ませ自室を出た途端にドアノブを掴んでいた手を捕えられ、勢いよく引っ張り込まれたからだ。ほかでもない、いつもより多分におかしい新の手によって。
「うわっ」
引っ張り込まれて二歩三歩と勢いでつんのめり、その隙にとばかりに背後でかちゃりと音がした。恐る恐る振り返ってみると案の定、ドアを背にした新が先ほどよりより一層異様な様子で楓を見下ろしている。もしかしなくとも先ほどの音は――鍵をかけた、音なのだろう。
「なに? え。なに、なんですか。なんですかこれ」
一体なんだというのか。新しい遊びだろうか。最近の子はこういう風に部屋に引きずり込む遊びをしているんだろうか。それが楽しいのだろうか。そうだとしたら揃いも揃って心にどれだけの闇を抱えているのだろう。感覚がずれすぎて同じノリで遊べる気がしない。御免こうむる。
「あの……新さん?」
「なに」
「なんか用? 私、喉が乾いたから下でなんか飲みたいんだけど……これ、後じゃだめなの?」
後でになったらなったで今後一切付き合うつもりはないが。
「持ってくる」
いやいや。持って来いとはいっていない。そうは思えど言う前にすかさず自分だけ部屋を出て、ご丁寧に鍵をかけなおして出ていってしまう。
「……怖いわぁ」
ぽつりとつぶやいた独り言だけが、虚しくぽとんと転がった。
「てかさあ、なに? なんなわけ。新しい遊びなのコレ。流行りなの? 流行っちゃってるの? 大丈夫? ねえ、大丈夫?」
淹れてもらったコーヒーをふうふう冷ましながら、勝手知ったるとばかりに部屋のラグに腰を落ち着けリラックス状態で新に問う。向かいに座っている新は特に顔色を変えず、いつものように生真面目な表情のままだ。特ににこりともしていないし楽しそうには見えない。
「聞こえてる? 耳開通してる? 工事中につきご遠慮願ってるの? 耳の中で落盤事故でも起きたの?」
「……だ」
「はいいいい? 聞こえんなああああ」
暇なので挑発気味に話してみるがどうにもその鉄面皮の表情は揺るがない。ボソッと呟いた新に顔を近づけると、もう一度、彼は言った。
「ヤンデレ、だ」
や ん で れ。
なに言ってんだコイツ。
ごく冷静に、彼女はここその中でそう突っ込んだ。そしてもちろんのこと、口にも出した。
「なに言ってんの」
「ヤンデレだ」
「病んでるの? もう知ってる」
「違う、ヤンデレ」
ヤンデレ。ヤンデレだそうだ。ヤンデレらしい。ヤンデレ。ヤンデレ、なんだそうだ。
突如、楓の頭がこと切れたようにがくっと下がる。一瞬新の鉄面皮も揺らぎかけたが、彼女には見えていなかったのだろう。暫しの沈黙が訪れたのち、全力のスイングをもってして楓は顔を振り上げた。そう、全力で。
「…………はぁ? どこが? だれが? なにが? 一から十まで説明して見なよ、ん? え?」
「いや、だから、この部屋から出さないというか……」
「出さないからなんなんですかねえ」
「いや、ヤン……」
「へえー、すっげ! それ病んでんの? すっげ!」
この上ない棒読みで表情豊かにたたみかける楓に新のカラダがわずかにのけぞる。しかし何が逆鱗の振れたのか楓の勢いはエスカレートしていく。
「まあさ、それがさ、ヤンだとしてよ? 百万歩譲って。デレはどうしたよ。どこいったよデレは。さっさとデレて見せなよ。デレてこそのヤンデレでしょ。ねえ」
「珈琲を……」
新は楓の手元にあったマグカップに目を向ける。すかさずマグカップは眼前のテーブルへと叩きつけられた。飲み干した後だったのか中身がこぼれていないことだけが幸いだ。だが楓にとってはそんなことどうでもいい。これのどこがデレだ。断じて認められない。
「はぁ? コーヒー? 当たり前じゃん。人のこと閉じ込めておいて茶の一杯もないとかどんだけ気が利かないの。しかも珈琲。珈琲!」
「……だめだったのか」
「だめだね、ああダメだね、ダメだと思うなあ! 私ココアが飲みたかったのにさぁ、それも聞かずにさぁ、しかも勝手にミルクと砂糖入れてるしさぁ! 適切に気使えないとかそんなんじゃ社会でやってないよ?」
「まずかったのか」
「超美味しかったですぅー! でもデレじゃないし。デレとは認めないわこんなん。初心者のためのお客様へのおもてなしレッスン2くらいのインパクトしかないわ。やって当然して当然ですわ。こんなものは認めん。認めんなあああ」
少し興が乗ってきた。いいだろう。ヤンデレごっこがしたいというなら乗ってやろうじゃないか。ぐわっと立ち上がった楓は居丈高に腕を組み、神妙な顔で見上げる新をどうだとばかりに見下ろした。
「新さんのデレにはやる気が足りない。意欲がない。パトスを感じない。もっと一生懸命デレなよ。恥を捨てな。身を切り捨ててこそ本当のデレなんじゃないの。こっちが恥ずかしくなってくるレベルからが本番だと私は思うね」
「そう、か?」
「常識だよ」
なぜか新が諭される形で進行していくが、新しい遊び(新で)に目覚めた楓には些細なことだった。なんだか新もやる気になっているし、ここぞとばかりにいろいろ仕込ませてもらおう。
鼓舞し鼓舞される二人。今ここに新たなデレへの挑戦が始まった――!
――中略。――
「別に、お前のためにやったわけではない。ただこの右手が疼いて……」
どこか愁いを帯びた面差しで、新は震える右手を左手で押さえつけた。堅く握りしめた拳は白く変色するほどに力が込められている。苦悶の表情を浮かべつつも戸惑い気味に視線を投げかけてくる横顔はどこか艶やかな影を湛え、一つ一つの表情が見惚れるほどに悩ましい。
だが楓はというと、そんな彼に対し見惚れるでもなく感嘆のため息をつくでもなく、どこか呆れを含んだようなこれ見よがしで深い深い大きなため息をついた。
「惜しい。ある意味病んでるけどそれ別ジャンルだし。ちょっとツン気味だし」
「ク……ッ」
ギリッと音がするほどに拳に力が入る。これまで幾度となくダメ出しを食らっているため、悔しさもひとしおなのだろう。楓はそんな彼の肩を叩いて慰め、そのまま促すようにソファに座らせた。
「……まぁね、途中肩たたき券とか、家事手伝い券とか出てきたときはどうなることかと思ったけど、だいぶ近づいてきたよ……。デレはまあ、ヤンはつけ辛いけど形にはなってきたかも。この短時間でよくやったね。さすが新さんだね」
「デレがここまで難しいとは」
「そうだね。意外と奥が深いんだよ、デレは。初心者が安易に手を出すもんじゃないのかもしれない。まだまだ修行が必要だけど……」
「けど?」
「今日はもう飽きたから終わりにしよう。お疲れ様でした」
「え」
今日はというかもう飽きたから一度で十分だ。座らせた新の横を素通りし、楓は部屋を出ていこうとした。その時――。
「まって」
背後からいやに低い声でうっそりとした囁きが彼女を引き止め、振り返る前にドアノブを掴む右手さえも奪われる。いつのまにか傍らへと移動していた新が、驚いて振り返る楓へと得体のしれない微笑を返す。どこかうすら寒く、何かを押し隠すような得体のしれない目をしていた。
「新さん……?」
「最後のチャンスをくれ。……きっと、楓も満足してくれるだろうから」
声音は異様なくらい穏やかなのに、右手を掴む握力だけが否やを許さない。言うべき言葉も見つからず、新の圧力に絶句した楓の手をそのまま握り、新はそのまま部屋を出て彼女を引っ張っていった。その力すらどこか強制的で、豹変した様子にいつものリアクションすら取れなくなってくる。
手を放しても言えばついていくのに。そうは思えど、ぐいぐいと引っ張られるため、楓は黙ってついて行くしかなかった。いつになく逆らい難い彼の様子にどう切り出せばいいのか、解らなくなっていたから。
そうしてついに沈黙したまま階下に連れられリビングへと続く扉の前で立ち止まった。もしかしたら今、家の中には新と楓以外誰もいないのかもしれない。シンと静まり、その静けさに自身の呼吸すら聞こえてくる気がする。異様な緊張感に唾を飲み、意を決して楓は目の前の彼の後姿に声をかけた。
「……新、さん」
新は、恐る恐ると聞いた彼女に、満足げに微笑んだ。息を飲むほどに壮麗な、微笑で。
そして彼女を問答無用でリビングへと引っ張り込み――――刹那。
『せーの、お誕生日おめでとう、かえでちゃん!』
今までその場を支配していた静寂をかき消すように、突き抜けて明るい声がこだました。一組の男女が仲良く居並びクラッカーを構えた姿で、二人を盛大に出迎えた。ただし、糸を抜いたはずのクラッカーは不発のまま、二人の明るい掛け声のみとなっていたが。
「あれ……、おかしいな……。もみじさん、これって、こういう仕様なの」
「ち、違います始さんっ。不発ですっ。糸だけ抜けちゃったんです!」
不発のクラッカーを覗きこみ、本人の目の前で間抜けな夫婦漫才を始める両親。
それを醒めた眼差しで眺めながら、驚きに息を飲んだ自分が恥ずかしいと、楓は思った。
「えぇっ。ちょっと、ええー。どうしよう、のっけから失敗してしまった」
「だっ、大丈夫、予備があります! もう一度始めからやり直して、ねっ」
「そ、そうだね。よし。じゃあ、せーの、」
「もういいですから」
いい加減もういいだろうという頃合いでズバッと楓がつっこみ、夫婦漫才はやむなく終了した。そのまま二人はきゃあきゃあ言いながらテーブルへと料理を運び始める。
突然で驚きはしたが、間抜けな寸劇のおかげで少しクールダウンできた。よくよく見れば、なにやら部屋中が飾り立てられ、始は馬鹿丸出しの鼻眼鏡を、紅葉はバースデーケーキに見立てた帽子を恥ずかしげもなくかぶっている。
しばし呆然としながら眼前の光景を眺める楓の横で、新がぼそっと呟いた。
「ハッピーバースデー」
ゆったりと横を見ると、いつのまに装着したのか、2013という数字を模した派手な蛍光グリーンの伊達眼鏡を書けた新が自分を見つめていた。
なるほど、普段寡黙な彼が今日に限って様子がおかしかったのは、こういうことだったのだ。自分のために無理をして気を引き、こうしてこの陳腐で間抜けな準備の為の時間を稼いでいたのだろう。おまけにあんなズレまくっている両親のテンションに合わせて道化この上ない眼鏡までかけている。
思わず楓もふっと笑って、間抜けな伊達眼鏡の新に意味深な一瞥をくれた。
「デレ?」
「……デレだ」
にっと新も笑い、繋いでいた手を再び、ぎゅっと握りしめてくる。
外から持ち帰ったはずの冷たさがじんわりと、違う熱により溶かされていく。
「誕生日会が終わるまで、身柄を拘束する」
ヤンのつもりだろうか。どや顔で言ってくれるその顔が、やけに愛しい。
まぁ、まだ少しズレてはいるが、及第点だ。
「……やるじゃん」
「うん」
優秀な少年の手をしっかりと握り返して、楓も満足そうに微笑み返す。
今日という日はまだ、そう簡単に終わりそうにはないようだ。
落としてきたもの、失くしてきたもの、見失ったもの、そんなものは年を重ねるたびに増えていくかもしれない。
それでもきっと、同じくらいに得るものがあるのだ。得た一年を手放すのが惜しいから、焦れもする。けれどまた一年も、何かを失い、何かを得るだろう。
今年はきっとこの家族だったのだ。
楓は心の中でそっと何かに、感謝した。
裏テーマはヤンデレ。はいはい失敗失敗。