SOFA! ~Ⅱ~
時系列:楓→中学三年生。新→中学二年生。SOFA! ~Ⅰ~読後推奨。
煙る空。薄く重たくのしかかるその色に嫌なものを覚え、早足で家へと飛び込んだ。閉じた扉の外では、ぽつりぽつりとすぐそこまで雨足が迫っていた。
自身の立てる足音以外何一つ気配を感じないこの家屋には、その静けさこそが彼女以外誰も居ないということを証明していた。着替えを済ませ何の気なしにリビングへの扉を開いたところで、楓は妙な既視感を覚える。
以前にも、こんなことは無かったか。いやあった。おぞましい記憶が蘇る。そのまだ温まりきれていない部屋の気温ゆえにか、もしくは何かを揺り起こされたのか、ぶるっと背筋を震わせ、楓はやや慎重な足取りで一度は踏み入ったリビングから退いた。そしてその足で再び階段を登ると、端の部屋から扉を開け、何かを確認し始める。自分の部屋までもノックまでして確かめた。階下も同様に確認し終えると、再び確かな足取りでリビングへと向かう。その辺りになると緊張感に張り詰めていた背筋は、幾分か和らいでいた。
――ソファ。
いつ振りだろうか、この感触。無言で寄り添うように横たわりながら、視線だけ巡らせてリビングを一望する。一応、顔を上げて死角である入り口を再度確認するのも忘れない。もう二度目なので流石に奇声も上げない。というか一度で十分だ。忌まわしい痴態を思い出し、羞恥に唇をかみ締め、それでも再び会い見えたその夢のような感触に、ほっと一息ついた。
――雨の音が、心地いい。叩きつけるような雨は好きではないけれど、しとしとと心を潤す音は聞いているだけで耳に心地いい。目を閉じて、もっととばかりに音に集中する。
とても、静かだ。呼吸の音と、雨の音と、時折息つく自分の吐息しか聞こえない。なんて心地いいセッティングだろう。BGMなんて無くても、これで十分安眠できる。
そんなことを思っているうちに、早くもうとうとしてきた。まずい。この状態は許しても、寝オチは許されない。起きたほうがいい。寝るなら自室で好きなだけ寝ればいい。そう、思うのに。身体は言うことを聞かず、もっととばかりに丁度いい体位にもぞもぞと動き、そして幾ばくもせず、重力に従い瞼が閉じる。
心地いい、夢の中。耳に残るのは、柔らかな雨の音ばかり――。
「……楓」
帰宅して、彼女の靴があったとき、もしやとは思った。確認の為に彼女の部屋も伺い、暫しの逡巡のあとに結局こっそりとリビングを覗いてみれば、この様子。足音立てず近付き、起こす気もなさそうなほど小さな声で、彼女の声を呼びかけてみる。案の定、少しの反応どころか微動だにしない。これは完全に寝入ってるな、と思い至り、新は僅かに笑みを浮かべた。
例によって反省を生かすべく、ここは起こさないほうが得策だ。例え寝オチしたあげくに起きて家人に転寝をしたことが露見しても、心地よい眠りを妨げられた挙句再び自分にこの様を指摘されるよりはマシだと考えるに違いない。
そんな考えに至り一人納得するも、なんとなしに物寂しさは否めない。ただもうあんなことは、新だって御免だ。あの仕打ちは割と、地味にきつかった。幸い、今回は当事者が寝オチな為に、事は穏便に済みそうだ。
ふっと安堵の息をつき、けれど彼は再び思い当たったように、すやすやと心地良さそうに寝入る彼女に見入る。
――このままだと、風邪を引いてしまうかもしれない。楓の格好は制服のままではなかったけれど、ロングパーカーにスキニーを履いているだけだ。部屋が寒いわけではないけれど、何かかけておくに越したことは無い。
思い至るとすぐさま彼は立ち上がり、音を立てずにリビングを後にした。
眠る彼女は、未だ潤う夢の中。
「始さん」
「解ってる、紅葉さん」
秘め事を語るような極めて顰められた声で、阿吽のような会話が交わされれる。
さて。
嘗て無いほど真剣な眼差しで目配せしあう二人の大人の目の前。そこには、すやすや寝入る眠る子羊、のような二人がいた。一人はソファに横たわりブランケットまでかけて寝入っているが、もう一人はその傍に腰を下ろし、まるで顔を覗き込んだまま眠り込んでしまったかのように(実際その通りなのだろうが)、器用に寝入っている。
この光景を目にした大人たちは、すぐに事の経緯を察知した。会話も無く目線で会話した二人のうち片方は、既にどこから取り出したのかそれを携えている。御誂え向きに、いつもは気配に機敏な彼も、慎重すぎるほどに危機意識の強い彼女も、目を覚ます気配が無い。
――好機。
この機会を逃すはずも無く、長年の経験から躊躇さえも省いた彼らはすぐさまそれを行動に移した。
「あーんもう! 可愛い可愛いッ。なにもー、この子達食べちゃいたい~っ」
「紅葉さん、もうちょっと抑えて。起きちゃうよ」
「そ、そうですね。それはもったいない。あっ、あっ、ローアングルも抑えてください始さん」
「勿論。ああ、いいね。一カットごとに題名つけたい」
「ですよね~ッ。ああ現像が楽しみ……っ」
「とりあえず今は記憶にも存分に焼き付けておこうね」
眠る子羊二人がその盗撮写真の存在を知るのは、まだずっと後のこと。
普段真夜中でも親父の気配に気付ける新さんが真実寝ていたかどうかは別として。