OTHERS!~St. Valentine's day~
バレンタインデーに読み手の方から唯一チョコレートをもらった勇者なのでパラレルとして書きました。時系列は気にしてはいけません。
「お願いがあるんだけど」
ささやかな声で差し出されたそれに、思わずまたかとため息をつきそうになる。恒例行事となったこれもいい加減、相手方にも覚えてほしいものだ。差し出されたそれを受け取るでもなく目にも止めず、楓はせっせと帰り支度を進める。
「申し訳ないけど、そういうものは一度受けるときりがないから受け取らないことにしているの。本当に渡したいのなら直接本人に持って行って、」
「……あ、待って待って。違うの。あの、これは……えっと」
もじもじしながらどこか困ったようでも照れているようでもある彼女は、意を決したように再度それを勢いよく楓の眼前に突き出した。
「相模君に渡してほしいのっ」
「……はい?」
本日はバレンタインデー。乙女の聖戦であり、義理と本音が錯綜する大合戦日でもある。
***
「相模君に渡して」
放課後、部活に向かう途中の廊下で新さん、と呼び止められ振り返った矢先に、それを突き出された。手のひらサイズの、可愛らしいラッピングに包まれた小箱。皆まで言わずともそれが何の意味で用意され差し出されたかは解る。しかし解せない。どういうことだ。
思わず呆然とそれを見つめていると、受け取らない新を待つのも飽きたのか彼女はそのまま傍らの窓ガラスの縁にそれを置いた。
「……なにこれ」
「チョコでしょ」
「知ってる」
それは解る。わかるが解らない。というか解りたくないかもしれない。
どこか首筋がざわざわするような感覚を覚えながら、新はじっとりと楓を見下ろした。
「何その目は。しょうがないじゃん。新さん宛てなら断るけど相模君当てだったんだもん。一人だけだったし、別にいいでしょ」
瞬時に脳が経緯を推理する。なるほど、把握した。今日は、主に女子が思いのたけをチョコレート等に込め男子に渡し思いを告げたり遂げたりする儀式が行われる日だ。言わずもがな、一年のうちで物々しい行事の一つである。
それはともかくも、つまりこれは楓が用意した相模への思いのたけを込めたチョコレートではなく、誰かしらが用意したとされるものを楓が頼まれただけなのだ。あと自分へのチョコは例年通りすべて断ってくれていたらしい。感謝する。
新は組み上げた考察に納得し、可愛らしくラッピングされたその箱を改めてしげしげと見つめた。
「……相模のであっても本人に手渡すべきでは」
「本命とかじゃないんだって。部活で用具片付けるときに手伝ってくれたって。けっこう重くて大変だったらしいんだけど、お礼言おうにもすぐどこかに行っちゃったし、直接クラスに行くと新さんのファンの目がぎらついて怖くて一年生の階の廊下も渡れなかったって」
「…………すいません」
普段からそうではなく、バレンタインデーであるからこその殺気だったと思いたい。
粛々とその小箱を手に収めた。
***
「頼まれた。渡してほしいって」
部活帰り、新が手のひらサイズの小さな箱を差し出してきた。
普段お互いが部活で帰り時間が合うので、玄関でかちあった場合は一緒に帰ることもあるのだが、今日は違っていた。先に帰り支度を済ませていたらしい彼は玄関で明を待っていた。珍しいこともあるものだと少し面はゆくも、喜びに上昇した気分が一気に落下した。最下層へ。
「え」
「バレンタインデーだろ」
「いや、えっと……もしかして、あの人?」
まさか。
「そう。頼まれたんだ。受け取ってくれ」
いやいやいや。
明はほぼ無意識に首を横に振った。受け取れない。受け取れるわけがない。どういうことか。いったいどういうことなのか。なにが起きた。なにが起きている。自分は今何をされているのだろう。一から十まで理解できないししたくもない。嘘だと言ってくれ。このまま何事もなかったかのように帰りたい。
二月も半ばとはいえ日が落ちた時間の空気はまだ凍てつくような寒さだというのに、脂汗がじっとりと背筋に滲んでいくのがわかった。新はなんの邪気も見えない顔でこっくりと首をかしげる。
「大丈夫か」
「いや、無理だ」
「顔色が悪い」
「知ってる」
なんだこれは。新手の拷問だろうか。あの女、いったいまた何を企んでいる。いや、新。こいつもだ。なぜ自分に渡すのか。なぜ顔色も変えず普通にバトンリレーしてる。
おかしい。やっぱり一から十までなにかもがおかしい。なぜあの姉が俺にチョコを用意する。意図が全く読めない。そしてこいつもなぜ平然とそれを自分に差し出す。なにを考えているのか全く読めない。いつもだが。
戦々恐々としながら新の手の内にある可愛らしいラッピングに包まれたそれを注視する。
「受け取らないのか」
「いや、……お前、俺が受け取っちゃっていいの?」
「そうでないと困る」
なぜ困る。こっちが困る。困るどころじゃない。心なしか小箱から怨念のようなどす黒い紫色のオーラが見える気がする。何かを感じる。これはただの箱じゃない。
「早く取れ。受け取らないとそれはそれで」
「受け取るから皆まで言うな頼む」
掻っ攫うように小箱をかすめ取った。中身がどうあろうと外見は普通なのだ。新もこう言っていることだし受け取らないとどのみち後が怖い。戦々恐々としながらも思い切りよく鞄の中へとそれを封印した。
そこで、あ、と思い出したように新が呟いた。
「そう言えば、お礼の手紙も入れてあると言っていた」
「お礼、参り……?」
これまで何回も通り過ぎてきたが、こんなに鞄の重たいバレンタインデーは、ない。
***
我が家の長男が、部活から帰ってきて早々、箱を睨んでいる。テーブルの上に置かれたそれは手のひらサイズの小さな箱で、女の子らしさが滲むような可愛らしいラッピングが施されている。どう考えてもこれは例の日のための品であることは家族の誰もが察した。長男がそれを持ち帰ってきたことはこれが初めてというわけではないが、こんな風に殺気を込めて睨み合うようにするなど初めて見る。自然相模家の面々も、それへと視線を釘付けにする。
「明ー、チョコもらったの? 誰から?」
「……うっせぇよ。そんなんじゃねーっつの」
長女がいつものように茶化しかけるも、いつもの長男らしくない沈鬱とした様子で一蹴される。照れているというわけでもなさそうだ。そもそもこの長男のパターンからすると照れている場合全力でそれを隠そうとする。そうしないということは恐らく、そうする余裕もないということなのだろう。
妙な緊張感が小箱と少年の間で漂い始めたとき、小さな紅葉のような手がそっとその箱へと伸びた。
「っ触るな!」
「ひゃっ」
その箱に触れる直前、明の手は己の妹の小さな手を捕まえた。力は加減したものの尋常ではない彼の様子に、手を掴まれた小さな妹は戦き、次第にしゃくりあげ始めた。
「ひっ、ひぃっ、ひやああああああ」
「明ぁっ、アンタいい年にもなって妹泣かすんじゃないのッ」
すかさず台所から聞き耳を立てていた母から罵声が飛び、明は泣きじゃくる妹を慌てながらも膝の上へと抱き上げる。
「おい、泣くな、兄ちゃん怒ってないから」
「だっ、ひ、おにっちゃ、ひぃっ、ひいぃっひあっあぐぅっ」
しゃくりすぎて何を言っているかわからない妹にうんうんと相槌を打ちながら彼女を膝の上で向き合うように座らせ、彼は視線をまっすぐに合わせてごく真剣に告げた。
「いいか、これはな、危険物なんだ。わかるか? 下手に触ったら、死ぬかもしれない。兄ちゃんはお前を守ろうと思ったんだ。怒鳴ってごめんな」
『どんなチョコだよ』
傍らで一部始終を眺めていた双子がそろってつっこみを入れた。
バレンタインデーも終わりを告げるころ、一人の少年だけがずっと、要らぬ苦悩に苛まれ続けた。
新さんは相模君の誤解に気付いていましたが最終的に中身の手紙で解けるだろうと思ったので放っておきました。