OTHERS!~Ⅲ~
時系列:楓→高校二年生、相模君高校一年生、季節は秋下旬。ネタバレにつき本編最新話まで読後推奨。
目を離した隙に闇は訪れる。冬はいつもそう。気がついたときにはもう窓の外は真っ暗でした、なんてよくある話だ。
パブロフの犬のように、暗くなったら帰り支度を始める彼らを尻目にいつものコンビニへと向かい常田さんを待つ、なんてのが私の法則。けれど時々、そう、ほんの時々無意味にそれに抗いたくなって、気まぐれで同級生に紛れて電車で帰ったりする。勿論常田さんにはメールを入れておく。
気まぐれの癖にいちいち連絡を入れる、なんて億劫ではあるけれど不自然な行動は私には許されていない。義務はいつでも携帯しておく。それが私に課せられた日常。
そうして適当に時間を潰し、適当な電車に乗って、いつもより遅く帰宅する。所詮私に許された気まぐれなんてそんなもの。不満があるわけじゃない。ただ、そうだ、単なる子供じみた反発心だ。
ただそれだけの為にちょっと遅く帰宅する。少しでも遅く、けれど違和感の無い程度に時間を潰して帰宅する。馬鹿みたいだと自分でも思う。くだらない。茶番だ。それでもこれでほんの僅かなずれを微修正している。
こう見えて必死なのだ。こんな些細なことにも。
その日は学校近くの駅の周辺で時間を潰していた。そういう時は本屋や雑貨で物色したりその辺のコーヒーショップでコーヒーを飲んだり、そんな風にして時間を潰すけど、その時はというともうあらかた済ませてさほど時間も余っていなかったから最後にコンビニへ向かっていた。何をするわけでもなく適当にふらついて、ちょっと立ち読みして、肉まんでも買って帰る。大抵そんなものだ。
そうしてふらりと目的のコンビニに辿り着き、さして興味も無い雑誌のどれに手を掛けようか視線を巡らせているとき、それは聞こえた。
「あ、中華まんいいですか。えーと、あんまん二つと、肉まん二つとピザまん二つ、カレーまん一つ、チョコまんひとつ、あと子猫まん一つ」
九つ。割と多いせいか店員が取り分けながら聞き返したりしている。どんだけ大家族なのか、それとも使い勝手のいいパシリか中華まん好きの大喰らいか。
声はどうやら若い男性のようだった。あれだけ頼めば備蓄していた中華まんはごっそり減って寂しい中身を晒していることだろう。そんな豪快な買い方をする人間にちらりと興味が湧き、雑誌に伸ばした手を引っ込め商品棚の列から悦子の如く覗いてしまった。
さて、中華まんを九つも購入する猛者は一体どんな奴なのか。
――――ほう、なるほどねえ。
「ありがとうございましたー」
間抜けた効果音が鳴り、その人物はコンビニから出て行った。どうやら私の存在に気がついていないらしく、そんな素振りは無い。そのままさっと手に取った雑誌を盾にしてその彼の後姿を見送っていたわけ、なんだけどね。そこで振り返っちゃうのがまあ、らしいっちゃあらしいかもしれない。
「げっ」
って聞こえたね。
いや、正確にはある程度の距離と分厚い硝子を挟んでいたわけで、聴覚的にはアウトオブ圏内だったわけだけど、まあそこはホラ、解りやすいから。いいリアクションについてはもう、先日とっくりと確認済み。
挨拶代わりににっこりと微笑み返し、私は当所の予定を変更し雑誌を返してから何も購入せずにコンビニから出た。実も蓋もない「ありがとうございましたー」に見送られ、私は存外軽快な足取りで、雪像の如く固まる彼に近付いた。
「こんばんは」
「うっ」
うって。随分と嫌われたものだ。宵闇でも解るほど顔が引きつっている上に、大げさすぎてわざとなんじゃないかと疑うほどに仰け反っている。これは寒さのせいとかで誤魔化せるレベルじゃないな。
まあ嫌われてようが苦手意識をもたれていようが避けられていようが愉快なことには変わりはない。あそこで振り返らなければ見逃してやったものを、どうも彼はここぞというときに外さない性質らしい。つくづくオイシイ子だ。
「随分と沢山、中華まんを買われていましたね」
「いや、あの、これは」
こういう風にどもっていると聞いてくれと言っているようなものなんだけど、自覚は無いのだろうか。無いんだろうな。あえて同情めいた表情で、そのうろたえる顔を覗き込んだ。
「何かお悩みでしたら相談に乗りますよ……?」
「パシリじゃねーよッ……あ、う、くそっ」
しまった、とばかりに困惑やら焦燥やら色んなものが混ざったなんともいえない表情をする。
新さんとはまた一線を画する素直さ加減だ。ジャブは上々。これだから見るとイジりたくなる。
「まあそうでしょうね。立ち話もなんですから歩きませんか。それとも他に行くところでも?」
にやつきそうな頬をどうにか抑えて先手を取った。彼はなんだかもごもご言っていたけれど、私が先に歩き出したので渋々とばかりについてきた。
ここは新さんと違って押しに弱いんだよなー。あの子の場合寧ろされるよりごり押しするタイプだから。類は友を呼ぶと言っても、早々全く同じというわけでもないらしい。そうでなきゃ面白くないけどさ。
「寒いですねえ」
「あっ、ああ」
白い息が頬を掠める。ぎこちなく隣を歩く彼は、通学用の鞄とさっき買った肉まんの袋を携え、肩には馬鹿でかいスポーツバッグをぶら下げている。いつも思うけれど、一体何が入っているのか。運動部で無い私にはその鞄の中身にはいつも未知を感じる。
「相模君は、何部なんですかね」
今はテスト期間だから帰りがかち合ったのだろう。普段ならば私が帰宅途中にこういうスポーツバッグを掲げた人とすれ違うことは殆ど無い。
「あー……俺は、アレだよ。サッカー部」
「もしかしてスポーツ推薦ですか」
「……まあ」
なにやら照れがあるのか首の後ろを掻きながらぶっきらぼうに答えてくれる。
しかしどう見ても体育会系だと思ってはいたけれど、推薦入学か。となるともしかしたらこう見えてレギュラーも獲得しているかもしれない。流石新さんの友人、並なようで並じゃなかった。
まあ私も推薦だけど、普通推薦だ。けれどうちの学校のスポーツ推薦と言ったら割と有名なようで、卒業者は大手大学入学者やスポーツ界で活躍するアスリートをちらほらと出したりしている、その筋では中々に名の知れた学校だったりする。そちらに特化した特別クラスまであるほどだから、中々の力の入れようだ。それ以外は手を抜いてんじゃないかってくらい何の変哲もないけど。
実を言うと新さんも陸上競技の枠で推薦されるかという話も上がったけれど、本人がそれを辞退して普通に受験して普通に首席を取ったりしていた。けっ。
まあ新さんはともかく相模君はこの様子だとスポーツ推薦らしい。けれどそうなると特別クラスに配属されるもののはずなんだけど――。私が考えていることがわかったのか、相模君はうっすらと苦笑した。
「推薦は、まあ、色々と優遇されるから。でも俺そっちに進む気はないし、普通科希望したんだ」
「へえ……」
色々と、ね。確かにその辺りは色々免除されるらしい。どれがどの程度かはあまり詳しくは無いけれど。
「なるほど、それで相模君は食いしん坊なんですね」
「ちげーっつの。食うにしてもどんだけ中華まんにこだわってんだよ。これは、あーっと、ウチの奴らについでに買ったっつーか」
それは一人二つずつ以上食べる計算なんだろうか。どの道基準からやや逸脱している気がする。もしくは九人家族。ワオ、相模さんちの特集組めそう。
夢を広げていると疑わしげに相模君が覗き込んでくる。
「アンタ絶対なんか勘違いしてるだろ」
「いえ別に。ちなみに相模君のお宅では一日何回洗濯機を回すのですか?」
「やっぱ勘違いしてんじゃねーかっ。これは俺と親父と母さんとじーちゃん、あと姉貴と弟と妹のぶんだ」
ムキになっちゃってマア。まんまと個人情報掠め取られたとかいう自覚も無いんだろう。家族構成ゲットだぜ。
しめしめ脳内プロフィールに書き込みつつ、それでも腑に落ちなくて、ん? と首をかしげた。
「二つ余りませんか?」
「あー……んー弟は双子なんだ。でー、あーあと一個はー……うん」
なんと弟君は双子。大家族とはいかないまでもなかなかの構成人数。感心している私を尻目に相模君はなにやら一人で納得したように袋をがさごそ弄り、見慣れた紙包みのそれを二つ取り出して、歩きながら私の前にそのうちの一つを差し出してきた。
「ん。アンタ肉まん食える?」
「はい、まあ。あの……」
「じゃ俺はカレーにしとこ」
何か言う前に、はぐっと大口でそれを食べ始めた。
――受け取った手前今更何か言うのも無粋か。少し躊躇したけれど、ありがたく私もご馳走になることにした。
「イタダキマス」
「うん。んで、それでチャラな」
私が一口目をかじった瞬間、もう最後の一口をぺろりと平らげた相模君がなんてこともなさそうに言った。何を言われたのか即座に意味を図った私は偉いと思う。
「ほのひふようは、ん。ないと、以前にも言ったはずですが」
不覚にも不意を突かれたせいかちょっと喉に詰まる。飲み物が欲しいと思いつつそれでもなんとか嚥下すると、相模君ははーっと大きく白い靄を頭上に吐き出した。
「いんだよ。アレで終わりじゃ俺の気が済まなかったの。アンタは大人しくそれを食ってくれりゃーいい」
「律儀ですねえ」
「ちげーよ。俺が迂闊だった。そんぐらい、解ってる」
何を言うかと思えば。自責の念でも抱いているというのだろうか。たったあれだけの、あの程度のことで。
思わず振り返ると、彼は数歩後ろに立っていた。私が振り向くと同時に、潔い速さで頭を下げる。
「悪かった。もうつまんねーことでアンタを煩わせたりしない。約束する」
――イヤどっちかというと大いに煩わせたのは私の方だと思うんですけどね。散々私がおちょくったことを差し引いてみればお釣りが来るほどだというのに、彼という人はそれに思い至るという発想すらないらしい。
どうして、こういった人種はこうも真っ直ぐなんだろうか。真っ直ぐではないと死ぬ病にでも罹っているのか。我を通さねば我慢ならない何かを持っているとでも言うのか。普通に考えてこんなこと、道端に落ちた小石を足で跳ね除ける程度のことだ。それをいちいち拾って丁度いい場所に置くとか、普通に考えてありえない。
ありえないが、厳密に言えば彼がしていることもその類のことだ。馬鹿正直すぎてこっちが白けてくる。どうぞ付け入ってください、と自分から宣言しているようなものだというのに、こういう類の人間は酷く真面目な面持ちでこれをやり通そうとする。
きっと知らないのだろう。そういう人間がいるように、そういう人間を見て苛立つような人間がいるということを。
口元が歪んでいるのがわかる。傍目から見て解るほど、私は今皮肉めいた笑みを浮かべていることだろう。
「やめてくださいよ。頭を下げられる義理なんてありません。それともなんですか、また新さんに何か言われましたか」
「新は関係ない」
言ってくれる。その矛盾を吊り下げて私にどうしろと? してもいいの? 弄ってもいいの? 心行くまで、あなたを。
――無防備すぎる。新さんも、あなたも。
「そうですかねえ。そこまで頭を下げなきゃならない理由なんてないでしょうに。何を言われました? 事情があるんだーとか?」
いかにも言いそうだ。当然のように私をかばう。それが逆効果だと、知っているのかいないのか。どんどん嗜虐的になっていく思考に歯止めをかけそこない、あけすけな冷笑を相模君にまで向けてしまう。彼は関係ないのに。
――それでも。
それでも相模君は、揺ぎ無くキッパリと首を横に振った。
「事情なんざ探せばそこら辺に転がってる。誰にでもあるもんなんだ。そんなのは当たり前だ。……だから、だからこそ、ごめん」
――――誰に、でも、か。
これ以上言えば、私が悪者かな。執拗に頭を下げ続ける彼のつむじを見つめ、息をついた。
寒さのせいだろうか。どうにも、肩に力が入ってしまっていたようだ。
「わかりました」
言うや否や、彼は勢い良く頭を上げ、スッキリしたようにまた大きな息を吐いた。
「あーっ、やっと言えた。アンタなかなか言わせてくれないから、マジ参った」
「……それは、どうも」
私だって貴方がそれほど気にしているとは思わなかった。私自身、気にしているいない以前に忘れていたくらいだし。
というか日常茶飯事過ぎてあんなことにいちいち気を揉んでたら今頃登校拒否を謳歌しているところだ。この子は私を舐めてるんだろうか。そう言ったらどう返すだろう。
悪い虫がうずきだすのを感じつつ、これ以上は駄目だーと自制をかけて歩みを再開させた。
「子猫まんは妹さんにですか」
「あ? ――ああ、うん。好きそうだなって」
はにかんで答える彼の目元が、柔らかく緩んでいる。これがお兄ちゃんの顔って奴なんだろうか。妹さんが可愛いんだろうな。それでも家族全員ぶんキッチリ買っちゃうところがまた律儀。
きっと一つ多かったのは、年頃の高校生に中華まん一つじゃ足りないからなんだろう。なんなくそれを私に分け与えたことこそ、彼の人間性そのものを示しているような気がした。
――本当に、新さんはいい友人を持ったようだ。
「何笑ってんだよ」
「――笑ってました?」
「笑ってるだろ」
笑ってた。
――そうか、まだ、私は。
「どうした」
「……いえ。ああ、大分来すぎましたね、スイマセン」
気がつけば、駅のすぐ近くまで辿り着いていたらしい。謝ると怪訝な目を返されたので、お答え通りにやりと微笑み返してあげた。
「お家、すぐ近くでしょう。通り過ぎてしまったみたいで、どうもすみません」
「なんでアンタが俺んち知ってんだ!」
うわ、吃驚通り越してビビッていらっしゃる。いや知らないけど、通り道の途中で一本道を歩いていたのに視線がちらちら曲がり角に向いてたから、そうじゃないかなーと当りをつけただけでありますよ。けどこれで言質は取れた。相模君ちは駅の近く。個人情報またしてもゲット。
「すいませんねえ、こんなところまで。もうこの辺で結構ですよ」
「いや、どうせだから最後まで……」
「最後まで? 困ります。私たち学生ですよ。ましてや出会ったばかりですし、そういうことはちゃんと段階を踏んで……」
「な、ん、の、は、な、し、だっっ」
くいつきいいなあ。これだから病み付きになっちゃうのよねー。ある意味たちが悪いと思うの、この人。
噛み合わない会話にもどかしいのかガシガシ頭を掻きながら、相模君はげんなりしたように呟いた。
「アンタさぁ、いい加減にしたほうがいいよホント。俺だからまだいいけど、男に向かって軽々しくそういうことをさぁ」
「だからですよ。相模君になら安心して言えるんです」
「なっ、どっ、どういう意味だッ」
声が大きい。駅も近いため道行く人がちらほら見てくるけど、相模君は気付かない。私もどうでもいい。だって実害は無いし。
なにやら真っ赤になって何かを連想している相模君に、満面の笑みを浴びせて宣言してやった。
「だって女に興味ありませんしね。安心安全です」
「バッ……止せ! 道のど真ん中で変なことをッ。おい、あのな、この際だから言っとくけど俺は女の方が好きなんだ!」
私は『女に興味が無い』と言っただけだしそもそも道のど真ん中で『女の方が好きなんだ!』と宣言する貴方は馬鹿じゃないんですかね。
とは思えどこの流れを止めるのは惜しい。続行。
「女の方が好きだけど男もイケる口と。なるほど、流石相模君、両刀使いとは格が違いますね。おみそれしました」
「ちっが……あーもー! 勘弁してくれよ~ッ」
ああ楽しい。愉快でたまらない。打てば響くとはまさにこのこと。いい声で鳴いてくれるわこの子。本当に将来有望だ。メシウマすぎて箸が止まりません。
「あーくっそ。もう解った。もう我慢ならん。おいオネーサン」
顔を上げてキッと睨みつけるかと思うと、威圧するように見下ろしてきた。地雷を踏んだことには気付いていないらしい。
『オネーサン』はお姉さん、嫌いなのよ、相模君。
「あんまり男を舐めるなよ。そういうことばっかり言ってるとな」
「す、すみません。からかいが過ぎました。私、つい……」
えっ。と目を丸くした隙に、反省の念を眼差しに込めてじっと見つめてみる。さっきまで凄んでいた彼はどこへ行ったのか単純なほどあっさりと息を詰まらせた。
「そうですよね。違いますよね。相模君はそういう人ではありませんよね」
「あっ、うん」
あっ、うん、だって。きょとんと惚けた眼差しに俄かに噴き出しそうになりつつ努めて表情を引き締める。
――さぁて、メインディッシュ頂きます。
「私、ちゃんと解ってます。相模君は、違うって」
「――あ、」
相模君の戸惑いに揺れる眼差しが、私の真摯な眼差しとかち合う。
二人の思いが交差して――。
「相模君は……新さん一筋なんですよね。解ってますから、私。道ならぬ二人の恋を応援してます。永久に」
ぴき。
と、時が止まった気がした。主に相模君の周辺で。
ぐ、ぐ、ぐ、と相模君の表情が泣くんじゃなかろうかというほど歪み、そして彼は思いっきり踵を返した。
「帰るッ。帰れッ。じゃあな!」
――ふっ、ざまあない。
最後の表情は勲章モノだった。何たる逸材だろう相模君は。次もまた会い見えるときがあれば弄らせてもらおう。
なーんてことを、脱兎の勢いで去っていく相模君の後姿を見送りつつ懇々と考えてしまった。
吹きつける寒風の合間を縫い、一軒のコンビニへと逃れるように滑り込む。
迷い無く子猫まんを買ったのは、些細な気まぐれ。こんなもので何かがチャラになろうなんて信じることはできない。
解っている。
解っちゃいるけれど、それでも何故だか――買わずには、いられなかった。
これにていったん相模君終了。この数日後辺りに、トリップします。




