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第6章 光でできた記憶

 冬の空気は冷たく澄んでいた。

 吐く息が白く揺れるたび、

 蒼真の胸の奥で、あの日の旋律がよみがえる。


 ――“届くって言葉、好きなの。”

 紬の声が、風の中に溶けて響く気がした。


 彼女がいなくなってから、もう一年。

 蒼真は音楽を一度やめた。

 どんな旋律を奏でても、あの声の空白が痛すぎた。


 けれど、時間が過ぎても、

 夜になると空を見上げる癖だけは、どうしてもやめられなかった。

 そこにはいつも、変わらず月が浮かんでいた。

 まるで、彼女がまだ見ているかのように。


 春が近づいたある夜。

 蒼真は古びたケースを開けた。

 中には、あの日のギター。

 そして、紬のノート。


 最後のページには、震える文字でこう書かれていた。


 > 「もし私がいなくなっても、蒼真は歌って。

 > 音は生きてる。

 > だから、私もその中にいるから。」


 蒼真は指先でその文字をなぞり、

 静かに弦を鳴らした。


 ……音が、空気を震わせる。

 どこかで聞いたような、優しいコード進行。

 それは、紬が最後に残した“未完成の旋律”だった。


「――歌おうか。」


 蒼真は呟き、夜空を見上げた。

 月が、彼の声に応えるように、光を強くした。


 それからの日々、

 蒼真は再び路上に立った。

 あの頃、紬が歌っていた広場。

 街の片隅、コンビニの明かりが反射する小さなステージ。


 人々は足を止めた。

 そのギターの音には、

 言葉にならない温もりと、哀しみが宿っていた。


 彼が歌うたび、

 紬の声が重なるように聞こえる。


 ーーー

 “光でできた あなたの記憶

 今もここに 息づいてる”

 ーーー


 涙ぐむ人々の中に、

 一人の少女がいた。

 髪を月光に照らされながら、

 そっと口ずさんでいた。


 彼女は紬が入院していた病院で、同じ病室にいた少女だった。

「その歌……紬さんが話してた曲だ。」


 蒼真は驚いて彼女を見つめる。

 少女は涙をこぼしながら、笑った。

「“この歌は、誰かの心を照らすためにある”って……言ってました。」


 その言葉に、蒼真の視界が滲んだ。

 月が、真上に昇っていた。


 数年後――。


 ステージの照明が淡く落ち、

 観客の拍手が静まる。


 蒼真はギターを抱え、マイクの前に立った。

 ホールのスクリーンには、“紬”と名付けられた星型のロゴ。

 彼女の名前を冠したチャリティーライブは、今年で三回目になる。


「この曲を、ひとりの女の子に捧げます。」


 弦が鳴り、

 会場の空気が静まった。


 ー--

 “もしも音が 時を越えたなら

 君にもう一度 届くように”

 ーーー


 その瞬間――

 会場の天井に映し出された光が、

 月の形を描いた。

 まるで、彼女がそこにいるように。


 観客の誰かが涙を拭った。

 そして、その涙が拍手へと変わっていった。


 ライブが終わり、外に出ると夜空が澄んでいた。

 蒼真は深く息を吸い込み、

 ポケットの中の小さなペンダントを握った。


 中には、二人の写真。

 路上ライブで笑い合うふたりが、そこにいた。


「紬。――届いたよ。」


 彼が呟いたその瞬間、

 風が吹き、雲が流れ、

 満月が顔を出した。


 光は柔らかく、あたたかく――

 まるで彼女が微笑んでいるようだった。


 そして、蒼真は静かにギターを弾いた。

 音が風に乗り、夜空に溶けていく。

 その音はもう、ひとりのものではなかった。


 それは、ふたりで作った“光”。

 形のないまま、世界を包み、

 どこまでも、届いていった。


 ――月の下、音は永遠になった。

この物語を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


 「月と紬」は、最初から“儚さ”と“光”をどう共存させるかという問いから始まりました。

 生きること、誰かを想うこと、そしてその想いを残すということ。

 そのどれもが、手を伸ばしても掴めない月のようで――

 けれど、確かにそこに存在している。

 そんな、目には見えない“届く”という奇跡を描きたかったのです。


 物語の中で、紬は決して悲劇の象徴ではありません。

 彼女はむしろ、生きることそのものを全力で愛した人です。

 だからこそ、最後まで病を隠し、笑って、走って、歌った。

 それは強がりではなく、

 “今”という瞬間を精一杯生きようとした証のような気がします。


 一方で蒼真は、音楽という形でしか彼女を抱きしめられない青年でした。

 けれど、彼の歌が最後には“光”になる。

 それはきっと、紬が彼に残した“生きる意味”そのものだったのだと思います。


 この作品の中で、月はずっとふたりを見守っていました。

 喧嘩した夜も、笑い合った朝も、別れの予感に震えた時も――

 月はただ、静かに照らしていた。

 人は、月のようにはなれません。

 でも、誰かの記憶の中で光ることはできる。

 私はそう信じています。


 最後に、もしこの物語を読んだあと、

 夜空を見上げる瞬間が少しでも優しくなったなら、

 それがこの作品のすべてです。

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