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第4章 夜明けの声

 初夏の風が、街を包んでいた。

 あの夜、広場で歌った動画が思いがけず拡散され、

 SNSのタイムラインに“紬と蒼真”の名前が流れ始めたのは、その数日後だった。


「ねえ、見て! “月灯デュオ”って呼ばれてる!」

 スマホを掲げる紬の瞳は、朝の光を反射してキラキラしていた。

 蒼真は半ば照れくさそうに頭を掻いた。

「月灯デュオ、ね……。名前までつけられてるのか。」

「いいじゃん。なんか、ちょっと運命っぽい。」

「運命?」

「うん、だって――最初に出会った夜も、月が出てたから。」


 そう言って笑う紬の頬が、光に透けて見えた。

 ほんの少し、儚く。

 けれど、蒼真は気づかない。

 彼女の笑顔の裏にある“痛み”の震えに。


 その日から、二人の毎日は急に忙しくなった。

 ライブのオファー、ラジオ出演、

 地元のテレビ局まで取材に来るようになった。


「すごいね、私たち。」

「いや、すごいのはお前の声だ。」

「違うよ、蒼真のギターがあるから。」


 スタジオにこもる夜、

 窓の外にはいつも月が浮かんでいた。

 まるでその光が、ふたりをそっと包み込むように。


「ねえ、蒼真。」

「ん?」

「この光って、音に似てるね。」

「音?」

「うん。形がないのに、ちゃんと届く。

 見えないのに、あたたかい。」


 その言葉に、蒼真は一瞬、何も言えなかった。

 けれど、紬が微笑んだとき、

 自分の胸の奥で、何かが確かに鳴った。


 数週間後、夜遅くの帰り道。

 紬は歩きながら、息を整えるように深く呼吸した。

 胸の奥が痛む。

 無理をして笑っていた時間の反動が、

 波のように押し寄せてくる。


「……大丈夫、大丈夫。」


 月を見上げながら呟く。

 “あの夜”から、月を見上げるたびに、

 自分の中の時間が少しずつ減っていくような気がしていた。


 でも――止まりたくはなかった。

 彼と過ごす一秒一秒が、何よりも愛しかったから。


 ある夜、ふたりは屋上に座り、ギターを膝に置いていた。

 街の灯りが星のように滲み、

 空には半月が浮かんでいた。


「新曲、どう思う?」

「まだ完成じゃないな。……でも、悪くない。」

「ふふ、辛口。」


 紬が軽く笑いながら、ギターを受け取る。

 指先が少し震えていたが、

 蒼真は気づかずにリズムを合わせた。


 静かな夜風。

 月が二人の影を並べる。


 “私の時間が終わる前に、

 この歌を完成させたい。”


 紬の中で、ひとつの想いが形を取り始めていた。

 それは、歌の完成ではなく――

 蒼真の未来を残すための願いだった。


 演奏が終わると、しばらく沈黙が続いた。

 やがて蒼真が空を見上げて言う。

「なあ、紬。月って、不思議だよな。」

「どうして?」

「こんなに遠いのに、俺たちを見てる気がする。」

「うん……。

 月はね、光でできた記憶なんだって。

 誰かが誰かを想った瞬間が、

 夜空で光になって、ずっと消えないんだよ。」


「紬、それ……歌詞にしよう。」

「え?」

「“光でできた記憶”――タイトルにしたい。」

 紬は、嬉しそうに笑った。

「いいね、それ。」


 でもその笑顔の奥に、

 ひとしずくの涙が光っていた。


 翌朝、

 紬は病院の待合室にいた。

 白い光が冷たく反射して、

 昨夜見た月とは正反対の無機質な世界。


 医師の言葉が、

 遠い水の底から響くように聞こえた。


 ――「進行が早いです。

 今後は無理をせず、入院も考えたほうが……」


 紬はゆっくりと頷いた。

 けれど、目だけは真っ直ぐに上を向いていた。

 窓の外には、昼の光が滲んでいる。

 彼女の視線の先には、

 うっすらと消えかけた月が浮かんでいた。


「……まだ、終われないよ。」


 その声は、誰にも届かない。

 ただ、月だけが静かに聞いていた。

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