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第2章 月の下の約束

 それから、いくつもの夜が過ぎた。

 街灯の下で歌う紬の姿は、いつしか蒼真の日常の一部になっていた。

 学校帰りにギターケースを抱えて現れる彼女を見つけると、

 蒼真の胸の奥がほんの少しだけ温かくなる。


 「また来たの? 飽きないね。」

 「そりゃあ、いい音聴かせてくれる人がいるんだから。」

 「……お世辞はうまいんだ。」


 紬は唇の端を上げて、弦を弾いた。

 その音が鳴った瞬間、夜の空気が変わる。

 店のシャッターが下りた通りに、かすかな風が流れ、

 まるで世界がその音に耳を傾けるようだった。


 「なあ、紬。」

 「なに?」

 「曲、作ってみない? 俺と。」

 「……え?」


 蒼真は少し照れたように頭をかいた。

 「作詞ならできるし、音も多少わかる。紬の声があれば、もっといい曲ができる気がするんだ。」

 「へえ……そういうタイプなんだ。

  “気になる子と組みたい”って、そう言えば断られないと思ってるでしょ?」

 「ち、ちがう! 純粋に音楽の話!」


 紬は思わず吹き出し、

 「冗談だよ。いいよ、やってみようか。せっかくだし。」

 と笑った。


 その笑顔を見た瞬間、蒼真の中で何かが小さく鳴った。

 胸の奥で、音が弾けたような感覚。

 “彼女と作る音”が、ただの興味ではなくなり始めていた。


 次の週末。

 二人は昼間のカフェでノートを広げていた。

 窓の外では春の光が揺れ、

 氷が溶ける音と、ページをめくる音だけが小さく響く。


 「詞って難しいね。」

 「思ったことをそのまま書けばいいんだよ。

  ほら、紬が夜に歌うとき、月を見てるでしょ?」

 「うん。」

 「そのとき、何を思ってる?」


 紬は少しだけ目を伏せた。

 「……“届いてほしい”って思う。」

 「誰に?」

 「うーん……まだ、誰かはわからないけど。」


 その言葉は、どこか胸を刺した。

 届かない誰かに向けて歌っているような――

 そんな声を、蒼真は何度も聞いていた。


 「じゃあ、それをそのまま言葉にしてみよう。

  “月に届く声”とか、“遠くの誰かに届く音”とか。」

 「……いいかも。なんか、青いね。」

 「悪くないでしょ?」


 紬は微笑んだ。

 笑うと、目尻に光が宿る。

 窓から差し込む陽の光が、彼女の髪を透かして揺れた。


 その日の夜、紬は一人、ベッドの上で息を整えていた。

 胸の奥が、少しだけ重い。

 昼間、笑っていたときには感じなかった痛みが、静かに戻ってきていた。


 枕元のスマホには、蒼真からのメッセージが光っている。

 《今日のメロディ、すごくよかった。また一緒に作ろうな。》


 紬は微笑みながら返信する。

 《うん、また月の下で。》


 画面を閉じて、天井を見上げた。

 窓の外には、白い月が浮かんでいる。

 それはまるで、遠くで誰かが見守っているような、やさしい光だった。


 ――この光がある限り、私はまだ歌える。


 そう心の中でつぶやき、

 紬はゆっくりと目を閉じた。


 数日後。

 二人の曲作りは少しずつ形になっていった。

 メロディができ、詞が生まれ、音が重なるたびに、ふたりの距離は自然と縮まっていく。


 蒼真は知らなかった。

 その笑顔の奥に、痛みを押し殺した呼吸があることを。

 紬の指先が、時々ふるえていたことを。

 ――そして、その全てを月が見ていたことを。

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