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第1章 月の下で、出会う音

 夜の街に、ふと音がこぼれた。

 人通りのまばらな商店街の隅、古びた街灯の下で、一人の少女がギターを抱えていた。


 つむぎ――

 肩までの髪を無造作に結び、白いワンピースの裾が夜風に揺れる。

 声は決して強くない。けれど、その音にはなぜか“温度”があった。

 寒い夜の空気の中で、ほんのりと灯る焚き火のような声。

 通り過ぎた人が思わず立ち止まり、振り向くほどの。


 紬は歌う。

 静かに、でも真っすぐに。

 ギターの弦を弾く指先は、どこか不安げで、それでも止まらない。

 彼女の目は、真上に浮かぶ白い月を見つめていた。


 その夜、蒼真そうまは偶然そこを通りかかった。

 バイト帰りのコンビニ袋を片手に、イヤホンで音楽を流していたが、

 その声に気づいた瞬間、自然と足が止まっていた。


「……なんだ、この声。」


 どこかで聴いたようで、聴いたことのない声。

 まるで月の光が音になったような、儚い響き。

 胸の奥が、少しだけ締めつけられた。


 曲が終わる。

 拍手がまばらに起こる中、紬は少し恥ずかしそうに笑って、

「ありがとう」と小さく頭を下げた。


 蒼真は気づけば彼女のそばまで歩いていた。


「……すごく、良かった。」

「え?」

「今の歌。なんか……うまく言えないけど、すごく、心に残った。」


 紬は照れくさそうに笑い、ギターのストラップを外した。

「ありがとう。そんなふうに言われたの、初めてかも。」

「ほんとに? もったいないな。音がまっすぐで、どこまでも届きそうだったのに。」


 その言葉に、紬は一瞬だけ目を伏せる。

「どこまでも……届いたらいいんだけどね。」


 少し曇った笑顔。

 蒼真には、その意味がわからなかった。


 ふと空を見上げると、白い月がまるく浮かんでいた。

「きれいな月だな。」

「うん。私、いつもこの時間になると月を見るの。

 見上げてると、少しだけ元気になれる気がして。」

「へえ。俺もよく見るよ、夜遅く帰るときとか。

 なんか、音楽に似てる気がする。届かないようで、届いてる感じ。」

「……そうかも。」


 紬は小さく笑った。

 その笑顔が、なぜか月の光に照らされているように見えた。


 それから蒼真は、何度も同じ場所を訪れるようになった。

 夜の路上に立つ紬の姿を探して。

 彼女の歌声は、夜風に乗って静かに街を包み込んでいた。


 けれどその裏で、誰にも見えないもうひとつの月があった。

 ――痛みを隠すための、沈黙の月。

 紬はその光の下で、自分の身体に忍び寄る小さな違和感を、

 ただ押し殺していた。


 彼女の瞳には、強い光と、消えかけの影が同時に宿っていた。

 蒼真はまだ、そのどちらの意味も知らない。

 ただ、音に引き寄せられるように、夜ごと彼女のもとへ通い続けた。


 その夜空の下、

 二人の間には、確かに“月”があった。

 まだ恋とも呼べない光――けれど、確かにそこに在る、最初の鼓動だった。

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