表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ほととぎす

作者: 桂螢

俺もこの変わった花が好きだという、あの煌めく言葉は、彼の本心から出たものだったのか。いまだに考えても考えても分からない。人の心をくみ取るために、堂々巡りに思い悩むことは、詠子にとっては、迷宮をさまようことに等しく、もうほとんど拷問である。


およそ二十年前、詠子は大学を休学して、精神科に入院した。思い切って精神科に入院しないと、今以上に狂ってしまうと予感したからだ。


ユーヤとは、同じ病棟の患者仲間として知り合った。

「俺、喋るの嫌い。人間が嫌い」

詠子が隠しとおす本音と全く同様なことを、平気でべらべらと口外する、空気が読めない男に、詠子は逆に親近感と共感を感じ受け、強く惹かれた。


秋風が清々しく吹き渡る午後、看護師長の計らいで、同じ病棟の患者何人かとそろって、気分転換に中庭を散策した。中庭には、数多のホトトギスがひっそりと咲いていた。紫のまだら模様が目を引く小ぶりな花で、見る人によってはやや不気味で、愛らしくない外見ではあるが、花言葉が最も情熱的でもある。案の定、他の患者や看護師からも「変わった花」だと不評だったが、ユーヤだけは詠子に同調してくれた。

「俺もこの花好き」

なぜ、地味で人徳がない私に気を遣ってくれたのだろう。すさんだ詠子の人生という書物の一ページを、彼は紅葉の色彩で幸せを描いてくれた。


退院してからも、ユーヤとは連絡を取り続け、共に設計会社に入社できた。二人は文字通り、苦楽を共にした仲だった。


しかしながら、透きとおった誠実な愛情は、未来永劫とはいかなかった。ユーヤが詠子と犬猿の仲の同僚女性と、結婚を前提に付き合っていることが判明したのだ。お洒落を好まず乱れ髪で、大柄かつ笑顔が乏しい詠子ではなく、女性らしくおっとりとした女を選んだというわけだ。私はやはり魅力がない人間なのだと、痛切に思い知った。


導火線が短い詠子は、衝動的に大して惚れてもいない男と、誰にも相談せずに、半ば強引にいきなり結婚した。


ユーヤは、急に不自然な言動をとるようになった詠子が気になっていた様子だった。詠子に時折ちらちらと目をやったり、遠慮がちに挨拶をしたり、話しかけようとした。知己の突然の変わり身に、わけが分からず、戸惑っているようだった。ユーヤの優しさに反して、詠子は冷たく素っ気なく、不遜な態度を貫いた。詠子は一方的に、ユーヤに裏切られたと思い込んでいた。


自分勝手な振る舞いを、平然とやらかし続けてきたのだから、自業自得に相違ない。一年経たない間に離婚となった。その間、ユーヤはユーヤで別の女との浮気が原因で破局した。


その頃、詠子に個人的な快事があった。離婚したほぼ同時期に、二級建築士の国家試験に合格したのだ。大好きで、たまらなく慕っていたユーヤとの仲がこじれて、ヤケを起こし、執念で大きな資格を勝ち取ったのだ。


実は一年ほど前から、ユーヤのほうが先に中間管理職に昇進し、詠子のほうはいつまでものん気に窓際族のままなのだが、今の仕事に適性をひしひしと感じている詠子と比べると、ユーヤは要領は良い反面、職務に情熱を失っていた。


しかも詠子は、人生初の自信がついた頃から、周囲の複数人から、「あなた、前はいつも不機嫌そうだったのに、意外と優しい笑顔を見せるんだね」と、顔つきが明朗に変貌したことを評価された。以前の自分は、やはり暗い表情ばかりをしていたのかと、改めて自覚し、内心複雑だった。


建築士の合格証明書を勤務先に提出した翌日、ユーヤにふと無性に会いたくなって、久方ぶりに会いに行き、声をかけた。


元々ユーヤは、感情的で根暗な詠子とは違って、常に穏やかでソフトな人である。にもかかわらず、明るくなった詠子を仏頂面で出迎えた。あとになって振り返ると、当時の詠子はプライドの塊だった。最低である。


二人は、互いにいら立っていた。彼女の生意気な強がりと、彼の彼らしくない無愛想のせいで、二人の間に存在していた、幸せな思い出からの産物である、疑念が生じた際に活かすストッパーが、再び一気に粉砕された。

「久しぶりに会ったのに、何その態度。もう絶交ね」

ユーヤとの深奥な歴史を全て放り投げ、礼儀を欠いた残酷な言葉を、つい吐き捨ててしまった。大馬鹿者である。無慈悲な言葉を一方的にぶつけられた彼は、詠子をただまっすぐににらみつけ、黙していた。全てが嫌になった詠子は、ユーヤに背を向け、そそくさと二人きりの部屋を出て行った。彼の怨念らしきものが背に突き刺さったようで、背中全体を何となくじくじくとした鋭い痛みが走っていた。


残されたユーヤのほうは、右手に握りしめていた缶コーヒーを、まだ半分ほど飲みかけなのに、部屋の片隅に鎮座したゴミ箱に、殴るように投げ捨てた。ゴミ箱にかけてある、白いビニール袋に、墨汁みたいな跡が派手についた。


再び分かり合える日は来るのだろうか。悲惨な別れなのに、かすかにそう思った。眼に見えないものを追いかけ、道にはぐれ、取り残された。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ