その9の2
「…………」
「何だよ?」
「ボックス席のチケットが手に入ったのです。
ボックスには四人まで入れますから、
どうせ運転を頼むことになるわけですし、
せっかくなのであなたもどうかと思ったのですが」
「それじゃあ行くか」
「良いのですか?」
興味がないと言ったのに。
と、アムは意外そうな様子を見せた。
「オペラって観たことないし、
一回くらいは経験しとくのも良いかなって」
「そうですか。
昼の部の開演は2時からとなりますので、
その30分前には家まで来てください」
「あいよ」
……。
翌日。
午前中はすることがなく、レグはグダグダダラダラと過ごした。
昼食を済ませ、それからさらに少し待ち、家から出た。
レグは予定通りに、アムの家へとたどり着いた。
「レグ……その格好でオペラを観るつもりなのですか?」
いつもと変わらぬレグの格好を見て、アムは呆れ顔になった。
「ダメか?」
「ダメに決まっています」
「劇場って、ドレスコードとかあるのか?」
「無いですけど。
その場に合った常識的な格好というものがあるでしょうに」
「それじゃあ運転だけするから、
ナーガエールさんと楽しんで来てくれ」
「……来るなとは言ってません。
ボックス席ですから、
そんなに人目につくこともないと思いますし」
「つまりダメじゃないってことか」
「ダメですけど、大目に見てあげると言っているのです」
「感謝してやろうか?」
「ドゲザしてください。オペラの神に」
……。
アムたちといっしょに、猫も連れて、レグは劇場に入った。
入り口で受付の男が、レグに嫌そうな視線を向けた。
(悪かったな)
レグは表情を変えず、劇場内を歩いていった。
ボックス席に入ったレグは、猫の相手をしながら開演を待った。
劇の幕が開くと、国内有数のオペラ歌手が、その美声を披露しはじめた。
(凄いな。オペラとか詳しくない俺でも、
とんでもなく歌が上手いってことはわかる。
話がわかんなくても楽しめそうだ)
テレビで流れるようなポップな音楽とは、声の圧力が違った。
退屈させられる間もなく、劇が進行していく。
あっという間に訪れたクライマックスの場面に、アムが涙をこぼした。
アムはポケットに指先を入れ、ハンカチを取り出した。
だがガントレットの操作がうまく行かず、ハンカチを落としてしまった。
それを見て、レグがハンカチを拾った。
そしてハンカチを裏返して、アムの涙を拭いてやった。
「……どうも」
用が済むと、アムはハンカチを受け取り、ポケットにしまった。
やがて劇が終わった。
一行は劇場から出て、通りを歩いていった。
「すばらしかったですね」
大満足といった様子で、アムがそう言った。
「ん~? まあ、歌は凄かったな」
「お話も良かったと思うのですが……楽しめませんでしたか?」
「そんなには」
「恋物語に感心がないのですかね。
レグのような無神経な男の人は」
オペラの題材は、若者たちの恋愛だった。
題材自体がレグに向いていなかったのかと、アムは考えたようだ。
「そういうわけでもないが……。
主人公よりライバルのほうが良い男だったろう?
主人公が選ばれたことに釈然としなくてな」
劇の主人公は、ちょっと冴えない男だった。
主人公にはライバルが居た。
強くてモテる、良い男だ。
紆余曲折あり、最終的にヒロインは、冴えない主人公のほうを選ぶ。
今日レグたちが観劇したのは、そんなハッピーエンドの物語だった。
「何を見ていたのですか?
主人公とヒロインは、
深い部分でずっと通じ合っていました。
ヒロインが主人公を選んだのは当然のことです」
「けど、主人公は負け猫だ。
ライバルのほうが強かった。
勝負では主人公が負けた。
大切な勝負で負けたら、大切な何かを失うもんだ。違うか?」
「状況によるとしか言えないと思いますけど」
「……そうか。そうだな。
あの主人公は、運が良かったってわけだ」
「それだけではありません。
勝負の時までに、二人が絆をつちかっていたからこそ、
苦境を乗り越えることができたのだと思います」
「絆……ねぇ」
レグはわざとらしく、しらけたような表情を見せた。
「何ですか」