1話.最後のメッセージ
スマートフォンの画面に表示された、彼の名前。もう二度と鳴るはずのない着信音を、彼女は何度も夢で聞いた。彼のアイコンをタップすると、一番下にあるメッセージが目に飛び込んでくる。「ごめん、行けなくなった。」それが、彼からの最後の言葉だった。
あの日、二人は初めての旅行に行く予定だった。朝早く、駅の改札で待ち合わせ。彼女は少しだけ早く着いて、彼が来るのを今か今かと待っていた。改札を抜けてくる人々の顔を一人一人確認し、その中に彼の姿を探す。しかし、時間になっても彼は現れなかった。
焦りと不安が彼女の胸を締め付ける。何度電話をかけても、コール音だけが虚しく響く。やがて、メッセージが届いた。「ごめん、行けなくなった。」たったそれだけの言葉。理由も、説明も、何もない。ただ、彼の言葉の裏に、これまで感じたことのない深い悲しみが隠されているような気がした。
それから数日間、連絡は途絶えた。彼の家を訪ねても、返事はなかった。共通の友人にも尋ねたが、誰も彼の行方を知らなかった。まるで、この世界から突然消え去ってしまったかのように。
彼女は、彼と初めて会った時のことを思い出していた。大学のサークル活動で、彼はいつも周りを明るくするムードメーカーだった。彼女は彼の屈託のない笑顔に惹かれ、彼もまた、彼女の静かな優しさに惹かれていった。二人の時間は、いつも穏やかで、温かかった。
旅行のために買った、お揃いのキーホルダーが、バッグの中で小さく揺れる。彼に渡すはずだったそれを、彼女はそっと取り出した。彼の好きなキャラクターのキーホルダー。これを渡せば、彼はどんな顔をして喜んでくれただろう。
ある日、彼の母親から連絡があった。震える声で告げられたのは、彼の病気のことだった。もう、長くはないと医者に言われていたこと。彼女に心配をかけたくなくて、黙って姿を消したこと。
彼女の目から、大粒の涙が溢れ落ちた。知らなかった。何も。彼が一人で、そんな重い病と闘っていたなんて。彼の優しさが、彼女を傷つけていたことを、今、知った。
スマートフォンの画面は、彼の最後のメッセージを表示したまま、静かに光っている。もう、彼からの新しいメッセージが届くことはないだろう。だが、彼女の心の中に、彼との思い出は永遠に生き続ける。それは、甘く、切なく、そして、少しだけ温かい。
彼女は、彼に渡すはずだったキーホルダーを、ぎゅっと胸に抱きしめた。そして、小さく呟いた。「ありがとう。そして、さようなら。」