6話:ジュリアス・エメリー⑤
黒四季死生、ジュリアス・エメリー、リリウム・オルレアは、アイアン・ウルフ・アルファを倒し、毒霧のタイムリミットをぎりぎりで乗り越え、ダンジョンの出口へと辿り着いた。
外の冷たい空気が三人の肺を満たし、月光がパワードスーツの傷だらけの装甲を照らす。死生はスーツのシステムをシャットダウンし、ジュリアスは軽鎧の埃を払う。だが、リリウムは修道服の裾を握りしめ、悄然と立ち尽くす。
彼女は震える声で口を開く。
「死生さん、ジュリアスさん……私、取り乱して、本当にごめんなさい……」
涙が頬を伝い、修道服に滴る。
「怖くて、弱音を吐いて、皆さんを危険に晒した……神に仕える者として、恥ずかしいです……」
リリウムは深く頭を下げ、肩を震わせる。
死生はヘルメットを外し、穏やかに言う。
「いいって。お前が祈ってくれたから、俺たちはここにいる。十分だ」
彼の声には非難がなく、ただ事実を伝えるような響きがある。ジュリアスも小さく頷き、「まあ、誰だって怖い時は怖いわ。次はもっと冷静にね」と、いつものクールな口調でフォローする。
リリウムは涙を拭い、感謝の笑みを浮かべるが、その目はまだ不安に揺れていた。
翌日、事態は急変した。リリウム・オルレアはダンジョン攻略報道部から解雇された。それだけではない。彼女は奴隷市場に送られ、鎖に繋がれていた。
理由は、報道部の放送が引き起こした大炎上だった。死生は攻略者として、ある種のアイドル的な人気を誇っており、彼を死なせかけたリリウムの取り乱しが視聴者の怒りを買ったのだ。
放送された彼女の錯乱シーン――「戦うのをやめたい」と泣き叫ぶ姿――が繰り返し流され、視聴者から「死生を裏切った」「ヒーラー失格」との批判が殺到。報道部は責任を彼女に押し付け、即座に切り捨てた。
奴隷市場の薄暗い檻の中で、リリウムは修道服を剥がされ、粗末な布切れをまとっていた。神への祈りも届かず、彼女はただうつむく。だが、そこにジュリアス・エメリーが現れる。蒼い軽鎧をまとい、市場の喧騒を切り裂くように歩み寄る彼女は、リリウムの檻を買い取った。
「あなた、こんなところで腐るつもり?」
ジュリアスの声は厳しいが、瞳には微かな温かみがある。リリウムは驚き、涙をこぼす。
「ジュリアスさん……なぜ……?」
「見ず知らずの人間を放っておけない性分なのよ。ほら、行くわよ」
ジュリアスはリリウムを買い取ると鎖を外し、彼女を連れ出す。
ジュリアスの家で、リリウムは新たな居場所を与えられる。家事や簡単な支援をこなしながら、彼女は少しずつ立ち直る準備を始める。
「死生には言わないでね。あの人、こういうの気にするから。お金は自分が払うって言うだろうし」
ジュリアスは苦笑し、リリウムに新しい服を手渡す。リリウムは嗚咽を堪えながら呟く。
「神に誓って恩を返します……!」
一方、死生は新たなダンジョン攻略の準備を進め、炎上の騒ぎには気づかず、ただ次の戦いを待っていた。ジュリアスはリリウムの再起を静かに見守り、彼女の心に新たな希望を植えつけていくのだった。
◆
ダンジョン攻略報道部の影響力は、この世界において絶大だ。ダンジョン攻略は単なる冒険ではなく、モンスターの溢出を防ぎ、貴重な資源を確保する社会の生命線であり、その様子を伝える報道部は視聴者の熱狂と注目を集める巨大なメディアとして機能している。
報道部は、死生のような貴重な攻略者を「アイドル」として祭り上げる。パワードスーツを操り、命懸けでダンジョンに挑む死生の戦いは、視聴者にとってスリリングなエンターテインメントだ。
特に男性攻略者が少ない世界では、彼の存在は希少で、勇敢な姿が若者から年配層まで幅広い支持を集める。放送では、死生の戦闘シーンが劇的な音楽やスローモーションで演出され、視聴者は彼の勝利に熱狂し、失敗や危機には一喜一憂する。
このアイドル文化が、報道部の影響力を支える基盤だ。リリウムが死生を「貴重な男性」と呼んだのも、この文脈ゆえだ。
報道部の放送はリアルタイムで世界中に配信され、視聴者の反応が即座にフィードバックされる。リリウムの錯乱シーンが流れた際、視聴者からの批判が魔力通信網を通じて殺到し、「死生を死なせかけた」「ヒーラー失格」といったコメントが雪崩を打った。
この炎上は、報道部が視聴者の感情を増幅するプラットフォームとしての力を示している。視聴者は単なる観客ではなく、攻略者の運命に間接的に影響を与える存在だ。
リリウムの解雇と奴隷市場送りは、報道部が視聴者の怒りを恐れ、責任を個人に押し付けた結果だった。報道部は批判をかわすため、彼女をスケープゴートにしたのだ
報道部は単なるメディアに留まらず、経済と政治にも大きな影響を及ぼす。ダンジョンから回収されるレアメタルや素材は、都市のエネルギーや兵器開発に直結し、攻略の成功は経済の安定を意味する。
報道部は成功を美化し、失敗をドラマチックに描くことで、攻略者の活動を後押しする一方、視聴者の期待を煽り、投資や寄付を呼び込む。
死生のような人気攻略者は、スポンサーからの資金や装備提供を受け、報道部はその仲介役として利益を得る。また、報道部の放送は都市の指導者層にも影響し、どのダンジョンに優先的に攻略者を送るか、どの素材を重視するかの政策決定にも関与する。
リリウムの失態が炎上した背景には、彼女の行動が経済的期待を裏切ったと見なされた側面もある。
報道部の影響力の裏には、倫理的な問題が潜む。
リリウムのケースでは、彼女の恐怖や錯乱を無編集で放送し、視聴率を稼ぐために利用した。
攻略者の命がかかる過酷な現場を、視聴者の娯楽として消費する姿勢は、報道部の無責任さを露呈する。彼女を即座に切り捨て、奴隷市場に送った判断も、報道部が自身のイメージを守るための冷酷な計算だった。
ジュリアスがリリウムを買い取った背景には、こうした報道部の非人間的な対応への反発もあっただろう。死生が炎上に気づかなかったのは、彼が戦いに集中し、報道部の裏側に無関心だったためだが、報道部は彼のような英雄を神聖化しつつ、裏では都合の悪い者を切り捨てる二面性を持つ
◆
ジュリアス・エメリーの家で、暖かな暖炉の火がパチパチと音を立てる中、彼女は死生と向かい合って座っていた。
リリウムを奴隷市場から買い取った翌日のことだ。ジュリアスは蒼い軽鎧を脱ぎ、普段着の簡素なチュニック姿で、ティーカップを手に少し疲れたように息を吐く。
「ってことがあったの。リリウム、報道部に切り捨てられて、奴隷扱いよ。見ず知らずじゃないから放っておけなくて、つい買い取っちゃったけど……どうしようかしら?」
ジュリアスの声には珍しく迷いが滲む。彼女はリリウムの境遇に同情しつつ、責任の重さに戸惑っている。
死生はパワードスーツのメンテナンスを中断し、作業台から顔を上げる。ヘルメットなしの彼の目は落ち着いている。
「面倒見てあげればいい。悪い奴じゃねえだろ。ヒーラーとしての腕も本物だし」
彼は工具を置き、軽く肩をすくめる。
ジュリアスはカップをテーブルに置き、眉を寄せる。
「それはそうだけど……この先どうするのよ。私の家でずっと養うわけにもいかないし。ダンジョンに連れてく?」
「ヒーラーだし、ちょうどいいな。俺たちのパーティー、回復役が安定すればもっと深く潜れる。彼女の祈り、毒霧の中でも効いてた」
「あなた、ほんと単純よね。まあ、リリウムが立ち直ってくれるなら、それも悪くないか……フォローお願いね。私だけで背負える気はしないから」
「分かった」
死生は手を振って応じ、作業に戻る。
「とりあえず、彼女に話してみるべきだろうな。もともとあの程度で取り乱すくらい戦いに適性ないなら、報道部で活動してても近いうちに死んでる。むしろ俺たちが守ってあげられるだけラッキーかもしれない」
「そうね……リリウム次第だけど、やってみるわ。あなたもそのスーツ、早く直してね。次のダンジョン、待ってるから」
暖炉の火が揺れる中、二人の会話は新たな仲間との未来を静かに紡いでいた。リリウムの再起はまだ始まったばかりだが、死生とジュリアスの信頼が、彼女に新たな一歩を踏み出させるきっかけとなるだろう。