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16話:大規模ダンジョン・アーク④


 迷宮都市アークネストの喧騒が夕暮れの光に染まる中、黒四季死生は一人で市場通りを歩いていた。ジュリアス・エメリーとリリウム・オルレアは宿屋「鉄鉱の灯」で深淵教団の情報収集や装備の調整に追われ、死生は新たな弾薬やスーツの補修パーツを探しに街へ出ていた。

 パワードスーツは格納し、軽装の革鎧姿の彼は、通りを抜ける人波に紛れながら、ダンジョン・アークの次の戦いを頭に巡らせていた。


 突然、鋭い馬の嘶きと子供の叫び声が響く。死生の視線が瞬時に音の方向へ。市場の交差点で、荷物を満載した馬車が暴走し、幼い少年が地面に倒れている。馬車の御者は慌てて馬を止め、群衆が騒然となる中、一人の青年が少年に駆け寄り、必死に治療を始めていた。


 青年は黒い髪を後ろで束ねた美少年で、歳は死生と同等かやや若い。白いシャツと黒いベストに身を包み、医者のような冷静さと焦りが混じる目で少年の傷を診る。彼は少年の血まみれの腕を布で押さえ、脈を確認しながら呟く。


「骨折と出血……意識はあるけど、すぐに縫合しないと……!」


 死生は人波をかき分け、青年のそばに立つ。


「大丈夫か? 何か必要なものは?」


 彼の声は落ち着いているが、状況の緊迫感を捉えている。青年は死生を一瞥し、焦りながら答える。


 「いっぱいあります! 縫合キット、止血剤、魔力安定剤……でも、僕の治療院でないと揃わない! ここじゃ間に合わないんだ!」


 死生は少年の青ざめた顔を見て、即座に決断。


「なら連れて行こう。お前の治療院、どこだ?」


 彼は少年を慎重に抱き上げ、青年に指示を求める。青年は一瞬驚くが、すぐに立ち上がり、先導する。


「市場の東、路地裏の『月影診療所』です!  急いで!」


 死生は少年を抱え、青年の後を全速力で走る。アークネストの石畳を蹴り、市場の人波を縫う。少年の呼吸が浅く、血が死生の革鎧を濡らす。


「持ちこたえろ、助けてやる」


 死生は低く励まし、足を緩めない。青年は息を切らせながら、声を上げる。


「あなた、黒四季死生ですよね? 攻略者の……! 助かります!」

「名前はどうでもいい! 治療院はまだか?」


 死生の声に、青年は路地裏を指す。


「そこです!」


 狭い路地に佇む小さな建物――『月影診療所』は、魔力ランプの淡い光に照らされ、簡素だが清潔な外観だ。青年がドアを押し開け、叫ぶ。


「中へ! 治療台に寝かせてください!」


 死生は少年を木製の治療台に横たえ、青年が即座に動き出す。診療所は薬瓶や魔力器具が整然と並び、壁には治療用の魔術陣が刻まれている。青年は縫合キットと止血剤を手に、少年の腕を素早く処置。


 「骨折は魔力安定剤で固定……出血は抑えられる……!」


 彼の手は震えながらも正確だ。

 死生は一歩下がり、青年の動きを見守る。「お前、医者だろ? 名前は?」


 青年は少年の傷を縫いながら答える。


「セレン・ルカーノ、医術師です。……あなたのおかげで、間に合いました」


 彼の黒い髪が汗で額に張り付き、だが目は少年の命を救うことに全集中している。

 数分後、少年の傷は縫合され、魔力安定剤で骨折が固定される。セレンは少年の脈を確認し、深い息を吐く。


「安定しました……この子、助かります。ありがとう、死生さん」


 彼は死生に振り返り、感謝の笑みを浮かべる。その美貌は、戦場を渡り歩いてきた死生とは対照的な柔らかさを持つ。


 死生は腕の血を拭い、「礼はいらねえ。子供が助かったなら、それでいい」


 だが、セレンの診療所を見回し、言う。


「お前、こんな場所で一人でやってんのか? ダンジョン攻略者も診たりすんのか?」

「ええ、アークネストには攻略者が多いから、怪我人もよく来ます。魔力医療と伝統医術を組み合わせて、なんとかやってますよ」


 彼は少し照れ笑いし、


「あなたみたいな有名人には、場末の診療所は似合わないかもしれないけど」と付け加える。


「場末だろうが、命を救うなら関係ねえ。セレン、いい腕だな。また何かあったら頼むぜ」


 彼は革鎧を整え、診療所を出る準備をする。セレンは少年を看ながら、言う。


「死生さん、ダンジョンで気をつけて。また来てください」


 死生は市場を通り抜け、鉄鉱の灯へ戻る。ジュリアスとリリウムは宿屋で待機し、死生の遅さにやや苛立っている。


 ジュリアスが腕を組み、「どこ行ってたのよ? 補給だけでこんな時間?」と問いかける。

 リリウムは心配そうに、尋ねる。


「死生さん、怪我とかしてませんよね? 」


死生は革鎧の血痕を指して、言う。


「馬車に轢かれた子供を助けた。医者の美少年に手伝っただけだ」


 ジュリアスは眉を上げ、「医者? 女の人じゃなくてよかったわ」と皮肉るが、口元に安堵の笑みが浮かぶ。リリウムは目を輝かせる。


「子供さん助かったんですね。 よかったです!」


 死生はカウンターに腰かけ、飲み物を注文。


「セレンって医者、腕は確かだ。ダンジョンで怪我したら、使えるぜ」



 夕食後、死生は馬車事故で出会った美少年の医術師、セレン・ルカーノの話をマスターに振ってみた。セレンの腕が確かだと語る死生に、マスターはカウンターのグラスを磨きながら、顔をしかめる。


「セレン・ルカーノ?  あいつは駄目だ!」


 マスターの声は低く、軽い苛立ちが混じる。

 死生はグラスを置き、眉を上げる。


「駄目? なんでだ? ガキの命を救ったぞ。あいつの治療、素早く正確だった」


 マスターはため息をつき、声を潜める。


「あいつの親が借金したまま死んだんだ。治療院を維持するために、莫大な金がいる。なのに、セレンは組織に入らず、家族の治療院を一人で守ろうとしてやがる。その癖、患者から適正以上の金を取らねえ。貧乏な攻略者や市民のために、タダ同然で治療してんだ。近いうちに借金取りに潰されて、死ぬぜ」


 死生はグラスを握る手に力を込め、静かに言う。


「そうか……それは困るな」


 ジュリアスは隣で耳を傾け、冷ややかに言う。


「医者が借金で潰れる? バカみたいね。アークネストじゃ攻略者が金になるのに、なんでそんな意地張るの?」

「お金がないと駄目なんですね……セレンさん、かわいそうです……」


 死生は黙って飲み物をを飲み干し、立ち上がる。


「明日の朝、セレンのところに行ってみる」


 彼の声には、いつもの軽さとは異なる決意が滲む。

 翌朝、死生は市場の喧騒を抜け、路地裏の『月影診療所』へ向かった。魔力ランプが淡く灯る診療所は、昨日と変わらず清潔だが、どこか寂しげだ。


 ドアをノックすると、セレン・ルカーノが現れる。黒い髪を束ね、白いシャツにベスト姿の彼は、疲れた目で死生を迎える。


「死生さん? どうしたんです? 怪我ですか?」


 死生は革鎧の埃を払い、単刀直入に切り出す。


「お前、近いうちに死ぬらしいぞ」


セレンは一瞬目を丸くし、だがすぐに苦笑する。


「金を払えず、だろ?  知ってるさ。マスターから聞いたんでしょう?」


 彼は治療台の器具を整理しながら続ける。


「両親が残した借金、治療院の維持費……払えない額だ。でも、この家を売るつもりはないし、来院者に法外な金を請求するつもりもない」

「それは立派だが、死んだら元も子もないだろう? 借金取りに潰されて、治療院も患者もパーだ」

「それならそれで良いさ。医療に殉じて死ぬなら本望だ。両親が命を懸けて守ったこの場所で、僕も同じ信念でやるだけです」


 彼の声は穏やかだが、揺るぎない決意が宿る。

 死生は目を細め、低く言う。


「無駄死だぞ。命を救う医者が、金で死ぬなんて馬鹿げてる」


 セレンは治療台に視線を落とし、微かに笑う。


「それでも、だよ。死生さん、あなたはダンジョンで命を懸けて戦ってる。僕も、自分の戦場で戦うだけです。患者を金で選ぶ医者にはなりたくない」


 死生はしばし黙り、セレンの言葉を噛み締める。彼の信念は、死生の戦士としての生き方とどこか共鳴するが、同時に苛立ちも覚える。


「お前の信念、嫌いじゃねえ。けど、死なれちゃ困る。いい医者はそうそういねえからな」


 セレンは驚いたように死生を見、笑う。


「ありがとう、死生さん。でも、僕のことは気にしないで。あなたにはダンジョンが待ってるんでしょ? アークの深部、気をつけて」


 死生は軽く頷き、診療所を出る。


「また来るぜ、セレン。死ぬ前に、借金の話、なんとかしろよ」


 彼はドアを閉め、アークネストの路地を後にする。

 鉄鉱の灯に戻った死生は、ジュリアスとリリウムにセレンの話を伝える。ジュリアスは腕を組み、冷たく言う。


「信念はいいけど、現実的じゃないわね。借金取りに潰される医者なんて、役に立たないわ」

死生さん、助けてあげられないんですか?」

「助ける、か。セレンの意地、簡単には曲がらねえよ。けど、医者がいねえと、ダンジョンで怪我した時困る。なんとか考えてみる」



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