第二話 どこでも恋愛はこじれる可能性がある3
「ちっかあああああん!!!」
という叫び声と共に、俺の頬にナカナカの右ストレートが決まったのは、珍しく、ミヤと一緒に買い出しに行ったときのことだった。
アンタもたまには行ってらっしゃいな、というアスカさんの声に見送られ、重たい物が山ほどの買い物を済ませて、店へ帰っている最中のこと。
え?痴漢?誰が?
殴られた頬が痛い。荷物の重さと殴られた勢いで、足がもつれてヨロける。
「カツミさん?」
訝しげな顔で、前を歩いていたミヤが振り返る。
いや、最近俺、確かにモヤモヤしてたけど、そういうモヤモヤじゃないし!しかも、調味料と野菜で、両手がふさがってるっつーの!
突然の出来事に呆気にとられていると、痴漢と叫んだ女の人に胸ぐらを掴まれる。
「ちょっと!」
自分よりも低い位置からの声に目線を下げると、サラリとしたツヤのある黒髪と、気の強そうな青い瞳と目が合った。
えっと………見たことある!!確か……確か、ケバブ屋の看板娘!!
気付くと同時に、俺の顔に影が落ちる。
「覚悟は、……出来てるね?」
そちらに目を向けると、ケバブ屋のオヤジ。手にしているのは………いや待って待って待って!牛刀ですよね?!
なに言ってんの?!
とりあえずの難を逃れる為に、両手を胸の前に持ってきて胸ぐらの拳を払い、その勢いで荷物を抱え込みつつ尻餅をつきながら叫ぶ。
「誤解です!両手ふさがってます!!」
いってええええええ!!
ノークッションで尻餅をついたケツが痛すぎて、涙が出る。調味料も野菜も、すげえ重い!でも、落とすわけにいかないし。
涙目で尻餅をついて荷物を抱える俺と、看板娘と牛刀持ちのオヤジの間に、ミヤが立ちはだかった。
「誤解っす!!カツミさんに、そんな度胸ないっす!!」
ミヤああああああ!!ありがとうううううう!!かばってんだか、けなしてんだか分んないセリフだけど!!
でもでも、牛刀持ちのちょーデッカイオヤジの前に立ちはだかってくれるなんて!!
つーか、この世界に痴漢って概念あるのか。ビックリだよ。
「すっとぼけてんじゃないわよ!!アンタもグルなの!?」
看板娘が、ミヤにくってかかる。更に、オヤジがジリジリと迫ってくる。
更に更に、大騒ぎをしている俺たちの周りに人が集まってきた。
ザワザワとした喧騒の中から、痴漢、警備隊、等の言葉が漏れ聞こえてくる。最初の四、五人が集まると、後はあっという間に人が集まってきて、俺たちを円の中心にして人だかりができた。
マジかよ!!濡れ衣だよ!
「両手ふさがってんのに、触れるわけないだろ!!」
ケツは痛いわ、荷物が重くて起き上がれないわで、もがきつつも、俺も必死に叫ぶ。
この群衆の前で誤解されたままになって、たまるか。
「俺の手は、二本しかないっ!!荷物でいっぱいだろ!」
「口ではなんとでも言えるのよ!」
「よく見ろよ!」
「そうっす!」
「役所に行く?ここでボッコボコになる?」
なんでその二択なんだよ、オヤジ!牛刀光らせるな!!
話を聞かないケバブ親子と、濡れ衣を主張する俺とミヤ。群衆の輪が俺達の方に狭まってきて、ザワつきが騒ぎになり始めたときだった。
人混みをかき分けて駆け込んできたのは、ショートカットの小柄な女の人だった。
「ティル、待って。ほんとにこの人、荷物で手がふさがってるわ」
「エン」
小さいけれど、澄んだ鈴の音のような声で言いつつ、看板娘にすがりつく。
「えっ」
それを聞いて、オヤジの動きもピタリと止まる。
「父さん、ティル、何の騒ぎだい?」
そして、誰かに呼ばれてきた様子で現れたのは、看板娘とそっくりの男性だ。さわやかイケメンって感じで、穏やかそうな。エプロンをしている。兄か、弟か?
「痴漢よ!お兄ちゃん!!」
違うっつの!!
「違うって言ってるだろ!!俺じゃない!」
叫ぶ俺に向き直りつつ、ティルと呼ばれた看板娘が叫ぶ。
「あんた以外に、誰がいたのよ!!」
知らねぇよ!
あまりの理不尽さに目眩がし始めたときだった。
あ………ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。
‘お前、ほんっと使えねぇな!!’
‘邪魔なんだよ!!今まで何してきたんだ!!’
俺は、そこまで言われなきゃいけないほど、なにをしたんだよ。
‘このグズ!!ったく、ミスるわグズだわ、ほんと使えねぇな!!’
なんでだよ。どうしてそこまで言われなきゃいけないんだ。俺が一体、何したっていうんだよ。
「カツミさん!カツミさん!」
ミヤの声で我に返る。開けてくる視界と共に、散々な光景が目に飛び込んでくる。
俺とミヤが買い出して抱えていたはずの、散乱した調味料や野菜。
俺たちを中心に、円状になって倒れているケバブ親子と、エンと呼ばれた女の人と野次馬。
更にその向こうには、何が起きたか分からず、ザワザワとしている野次馬がいる。
町中で……発動、した。あんなに気をつけて、前の世界のことは考えないようにしてたのに。
暗い気分に落ち込む俺の耳に、低い獣のような声が響いた。その声は次第に大きくなり、慟哭と言っていいほどの叫びに変わった。
恐る恐る、声の方向に目を向けると、ケバブ屋の息子だった。
「こ………っこの世からケバブがなくなるなんてええええええええええ!!!」
大号泣している姿をなす術もなく見ていると、倒れていたケバブ親子と野次馬が、周囲を確認しつつ、体を起こし始める。
「だ……大丈夫よ、お兄ちゃん。ケバブ、あるわよ」
「なんだって?!」
ティルが兄に向って言うと、泣き崩れていた兄は怒涛の勢いで身を起こし、店の方へ走って行った。
ヒーリング、効いてるのか、ケバブへの愛か?
「派手にやったわねぇ」
その声に振り向くと、アスカさんがちょっと困ったように首を傾げていた。
「バリスとヒーラー、呼んだから。倒れちゃった人、その場で座って待機しててね。ごめんなさいね」
ほんとに、ごめんなさい。
ガックリしている俺を抱えたままのミヤを見ると、なんだか遠くの一点を見つめていた。
?なんだ?
ザワザワとした野次馬がいる中、俺たちは駆け付けたバリスとヒーラーによって、治療院に運ばれた。というより、歩いて行った。
歩き始める前、エンが手拭いを貸してくれた。殴られたはずみで、口の端が切れていたらしい。お礼を言って、手拭いで口元を押さえながら歩く。
歩いている最中、人々の切れ切れの会話が聞こえてくる。
「おい……、何が見えた?」
「俺か?俺は、通り魔に家族がヤられる光景が見えた」
「俺は、とんでもなく高い所にいた」
「私、海で魚に襲われてたわ。見たことないくらい大きくて……」
俺たち、ケバブ親子、エン、野次馬を入れて、二十人程度になるだろうか。みんな、ヒーリングが効いているとはいえ、驚きを隠せないまま歩いていて、ただその中で、異彩を放っている人物が一人いた。
ケバブ屋の息子だ。ジンというらしい。
一人スキップをしている彼は、歩き出す前、ケバブ屋から戻ってきて自己紹介をしたかと思うと、俺の手を握りしめて叫んだ。
「ありがとう!!君のおかげで、ケバブがあることに、より幸せを感じるよ!」
「え?」
戸惑っている俺に、不思議そうな顔をする。
「さっきのは、君の異能なんだろう?」
頷くと、ジンも頷きつつ、もう一度言った。
「ありがとう!!」
スキップをしつつ進んでいる息子を見つつ、隣を歩いていたケバブ屋のオヤジが口を開く。
「息子はケバブが好きでね。毎日毎日、ケバブのことばかり考えていて。ケバブのことになると、人が変わるんだよ」
なるほど。残念系イケメン。
「申し訳なかったね」
「え」
「確かに、君は重たい荷物で両手がふさがっていた。俺も、つい、早とちりしちまって。すまなかったね」
「あ、いえ。俺こそ、異能が発動して。すみませんでした」
オヤジは無言で頷くと、ジンの方に歩いて行き、首根っこを掴んでスキップをやめさせていた。が、ジンのニヤニヤは、止まらないようだった。
当の騒ぎの張本人であるティルは、エンの隣を、うつむいて歩いていた。