第一話 始まり3
「すごいっすね!!」
ミヤが勢いよくこちらを振り返りつつ言う。
「うん。すげえ」
城壁に囲まれたその町の、大きな門を抜けると、ゲームの世界のような町が現れた。石畳の道、石造りの建物、通り過ぎていく馬車、色とりどりのひらめく布。ゲームの世界に迷い込んだみたいだ。
ただ。
「珍しいの、俺たちだけじゃないっすね」
そう。そうなのだ。間違いなく俺達は異質なのだが、そうじゃなく。そうじゃなくて。
「な。大丈夫だろう。さぁ、こっちだ」
興奮で足元が危なっかしいが、遅れないように二人の背中を慌てて追う。
だってさ。だって、そうだろう?!
子どもの頃にプレイしたゲームの世界。
人もいるけど、妖精がフワフワしてて、ドワーフっぽいのやエルフっぽいのやら、いろいろな種族。衣装だって、現代日本とは違う。西洋風のファンタジーの世界が目の前に広がってるんだぞ?!
ビックリするだろう?目が離せないだろう?
夢心地になりつつ、見失わないように歩く。これ以上、迷惑はかけられない。迷子になんてなったら、目も当てられない。
大通りから細い路地に入り、いくつか角を曲がったところでツタは足を止めた。そこは路地裏の、バーと居酒屋の中間みたいな店だった。
カランコロン。
扉を開けて店に入る。中に入ってみると、外観よりもずっと広く、バーよりは居酒屋のような規模だった。店内には一人しかいないけど、一人でやっているのだろうか。その割には、広い気がする。
ポカンとしているうちに、ツタはカウンターの中にいる店主に俺たち二人のことを話すと、あっという間に去って行ってしまった。
「あっ!あっ!」
お礼を言う間もなかった。あんなに親切にしてもらったのに。おぶってまでもらって。
ま、後で探してお礼を言えばいいか。
「ちょっと、ヌボーッと突っ立ってないで、カウンターにでも座ってよ」
野太い声が俺たちを呼んだ。
「うっす!あにねえさん!!」
座りつつのミヤの言葉に、俺がビビる。ぶっこむなー、出会い頭に。
はっきりとした眉と目、短髪で背が高くガチムチのタンクトップを着た男は、俺とミヤをギロッと睨んで言った。
「アスカよ、アスカ。次にあにねえさんって言ったら、ブッとばすわよ」
「うっす!アスカさん!ミヤっす!!」
「はい。カツミです」
カウンターに腰かけると、数字と模様が入った、中指よりほんの少し大きいサイズのプレートを渡される。
「はい、これ。あんたたちの登録証。身分証みたいなもんだから、いつでも身に着けておきなさい」
何かの金属で出来ているのか、シルバーに光るそれは、少し分厚くて、ヒンヤリとしていた。
「身分証ってことは、ここはあの世じゃないんですか?」
「知らないわよ。でも、元の世界に戻ることは不可能みたいよ」
そうなんだ。
「アタシも、アンタたちと同じトコから来たわよ」
「マジっすか?!」
「そうよ。今はここで、こっちに来ちゃった人への説明とか、この世界での登録とかの窓口してんの。飲み屋しつつ」
「生きてるってことですか?俺たち」
そう聞くと、アスカさんは手を止めてこっちを見た。
「いい?よく聞きなさい。まず、元の世界に戻れないってことは、元の世界のアンタたちは、もう、存在しないのよ」
噛んで含めるように、ゆっくりと話す。
存在しない……。
「アタシも、ここがどこかは知らないわよ。でもこうして、生活してるわ。だから、生活していくことはできるわよ」
「あの世では……」
「ないわね。少なくとも、アタシたちが子どもの頃聞いた、所謂あの世ではないわ」
そうか。
「で、何でアンタたち、ここに来たのよ?」
俺が。
「生死を共にしちゃったんっすよ~!!」
ニコニコ笑いつつ、ミヤが言った。
「あらまぁ。深い仲だったの?」
アスカさんがサラリと言う。
「いえ、初対面っすよ」
そうなんだよ。前の世界でミヤを見たのは、ほんの一瞬しかない。
それなのに。
「ごめん」
生死を共にさせて。俺は、ミヤの人生を奪ったんだ。
「大丈夫っすよ!」
下を向いて丸まってしまった俺の背中をバンバン叩きつつ、ミヤが明るく言う。
「ほんと、ごめん」
謝って済むことではないけれど。ぐっと涙がにじむ。泣きたいのは、俺じゃないだろう。
少しの沈黙の後、アスカさんが変なことを聞いてきた。
「ところでアンタ達、どっか違和感ない?」
目尻ににじんだ涙を拭いて、手足を動かす。歩いてる最中のことを思い出しても、何も違和感なんてなかった。
「全くないっす!!」
一緒に頷く。
アスカさんは、ちょっとだけため息をついた。
「そう。じゃあ、とりあえず、しばらくはアタシがアンタたちの面倒見るわよ」
ため息が気になったものの、この世界のことを分かっている人に面倒見てもらうのは、頼もしい限りだ。
「よろしくお願いします」
「しゃーっす!!」
「もう開店の時間だから、店の前の札、ひっくり返してきてくれる?」
「うっす!得意っす!」
得意なんかよ。ミヤはほんと、すごいな。コミュ力高いな。
「アンタら、お客さん見て悲鳴とか上げたら、その場でしばき倒すからね」
ガチムチマッチョタンクトップのアスカさんが、フルーツっぽい物を切りつつ呟いた一言が、恐ろしい。
「うっす!」
「はい」
とりあえず返事はしたものの、自信ない、俺。腰抜かしたばっかりだし。
念の為聞いておくか。
「あの。腰抜かすのは」
「誘ってんの?」
ギロリと睨まれて首をすくめる。
「すみません」
看板を返してきたミヤが、そのやり取りを見て笑っていた。
事件は三日後に起きた。
三日も過ぎると、最初はビビっていた客層にも慣れてきたし、町の様子も少しずつ分かってきた。
アスカさんからの厳命で店の外には出ないようにしていたけれど、休憩時間やお店が始まる前や終わった後に、窓から眺める景色は、やっぱりワクワクした。
そう、三日前、最初の客に白目を剥いてしまったのは、やはりというかなんというか。情けなかったけど。一つ目の男だったのだ。初めて見た……。
この世界はいろんな種族が共生している世界だった。魔族にドワーフ、人間、エルフ、妖精。その他、見たこともないような種族がたくさんいた。いろんな姿形の種族が、争うこともなく平和に暮らしている。
魔族にしろ、ドワーフやエルフにしろ、長がいる種族はみんなで提携を結んでいて、更に、適材適所、もしくは、自分たちがやりたい仕事をして暮らしているのだそうだ。
例えば、トイレ。
元の世界のトイレルームはあるが、水は流れていない。便器っぽいのはある。公衆トイレはあるが、そこは有料だ。
利用すると、なんと、お金がもらえる。
どういうことかというと、妖精だか魔族だかと契約していて、その不思議な力で排泄物を肥料に転換しているのだそうだ。もちろん、原材料が排泄物じゃない肥料もたくさんあるが、肥料の中の一つが、ソレなのだそうだ。
驚くばかりだが、不思議な力というのは、いい。なんか、いい。説明できないけど。
早く町を歩いてみたいし、ツタにお礼を言いにも行きたいし、林のクモも何なのか知りたい。
でも、アスカさんは、ガンとして店の外に出てはいけないと言う。
なぜなんだろう?もう、大体のお客さんを見ても、驚いたりしないのに。
開店前のグラス拭きをしつつ、そういえば、と今更ながらの質問をする。
「何で言葉が通じるんですか?」
「知らないわよ」
ですよね。
「イチイチそんなこと考えなくても、通じてるんだしイイじゃないのよ」
「俺、看板、返して来ますね!」
アスカさんにバッサリと切られていると、ミヤが言った。
あ、もうそんな時間か。
「よろしくね。ところでカツミって、サラリーマンだったのよね?」
あ。
「そうです」
「どんな会社だったの?」
どんなって……どん……。
“ホント、あの人、ヘタレよね”
“俺たちの時代は、もっとバリバリやってたんだ。遊びも仕事も。それがねぇ”
“今の若いヤツはなぁ”
グルグルと同僚や新人、上司の言葉が頭の中でこだまする。
「カツミさん?!」
「いらっしゃ~い」
ミヤが俺の様子に気がついて肩を揺するのと、アスカさんの来客を歓迎する声は同時だったと、思う。
カランコロン、という音がしてドアが開いたようだった。次の瞬間。
「うわあああああああああああ!!!!」
引き裂くような悲鳴がして、バターン!と大きな音。続けて、何かが転がる音がした。
いつの間にか真っ暗になっていた目の前が、ミヤが触れたときから、少しずつ明るくなっていく。
「ミヤ!!札裏返して来て!!ヒーリング!!」
扉の外に慌てて出ていくミヤと、アスカさんの声に反応して、何かポヤポヤした光が転がっている人に複数、まとわりついて、飛ぶ。
「アンタはそこにいなさい!!」
フラフラとカウンターを出ようとした俺に、鋭い声が飛んでくる。反射的にその場に固まる。
「効かない。効かないのね」
ヒーリングと呼ばれたポヤポヤは、効果がなかったらしい。アスカさんがグッと拳を握り締めたのが遠目にも分かった。
何だ、一体。何が起きてるんだ。
カランコロンと音がして、戻ってきたミヤが躊躇なく転がっている人に駆け寄った。
「大丈夫っすか?!」
ミヤがその人を抱き起した瞬間、光が店中に溢れた。
白い柔らかな光はフワフワと優しくて、心地いい。少しずつ引いて行く光に、目が視界を取り戻す。
「イッちゃん、どう?」
イッちゃんと呼ばれた、長い垂れ耳の小柄な男性が、ミヤに抱えられたまま何度か目をしばたたかせた。
「あ、うん。もう大丈夫だ。多分」
大きく息をついて返事をする。そうは言うものの、顔色は悪いし、脂汗が流れているし、少し震えているようにも見える。
ミヤが肩を貸して、椅子に座らせる。
「カツミは、まだそこにいて」
黙って頷く。もしかして、俺が原因なのか?
差し出されたグラスに入った水を一気に飲み、安心させようとしているのか、イッちゃんさんが強張った表情で微笑む。
「大丈夫だ」
「どんな感じだったか、教えてくれる?」
「うん。そうだね………なんて言ったらいいのか」
大きくため息をついて、黙りこむ。気持ちの整理をつけているように、手の中のグラスを弄ぶ。そして、考え込んだ後、言葉を続ける。
「扉を開けたら、いきなり黒いモノに覆われたんだ」
黒いモノ?
「そして、こう………目の前が真っ暗になって、冷たくて暗い何かに引きずられて地面の下に引っ張られていくような感覚になって」
……………。
「そして、……今まで見たこともないし、考えたこともないような、恐ろしい映像が浮かんだ」
………………。
「ゾワゾワして体がブルブルして、自分ではどうにもできなかった」
途切れ途切れにそこまで言うと、イッちゃんさんはグラスを軽く上げた。
「もう一杯、水をもらえる?」
「うっす!」
もう一度、水をグッと飲む。
「そして、どうなったの?」
「そうだな。急に引き上げられて、サーっと暗くて黒いのが取り払われていった感じかな」
自分で確認するように、大きく頷く。
「黒いのと一緒に映像も消えて、光が見えて。体も温かくなった」
そうしてまた、一つ、大きく息をつく。
「うん。それで、気がついたらミヤちゃんに抱えられていたんだよ」
「そう。本当に、もう、なんともないの?」
「おう。大丈夫、大丈夫。体はね」
軽く腕を振って、笑う。体はね、ってことは、気持ちはまだ、落ち着かないのか。大丈夫だろうか。
心配そうに見る俺たちの視線を感じたのか、イッちゃんさんは、もう一度、笑って言った。
「気持ちはまだちょっと落ち着かないけど、そんなに心配しないで」
よかった……。いや俺がよくないのか。
ゴモゴモやっていたら、いつの間にか、アスカさんが温かいお茶を持って来てくれた。
「イッちゃん、鎮静効果のあるお茶よ。ゆっくり飲んでね」
頷いたイッちゃんさんに微笑んで、俺たちに向き直る。
「さてと。ミヤ。アンタもここに座りなさい」
「うっす!」
「カツミ。アンタはカウンターにそのままでいて」
「はい」
そしてアスカさんは、全員が見える位置に腕を組んで立った。