第二十四話 過ぎて行く日常 1
ミヤの意識が戻ったという連絡が入ったのは、俺たちが帰宅してから一週間後のことだった。
その間に、ロムは拠点で話をすることができたし、店の営業もそろそろ再開できそうな感じにはなってきていた。
ロムに関しては、今はまだ拠点も混乱しているし、そもそも休職中だったので、様子見ということで話は決着したらしい。
そして、時を同じくして、いろんな情報が舞い込んできた。
「まずは、爬虫族が姿を現しました」
ミルク入りコーヒーを飲みつつ、バリスが話し始める。久しぶりのアスカさんのコーヒーに、なんだか嬉しそうだ。……話の内容は、まだ事後処理のことだけど。
「どこにいたの?」
「集落の地下だそうです」
「集落の地下!?そんなの、あったのか?」
透明の膜に覆われた、石畳の道があちこちに伸びている、石造りの小洒落た建物が立ち並ぶ集落を思い出す。
「女王と、手入れを任されていた人しか知らないことだったそうです。爬虫族は、寒さに弱かったり、タマゴを産むという特性から、危険にさらされることが多かったので、もうずっと前の世代から、いざというときの為に、集落の地下に大きな避難先を作っていたのだそうです」
「空気は?!」
「地上にある建物等を使って、上手に取り入れているようですね。それで、あまりにも不安定な情勢に、しばらく身を隠そうということになったそうです。ただ、地下のことが外部に漏れてしまっては、意味がない」
「それで、黙って姿を消したのか」
「ということらしいです」
それはまあ、仕方のないことだったのかもな。実際、世の中が物騒過ぎたし。
「心配したけど、無事でよかったわよね」
「はい。そして、ルオンドさんとオーナさんは無事でした」
おおっ!!
「見つかったのか?」
「はい。というよりも、オーナさんはルピナス商会に戻って倒れたのだそうです」
「それって、やっぱり、魔力を吸収し過ぎてってこと?」
「そのようです。ルピナス商会に戻った直後に、月が消え、そのままルタタさん達も意識を失っていたそうです。目が覚めると、やはり、魔力はなくなっていたと」
………もしかして、あの時、月が消えたことと魔力が消えたことって、関係あるのかな。でも、そのおかげで、オーナさんは助かったのかもしれない。確信はないけど。
「よかったわ」
アスカさんが目じりに浮かんだ涙を拭く。ちょっとだけ震えているその声は、これ以上の犠牲が出なくて、心底、ホッとしたのだろう。
「東の状況はまだハッキリとは分かりません。今入ってきている情報では、西と南では大きな被害はなかったようです」
「領地は、どうなったんだ?」
ロムがクッキーをつまみつつ聞いた。
「はい。ドラゴンで調査に行ってみたところ、ハンリーアルさんの言っていた通り、四大陸に分かれていましたね。それと、山岳も、全貌はもう、見えなくなってました」
「でも、山岳は以前からボヤけてたろ」
「はい。けれど、以前はボヤけてはいたけれど、なんとなく輪郭が見えましよね?けれど、今はほんとうに、山頂は雲の上です。全く見えません」
「………なるほどな」
ロムが何かを考えるように首を傾げ、斜めに天井を見る。自分の頭の中の地図と、今聞いたことを照らし合わせて、情報を作り変えているのだろう。
「大変よね、これから」
「そうですね。いろいろと今までと違うことが増えてきますので、取り決め等も改めなければなりません。が、東が」
歯切れ悪くバリスが口ごもる。
「まだ、領主はあのままなのか?」
もどかしそうにバリスが頷く。そこはもう、領民に頑張ってもらうしかないから、どうにもできないよなあ。
ちょっと沈んだ空気を払いのけるように、ロムがバリスに質問を重ねる。
「境界橋は、どうなったんだ?使えるのか?」
「まず、結界は崩壊しました。魔力なしで、他の種族で再構築するかどうかは、今後の検討事案です。そして、境界橋自体は、使えます。今のところ」
「今のところ?」
「はい。四大陸に分かれたというのは、山岳と四つの領地が明確に切り離され、空間ができたということです。各領地の境界の自然はそのままですが、山岳とはナイフを入れたように、キレイに切り離された状態です」
説明を聞きつつ、頭にその内容を思い浮かべる。
「境界橋は少し余裕を持って作られていましたので、今のところはまだ使えるのですが、今後、大地が移動していった場合、使えなくなります」
なるほど。四大陸に分かれたっていうのは、山岳と切断されて、元々川や自然で区切られていたその境界が完全に分離された、ってことか。
「境界橋が使えるなら、まずは一安心ね」
「はい。とりあえずは。今後の事を考えて、いろいろしなければなりませんが。それもまた、先の話しですね」
だよなぁ。まずは、魔力に頼っていた面からどうしていくかを決めないといけないしな。でもまあ、妖精やエルフ、トウカさんの一族みたいな能力は残っているわけだから、そこまで大騒ぎしなくても大丈夫なのかな。一番多い種族は、人間だったはずだし。
……あ、違うか。魔族がこれからどうやって生きていくかが、一番デカい問題か。町中に住んでなかった魔族もいるしな。
四天王もいなくなったし、……魔王もどうなったか分からない。人間となった旧魔族は、どうしていくのか。
大変だわ、役所。それにプラスして、東の領地がなあ。頭、痛いよな。
「ところで、カンナなんだけど。確認してみたら、やっぱり魔力はなくなってたわ」
「そうでしたか。何か、他には?」
「魔力はなかったけど、似たような質の異能があったわ。生地の加工に使ってるようよ。役所に再登録に行くように言ったけど、行ったかしらね?」
「分かりました。確認して、もし再登録されていないようでしたら、登録するようにします」
よかったよな、カンナ。異能が残って。だって、あのギラギラした感じ。うん。異能もなくなってたら、灰になってたかもしれん。魔族になっていたなんてのは、とっくの昔に、彼女の中ではどうでもいいことになってたからな。生地の開発に熱中し過ぎて。
「そして、最後にもう一つ」
バリスが姿勢を正して、改まって言った。
「ミヤさんの意識が戻りました」
アスカさんがつまんでいたクッキーを取り落とし、俺はカップをひっくり返しそうになった。ロムは息を飲み、その隣ではチャナが両手を合わせている。
「も、戻った、のか?」
「はい。けれど、まだ面会はできないそうです」
そうだよな。うん。まだ無理だよな。消耗しているだろうし。
「でも、助かったのね?」
「はい。助かりました」
アスカさんが俯いて鼻をすすった。
朗報のはずなのに、バリスが居心地悪そうにしているのが気になる。
「どうしたんだ、バリス?」
「はい。あの、マリーさんが主治医として見てくれているのですが、ちょっと、ミヤさんの様子が良くないと」
様子が良くない?
「体調がってことか?」
それは仕方がないんじゃないのか。それとも目が覚めただけで、まだまだ危険な状態なのか?
「………いえ。精神状態が。なので、面会はしばらく待ってくれ、とのことです。興奮状態が続けば、せっかく意識が戻ったのに、体に負担がかかるので、と」
夏の日差しとは正反対の、冷たい空気がその場を支配した。
ミヤの精神状態が悪い。それは想像してみると、当たり前のことだった。
「記憶が、あるんだな?」
「そのようです。カツミさんとウオマさんが助けに来たところまでは、記憶があると」
なら、錯乱状態になったりするのも、仕方がないことかもしれない。
「定期的に、発作を起こすように暴れるのだそうです。ですので」
さっきとはまた違った意味でアスカさんが盛大に鼻をすすった。
「どうしてやることも、できないのかしらね………」
湿った声の問いかけに、バリスが静かに頷く。
「今しばらくは」
まだ目が覚めたばかりだから、余計、気分の上下も激しいだろう。徐々に落ち着いてくる可能性はある。気を長くして、待つしかない。
「………ミツさんやイチカのことは」
「いえ。カクチナさんのことも、伝えておりません」
「そうか」
今、伝えるのは、あまりにも酷だよな。
「マリーから許可が下りたら、面会に行くよ」
「はい。よろしくお願いします」
やるせないような返事は、バリスの無念さも滲ませていた。
「どうすんだよ、カツミ」
そしてそのまた十日後。開店準備の床掃除をしているロムが、雑巾を絞っている。
店は三日前から営業を再開した。俺とアスカさん、今のところ店に居候をしているロム夫婦が、宿代の代わりにと手伝ってくれている。
「どうするって、なにがだよ」
「ミヤだよ、ミヤ」
「………どうもできないだろ。マリーから許可が下りないんだから」
カウンターでは、チャナが今日のオススメを黒板に書いている。
「治療院に忍び込むわけにもいかないしなあ」
ロムの手の中で捻られた雑巾が、ちょっと苦しそうだ。
「ロム。雑巾、捻り過ぎてちぎるなよ」
「そんなことしねーよ」
町はだいぶ元通りになってきた。魔族が魔力を使ってしていた仕事については、他の方法を試みたり、力を使える他の種族が穴埋めをしたりしているが、人材不足は否めないようだった。その他の生活は、割と滞りなく過ごすことができている。
仕事についていなかった魔族が、人間として、これから仕事を得なければならない。そのことに関しては、元魔族の役所の人々が中心になって、領地内の魔族に面会等を行う為に、下準備をしている段階だ。
四天王の城は、今は空だ。役所はどの領地も内陸にあるので、海側にある元四天王の城に役所の機能を持つ大きな出張所を置いて、中心町の役所とともに領地を統括する組織づくりを構想しているらしい。広大な城を空けておくのももったいないし、予算もないし、再利用しちゃえ、ってことらしいな。
………北の城に配属される人、かわいそうだよな。あそこ、マジで岩だから。岩でできてるからね。大きいけど。城だから。でもちょっと……いや、だいぶ暗いし。
そういえば、魔力を使った川下りって、もうできないよなあ。今となっては、貴重な経験をした。絶対嫌だ、ってダダこねなくてよかった。
果物をカットしつつ、ゴロゴロと思考がどこかへ転がっていく。夏ももうすぐ終わりだよな。朝晩は涼しくなってきたし、秋になる。果物の種類も変わってくるな。
「カツミ、カツミ!!」
「お、ああ」
ロムの声にハッとする。
「俺、カマド部屋に行くから」
「うん。頼んだ」
ロムはアスカさんの料理をもっと覚えたいと、カマド部屋での手伝いをしている。ので、チャナが俺と一緒にフロアの仕事をしてくれている。ま、ロムの場合は、接客とか苦手だっていうのもあるだろうけど。
「こういうのも、楽しいわね~。お食事処とか。大変そうだけど」
書き上げた黒板を少し離れて眺めて確認し、よし、と満足げに頷きつつ、チャナがカウンターの中に入ってきた。
「楽しいよ。ただ、マジで体力勝負だけど」
「体力はあると思うのよ。私もロムも。ただ、経営面がねぇ」
「難しいよな」
「そうなの。仕入れに値付け、業者との取引……その他にもあるでしょ?アスカ、よく一人でやってるわね」
「ほんとだよ。しかも、今はルピナス商会とも共同で製品作ってるし」
飲食店はただ料理を作って出していればいいわけではない。店の掃除や仕込み、メニューの構成、新メニューの開発、その他、仕入れに値付け、各業者とのやり取り、経理の事……やることは山ほどあるのだ。
俺もミヤも、経営関係にはノータッチで、店の掃除や料理、接客しかしてないから、経営関係は全部、アスカさん任せだ。しかも、料理もアスカさんが主力だ。俺たちは、補助程度。
「こんなにたくさんメニュー作って出すのは、難しいわよね。どうしても、ロスが出ちゃうし」
「そうだな。ロスになったら、俺たちは食事で食べちゃうけど。でもそれって、その程度しかロスが出ないように、アスカさんが考えて仕込んでるってことだもんな」
客足は、天気やイベント、様々なことに左右される。それを考慮して、料理を仕込まないといけないのだ。たまに、お店が混み過ぎたときなんかに、俺たちの食事が質素になるのは、ご愛敬だ。
「そうなのよね。すごいわ。一朝一夕にできるものじゃないよね」
「俺もそう思う」
飲食業は、長年の経験がやはり大きな力になる。
「護衛の仕事はどうするか、ロムと話してるの?」
「ボチボチね。拠点からは、とりあえず近場でいいから復帰して仕事してくれって連絡がきたらしいけど」
「そうなの?まだ混乱してるのに?」
「混乱してるからこそ、よ。商人にとって、商売になるの。それに、一定期間、流通が途絶えたでしょ」
なるほど。
「チャナは、復帰したいの?」
「ロムと組んで、近場の仕事ならね。ブランクもあるし、遠方はやっぱり、考えちゃう」
そうかあ。遠方ってやっぱり、大変なんだな。ロム、よく一年も俺たちを護衛して旅してくれたよな。
「ただね。人間になったのなら、寿命のこともあるから。今までみたいに、年齢を重ねるのもゆっくりじゃなくなるでしょ?ロムは、そういうことも考えて、軽々しく復帰しないでいるみたいだから」
……魔族の寿命は長かった。だから、人間よりもずっと、老いはゆっくりだった。そうか。魔族が人間になるということは、月日の感じ方や過ごし方も変わってくるってことなのか。それって、結構、大変なことだよな。当人たちにとって。
「焦らなくても、二人が納得できるように、ゆっくり考えてもいいと思うよ。お店も、二人が手伝ってくれるから、助かってるし」
「そうよね。慌てないで、じっくり考えるわ。ありがとう」
会話をしつつ、テキパキとグラスを磨いていく。飲食業はしたことがないというが、チャナは割となんでも器用にこなす。手際もいい。
「チャナって、苦手なことあるの?」
「どうしたの?急に。あるわ。お裁縫が壊滅よ」
「マジで?!」
メチャクチャしそうだけど!!
「ダメもダメ。針は別の用途の方が器用に使えるわ。お裁縫じゃなくてね。ちなみに、刺繍もからっきしよ」
へぇ~。意外。なんでもテキパキこなすし、手先も器用そうだから、裁縫も得意そうだけどな。それにしても、針の裁縫以外の用途っていうのは、なんなんだろうな?気にはなるが、聞いたら後悔しそうな気がするから、やめとこう。
「じゃあ、ロムがするのか?」
「そう。我が家では、ロムがお裁縫担当」
サラリと言って笑う。
「いいんじゃないの。やれる方がやれば」
「私もそう思うわ。でもねえ、めんどくさいのがいるのよ」
「めんどくさいの?」
「裁縫の一つもできないなんて、って説教してくるのが」
個人の自由だと思うけどなあ。いるんだな、そういう人。
「どうするの?そういうの」
「ニッコリ笑って、アナタの口で練習させてくれる?って針を出すと、大抵黙るわね」
………………。まさかそんな返事がくるとは思ってないだろうしな、相手も。
「でも、裁縫は俺も苦手だな。雑巾縫うくらいならできるけど」
「雑巾縫えるだけすごいわよ」
なるほど。ってことは、ほんとにチャナ、裁縫は壊滅的なんだな。
心の中でコッソリ頷いていると、扉が勢いよく開いた。
カランコロンカラカラコロン。
「すみません!」
なんと、バリスが息を切らして駆け込んできた。こんな登場の仕方は滅多にないので、慌ててカウンターから出る。
「どうした?!」
「だ、大至急、治療院に行って欲しいのですが」
治療院?
「ミヤがどうかしたのっ?!」
ただならぬバリスの様子に、カマド部屋から飛び出してきたアスカさんが血相を変える。
「は、はい。手が付けられないそうです。もしかしたら、お二人ならどうにかできるかもしれないと」
手が付けられない?
「暴れてるのか?」
膝に手をついて肩で息をしていたバリスが、大きく息を吐き、顔を上げる。
「はい。ミヤさんは最近は落ち着いて来ていて。自分が神殿に行った後はどうなったかを聞くこともあったんだそうです。それで」
「イチカとミツさんのことを話したのか?」
「はい。今日、その話しをした途端、暴れて手が付けられないと」
「行くわよ!カツミ」
飛び出そうとするアスカさんを引き留める。
「ちょっと待ってください。戸締りと火の用心が」
「俺たちがして行く」
「任せたわよ!!」
「後から治療院へ向かうから」
「分かった」
「すみません。ロムさん、お願いします」
バリスと一緒に、三人で店を飛び出す。カラコロカラコロと忙しく鳴る扉の音を背にして。
役所へ向かって走りつつ、ふと、エンのことが頭に浮かんだ。
「バリス。エンはどうしているんだ?」
「エンさんは、面会はできないと分かってはいますが、毎日、治療院に足を運んでいたんです。今日も、いるはずです」
「………急ごう」
状況が悪化していないといい。そう祈りつつ、俺たちは必死で足を動かした。




