第二十三話 大地と月と太陽と 3
イールが俺たちを訪ねてきたのは、昼頃だった。城に入れず入り口で止められていたのを、通りがかったアスカさんが連れてきたのだ。そもそもイールも、治療院勤めじゃなかったら、ここに集められてたんだってことを話して。
イールは、ずいぶん憔悴していた。無理もない。治療院でずいぶん忙しくしていたんだろうし。あんな時間まで、ご飯を食べそびれるくらいだったんだもんな。あの後は、大丈夫だったんだろうか……って、ん?あ、そうか……そうじゃない、か。イールは、魔族だ。
しょんぼりしているイールに、アスカさんがお茶を差し出している。
「イール、飲みなさいな」
「うん………」
カップを両手で受け取ったけれども、ずっと俯いている。いつもはまとめて結っている豊かな銀の髪が、肩や背中に流れている。
やがて、ポタリ、ポタリ、とカップの表面に滴が落ちて、水紋ができた。アスカさんが頭を撫でると、イールは涙声で話し始めた。
「私、魔力、なくなっちゃったの………」
「うん」
「もう、歌で、ヒーリング、できない…………」
絞り出すように言って、声を押し殺して泣き始めた。彼女の子どもの頃の、泣き顔と泣き声を、よく覚えている。あのイールが、いつの間にか、こんな、大人の泣き方をするようになったんだな……。
イールは、歌でヒーリングをするヒーラーを目指していた。その力の源は、彼女は魔力だった。魔力を失ってしまったのだから、力をつけてきていたヒーリングの力も、なくなってしまったのだろう。
顔を上げぬまま、声を押し殺して泣き続けるイールの背中を、アスカさんが優しく撫で続ける。
「な、なにも、できなくって……、わ、私、治療院、から、でてき、たの………」
イールに医療の知識はない。魔力も失って、足手まといになると思ったのだろう。夢に向かって頑張っていたその場所から、どれほどの無力感を抱いて歩いて来たんだろう。
「うん」
「私、これから、ど、どうし、よう………」
パタパタパタパタと涙は流れ続ける。魔力を失ってしまったイールは、夢と一緒に仕事まで失ったことになる。
……………キツい、よな。
誰もが静かにイールを見守っていると、チャナがイールの側へやってきた。
「私も、魔力、なくなってしまったわ」
俯いて涙を流したまま、イールが頷く。
「私、なにもできないの。家にいて、ずっとのんびりしていたから」
イールがまた、黙ったまま頷く。
「可愛がっていた愛犬も、少し前に旅立ってしまった。だから、夫と二人。これからどうしようね、って話していたわ」
ルウは俺たちと旅をした時点で、結構な高齢だった。長旅は俺たちと一緒にしたのが最後で、その後はチャナと家で過ごしている、とは聞いていた。……そうか。旅立ったんだな……。
どうして話してくれなかったんだろう、とは思わなかった。辛くて悲しい別れは、どうしても口にできないときがある。その現実が受け入れられなくて、信じられなくって。口に出したら、それが本当になってしまいそうで。口に出さなければ、もしかしたら、それは本当にはならないんじゃないか、って思ってしまうんだ。……信じたくないその現実を、受け入れられないときだって、あるんだ。
「当たり前にしていた仕事ができなくなったわ。だから、二人でまた一からやっていくの」
うん、とくぐもった声がイールから漏れる。
「イールは、歌を歌えるのよね?」
涙でくぐもった声で、また、うん、とイールが頷く。
「ヒーリングの力がなくっても、素晴らしい歌は、人の心を癒すのよ。イールはまだ、やれることがある。大丈夫よ」
「人の心を……?」
涙でグジャグジャの顔を、チャナに向ける。
「そうよ。心を癒すのって、大切なことよ。歌って、そういうものでしょう?」
ふと、ナオが異能で倒した盗賊たちをグルグル巻きにしていたイールが、歌はこんなことのためにあるんじゃないのよ、と言っていたことを思い出した。
そうだ。そうだよ。
「イール、言ってたじゃないか。歌は人を傷つける為にあるわけじゃない、って。そうだよ。癒す為にあるんだ。ヒーリングの力がなくたって、イールの歌で心を癒される人は、必ずいるよ」
「そうよ。イールが頑張ってきたことは、無駄にはならないわ」
「でも、もう、ヒーラーにはなれないよ……」
「別の夢があるわよ。そうね、歌い手になるとか」
「歌い手……?」
「そう。プロの歌い手よ。前にウオマさんが言っていた、吟遊詩人の職業を復活させてもいいじゃない」
「そうだよ。役所の湖畔で、また歌えばいい。ヒーリングの力がなくたって、きっとみんな、イールの歌を聞きに来てくれるよ」
「そうよ。みんなの集まりでも、また歌ってよ!」
イールは涙で濡れたままのグチャグチャの顔で、みんなを見回した。
「私、歌ってもいいのかな?もう、ヒーリングはできないけど」
「当たり前よ。ケガの治療はできなくても、人の心を救えるかもしれないわよ」
「……………頑張る」
それでもイールはこらえきれなかったようで、カップをアスカさんに預け、その場に伏せて、大声を上げて泣き始めた。
ナオは異能がヒーリングの源だから、そのまま治療院で働けるだろう。二人の師弟関係は終わってしまうかもしれない。けれどきっと、ナオはイールが治療院を辞めても、今までと同じように、イールと一緒に歌うんじゃないかと思うのだ。例の、人並外れた音痴の人と一緒に。
イールの涙が枯れきって落ち着いた頃に注目されたのは、今度はトウカさんだった。
遅ればせながら、そういえば、という感じでみんなに囲まれる。
「え、なになに?」
急に囲まれて、半笑いでトウカさんがキョロキョロする。
「トウカ。トウカは、力、使えるの?」
「え?うん。いつも通りよ。ほら」
パチン、と指を鳴らすと、キラキラした光が舞い散る。ほんとだ。トウカさんはいつも通りだ。
「私、眠らなかったし。それに、魔族じゃない種族は、力はなくなってないでしょ?ヒーラーとかも」
「そうだよね。なんでだろう?」
「魔族だけが魔力を失ったってことだもんね」
「………アタシ、自由に行動する許可もらったら、生地屋に行ってくるわ」
「どうしたんですか?いきなり」
「カンナ、灰になってるかもしれない………」
………………。
「俺も、一緒に行っていいですか?」
目をキラキラと輝かせて、と言いたいが、どっちかというと、マッドサイエンティストレベルでギラギラさせながら生地を開発していた姿を思い出す。魔力を使って生地を開発してたんだから、心配だ。
「アンタは留守番。ミヤと一緒に行くって約束してたでしょ」
あ、そうか。そうだった。
「そうですね。確かに」
「さっと行って、様子だけ見てくるわよ」
「でも、どうなんでしょうね?」
「何がよ」
「だって、魔族以外の種族は力を失ってないんですよ」
「そうね」
「俺たちみたいな異世界人の異能も、そのままなんじゃないですか?」
うーん、とみんなが首をひねる。
「確かに、ナオはヒーリングの力は失ってなかったわ」
「ってことは、カンナも分からないですよ」
「そうだけど……。あの子、異能を持つ代わりに魔族になっちゃったんだと思うし」
「その魔力が、異能を源にした魔力だったら、ただの異能になって、力自体はそのままって可能性がありますよ。だって、俺たち、いまだに文字、読めないですよね?」
「…………なるほどね。一理あるわ」
異世界人がこの世界に受け入れられる前提として、異能が身についたり、身体的な変化があったりする。それにプラスして、俺たちは言葉や概念が苦も無く通じる代わりに、この世界の文字は読めない。もし、今回の件でその法則がねじれたとすれば、文字だって読めるようになるはずだ。
「異能が源の魔力であれば、単純に異能になってるんじゃないですかね」
「どっちにしても、今までの魔力としての質とは違ってくるわよね」
「そうなりますよね」
「じゃあ、やっぱり、見てくるわ、様子。アタシで異能のどうこうを確かめようにも、自分の意志で操る異能じゃないから、確かめることもできない。不便ね、こういうとき」
「仕方ないですよ」
肩をすくめたアスカさんが、ため息を吐く。
「そろそろ、戻りたいわね」
「戻れるぞ」
その言葉と共に部屋に入ってきたのは、ハンリーアルさんだった。
「ハンリーアルさん!」
「来るのが遅くなってしまって、すまない。不覚にも、全てが終わった後、意識を失っていた」
「どうぞ」
頷いて板間に座ったところで、アスカさんがお茶を持ってきた。
「なんとかなったようで、よかった」
「あの、エルフとも連絡が取れないって役所が言っていたんですが」
「説明する間もなかったからな。神殿にカツミたちが行く前に、各領地と里にいるエルフで、準備をしていたんだ。神殿で異常があったときに、大地の加護をするように」
大地の、加護!!
「我々は生きて行かなければならない。世界は持ちつ持たれつで成り立っている。我らだけが生き残っても……それはそれでいいかもしれぬが、後味が悪い。だから、カツミが戻ってきた後に、我々エルフが交代で加護をし続けていたんだ」
ハンリーアルさんが指揮をとって、か。それで、全部終わった後に倒れちゃったんだな。疲労のあまり。
「もしかして、大地の震動って」
「ああ。最小限の揺れで済んで、よかった。あまりに大きいと、建物や作物、生き物に多大な被害が出るからな」
震動がアレだけで済んだのって、エルフのおかげだったのか。すげえ。エルフ。
俺が静かに感動していると、向かいに座っていたロムが少しだけ身を乗り出した。
「魔族が全員、数日寝ていて、起きたら魔力がなくなってたんだ。エルフは?」
「我々はなんとも」
「魔力がどうしてなくなったか、分かるか?」
「すまないが、分からない。ひとかけらもないのか?」
「ああ。なくなってしまったんだ。俺たちだけじゃなくて、魔族自体が、魔力を失ったらしい」
「だとすると、なにか大きな力が働いたんだろう。単一の種族がやろうとして、できるようなこととは思えん」
「そうか……。こういう事例って、今まであったか?」
「知る限りでは、ないな」
「分かった。ありがとう」
ガッカリしたのか、それとも、自分の中で魔力について折り合いをつけようとしているのか、それは分からない。ロムは落ち着いた表情で頷いて座り直した。
「そうだ。華の眠りが戻ってきたんだ。これで、私への疑いも全て晴れた。心配をかけた」
「どこにあったんですか?」
「里の入口に置いてあった。木にぶら下げられていたんだ」
あの野郎。
「多分それ、ヤツの仕業ですよ」
いらなくなったから、戻したんだろうな。
「そうか。だが、月の癒しはなくなってしまった。すまない」
「いや、俺に謝ることでは」
「そういえば、ミヤはどうした?」
「治療院にいます。まだ、目が覚めなくて」
「………そうか。直接謝ることは叶わぬかもしれん。伝えておいてくれ」
「分かりました。月の癒しは、大地の加護に使ったんですか?」
「いや。それはエルフの力でなんとかなった」
「なら?」
目線を天井に上げた後、一息ついてハンリーアルさんが口を開く。
「役所が調査すれば分かることなんだが、………昨日、太陽が顔を出す前に、大きな音がしたな?」
「はい」
「アレは、中心の山岳が上方へにそびえた音だ。今はもう、あの山岳は山頂が雲の上に隠れ、下界から全体を眺めることはできない。以前は、薄っすら見えていたんだがな」
「!?」
「そして、それによって、山岳と続いていた我らの里、ドワーフの里が損害を受け」
ドワーフの里、と耳にしたカシメルが息を飲んだ。
「更に、各領地は切り離されて、四大陸になった」
「「「ええっ?!」」」」
みんなの驚いた声が重なって響く。
「エルフとドワーフの里の損害は、壊滅ではないがそこそこあったし、四大陸に分かれた衝撃で、大地も損傷を受けた。そのままにしておけば、いずれは不毛の地や不作の地が多発することになる。それで、月の癒しを使った」
「アレって、そんなにすごい力があるんですか?」
「そうだな。私も初めて使ったが、アレのおかげで、損害や損傷は最小限で抑えられたと思う」
そんなすごいモノ、屋台のビックリ箱に混ぜんなよ!!あの野郎!!面白半分に遊んでいい代物じゃねえだろうが!!
あの気障ったらしい笑みを思い出しつつ、またしてもむかっ腹が立ってきたところで、カシメルが心配そうにハンリーアルさんに聞いた。
「ドワーフは、みんな無事だったのだろうか?」
「ああ。多少、鉱山に被害は出たようだが、里のみんなは無事だったようだ」
「よかった。ありがとう」
心底ホッとしたようにカシメルが頷いた。ジンがその肩を優しく抱く。
「あの、魔王ってどうなったか、分かりますか?」
矢継ぎ早の質問に申し訳ないとは思いつつ、聞いてみる。ハンリーアルさんなら、もしかしたら、魔王がどうなったかも分かるかもしれない。
「すまないが、神のことは分からぬ。私は下界の種族だからな」
「いえ。すみません」
「カツミは何か変化はあるのか?」
「それが、ないんです」
「なら、神も無事だろう」
希望的観測になるが、そう思うしかない。
「そうよ。またひょっこり、お店に来てくれるわよ」
「そうですよね。ジンのケバブ食べたくて、ひょっこり現れますよね」
「そうそう」
「そしたら、またみんなで宴会しましょうねっ。楽しみだわ~」
あ、そういえば。
「ハンリーアルさん、この板……」
上着に入れておいた、預かった板を取り出す。
「カツミに預けておこう」
「え、でも」
「世の中が落ち着けば、また、豆腐をやり取りするだろう?直接話せる方が、簡単だ」
「………ありがとうございます」
「なに。いつでも気軽に、とは言わぬが、連絡してくれ。それではな」
「あ、もうですか?」
「そうだな。私も里に戻らなければならない。役所が連絡したいと言ったら、その板を使ってくれ」
「今の話しは、俺たちから伝えてもいいですか?」
「よろしく頼む。私もまだやることが多い。長居はできぬ。それに今は、役所も時間を取れぬだろう」
確かに、役所は今日になってもバタバタと騒がしい。俺たちが戻っていいかどうかも、まだ確認が取れていない。
あ、でも。
「俺たち、この話を役所にしたら、戻れますよね?」
「おそらくな」
そう言って立ち上がったハンリーアルさんが、俺の顔を見た。
「ご苦労だったな、カツミ」
驚くほど優しい声だった。そして、ハンリーアルさんは部屋を出ていった。
「帰れるって!!」
パタン、と扉が閉まった後、ちょっとだけ間が空いてから、部屋の中に喜びが溢れてきた。やっとみんな、家族の元に帰れるんだ。
「ロムたちは、どうする?もしこっちにいるなら、アスカさんに頼んで、店の二階、滞在できると思うよ」
「あら、いいわね。急にカツミと二人になっても寂しいから、いらっしゃいな」
二人とも、まだ魔力がないことに戸惑っているような感じだし、もう少し落ち着くまで、移動しない方がいいんじゃないかな。心配だし。
「……甘えてもいいか?」
「オッケーよ!」
帰ったら何をしようと、会話が盛り上がる中で、エンだけが笑顔に少し陰りが見える。ミヤがまだ、目を覚まさないからだろう。
ミヤは、どの辺りまで記憶があるんだろう。俺と魔王が助けに来た記憶、あるのかな。
半分白目になって傾いていた姿を思い出す。もし、記憶があったら。目覚めたいと思うだろうか。自分が犠牲になってでも守りたかった人たちを、逆に危険にさらしたのだという記憶。
…………俺なら、目覚めたくないと思うかもしれない。
「カツミ。カツミは戻ったら、何をする?」
ティルが笑顔で聞いて来た。目線を合わせ、笑顔を返す。
「俺は、イチカの墓参りに行ってくるよ」
イチカに、報告しなきゃな。俺たち、頑張ったよ、って。ミヤは今まだ、治療院で頑張ってるよ、って。
その後に、コッソリ耳元で付け足す。
「ピクニックは、いつにしようか?」
ティルは、顔を真っ赤にして笑った。




