第四話 魔王登場 1
そして、予想だにしなかった出来事は起きた。
真夏の日差しも次第に和らぎ、朝晩はだいぶ涼しくなってきたな、なんて感じていた頃の定休日。みんなで遅めの昼ご飯を食べていると、扉が開いた。
カランコロン。
「ごめんなさいね、今日は定休日なのよぉ~」
定休日どころか営業日でも営業時間外の時間帯だが、素早く立ち上がったアスカさんが扉に向かって歩いて行った。
「あら?」
「すみません。お客ではないのです」
聞き覚えのある声に振り返ると、扉の前にはバリスと、もう一人。
「こんにちはっす」
俺と同じように振り返ったミヤが、不思議そうな顔で、それでもきちんと挨拶をした。俺も慌ててお辞儀をし、黙って成り行きを見つめる。
バリスの少し後ろに立っていたのは、あのイケメン執事風の男だった。スラリと立ち姿も優雅に、アスカさんに軽くお辞儀をしつつ、俺たちにも会釈をしてくる。
トウカさんに告白したっていう人だよな?この店が行きつけだって聞いて来たのか?いやでも、トウカさん目当てだったら定休日の前日に合わせて来るだろうし、そもそも花屋に向かうだろう。しかも、役人のバリスとは一緒には来ない、んじゃないか。
なんとなく不安を覚えていると、アスカさんが小首を傾げつつ話し始めた。
「お客さんじゃないのね?じゃあ、誰かに用かしら?」
「はい。カツミさんとミヤさんに話がありまして、お伺いしました」
「あらそぉ。今、お昼ご飯食べててね。ちょっと、カウンターで待っててもらえるかしら?」
「はい」
そう言うと二人は、静かにカウンターに座った。アスカさんは、素早くお茶を出してテーブルに戻ってきた。
「さ、食べちゃいましょ」
成り行きを見守っていた俺たちに、笑顔で言って、食べ始めた。
ミヤも横で食べ始めたので、俺も半端になっていた昼ご飯の残りを食べ始める。
すっかり冷めてしまった昼ご飯は、突然のお客さんの効果で、味気ないものになってしまった。
二人は食後の後片付けが終わるまで静かに待っていてくれた。イライラした様子も全くない。
がしかし。後片付けが終わると、頼みのアスカさんはイッちゃんさんとの約束があるらしく、‘行って来るわぁ~’と言うやいなや、風のように店を出て行ってしまった。
カランコロン。
はっや。ほんとにあの人、動作の時に物音させないな、ある意味怖い……。
秒で消えたアスカさんを見送りつつも、来客二人をそのままにするわけにもいかず、カウンターからテーブル席に移ってもらう。
お茶を改めて出して、目配せしてミヤと会釈をしつつ、一緒に二人の向かい側に座る。
一呼吸の後、再度、バリスが口を開いた。
「改めまして、こんにちは。先日は、お疲れさまでした」
「あ、はい」
「うす」
仕事は保留になっているはずだし、イケメン執事風はいるし、バリスの用件について検討も着かなくて、落ち着かない。
ソワソワしている俺に構わず、バリスが言葉を続ける。
「まずは、先日の厚生者の経過観察をご報告します」
黙って頷く。どうなっただろう。
「あれから五日寝込んでいましたが、それからは毒気を抜かれたように素直に厚生プログラムをこなしているそうです」
お、おぉ……。
「後遺症も、ないとのことでした」
「よかったっす」
隣でミヤが小さく呟いた。
「あのとき、突発的に異能を受けた警備隊、ヒーラー、もちろん私も、異常は見られません」
すると、そこで、執事風イケメンが口を開いた。
「もちろん、私も」
だ……大丈夫だったんだな、みんな。よかった。もうほんと、よかった。
バリスはいただきます、と言いつつ、そこでお茶を飲んだ。一息ついた後、本題に入る。
「本日は、彼からの依頼があって、案内してきたのです。彼は、魔王様の四天王の一人、北の領地を統括するサナ殿です」
「よろしくお願いします」
バリスの言葉にイケメン執事風が丁寧に言う。
「ミヤっす。よろしくお願いしますっす」
「カツミです。よろしくお願いします」
ポカンとなった俺とは逆に、ミヤはすんなりと挨拶した。つられてアワアワと挨拶をする俺。
……ダメだろ、俺。しっかりしろ。
バリスはポーカーフェイスのままだけど、サナさんは面白そうな顔で俺たち二人を見ている。
魔王って……あの魔王だよな………。
「そうです、いわゆる魔王です」
俺の思考を読んだかのようなタイミングで、サナさんが答える。思わずビクッとした俺に、微笑む。
「カツミさん、顔に出てますよ」
………そうなのか。なら、口に出して質問した方が、いいよな。
「サナ……さんは、四天王っていうことは、いわゆる四天王ですか?」
「そうですよ。北の領地が管轄です」
マジか。
そういえばこの世界、魔族がいるんだった。魔王とその四天王がいたって、全然、おかしくない。
どう思っているのか、ミヤ黙って話しを聞いている。
「北の領地というのは?」
「ここですね」
ん?
「この世界は、魔王様がいる山岳を中心に、円を描くように土地があり、それが更に東西南北の領地に分かれています」
そうなの?
「四つの領地にはそこまで大きな違いはありませんが、それでも、多少の違いはあります。そして、お互いの領地を区切る境界地は、それぞれの土地を象徴する自然で区切られています」
知らなかった。
「ここは、北の領地に当たりますね。私はこの領地の海側に居城を構えていて、魔王様と北の領地の仲介もしています」
実質的に、北の領地の魔族のトップってこと、だよな。そんな魔族が、俺たちに何の用なんだろう。
「単刀直入に言いますね。魔王様と会って、異能を発動していただきたいのです」
え?!なんて?!
想像もしていなかった要請に、頭が理解するのを一瞬、拒否する。
それに。
口を開こうとした俺を片手で制して、続きを話す。
「もちろん、仕事を保留にされていることは聞いております。今日は、バリスにも無理を言って来たのです」
そこまで言うと、サナさんは一度お茶を飲み、俺たち二人に頭を下げた。
「ぜひ、御一考いただきたいのです」
魔王の!四天王が!!頭下げてる!!嘘でしょ?!
黙ったままのミヤとあまりのことに絶句している俺を見て、今度はバリスが口を開く。
「魔王様が是非に、ということで。私もこうして、来てしまったわけです。どうか」
バリスまで頭を下げた、ところで我に返った。
「お二人とも、顔を上げてください」
俺の言葉に、二人が顔を上げて座り直す。
「お話は分りましたが、今すぐ返事は出来ません。時間をください」
「もちろんです」
頷いたサナさんの髪が一筋、サラリと顔にかかる。
「魔王様のところまでの往復の交通手段は、私がご用意いたします、と言いたいところですが、バリスが手配してくれるそうです」
バリスが?
俺の視線にバリスが頷く。
「とは言っても、サナ様の居城までの往復ですが。魔王様の居城には、そこから行ってもらうことになります。が、そこまでの往復は、我々役所が責任を持ってさせていただきます」
「バリスがどうしても、とのことなので」
確かに、知り合いが送迎してくれるのは、ありがたい。
けど。
「どうして魔王が、俺たちの異能に興味を持ったんですか?」
「私が報告したからですよ」
それだけ?
「それ以上は、魔王様にお聞きください」
そうか。勝手にペラペラ話すわけにはいかないよな。
「私はしばらく、役所に滞在しますので、お心が決まりましたら、おいでくださいね」
「私が今回も、窓口です。まずは、どうするかの返事をいただければ。念の為に申し上げておきますが、危険は一切、ありません。ご安心ください」
「それでは」
そう言うと二人は、お辞儀をして去って行った。
カランコロン。
立ち上がってお辞儀はしたものの、あまりの引き際の素早さと話の内容に、呆気にとられる。
考えもしなかったよ。こんな話がくるなんて。
てか、どうでもいいけど、トウカさんて、四天王に愛の告白されたのかすげえ。しかも、断ったのか。マジですげえ。
驚きのあまり、思考回路がどっかにぶっ飛んでいると、隣でミヤが大きく息をついた。
「あービックリしたっすねぇ~」
そっか。ビックリしてたのか。全然しゃべらないから、どうしたんだろうと思った。
「俺、偉い人とか、かしこまった話って苦手なんすよ。緊張しちゃって」
ミヤが苦笑いをしつつ言う。物怖じしないと思ってたけど、そういう一面もあるのか。そういえば、最初に役所に行った時も緊張してたな。
「魔王だってさ」
「あれっすよね、魔王さんって」
「ん?」
「勇者に倒されちゃうヤツっすよね」
「ゲームだとな」
この世界は違うっぽいけどな。
とりあえず、バリスとサナさんのお茶を片付けて、もう一度二人分のお茶を淹れ直して、ミヤの前に座り直す。
実は初仕事が終わって以来、ミヤとその話しはしていなかった。ミヤも話さなかったし、俺も敢えて話さなかった。
あれから一か月。いい機会だ。きちんと話そう。
さっきまでとは打って変わって、ニコニコでお茶を飲んでいるミヤに向かって口を開く。
「ミヤ。どうしたい?俺は正直に言うと、どうしていいか分からない」
「そっすね~…………」
語尾が消えた後、ミヤも黙り込んだ。
しばらく沈黙が続く。
「俺も、どうしたいか、分んないっす」
ミヤも一緒か。そうだよな。こんな職業、元の世界にはなかったもんな。
この一ヶ月考えてみたけど、俺の異能の発動条件は分かってるけど、ミヤの異能の発動条件は分かってないしな。
ミヤの異能で分かっていることは、‘俺の異能のヒーリングが出来る’ってことだけだ。俺の異能に反応はするけど、それだけが発動条件とは限らない。
逆に言えば、俺の異能が発動条件だってことかもしれないけど。
難しいのは、一人一つの異能だとすると、異能の特徴が、ミヤの場合は他人が起点なんだ。俺は、自分のトラウマがトリガーだから、俺が起点。アスカさんも自分に向かってきた異能を無効にする異能だから、やっぱり自分が起点。何が言いたいかというと、ミヤだけ、自分にまつわる異能じゃないってこと。
二人でセットの異能と考えると、それでもいいのかとも思うけど、やっぱり疑問は残る。
それとも、アスカさんも最初に言っていたけど、法則性はないのか。
ああ、そうだ。
「ミヤ。ヒーリング使った後って、何か体に異変はあるのか?」
確認しなきゃと思ってたんだ。
ミヤはちょっとだけ驚いた顔をして、素直に頷いた。
「疲労感っていうか、体が重くなるっすね」
「そうか」
ミヤに、見えない負担もかけてたんだな。
「ほんとうに、ごめんな」
しかも俺、イチカに言われるまで考えもしなかった。人を癒すってことは、それだけエネルギーがいるよな。そんなことも分からなかった。
「いーんっすよ!動けなくなるほどじゃないっすから」
ニコニコとお茶を飲みつつ返事をするミヤ。ほんとに、こんなイイヤツ見たことない。
「ごめんな」
なんと言っていいかも分らなくなって、小さく呟く。
静かな沈黙が降りた。
どれくらい経っただろうか。突然勢いよく扉が開いた。
「帰ったわよぉ~!!」
カラコロカランコロン、と、扉の音がいつもよりダイナミックに鳴る。
「美味しそうな焼き菓子があったから、買って来たわよ。オヤツにしましょっ」
嵐のようにアスカさんがテーブルまで来て、あっという間に焼き菓子を並べ、コーヒーを出してくれる。
並べられた焼き菓子は、クッキーやフィナンシェっぽい物だった。ジャムがのってたり、種類が色々ある。
「二人してシケた顔してないで、食べなさいよっ」
「うっす!いただきますっす!」
こういうとき、やっぱりミヤはすごい。姿勢を正したかと思うと、早速、クッキーに手を伸ばした。
俺もコーヒーを一口すする。まだ熱いコーヒーは舌を焼きそうなくらいだ。
「それで、四天王は何の用だったのよ?」
……………。
「四天王だって、知ってたんですか?」
「知ってるわよぉ、有名だもの。北の領地が管轄だし、よく役所にいるわよ」
「そうなんですか」
「魔王さんが、俺たちの異能を体験してみたいそうっす!!」
クッキーを飲み込み、フィナンシェに手を伸ばしながら、ミヤが元気よく言う。
「あらまぁ~」
さすがのアスカさんも予想外だったのか、コーヒーカップを持ち上げた手が止まっている。
「で、どうしたのよ?」
「とりあえず、カツミさんが対応してくれて、時間をもらったっす」
「カツミが?」
「うっす」
なるほどね、と頷いたアスカさんは、コーヒーを一口飲んでカップを置いた。
「そもそも、魔族にカツミの異能って、効くのかしら?」
「効いてたっすよ!」
「この間の仕事の時、厚生者と一緒に、サナさんもいたんです。効いてました」
俺たちの言葉に、ちょっとだけ目を見張るアスカさん。
「アンタたちの異能、魔族にも効くのねぇ」
しみじみと言う。
「効かない異能もあるんですか?」
「そうね。どっちかって言うと、人間にしか効かない異能の方が多いわよ。魔族に効く異能………あったかしら」
マジか。
ふ~ん、と言いつつ頬杖をつき、俺を見る。
「で、どうするのよ?」
「考えてる最中に、アスカさんがオヤツ買って来てくれたっす。うまいっす」
ぼんやりとクッキーを眺めつつ、口を開く。
「アスカさんは、魔王と会ったことあるんですか?」
「あるわけないじゃない」
え、そうなの?
「そんな簡単に会えないわよ。魔王よ、魔王。もしかしたら、その辺歩いてたりするかもしれないけど、分かんないし。魔王でござい、なんて歩くようなもんでもないでしょ」
クッキーを上品につまんで口に運ぶ。仕草に品があるよな。物音も立てないで動くし。
「どうしたらいいんですかね……」
「会ってみたいなら、行ってみたら?」
「え」
「興味ないし、異能使いたくなかったら、行かなきゃいいんだし。もっと簡単に考えなさいよ~」
「断ったら、魔王、怒ったりしませんかね。サナさんが頭まで下げて行ったのに」
ピタリ、とアスカさんの動きが止まる。視線を斜め上に向けた後に、肩をすくめた。
「それはちょっと怒るかもしれないわねぇ~。でも、怒られるのって、サナ様でしょ」
「それで済むんですかね」
「わざわざここまで来て、怒らないでしょ。暇なんだろうけど」
「暇なんですか?魔王」
「そういう噂よ~」
どこでの噂?
「それに、魔王がこの店に来て怒ったら、お店吹き飛んじゃんわよぉ~」
カラカラと明るく笑いながら、フィナンシェを手に取る。
「そんなにすごいんすか、魔王さんって!」
コーヒーに砂糖とミルクを入れつつ、ミヤが言う。
「そりゃそうよ。魔王だもの。店どころか、人間の町一つ消すのだって、簡単よ、きっと」
明るい口調で、なんてこと言うんだ。
「断ったとして、ほんとうに大丈夫なんでしょうかね」
「大丈夫でしょ。さらうのだって簡単なのに、それをしないで、わざわざ役所を通して依頼してきてるんだから」
なるほど。
「後は、カツミとミヤの気持ち次第ってことよ」
頷いた俺たち二人を見て、アスカさんはコーヒーをグッと飲み干して立ち上がった。
「さて、今度こそアタシ、イッちゃんとデートしてくるわぁ~」
「えっ!?」
「バッカね、さっきなんて、アタシがいたって仕方なかったでしょ」
あ、わざわざ席外してくれてたのか。
「いってらっしゃいっす~」
後片付けよろしくっと言いつつ、スキップしつつアスカさんは出かけて行った。
カランコロン。
よし。
「ミヤ、次の定休日まで、お互い考えることにしよう。どうだ?」
「いっすね~」
俺の提案に、お盆を持ってきたミヤが、ニカッっと笑った。




