第一話 四神の家出 4
カランコロン。
玄武と魔王が大騒ぎをして帰って行った翌々日。開店準備をしている午後に、扉の音がした。手を止めて顔を上げる。
「あれ?音したよな?」
「したっすね」
一緒にフロアにいたミヤも不思議そうにしている。何度確認しても、フロアには誰もいない。
首をひねりつつ、いないものはいないのだからと作業に戻る。すると、再び扉の音がした。
カランコロン。
「こんにちは」
ルピナス商会のオルタさんが挨拶とともに入ってきた。
「やあ。アスカはいる?」
「はい。どうぞ、座って待っててください」
カマド部屋で仕込みをしているアスカさんを呼びに行く。
「アスカさん。オルタさんが来ました」
「あらぁ~。ちょっと今、手が離せないわぁ~。ごめん!待っててもらって!!」
アツアツのジャガイモを潰しつつアスカさんが湯気の向こうから言った。
「分かりました」
「マヨネーズの話よね。一段落したら、すぐ行くわ!!申し訳ないけど、三十分くらい、待っててもらって!!」
「はい」
お茶を淹れてフロアへ戻る。アスカさんが今作っているのは、ジャガイモのニョッキだ。たまには目先の変わったジャガイモ料理を作ろうと思い立ったらしい。すごいよな、アスカさん。調味料だって全く同じように存在するわけじゃないし、電子レンジもない、火はカマドと石窯、便利グッズもない、そんな中で、手間暇かけて仕込みしてるんだもんな。
ミヤはかなり手伝っているし、俺も旅から帰ってきてからは手伝えるようにはなってきてるけど、やっぱり、火加減は難しい。
そして、アスカさんを見てて実感したけど、料理ってほんと、手間暇がかかるもんなんだよな。なにがすごいって、どんなに忙しい日が続いても、毎日、一生懸命仕込んでいる。それはもう、ほんとに真摯に。
だから、お店に人が集まるんだろうなあ。だって、最初は俺とミヤを見に野次馬で来た人の中にも、料理が美味しいからって通ってくれるようになった人もいるし。
アスカさんのそういう姿勢が、料理を通してお客さんに伝わってるってことだよな。それって、すごいことだよなぁ。
そんなことを思いつつ、オルタさんにお茶を出す。
「すみません。仕込みの最中で、三十分くらいかかるそうです」
「分かった。今回はいきなり来たから、気にしないで。ゆっくり待っているから。カツミも仕事があるだろう。戻っていいよ」
「すみません」
フロアの掃除中ではあったけれど、さすがに、人がお茶を飲んでいるところで掃除する気にはならない。掃除は後にしよう。
「ミヤ。俺、足りない物があったら、買い出しに行ってくるよ。何かある?」
「えっとっすね。配達も全部来たし、足りない物も今のところはなさそうなんで、買い出しは大丈夫っすよ」
あんまりにも客数が増えて、その分仕込みも増えたから、配達してもらうようになったんだよな。そういえば、来てたわ。昼前に、全部揃ってた。足りない物があれば、それにプラスして買い出しには行ってるけど、今日はそれもない、と。なら、イッちゃんさんのとこにでも行ってくるか。
「ミヤ、今日のオススメの紙って、もう出てる?」
「うっす。カウンターに置いてあるっす」
「じゃあ俺、イッちゃんさんのとこに行ってくるよ」
「いっすか?」
「うん。手が空いたし」
カウンターに置いてある紙を手に取り、小さな黒板を小脇に抱える。
「すみません。ちょっと俺、外します」
「その黒板、どうするんだ?」
「オススメのメニューを書いてもらうんです」
「ん?あ。そうか。この世界の文字が分からないって言ってたな?」
「そうなんです。なので、知り合いに書いてもらってるんです」
そうなのだ。世界の歪みが修正されたとはいえ、異世界人に関する、そういったことは変更にはならなかった。相変わらず、俺たちは誰も、この世界の文字は読み書きできない。それってやっぱり、俺たちは世界にとっては異物のままってことなんだろうか。根本的に。
「なるほどなぁ」
ふうん、と小さく顎を動かした後に、俺に手を差し出す。
「よかったら、待ってる間に俺が書くよ」
「え。悪いですよ」
「お店の準備で忙しい時間に来ちゃったし、ただ待ってるのも申し訳ないから、書くよ」
「でも」
「カツミさん、たまにはいいじゃないっすか。オルタさん、お願いしますっす」
「うん。カツミ、メニューを読み上げてくれ」
「はい。えっと。一番上に、本日のオススメ、って書いてください。それでですね」
定番のメニューや言ってくれればできるメニューはあるが、本日のオススメは、その日の天気や仕入れによって、変わる。
今日は、鰆に似た魚で仕込んだ幽庵焼きっぽい焼き魚、クラムチャウダー、タコの柔らか煮、太いネギを大ぶりに切ってスープ煮にした物。それから、ジャガイモのニョッキ。
鰆は今頃から美味しくなってくるし、ちょっと寒いな、ってときに、クラムチャウダーもネギも、体が温まっていいだろう。ジャガイモは、いつもはポテトサラダが人気もあるし定番だけど、今日はニョッキにしてチーズソースをかける。
似たような料理があるけれど、料理名が異世界のままなので、オルタさんは一つずつ説明を聞きたがった。簡単に説明すると、似たような料理はすぐに分かったようだったけど、ニョッキや幽庵焼きなんかは、分からないようだった。
「食べてみたいけどなぁ。最近この店、大人気でなかなか入れないんだって?」
メニューを書き終えた黒板を俺に渡しつつ、オルタさんが残念そうに言う。
「ありがとうございます。人気というかなんというか。人気なのは神様なんでしょうけど」
「そうなのか?」
「はい。神様に関わった俺たちを見に来てるようです」
「なるほどな」
「ごめんねっ!!お待たせ!!」
苦笑いで頷いたところで、アスカさんがやってきた。
「いや、俺こそ急にすまなかった。マヨネーズの試作品が出来上がったものだから、そのまま持って来てしまったんだ」
フットワーク軽いなぁ。
アスカさんは結局、ルピナス商会で経営している食堂へのレシピ提供はしなかった。自分のお店で手一杯で、他のことはできない、と断ったのだ。けれど、俺たちが作ったマヨネーズを試食したり、天晴れで幾度かお酒を飲んだオルタさんが、マヨネーズの製品化をしたい、ということで、熱心に話をし、マヨネーズを製品化するのを共同で行うことになったのだ。マヨネーズ入りのソースをケバブに使っているジンにも、その旨は伝えてある。
まあ、共同とは言っても、アスカさんはお店もあるので、マヨネーズのレシピ提供のみ。製品化させて流通させるのはルピナス商会が行うことになった。その試作品を今日は持って来てくれたのだ。
「なかなかいい出来だと思うんだ」
そう言ってオルタさんが、小瓶に入れられたマヨネーズをテーブルに出す。手の平に乗るくらいのジャムの大きさの瓶に入っている。
「サイズもかわいくていいわね」
「そうだろう?馴染みがない調味料だと、なかなか手がでないからな。食べてみれば美味しいと思うだろうが、まずは手に取りやすいサイズがいいと思ってな」
「そうね。で、どう?味とか日持ちとか」
「味は問題がない、と思う。日持ちも、そこそこだな。携帯食の技術を使ったからな。これくらいの大きさだと、一度開けたら使い切るのも早いだろうし」
「そうね。使い切りやすいサイズだわ」
「ああ。それと、最初は少量で流通させる。まずは、四つの領地の中心町から販売しようと思っているんだ」
「賛成。それでいいと思うわ」
「まあ、味をみてくれ」
パコン、と音をさせてオルタさんが蓋を開けたので、スプーンを持っていく。
「ありがとう。カツミとミヤも、味見してくれ」
「クラッカーがあったわね。持って来るわ」
「あ、俺、やるっすよ」
「ありがと」
マヨネーズを少量、スプーンにとってクラッカーに乗せて食べてみる。うん。前の世界で流通してたのよりはゆるい感じだけど、美味しい。
「いいんじゃないかしらね」
アスカさんの言葉に俺たちが頷くと、オルタさんも嬉しそうに頷いた。
「だろう?」
試作品はこれで数度目だ。最初は味がイマイチだったし、マヨネーズの硬さも難しかった。それにプラス、賞味期限や保存に関すること、容器はどうするか、等々、ここ数ヶ月はルピナス商会でかなり試作品を作っていた。
「売れるといいわねぇ」
「そうだな」
「食べ方が分からないと、なかなか買わないのよね」
「店で料理として食べるのと、自分で調味料を買って作るのは、勝手がまるで違うからな」
「そうねぇ」
「あの、食べ方を書いた一言メモみたいのを、サービスでつけたらどうっすか?」
「というと?」
「コストも考えないとっすけど、紙に書くんっす。野菜や焼いた肉につけて食べてみよう、とか。一言くらいなら、そんなにコストもかからないっすよね?」
「いいかもしれないな」
「魔力でどうにかなるなら、瓶に書いたっていいわよね」
そうかも。この世界の携帯食は、魔力も使っている。もし、魔力で瓶に文字を定着させることができるなら、説明書きが瓶にくっついているから、一石二鳥だ。
「そういう方法もあるな」
「できるの?」
「瓶にインクで文字を書いて、それを魔力で固定することはできるだろうな。ただ、一つ一つ手書きとなるとな」
「そうすると、紙に書くのも、手間っすよねぇ」
印刷が機械でパパっと出来ない以上、そういう壁があるのか。この世界にある文字の製品が、全て手書きってことははないだろうけれど、印刷機がないって、大量生産したいときには困るな。
ただ、この世界には魔力があるからなぁ。俺たちが想像できないような方法があるかもしれない。
「瓶を作るときに、予め作っておいた焼きごてを押すとか」
冗談半分で言ってみる。焼きごてを使わなくっても、瓶を作るときに、魔力を使って文字自体を凹ませる形で固定するとか、できたりしないかな。
「……できるかもしれないな」
マジで?!嘘でしょ!?
「マジですか」
自分で言っておいてビビる俺に、オルタさんが事も無げに頷く。
「そうだな。早速、戻って方法を考えてみる。なめらかさや味は、これでいいか?」
「いいと思うわ」
「そうか。なら、また来る。それではな」
言うが早いか、あっという間に立ち上がったオルタさんは、小走りに店を出て行ってしまった。
カランコロン。
「カツミ、ナイスアイデアだったみたいね」
「いや、ミヤが最初に出したアイデアですよ」
「成功するといっすね!」
うん。瓶に食べ方が書いてあったら、すごく手に取りやすいよな。
「なんだか不思議ねぇ。マヨネーズって、確かに美味しいけど、こんなに受け入れられるとは思わなかったわ」
確かに。
「炭酸ジュースも作ってくれないっすかね、ルピナス商会で」
「それは無理だろ」
“炭酸ジュースってなんだ?”
「わぁっ?!」
突然頭の中に響いた声に、三人揃って飛び上がる。今、扉の音、した?!
ドキドキする心臓を押さえ、慌てて周りを見回してみると、なんと、いつの間にやら、ソファーの上に玄武が乗っかっている。どうでもいいけど、脇に置いてある麻袋、なんだろう。
なんだか嫌な予感がしつつ、口を開く。
「いつの間に来たんですか」
”あの男の前だ“
あっ。一回目の扉の音か。やっぱり、気のせいじゃなかったんだな。
「なんですぐ声をかけてくれなかったんですか?」
“すぐに来客だったろう。私は気にしないが、他の人には、あまり姿を見せない方がいいんだろう?”
「そうですね」
「あらあら。お茶も出さないで、ごめんなさいね」
いち早く立ち直ったアスカさんが、俺たちが会話をしている間にお茶を淹れて玄武に出す。
“ありがとう”
「今日は、どうしたんっすか?」
ニコニコしつつミヤが玄武に声をかける。開店時間は、後二時間後に迫ってきている。手早く話を終わらせないといけない。
“あのな”
カランコロン。
玄武が話し出したら、扉が開いた。誰だろうと振り向くと、魔王。
「どうしたんですか」
「玄武が来てないか?」
「います」
「やっぱりな」
ツカツカと店の中に入り、玄武の前に仁王立ちする。
「勝手に出歩くな。ついでに、ワシに分からんように気配を消すな」
“きちんと眷属には言って来た”
「ワシは聞いてない」
“ここに来る口実ができて、よかっただろう?”
あ、これ、玄武の方が上手だわ。シレッとしつつ仲良くお茶を飲む玄武は、グッと黙った魔王よりも余裕がある。
「ウオマさんも、お茶どうぞ」
アスカさんが再びお茶を淹れて持って来る。いやいや、そんなゆっくりしてる場合じゃないでしょうよ。
「で、どうしたんですか、今日は」
“うん。町歩きのことが決まったから、来たんだ”
マジか。
「どうなったんっすか?」
ゲンナリ、と顔に書いたまま押し黙った俺に代わって、ミヤが玄武に聞く。
“毎月一回、それぞれの地方の町歩きをすることになってな。三人は、全員に付き合ってくれ”
ん!?じゃあ、月に四回ってこと?!さすがにそれはキツくない?!
「アタシ、一緒に行っていいのかしら?」
“問題はなかろう。神とも交流があるし、特に我々がアスカに対して恩恵を与えるわけでもない”
「アスカ君が、悪だくみをしたり、四神を悪用したりするような人間ではないことも分かっているしな」
むしろ、人が好過ぎるとこがあるけど。アスカさん。
「でも、ほんとうにいいんですか?特別扱いになりませんか?」
「付き合ってもらう方だからなぁ。アスカ君が積極的に、普段から四神を顎で使い始めたりするなら話が別だが」
その言葉に、アスカさんがブンブンと首を左右に振る。
「まぁ、カツミ君とミヤ君、四神の保護者として一緒に来てもらう分には、そこまで大きな問題はなかろうという判断になった」
甘くね?判断。でもまぁ、俺たちも確かに、魔王のメンテナンスの件がバレたら、ややこしいことに巻き込まれる可能性があるから、保護者はいた方がいいと言えば、いいのかなぁ。
なんとなく腑に落ちないけれど、それはそれで納得するしかないのか。
つうか、アレだな、魔王。自分も俺たちやジン、旅芸人一座と懇意にしてるから、四神に強く言えなかったんだろうなぁ。一緒に飲んだりしてるし。まあ、誰も魔王の事、神様として付き合ってないけどさ。
そこで、アスカさんが困ったように口を開いた。
「でも、それだと、お店が週休二日になっちゃうわ」
そうだよ。考えてみると、お店の休みまで変更しないといけなくなっちゃうよな。
”少し、休養が欲しかったのだろう“
「え、ええ」
“それに、小遣いをもらったから。これで町歩きと、それから必要な分を、いろいろと補填してくれ”
そう言って、玄武が脇に置いてあった麻袋をくわえてアスカさんに渡す。
玄武が差し出した物を受け取らないわけにもいかず、アスカさんがおずおずと受け取る。
「何かしら?」
袋を恐る恐る覗いたアスカさんが、小さな悲鳴を上げて麻袋をテーブルに置き、目だけで魔王を見た。
え。何が入ってるの?
「一ヶ月に四回、四神の町歩きに付き合う報酬だ。それは一回分。それで、町歩きの費用を賄ってくれ」
「あ、余るわよ」
「余った分は、店を休む補填と思ってくれ」
「あ、アタシ、乗り物乗れないし」
「四神が姿を消して、背中に乗せてくれるそうだ。背中に乗ってしまえば、君たちも他には見えなくなる」
マジでか?!
ビックリした俺たちが思わず体を引いたのと、ガターン、という音がしてアスカさんが椅子に座り込んだのが同時だった。
「アスカさん!」
「大丈夫っすか?」
「大丈夫よ。ちょっと、ビックリし過ぎちゃって」
この肝っ玉の太い人をビックリさせ過ぎるとは、四神も魔王もすごすぎる。
「四神の背中は揺れることはない。しかも、移動は短時間で済む」
そりゃそうでしょうよ。守護神なんだから。あっという間に目的地に着けるんでしょうけど。
”アスカ、旅行に行きたいと言っていただろう?“
バカンスな!!バカンス!
驚きすぎて座り込んでしまったアスカさんを不思議そうに見て、玄武が言う。喜ぶと思っていたのか?もしかして。喜ぶ前に、ビックリするだろうよ。やっぱ、俺たちと同じ感覚ではないな。
「すごいっすね!!アスカさん、いろんなとこに行けるっすよ!!」
ここにもいた。とんでもない肝の持ち主。ミヤ!お前、ほんと、すごすぎでしょ!!
「あの、とりあえず、今日はもうすぐ開店の時間なんで、来週の定休日のメンテナンスのときに、改めて話を聞いてもいいですか?」
「うむ。その方がいいな」
“そうか?”
「ワシはそう言っただろう。今日は店が営業日だから、休みの日の方がいいって。浮かれすぎて、話しも聞かずに出かけおって」
“そうか。すまないな、アスカ。また来る”
そうしてまた、姿を消した玄武は魔王によじ登ったらしい。またしても渋い顔をした魔王が申し訳なさそうにこちらを見る。
「すまなかったな。驚かせてしまって。ワシはついでに、ケバブを食べて帰る。ではな」
そうかよ。玄武の言ったとおりじゃんか。全くもう。人騒がせな。
「え、ええ」
「また来週っす~」
元気に言えるミヤがすごい。
「騒ぎ、起こさないでくださいよ」
「分かってる。それにしても、偉い人は気軽に出歩いてはダメだっていうのは、誰が決めたことなんだろうなぁ?」
魔王の呟きは、とりあえずその場では黙殺された。
でも、確かに、誰が言い出したことなんだろうな?誰でもいいけど、とりあえず、偉い人は一般庶民を巻き込まないで欲しい。
座り込んでいるアスカさんを見つつ、ため息が出た。




