第三話 仕事は人生の一部です 1
「ミヤ。イチカに会いに行きたいんだ。付き合ってくれないか?」
バリスが伝えにきた俺の処遇は、濡れ衣だと証明されたので、今まで通り領地を自由に行動していていい、ということだった。がしかし、異能は町中では発動しないように気をつける事、と再度、念押しされた。
痴漢を捕まえたときに意識して異能を使ったことが、やはり、よくなかったらしい。
それはまぁともかく。自由の身だ。ミヤには面倒かけるけど。
あの帽子の男はどうやってか分からないが、監視の目を盗んで逃げて来ていたらしい。身代りになっていた男もいたようで、監視の人も気付くのが遅れたのだそうな。
治療院ではおとなしくしていたのもの、ブツブツとティルへの執着を語っていたようで、再び、警備隊のお世話になりつつ仕事をすることになったようだ。
………アイツが厚生しないんなら、俺の異能で厚生って無理なんじゃないの。
大きな不安を抱えつつ、でもまあ、仕事引き受けちゃったし、異能の受け取り方も人によるみたいだし、とグズグズと考える日々が続いた。
そしてその初仕事は、バリスが朝、訪ねて来た日から数えて、十日後の予定だった。厚生者は少し遠方から移動してくるらしい。とりあえず、十日後の店の定休日、午前中に役所に行き、打ち合わせをして、対象者に異能を発動、ということになった。
のだが。
半端に開いてしまった日数が落ち着かない。十日後となると、次の次の定休日だ。
とりあえず、異能を発動する為のワードを書いた紙を何枚か用意してみる。ヒーリングしてもらう上に発動も手伝ってもらうなんて、ミヤに負担ばかりかけられない。
ワードを書き出すコツは、思考停止だ。脳みそを無にして、書く。しかも、薄目で。なんとか異能は発動せずに、十枚程度の紙を準備できた。仕事日までにうっかり視界に入れないように、二つ折りにして紐で縛っておく。
仕事中もなんとなく落ち着かず、ソワソワしっぱなしで、幾度かアスカさんに邪魔にされ、お尻で吹っ飛ばされた。
そんな中、ふと、イチカのことを思い出した。
俺が知ってる中では、アスカさんとミヤ以外で、同じ場所からこの世界にきた存在。思い出すと、なんだか急に会いたくなった。
というわけで、ミヤに頼んでみる。
「いっすよ!」
理由も聞かずに即答のミヤに、本当に救われる気がする。なんでこんなに、いいヤツなんだ。
と、そんなこんなで、俺たちは定休日に町の換金所に向かったのだが。
「いないっすね」
そう。目立つはずのイチカは見当たらず、聞いてみると、今日は休みだった。
ということは。
「あの林っすかね」
「だな。いいか?ミヤ。あそこも領地内だし、行ってもいいと思うんだけど」
「もちろんっすよ!町の外に出るの、久々っすね~」
言われて気づく。
「そうか。そうだな」
この前も、イチカに会いに行ったんだっけ。
一度、店に寄ってアスカさんに断りを入れて、城門を通って町の外に出る。
俺たちが来たときよりも季節はちょっと進んで、夏になりたての日差しが眩しい。青い空にキレイな川、川の向こうに遠目に見える森、ちょっと歩くとある林。気持ちのいい風にそよぐ緑が目に鮮やかだ。
思いきり深呼吸をする。
「町もいいけど、外も気持ちがいいっすね~」
「ほんとだな」
とかなんとか言っていると、一気に空が暗くなってきた。風が強くなって、黒い雲が一気に広がってくる。
ッザアアアアアアアアアアア!!!
あれよあれよという間に一気に雨が降ってきて、更に。
ガラガラ……ゴロゴロ………。
「雷!!」
「走るっす!!行きましょう、カツミさん!!」
ミヤの声を合図に、俺たちは林へ向かってダッシュした。
運動不足の体に突然の全力疾走はキツい。
あっという間に遠ざかったミヤの背中を雨越しに必死で追い、林に駆け込む。衰えている体がついていかず、節々がちょっと痛む。それ以上に、息が上がり過ぎてて、苦しい。
ゼエハアと息をしつつ、雨に混ざった汗を振り払う。ミヤはといえば、軽く息が上がった程度だ。若いっていい。てか。俺が情けないだけか。
「林って、意外に雨しのげるんっすね」
肩で息をしつつ頷く。
林の中にも雨は降ってはるが、木の下に入ると、だいぶ雨が軽減される。雨に濡れた土の匂いと、木の匂い。ザァッと降る雨の音と雷の音が、少しだけ柔らかく、遠くなる。
イチカは、林にいるだろうか?いるとしたら、どの辺だろう。
呼吸を整えつつ、屈めていた上半身をなんとか起こす。
「あ」
「いっよ~お!」
ミヤの声と、イチカの陽気な声が重なった。
「ひっさしぶりじゃん~!元気だったか」
振り向くと、表情は分からないものの、ご機嫌そうなイチカが雨に濡れた体を光らせながら、立っていた。
「多分、通り雨だろ~。夏場って、よくあるじゃん?」
「ゲリラ豪雨とか?」
「この世界のは、あそこまでひどくないわな」
カラカラと笑って、イチカが自分で作ってみたという、林の中の秘密基地に案内してくれた。
川沿いの小道から外れて、町を背にして川上に向かって四十五度くらいの角度で、膝丈の草を踏みしめつつ歩く。歩いているうちに、雨音も雷の音も遠くなっていった。
「でもさ、雷って木はヤバいから、ほんとは避難したらダメなんだぞ」
「え、そうなの?」
「そうだよ。今は遠くを通って行っただけだったみたいだけど、ほんとは、雷が鳴った時に木の下に避難したらダメなんだ」
「なんでっすか?」
「落ちやすいんだよ、雷。木って」
マジか。
「知らなかった」
「次からは、気をつけろよ。危ないからな」
「うっす」
そんなこんなで話しつつしばらく歩くと、周りの木々よりもずっと大きな木があって、そこの根元には自然に空いたのだろう、凸凹した表面の窪みがあった。その木の周りはくり抜いたかのように、周囲の木々よりも距離があって一本木のようになっている。周りは草がキレイに除草されていて、更に、窪みの中には、柔らかそうな藁が敷き詰めてあった。
「俺が草むしりして、藁も運んだんだぜ~」
ご機嫌なイチカが、リズムをつけて木の穴の方に歩いて行き、来い来いと手招きする。
凸凹した窪みは案外大きく、ギリで俺達三人が入れるくらいの大きさがあった。敷き詰められた藁が、意外に気持ちいい。
「すごいっすね~!」
ミヤが満面の笑みを浮かべて言う。
「だろだろ~?藁だって、定期的に入れ替えてるんだぜ!火も使えるように、草むしりもしたしな!今度、一緒に、キャンプでもするか?」
「おぉっ!!やりたいっす!やったことないっす!」
「よっしゃ!やろやろ。いつがいいかな~。な、カツミ?」
「ん?」
「キャンプだよ、キャンプ!ミヤもやったことないって言うし、やろうぜ~」
「え、やったことないの?」
「ないっす!」
「ほらほら、やろうぜ~!いつがいい?ちなみに俺は、三日に一回休みだから、割といつでもいいぞ」
「あ」
「ごめんなさいっす。ちょっと、先になりそうっす。いっすか?」
「いいよ、いいよ~。お前ら、アスカさんのとこにいるんだろ?次の定休日は、もう予定入っちゃってるってことだろ?」
「うっす」
「そうなんだ」
意識せずに、視線が下がる。心のどこかで、まだ、異能を使って仕事をすることに、踏ん切りがついてないのかもしれない。
「?どうしたんだ?気が進まない用事なのか」
とりあえず、これでも食って元気出せ、と、どこから出してきたものか、イチカが紙袋からケバブサンドを取り出す。
……ケバブ。反射的に手が両頬を押さえた。いやもう、なんともないんだけどさ。ヒーリングもしてもらったし。
「いただきますっす!!」
ミヤが元気よく受け取って、早速かぶりついた。
ほら、カツミも食えよ、とイチカが差し出してくれたケバブを受け取る。三人で、しばらく黙ったままケバブを食べる。
半分ほど食べたところで、ポツリポツリと、口から言葉がこぼれ出してきた。すでに食べ終わったイチカとミヤは、黙って俺の声に耳を傾けている。
俺のせいでミヤもこの世界に来てしまったこと。
トラウマがトリガーの危険な異能を持っているせいで、一人では出歩けないこと。
ミヤのヒーリングで異能が発動しても治療ができること。
そんな状況でも、ミヤは決して俺を責めないこと。
その異能を使って厚生対象者にショック療法をする仕事が、役所から依頼されたこと。
痴漢に間違えられたことがきっかけで、町中で異能が発動してしまったこと。
とりとめもなく、話すつもりのなかった言葉が口からこぼれ落ちる。いつの間にか、目尻には涙がにじんでいた。
情けなくて。自分が。迷惑しかかけていないミヤに、何も恩返しできないことが。こんな弱音を吐く時も、迷惑をかけているミヤの前だということが。
「そうかぁ。なかなかヘビーな事情があったんだなぁ」
話し終わると、イチカがボソリとつぶやいた。
「珍しいなと思ったんだよ。二人一緒にくるなんて、俺、ここに三年いるけど、聞いたことないもんな」
そうなのか。
「ま、それでどうしたいわけよ?」
「分からないんだ……」
「そっか~」
沈黙がおりる。
ミヤはどこか遠くを見ているようで、顔の角度の加減で、俺には表情は見えない。イチカは、考えをまとめるように、何度か首を傾げていた。
「あのさ俺、こんな姿になっちゃったじゃん?」
いきなり、明るい声でイチカが話し始めた。
「う……、うん」
「元々は、お前らと同じ姿だったわけよ」
黙って頷く。
「ここ来て三年って言ったけどさぁ~。最初の二年は、治療院に入りっぱなしだったぜ」
「………」
「受け入れられなくってさ。自分を」
軽く肩をすくめるような仕草をして、話を続ける。
「鏡どころか、視界に入る手足も嫌で仕方なかったぜ~。しかも俺、車の整備士だったんだよ、元の世界で。この体だと、腹出して潜り込んだり出来ないし、屈んで作業するのにも限界がある。何より、車が存在してない」
「うん」
「窓開けて、外の景色ばっかり見てたな。幸い、この世界は福利厚生が手厚いから、全然、問題はなかったけどな」
そうなのだ。この世界、異世界から来た人だけではなく、システムとして、転職や保障等、福利厚生がすごくしっかりしてる。
頷く俺を見て、明るい声のまま、イチカは続ける。
「でよ。二年くらいその状態で、思ったわけ。あれ、俺、こうしてても、このまま過ごせちゃうけど、もったいなくねぇ?しかも俺、寿命ってどうなってるわけ?って」
もったいない?寿命?
「だってよ、考えてみたら、異世界に来ちゃったんだろう?姿も変わってるし、寿命だって、分かんないじゃん?そしたらなんか、無性に自分の足で歩いてみたいなと、その時、初めて思ったんだ」
寿命……。考えもしなかった。自分は、前の世界の姿のままだから。
「そっからよ、手足の動かし方から体の動かし方練習して、同時進行で役所と話して。換金所は、役所に紹介してもらったんだ」
俺は。最初からワクワク歩いてた。
「町を歩いて、誰も嫌がったりしないどころか、アレコレ教えてくれて、歓迎してくれたときは、嬉しくって、泣いちまったぜ!」
チョコチョコ、と俺を慰めるようにイチカの手が肩に触れる。
「異能は持ってないから、お前らの気持ちは分からないけど……嫌なことはやらなくていいし、やってみてもいいな、って思ったら、やってみたらいいんじゃね?だって俺ら、異世界来ちゃったんだぜ?」
イチカが、俺と反対側に座っていたミヤの肩にも、手を伸ばす。
「な?ミヤも」
表情が見えない角度で、ちょっとだけうつむくミヤ。
ミヤも?
「俺なら、ヒーリングが絶対だって言われても、ヒーリング出来なかったらと思うと、こえぇよ。もし、ってな。絶対、毎回、効くのかよって」
……そうか。俺、ほんとに視野が狭いな。自分のことばっかりで。ミヤの気持ちも、想像できてなかった。それどころか、ヒーリングできていいな、なんて思ってた。
「うっす」
短めに返事をしたミヤの表情は、まだ見えない。
「あり得ないことが起こったんだ、思い切って、楽しもうぜ~!!まずはミヤは、キャンプだな!!」
真ん中に座っているイチカが、四本の足で俺たちの肩を揺すった。
「俺のオススメは、まずは肉だな!!それと、チーズ塊で炙るの!!ミヤは、何がしてみたい?」
「肉とチーズ、焼きたいっす!塊の!!」
いつの間にかミヤが、いつもの感じで笑っていた。
「任せろ!!俺、自分で言うのもなんだけど、肉の塊焼くの、上手いんだぜ~!!後な、お前ら、夜、町の外に出たことあるか?」
急な質問に、ミヤと二人で目を合わせて、首を振る。
「ないのか!!じゃあ、川沿いにも出て、星空も見ようぜ!!すっげえぞ!!」
「見てみたいっす!!」
星空かぁ。俺も、何年ぶりだろう?そう思いつつ、頷く。
「楽しみっす!!」
それからはキャンプの話をいろいろして、いつの間にか他愛のない世間話をして、俺たちはイチカの秘密基地を後にした。
イチカは、今日はここに泊まって行くのだそうな。
またな、と手を振るイチカに手を振り返して、林を抜けると、夏の空は夜の闇が来る前の夕焼けだった。
川沿いの道を歩きながら、ミヤに声をかける。
「ミヤ。例の仕事、どうする?」
「そうっすね~。実は俺、やってみるっすかって言ったくせに、実際に決まっちゃうと、怖かったっす」
「うん」
「でも、言い出せなかったす」
「うん」
「でもさっき、イチカさんと話してて、一回はやってみようかって、思ったっす」
「そうか」
「カツミさんは?」
俺か。俺は。
「引き受けた以上、それだけはやろうと思う。ミヤが一緒にやってくれるなら」
ブラック企業体質のせいかもしれないけど。一度引き受けたからには、やろうと思う。人助けになるのかも……しれないし。
「うっす。次のことは、また、考えましょうっす」
「そうだな。ありがとう、ミヤ」
夕焼けの中、ミヤが少しだけ微笑んで、頷いた。
思えば、ミヤがこんな風に話をしたのは、初めてだ。イチカが優しく肩を叩いてくれたことが、ふと浮かぶ。
……弱音ばっかり吐いてないで、俺もしっかりしなくちゃな。
町の城門を通る頃には、うっすらと夜の帳が下りて来始めていた。




