第二話 どこでも恋愛はこじれる可能性がある 7
カランコロン。
すっげえカオスだった。何も壊れてないのがウソみたいな。被害ゼロの嵐。マジで。
「アスカさん。迷惑かけてごめんなさい」
憔悴した様子のティルが頭を下げる。
「やあね、迷惑なのはあの男じゃない。ティルちゃんに何もなくて、よかったわよ」
ニコニコと笑顔で返す。
「アイツ、どんなに断っても断っても、聞き入れてくれなくて。お兄ちゃんや父さんにシメてもらっても、全然、こりなくて」
待って。オヤジさんがシメるのは分かるけど、ジンの方はメッチャ優し気なのに、シメたりするの?!
穏やかでにこやかなジンを改めてマジマジと見る。人は見かけによらないものだな。でも、よくよく考えてみると、ジンのケバブへの情熱は半端じゃないもんな。そういう一面もあっても変じゃない。
帽子の男も、小柄だし気が弱そうな感じだったけど、そんなシツコイ奴なんだな。
「とうとう、警備隊の監視付きでどこかに仕事に行かされたのが……いつだっけ?」
「一ケ月くらい前かな」
「だったんです。まさか、警備隊の監視を抜けてくるなんて……」
「元気出して!ティルちゃんのせいじゃないでしょ。それに、登録証にガッチリ記録されるだろうから、監視もキツくなるでしょ」
登録証って、そんな役割もあるのか。
「………でも私、ちょっとあの男の気持ち、……分かる」
それまで黙って聞いていたトウカさんが、泣きながら言う。
「警備隊に阻まれても、……割り切れないものは………割り切れないのよ。そんなすぐに、はいそうですかって………、切り替えられない………」
そこまで言うと、わああああ、と声を上げて泣き始めた。
視線を落とすティル、優しくトウカさんの背中をさするエン、黙ってグラスを見つめるジンに、腕組みをして動かないオヤジ。
どうしていいか分からない俺。
しばらくそのままで時間が流れた。
「いいんじゃないっすかね」
ふいに、ミヤの声が明るく響いた。
「見てくださいっす、このホウキ」
そう言いつつ、この間アスカさんが折ったホウキを持ってくる。捨てるのかなと思いきや、折れた柄には丁寧に布と紐を巻き、修理して使っていた。
「この前、折れたっすよ。でも、折れたからってすぐ捨てられないっす。修理して、使ってるっすよ」
ヒクッ、とトウカさんの涙が少し引く。
「大丈夫っす!無理に捨てなくても」
俯いたトウカさんの肩が、大きく震えた。
「押しつけなきゃいいんすよ!」
ゆっくりと頷く。
「それに、俺がいた世界では、時間薬って言葉があったっす。時間が癒してくれることもあるっすよ!」
手拭いを握りしめて、トウカさんが大きく頷いた。
「また、飲みに来てくださいっす!」
ニコニコと明るい声で言ったミヤに、テーブル席のみんながホッとしたように頷いた。
「そうよそうよ。いつでも飲みに来てよ~。待ってるわぁ~」
「うっす!」
何も言えなかったけど、俺も精一杯、頷く。
トウカさんの涙が止まって落ち着いた頃、ヒーリングを軽く受けて、みんなは帰って行った。
三人になった後、もう一度、アスカさんが呟いていた。
「すっっっごいカオスだったわね……驚いたわ……」
昨日は大繁盛とカオスのおかげで、後片付けがすっかり遅くなってしまい、疲れ果てた俺達は、食うものも食わず、それぞれの部屋に引き上げた。
その分、今朝は、メッチャクチャ腹が減った。腹が減り過ぎて目が覚めたくらいだ。
住居部分になっている二階から店へ降りて行くと、アスカさんとミヤが、すでに朝ご飯の準備を始めていた。
「おはようございますっす!」
「おはよぉ~」
「おはようございます」
朝の挨拶……とはいっても、すでに朝一の時間帯ではないが……をしつつ、俺も、出来上がった料理をテーブルに運んで準備を手伝う。
昨日はだいぶ食材も出たから、今日はオツマミの残り物は少ない。目玉焼きとパンとサラダと肉。それでも十分なボリュームと美味しそうな匂いに、大きく腹が鳴る。
いただきます、と三人で手を合わせ、早速食べる。
肉と目玉焼きをパンに挟んで食うと、ほどよい厚さの肉と濃いタマゴの味が合わさって、ものすごい贅沢をしている気分になる。
しばらく黙って食べ、お腹も一段落した辺りで、アスカさんが言った。
「それでカツミ、この世界でドロドロ恋愛があるかどうかは、分かったわけ?」
「……よく分んないですけど、気持ちっていうのは、どこの世界でもそうそう割り切れるもんじゃないっていうのは、分かりました」
「そういうことよ。アンタだけじゃないのよ、いろんな感情があるのは」
そうだよな。感情なんて、割り切れないし、自分でどうにもできないこともある。この世界の人だって、おんなじだ。
……要するに。
「アスカさん、この世界でドロドロ恋愛、見たことあるんですね?」
「何よ、聞きたいのぉ~?」
またしても、ニヤリと笑った顔が怖すぎる。
「イヤイヤイヤイヤ。ご遠慮します!!」
全力でお断りする。
あれ、そういえば。
「アスカさんて、この世界に来てから、何年くらいになるんですか?」
詳しいよな。この世界について。
「十年くらいかしらねぇ~」
マジか。思ったよりずっと長い。
「なんでこっちに飛ばされてきたんですか?」
何の気なしに聞いて、口から出た質問に、自分で焦る。バカか、俺。自分が飛ばされてきたときのこと、思い出せよ。
出てしまった言葉に、一人でアワアワしていると、ミルクを飲みつつ、何でもないことのようにアスカさんが答えた。
「刺されたのよ」
「えっ?」
「さ・さ・れ・た・の!」
一言一言区切りつつ言う。
どうしよう………。
黙りこんだ俺に苦笑いしつつ、アスカさんが続きを話す。
「アタシ、ホストクラブでバイトしてたのよね。人手が足りないときだけ、どうしてもって頼まれて」
「はい」
「ホストクラブっては言うけど、バカみたいに高いボトル入れたりとか、そういうことはない、ちょっと高めのスナックって感じの、良心的なお店だったんだけど。まあ、店員は男ばっかりだったけどさ。……一人、アタシに夢中になっちゃった女の子がいてね」
「はい」
「アタシがノンケじゃないってバレたら、後ろからグッサー!よ」
マジでか。
「モテるって、辛いわぁ~」
オホホ、と高笑いしつつ言う。
「カツミも、そのうちモテるといいわね~。昨日はよく頑張ってたわよ、野暮天のくせにね」
いつものアスカさんの軽口が、ありがたい。
「昔の話よ、昔の。気にすんじゃないわよ」
「はい、すみません」
「そういえばミヤ、お手柄だったわね。最初から気づいてたの?」
「服装違ってたし、ちゃんと顔見てないんで、最初はわかんなかったんすけど、後ろ姿見てたら、似てるなって思ったんす」
なるほど。もしかしたら、って思って気にしてくれてたんだな。
それもそうだけど。昨日のミヤを思い出す。
「ミヤ、時間薬なんて古い言葉、よく知ってたな」
常々、難しいことは苦手っす~って言ってるのに。
「俺、ばあちゃん子だったんすよ~」
へぇ。意外。
あ、そういえばエンに手拭い返さないとな。どさくさに紛れて、返すの忘れてた。
そのとき、カランコロン、と音がして扉が開いた。まだ開店前なのに?と振り向くと、バリスが立っている。
「おはようございます。昨日の件の詳細とカツミさんの処遇、厚生施設との日程の調整ができましたので、お知らせに来ました」
盛りだくさんだね、朝から。しかも、初仕事が決まったのか。
ミヤを見ると、おぉーと言いつつ、何やら複雑そうな顔をしていた。
さて。どうなることやら。




