第二話 どこでも恋愛はこじれる可能性がある5
ということがあってから、一週間。情報は全く集まらなかった。
もちろん、あの日ただ見ていただけだというお詫びを兼ねて、飲みに来てくれたお客さんもいる。ただ、痴漢の目撃者は全くいなかった。
当然かもしれない。
誰だって、歩いているときに痴漢がいるかもなんて思いつつ歩くわけない。ましてや、人通りの多い場所だ。他人の手元など見て歩いている人もいない。
ただ、みんな、俺が両手がふさがっていて触れるような状況ではなかったことは、いつでも証言してくれると約束してくれた。
更に、あの日の後遺症で苦しむような人も出なかったようで、一安心だ。でもやっぱり、俺の外出許可は下りない。役所も諸々、事情があるんだろうな。
ふさぐ気持ちはあるけれど、ミヤもアスカさんもお客さんも、みんな信じてくれていたので、それは俺の中で大きな救いだった。
カランコロン、と扉が開く音がして、振り返る。
「いらっしゃいませ~」
入って来たのは、トウカさんだ。あれ、もう、定休日前か。
「今日は、一人じゃないのよ」
そうっと窺うように言ったトウカさんの視線の先を追うと。
「………いらっしゃいませ」
ゾロゾロゾロと入って来たのは、ケバブ屋の三人とエンだ。戸惑いつつ言葉をかけると、ジンがご機嫌で挨拶してきた。
「この間は、どうもありがとう」
スキップをしてハイテンションだった先日とは、打って変わった穏やかな笑顔で話す。なんなら、憂いを含んでいるくらいだ。
……あのときとは、別人だな。
それにしても、異能を突然食らってありがとうって。すごいな。いろんな意味で。
「すまなかったね」
大きな体を縮めるようにして言ってきたのは、オヤジさんだ。
「あ、いえ」
「私、ケバブが大好きで、よく食べに行くのよ。定休日前には、よくこのお店に飲みに行くのよって話したら、一緒に来たいって」
そうっと話すトウカさんの様子を見ると、一連の騒ぎは聞いているのだろう。
「ティルがね、あの後ふさぎ込んじゃって。お店にも出なくなっちゃったみたいでね。きちんと話しに行こうって、オジサンが連れて来たのよ」
席に着くケバブ一行を横目で見つつ、トウカさんが言った。
なるほど。でも今はちょっと無理。なぜなら。
「おーい。注文お願い」
「こっちも~」
今日は久しぶりに、早い時間に満席になって、忙しい。
基本的にはアスカさんが調理等をして、俺とミヤは酒を出したり注文を取ったり。簡単な調理のアシストはするし、すでに出来上がっている料理については盛り付けもするが、火を使う料理はアスカさんしかできない。
カウンターが十席、四人掛けのテーブルが八席ある店内は、満席になってしまうと、三人ではてんやわんやだ。待たされて怒るような人はいないが、それでも、なるべく早めに対応したい。
とりあえず席に着いたケバブ一行に挨拶だけして、慌てて注文を聞きに行く。
「お酒、同じのお願いね」
「はい!」
「照り焼きマヨのチキンを二人前」
「いいわね、こっちにも二人前ちょうだい」
「うっす!」
「ポテトサラダを四人前!!」
「うっす」
「ミヤ~。カツ出して~」
「うっす!お待たせしましたっす!!」
「こっちも、カツお願い。二人前ね!」
「うっす!」
揚げ物や照り焼きなんかは、他のテーブルの注文が入ると、それが呼び水になって重なることが多い。
一度に入った方が、アスカさんとしても作りやすいだろうけど。
カウンターの中に置いてある、ズラッと並んだ伝票に、間違えないように注文を書き込んで、カマド部屋にいるアスカさんにメモを渡す。
酒を準備するのもカウンターなので、男二人で入ると、ギュウギュウだ。多少はぶつかるけど、物を壊さないように気をつける。
ミヤは飲食店でのバイト経験があるそうで、俺よりもずっと、器用に動く。なんなら、お客さんとも二言三言、会話を交わしつつ、受けた注文をさばき、料理や酒を運ぶ。
「ミヤちゃん、今日のオススメは?」
「そっすね!今日は、海の魚が入ったっすよ。焼き魚なんてどうっすか?脂がのってて、美味いっすよ」
「いいね~。じゃあそれと、キノコのオイル炒め。パンたっぷりで」
「うっす!ありがとうございますっす!」
失礼にならない程度に皿やグラスを下げたりしつつ、注文を取る。俺はといえば、受けた注文を間違えないようにするだけで、精一杯だ。
ちなみに、この世界の文字は、俺たち三人は誰も書けない。その日のオススメメニューは、イッちゃんさんに頼んで黒板に書いてもらうのだ。イッチャンさんが忙しくて書けない日は、口頭になる。毎日、イッちゃんさん様様だよ。口頭でのオススメ日に混んだ日は、ほんと、切ない。俺、メッチャ噛むし。
看板については、看板屋に作ってもらったそうだ。俺たちの世界の言葉で“天晴れ”と書かれた下に、この世界の文字でも書いてある。開店、閉店も、同じ。
黒板にオススメは書いてあるけど、やっぱり、お客さんとのコミュニケーションは大事だ。忙しくても、笑顔で接客して、聞かれたことには最大限答える。
基本的なことかもしれないけど、忙しくなってくると必死になっちゃって、つい笑顔がなくなったりする。
でも、ここのお客さんはいい人ばっかりだし、俺も早く、ミヤみたいになりたい。
そう思いつつ動いていると、カツミ!字が汚くて読めないわよ!とカマド部屋からアスカさんの声がとんできた。
ひえー!ごめんなさい。
てんやわんやの時間が三時間くらい続いただろうか、少しずつ波が引いて、カウンターに一人、テーブル席に一組になった。
さばききれなかった洗い物が山のようになっている。テーブルにも、カウンターの中にも。
でも残りのお客さんも少ないし、そろそろ、洗い物にも手をつけられそうだ。そう思って、まずはカウンターの中を片付けようとしたときだった。
「ミヤちゃん、おかわり!」
人が空いた店内に、トウカさんの声が響いた。
「なんでなの、オジサン!なんでいつも、私、フラれるの!!」
あ、今日もトウカさん、失恋の痛手が癒えてないのね。
「うっす!!どうぞっす!」
秒くらいの勢いで、ミヤが酒を差し出す。予想でもしてるのかと思うくらい、ミヤ、素早いな。
この間、派手に告白されてたらしいけど、あの様子だと断ったんだな、トウカさん。
ジンとエンが穏やかに会話をしている横で、ティルは静かに黙っている。ちなみにエンはパン屋さんの娘らしい。あの、目玉焼きパンの。
お酒を片手にからんでくるトウカさんを、ヒゲの口元を苦笑いさせつついなして、俺に声をかけてくるオヤジさん。
「すなまいね、少し、話してもいいかい?」
この状態で会話を少しするくらいなら、支障はないだろう。頷いた俺をみて、オヤジさんが話し始める。
「この間は、ほんとうに申し訳なかった」
「あ、いえいえ……」
ウニャウニャと答える俺に、頭を下げる。
「外出も出来なくなってしまって、なんとお詫びをしたらいいのか」
「いや、その、まあ」
「このままという訳にもいかないから、娘を連れて来たんだ。ティル、きちんと謝りなさい」
「…………………」
口をつぐんだまま俯くティルに視線を向ける。いつもは看板娘として溌剌としているのに、今日は顔色も悪く、表情も暗い。
「ごめんね。あれからずっと、こんな調子でね」
ジンが助け舟を出すように言う。エンがそっと、ティルの背中を撫でている。
「いつまでも黙っていても、どうしようもないんだ。きちんと謝りなさい」
オヤジさんの言葉に、グッと顎を引くティル。少しの沈黙の後、蚊の鳴くような小さな声が聞こえてきた。
「ごめんなさい……」
小さなその声は、次第に大きくなって、涙声になっていった。
「ごめんなさい。私、異能を受けたとき、自分が無実なのに全然信じてもらえない映像を見たわ。苦しかったし、怖かった」
嗚咽混じりに必死で話すティルの声に、トウカさんがミヤにお酒のお代わりを頼む声がかぶる。
「もっと持って来て!!」
「でも、町の人たちまで大勢巻き込んで、大事になっちゃって、今更、間違えてた、なんて言えなかった……!!ほんとに、ごめんなさい」
いやまあ、大事になっちゃったのは、俺の異能のせいでもあるんだけど。
でもこれで、俺の外出禁止も解除されるかもしれない。ティルが、俺は痴漢じゃないって分かってくれたんだし。
「うん。もういいよ」
泣き声を押し殺しているティルに言う。いいんだ。ティルだって苦しかっただろうし、こうして来てくれたんだ。
俺の言葉に、ティルが顔を上げる。涙に濡れた青い瞳がこちらを見た。ゆっくりと頷くと、ボロボロと大きな涙がこぼれ落ちる。
「それにしても、なんで痴漢騒ぎが起きたの?」
その場にいなかったジンが、首を傾げて言う。
「触られたのは……ほんとなのよ。……お尻。スァワぁ!って」
「じゃあ、やっぱり痴漢はいたのか」
………あれ。もしかして、痴漢捕まえないと外出禁止って解除されないのかな。
誰もが口をつぐんだ、そのときだった。




