② 親友が大好きな女の話
――――――――――パンッ!!!!
乾いた音が響く。
それと同時に頬に焼けるような熱さと鋭い痛みを感じ、バランスを崩して後ろに尻もちをつく。
ヒリヒリ痛む頬を押さえて、斜め上を見上げると、3つの影。
軽蔑するような目でこちらを見下ろしている。
目があった途端、その目はまるで、苦虫を噛み潰したかのように細められた。
頬は痛くて、見下してくる目が怖くて、わたしは震えて動けずにいた。
「あんたさ、いい加減にしろよ」
わたしをぶったときに振り上げていた腕を戻しながら、真ん中の女子生徒が冷たく言い放った。
「いつもいつも、わたし勉強できますアピールしてきやがって!ウザいんだよ!」
「しかもあんたさぁ、私の彼氏に色目使ったでしょ!この泥棒猫!」
それに便乗する様に真ん中の彼女の取り巻き達が、わたしに罵詈雑言を浴びせる。
勉強の話なんて誰かとした事ないし、学校で男子となにか喋った覚えだってない。
全部ハッタリだ。
わたしは気が弱くてコミュニケーション能力もなく、クラスに友達と呼べる存在なんていない。
いつも1人で行動していた。
周囲がそれを気にくわないだの、生意気だの思ったのか、どこからともなく、クラスメイトたちによる、わたしへのいじめが始まった。
教室にいるほかのクラスメイト達はどうやら、目の前の彼女の味方のようで、わたしを助けるどころか、薄ら笑いを浮かべてわたしを見下している。
「うっ…ううっ…ぐすっ…」
目の奥が熱くなって、頬に温かいものがぽろぽろと流れていく。
俯いて両腕で顔を隠す。
嗚咽が漏れる。
「あ?おい、何泣いてんだよ、気持ち悪い」
そう吐き捨てるや否や、彼女は乱暴にわたしの胸ぐらを掴んで無理矢理立たせ、すぐ後ろにあったロッカーにドンッとわたしの背中を打ち付けた。
痛い。
もう嫌だ、こんな時間、早く終わってほしい…。
「泣けばいいと思ってんじゃねぇぞ!」
彼女は怒鳴りながら、再び腕を振り上げる。
あ、これは…また食らうのか…。
全てを悟ったわたしは、迫り来る衝撃に備えてぎゅっと目を瞑った。
…だが、来ると思ってた衝撃は、いつまで経っても来なかった。
不思議に思い、恐る恐る目を開ける。
刹那、目の前の光景に目を見開いた。
「なっ…なんだっ!」
驚いているのは、腕を振り上げていた彼女も同じらしく、とても動揺している。
わたしに衝撃がこなかったのは、誰かが、彼女の手首を強く握って押さえていたからだ。
彼女を止めたのは、茶髪ショートヘアでボーイッシュな雰囲気を纏った女子生徒だった。
わたしは、この女子生徒に見覚えはなかった。
わたしのクラスにはもちろんいないし、その隣のクラスでもないだろう。
もしかしたら、通りがかりにたまたまこの現場を見て、助けに来てくれたのだろうか…?
「なにしてんの」
女子生徒は切れ長の瞳で彼女を睨みつけると、冷たくてどこか威圧感な声色で言った。
それが怖かったのか腕を掴まれている彼女は、肩を大きくびくりと振るわせ、冷や汗をかいている。
「ねぇ、なにしてんのって聞いてんじゃん」
女子生徒はさっきよりも怒気を含んだ声で、さらに彼女を威圧する。
彼女の取り巻き達はいつの間にか、その場からいなくなり、野次馬(?)である他のクラスメイト達に紛れ込んで顔を青ざめさせていた。
「……うっ、うるさぁいっ…!」
とうとう怖さが限界に達したのか、彼女は情け無くてか細い声を上げると、腕を振り払って教室から出て行った。
「大丈夫?」
その様子を見ていたら、声を掛けられた。
見るとそこには、さっきまでの怖い顔はどこへ行ったのやら、心配そうにこちらを見ている女子生徒がいる。
「うんっ…」
涙を拭いながらうなづいた。
こんな事、初めてだった。
いつもはわたしがいじめられていても、見て見ぬふりか、ヤジを飛ばすぐらいで誰も助けてくれなかった。
でも、今日は目の前の彼女が、助けてくれた。
「ほっぺ痛そうだね…ほら、行こ?」
彼女はそう言ってわたしに手を差し伸べた。
「えっ…?行くってどこに…」
「保健室に決まってるでしょ?手当してもらわなきゃ」
ニコニコと穏やかに笑う彼女を見て、わたしは、心が暖かいもので満たされていくのを感じた。
「うんっ…!ありがとう」
頬が痛むのも構わずにニコリと笑って、差し伸べられた彼女の手を取った。
――――――――――――――――――――
『8月19日の放課後、わたしは特に部活にも入ってないので、帰りのLHRが終わったらすぐに荷物を纏めて教室を出る。
ついさっき、いじめっ子達は突如現れたわたしの救世主に成敗されたばかりなので、流石にわたしに絡んでくる事は無かった。
今日はなんだか良い日だったな。
頬は痛いけど。
あの後、彼女に連れられて保健室に向かったわたしは、頬の手当てをしてもらったので、痛みが少し引いて安心した。
と同時に彼女に感謝した。
あの子のおかげで頬のケガひとつだけで済んだのだ。
その後、クラスが全然違うわたしたちは保健室前でわかれた。
その時、彼女はニコニコしながらこちらに手を振ってくれた。
さっきまでのエピソードを思い出しながら靴箱までの道のりを歩いていると、後ろから肩をトントンと叩かれた。
反射的に振り返ってそこにいたのは、たった今まで自分が思い浮かべていた人物だった。
「やっほー!ケガの具合はどう?」
「う、うん。よくなってきたよ」
「よかったら一緒に帰らない?」
「えっ…?」
「お互いのお家知らないし、全然違うとこかもしんないけど、なんていうか、お話してみたいって思ったの」
笑みを浮かべて彼女はわたしの手を取る。
いじめっ子から助けてくれるだけでなく、一緒に帰ろうとまで誘ってくれた。
今までずっと1人だったわたしにとって、誰かと下校するのは新鮮な事だった。
こんな喜ばしい事があってもいいのだろうか?
ソワソワする気持ちを抑えるように、自分の三つ編みの毛先を指でくるくるいじった後、彼女に笑い返す。
「うん!わたしも、一緒に帰りたい!」
それからわたしと彼女は談笑しながら下校した。
彼女との会話は本当に楽しくて、1人じゃ長かった帰り道もあっという間だった。
会話の中で分かったことだが、彼女の名前はつかさっていうらしい。
分かれ道に差し掛かった時、つかさちゃんから、また明日も一緒に帰ろう!って言ってくれた。
とても嬉しかった。
わたしに初めての友達ができたんだ。
――――――――――――――――――――
「おい金だよ!あんた沢山持ってんでしょ!寄越せよ!」
つかさちゃんと友達になった次の日の昼休み。
今度は昨日と違うクラスのいじめっ子達が、自分の席に座っているわたしを囲んで金銭を要求してきた。
この状況じゃ逃げ出すことなんてできないだろう。
急かすようにバンバンとわたしの机を叩く音が、絶望感に拍車をかける。
これは、素直に従わないと解放してくれないな…
そう思ったわたしが観念して、自分のカバンに手を掛けようとしたとき、
「おい!なにしてんだ!」
ガタンッと教室のドアを乱暴に開けた大きな音と同時に、それに負けないぐらいの怒鳴り声が聴こえた。
この声には聞き覚えがある。
つかさちゃんだ。
つかさちゃんは教室に入ると、すぐさまこちらに駆け寄ってきた。
その様子を見て怖気付いたのか、わたしを囲んでいたクラスメイトたちは一目散に逃げていった。
そんなクラスメイトには構わず、彼女はわたしの顔を覗き込んできた。
「大丈夫?なにか酷いことされてない?」
「うん、大丈夫。なにもされてないよ。ありがとうね」
わたしが彼女に笑いかけると、彼女はほっと胸をなでおろした。
「それならよかった。あ、そうだ!
今日は弁当は持ってきてるの?」
「ううん、いつも学食だよ」
「そっかぁ。あのね、この近くの売店にね、すっごく美味しいパンがあるの!今とても人気なんだよ!あたしが奢るから、一緒に食べない?」
「えっ、いいの?お金、大丈夫なの?」
「どんだけあたしの事貧乏だと思ってんのwほら、行くよ!」
そう言ってつかさちゃんはわたしの手を引き、売店へと走った。
その後2人で、つかさちゃんの奢りで人気の焼きそばパンを食べた。
美味しかったなぁ。
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それからもつかさちゃんと一緒にご飯を食べたり下校したり、談笑したり…。
わたしの中で、つかさちゃんはとても大きな存在となっていた。
つかさちゃんの友達である、なゆちゃんっていう黒髪の子も明るくて優しい性格だったので、わたしもすぐに仲良くなれた。
つかさちゃんのおかげでいじめられることはほとんどなくなったし、なにより毎日が楽しいのだ。
ちょっと前の自分だったら想像すら出来なかった事だろう。
ある時、わたしはつかさちゃんに話したんだ。
「わたしね、今までずっと1人で、孤立してて寂しかった。それにいじめもあって、辛かったし苦しかった。
でも、あなたに出会ってから、毎日がとっても楽しいんだ。
笑うことも、嬉しいことも増えたの。
あなたがそばにいてくれたら、どんな事も乗り越えられる気がするんだ。
わたし、あなたと友達に、親友になれて、本当によかった!!」
真面目な顔でつかさちゃんは聞いてくれた。
そして、
「あたしも!あんたと親友になれてよかった!」と笑顔で答えてくれた。
つかさちゃんはわたしにとって大きな、かけがえのない存在だ。
つかさちゃんのことが誰よりも大好きだ。
わたしのそばにはつかさちゃんがいてくれる。
クラスは違っても、昼休みと登下校時は一緒。
わたしは、彼女と過ごす日々が、そして、
彼女の親友になれたことが、本当に幸せです。』
――――――――――――――――――――
「へぇー、こんなの書いてたんだ」
茶髪ショートヘアの少女、つかさはそう呟くと、持っていた本を手放す。
そしてそれは、バサッと音をたてて下に落ちた。
開かれたままのページには、つかさとの思い出について書かれた文章と、写真が貼られていた。
写真の中では、本を書いた三つ編みの少女とその親友のつかさ、なゆの3人が無邪気に笑いながらピースをしていた。
つかさは、落とした本を冷めた目で覗き込んだあと、思い切り踏みつけた。
そのままぐりぐりと足首を動かせば、グシャ、グシャと紙が皺を作って破れていく。
「気持ち悪い」
靴跡のついた紙の残骸と化した本を見下ろす。
彼女の右手には、赤に染まった包丁が握られていた。
「全く、妄想も甚だしいよね」
「あたし、あんたの事なんか、友達とか親友だなんて思った事ない。むしろ嫌いだ。」
そう言って後ろを振り向くと、憎悪を含んだ目線で睨みつけた。
その先にいたのは、
腹部を押さえたまま壁に寄りかかり、苦しそうに呼吸をしている三つ編みの少女だった。
「あたしの事、本気で親友だなんて思ってたの?ばかじゃねーの?」
「ちょっと優しくしただけで、あんた簡単騙されてさwちょろかったわw
それからはつかさちゃん、なーんて言ってあたしについて回るしw
それでさ、あんたがあたしの事を親友だーって言って調子乗ってるところで裏切って、あんたを絶望のドン底に突き落とすって作戦だったわけw
いやー、こんなに上手くいっちゃうなんてねw
あたしってすごーい!
あ、ちなみにあんたをいじめていた奴らには、あたしが全部指示してたからw」
「おかしいと思わなかった?
あたしが一言言っただけで、手首押さえただけでいじめっ子が逃げていったの。
あたしこそがあいつらの中の頂点。
つまり、いじめの首謀者よ。
もちろん、あんたがあのクラスでいじめられてるのも大分前から知ってた。
ていうか、けしかけたのあたしだし。
あたしがあんたと違うクラスだからって油断してた?
あんたは、あたしがいじめの首謀者だと知らずに親友だなんて思い込んでたのよ?
あははっ!wかわいそーw」
つかさは三つ編みの少女を馬鹿にするように高笑いした。
そこにはもう、以前の面影はなかった。
ひとしきり笑った後、途端に真顔になった彼女は、三つ編みの少女のすぐ近くまで歩み寄り、
「じゃ、あたし帰るから。あんたは早く死んでね」
そう一言吐き捨てると、踵を返して、少女の自宅を出て行った。
――――――――――――――――
つかさが出て行った後も、腹部からの出血は止まらず、溢れ続ける生温かい赤が、三つ編みの少女を濡らす。
「あぁ…」
「結局あの子も…あいつらと同じなんだ…」
「他人の事なんか…信じるんじゃ…なかっ…た…」
ぽつりぽつりと、掠れた声でそう呟くと、少女は息絶えた。
彼女の虚ろな瞳の中の黒い眼球は、ピクリと動く事もなく、
ただじっと、親友だった人との思い出を綴った紙の残骸を見つめていた………