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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

当事者

作者: ありさか

【主な登場人物】

* サクラ:主人公。十九歳の女性。長髪。

* ヒナ:十八歳の女性。短髪。奉仕活動としてサクラの部屋にやってきた。



【序】


長い読経が終わって、束の間の静寂が訪れた。

小さな執行室の中央にある電灯の光が、青色に塗られた壁に反射して、眼前の男の横顔を薄青く染めている。男は微笑を湛え、部屋の奥を向いたまま微動だにしない。直立不動のその様は、さながら世の中の時間から切り離されているようだ。

いや、実際、男の時間はとっくに止まっているのだろう。()()には表情を選択した後に硬直処理(フリーズ)する権利が与えられていて、この場に来る人間は皆それを選ぶ。結局、()()を落ち着かせる効果があるという壁の青色は、塗られてからずっと、部屋をひどく不気味にしているだけだ。


私は考える。もし硬直処理(フリーズ)していなければ、例えばこの男は一体、どんな表情になるのだろうか。


「読経が終わりました! 間もなく、執行です!」


部屋の奥、男の視線の先には窓があり、硝子の向こう側に()()の親族、僧侶、()()()、大きなカメラが鎮座している。

そして、カメラの向こう側には数百万の人間がいて、この男の結末を今か今かと待っているのだ。皆が当事者として参加することが許されている()()()()()()()は、今日も大盛況だろう。


なぜなら、この男は部外者(アウトサイダー)で、対する私は国選執行官(エグゼキューター)であるから。


国選執行官(エグゼキューター)は国民の模範であり代表である。人々の願いと怒りを背負い、職務を粛々と遂行することが求められる。


故に、私の右手には銃が預けられていた。不義を断罪し正義を知らしめる銀色のボディは、高潔な国民の象徴だ。


『執行官、準備』


部屋に無機質なアナウンスが響く。

私は躊躇うことなく、左手で銃のセーフティーを外すと、


『構え』


男の首筋に銃口を向けて、


『撃て』


いつものように、引き金を引いた。



***



「ご苦労だったな」


対象の執行が完了したことを報告すると、部長は普段通りの言葉と抑揚で私を労った。それが本心かはともかくとして、部長は私の上司であり、その言葉を発する義務があるのだ。

部長の口からは時折紫煙が漏れて、背後にある換気扇へと吸い込まれていく。職場の人間の多くは勤務中にも煙草を吸っているせいか――例え執務室の壁がヤニで黒ずんでいようが、壁に貼られた『禁煙』の表示が黄ばんでいようが、部屋全体に甘臭い匂いが残っていようが――誰も部長を咎めない。昔は煙草を吸うだけで人々から犯罪者の如く批判されていたのだというのだから、時代は変わるものだ。現代では批判する側の立場が重要で、不用意に喫煙者を批判しようものなら、ただでは済まされないだろう。

当事者保護法の名の下に、無責任に意見を振りかざす部外者(アウトサイダー)は処罰される。()()するのが我々だ。


ギシリとイスを鳴らした後、部長は右手の煙草を灰皿に押し付ける。高そうな木目調の机の上には黒色のノートパソコンと吸い殻まみれの灰皿のみがあった。常時、部長はそれ以外を机上に置こうとせず、机の横にある木製のゴミ箱も小奇麗だ。曰く、それがミニマリストの流儀なのだという。


「さて」


黒縁の眼鏡をかけ直すと、部長は聞き慣れた定型文を読み上げ始めた。


「規定に基づき、君には執行後三日間の休暇を取る権利が与えられる。業務を遂行するのに十分な精神衛生のためにも、俺は休暇を取ることを推奨するが――」

「お気遣いには感謝しますが、必要ありません」


私も、言い慣れた定型文を返した。予想通り、部長は眉をひそめる。


「しかしな」

「執行後の診断もパスしています。定期的な検診でも異常は認められておらず、休暇の必要性が感じられません」

「……やれやれ」


部長が再度眼鏡を外して、目を揉みほぐす仕草をする。眼精疲労が溜まっているのだろう。私よりも部長の方が休むべきだと思ったが、言わなかった。私には関係のないことだからだ。


「全く、毎回君が休んでくれないから、次々に()()が送られてくるんじゃないのかね。今月だけでもう十人目だぞ、まだ月半ばだってのに」

「執行官は私以外にも二人います。私が休暇を取ったところで、執行に影響が出るとは思えませんが」

「君と違って彼らの場合、五回に一回くらいは休暇を取ってるだろう。それに、影響が出ないなら尚更、君は休むべきだと思わんか」

「いいえ、必要性がありませんから」


「関係書類を作る側の気持ちも汲んで欲しいものだな」と部長が悪態をつく。


「君は確かに最年少執行官として……いや、国の模範として優秀だがね」

「ありがとうございます」

「だが、あまりにも仕事熱心すぎる。報道は君のことを執行マシンと呼んで……」


そこまで言って、部長は先を続けるのを躊躇った。


「……いや、いい。とにかく、俺の仕事をこれ以上増やさんでくれ。今だけで手一杯なんでな。今日はもう上がっていいぞ」

「では、失礼します」


部長に挨拶をして、私は執務室を出た。


自分のデスクに戻ると、部屋は閑散としていた。壁にかけられた時計を見ると、既に二十時を回っている。同僚は退勤したのだろう。執行の担当日はいつもこんな調子だった。報告書の作成はともかく、執行後のカウンセリングはもっと短縮できるはずだと何度も部長に提言しているのだが、「精神衛生の維持は重要」の一点張りで一向に改善の兆しは見えない。


簡単にデスクを整理してから、更衣室に向かう。私以外の人間は制服のまま官舎と行き来をしていたが、私はいつもここで着替えている。通常の生活において制服は邪魔であるし、食事等で汚すわけにはいかないからだ。制服は白を基調としているため、僅かな汚れでも目立ってしまう。過去にシミをつけたまま執行をしようとして、部長から大目玉を食った人間もいる。執行官として、全国に姿が配信されるという意味と意義を理解してほしいものだ。


手早くジャージへ着替えを済ませ、ロッカーから自分の鞄を取り出しながら、今日の残りのスケジュールを考える。

自室に戻り、レトルト食品の残りと野菜セットを摂取。その後、トレーニングとストレッチを行い、入浴。就寝は二十三時。睡眠は七時間とって、翌日は六時に起床。起床後は洗顔を行い、各種報道の確認と食事の用意。

規則正しく、無駄はなく。これが私の日常である。


ちなみに、他の執行官の生活は異なるらしい。過去に同僚が「君はもっと()()()生活をしてもいいのではないか」と私に勧めたことがある。だが私には明るさなど必要ないし、何が良いのか理解できない。

なお、お節介な同僚は翌月に左遷された。オンラインチャットで他人を諭したところを、部外者(アウトサイダー)であると報告されたのが原因らしい。放っておけばいいのに、全く馬鹿なことをするものだ。



《―― 〇〇市〇〇小学校 六年生 科目:社会科 ――》



よし、今日は我が国の法律について勉強するぞ。

後で小テストをするので、しっかり授業を聞いておくように。居眠りしたら成績を落とすからな。


さて、我が国には多くの法律があるわけだが、

お前たちは、その中で一番有名で大事な法律が何か分かるか?


……そう。『当事者保護法』だ。


まず、この当事者保護法について、基本的な内容を確認する。教科書は五十八ページだ。

では順に読んでいくぞ。


* あらゆる発言や行動には、当事者性が必要である。

* これを破る者は部外者(アウトサイダー)と呼ばれる罪人となる。

部外者(アウトサイダー)は、罪の程度に応じて罰せられる。


これが基本だな。知ってると思うが、我が国では『当事者』を守るために、こういう法律が定められている。

だから例えば、自分と関係がない人の行動について発言してしまうと、罰せられてしまう。お前たちも、母さんや父さんに「当事者じゃないのに発言するな!」って怒られた経験があるんじゃないか?あるよな。

ちなみに、我が国では昔、当事者じゃない人たちによるこういった行為が大変問題になって、結果としてこの法律が生まれたんだ。


じゃあ、ここで問題だ。部外者(アウトサイダー)のうち、凶悪、重度の違反をした人はどうなると思う?


……おっ、正解! そうだな――重度の部外者(アウトサイダー)は執行対象となり、死刑が下される。この死刑は、国に選ばれた『国選執行官(エグゼキューター)』が行うことになっている。

ちなみに、国選執行官(エグゼキューター)になるには国家資格が必要で、試験はとても難しい。

ただ、十八歳の若さで最年少国選執行官(エグゼキューター)になった「サクラ」という人もいる。テストに出すから、よく覚えておくように。


ところで、執行官による死刑がどうやって行われるか知ってるか?


……あれ、誰も知らないのか。やれやれ、不勉強だぞ。


我が国では死刑として、対象の首筋にナノマシンというとても小さな機械を撃ち込むことになっている。この機械が脳の活動を止めてくれるおかげで、執行対象は苦しまずに死ねるわけだ。

さらに、執行対象がより安らかに死ねるよう、執行時には硬直処理(フリーズ)というオプションも選択できる。自分にとって一番良い体勢と表情を決めて、ナノマシンで固定してから執行に臨むというものだ。強制ではないが、見苦しい姿を晒さなくて済むということもあって、ほぼ全ての人間がこれを選んでいるな。


そして、ここからがポイントだ! ここもテストに出すからな。いいか――


――この死刑は、全国民が当事者として参加することが許されている、特別な行事だ。今週は金曜日に行われるから、家で見ておくように。その感想文が来週までの宿題だ。



***



「今日からこちらでお世話になります、奉仕員のヒナと申します。誠心誠意お仕えさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします」


私の部屋の玄関前で、少女がぺこりと頭を下げる。無味乾燥な固い表情、平坦な声、グレーのTシャツにベージュのズボンの服装、無駄なく切り揃えられたショートの髪型、160センチほどの平均的な身長。人間としてニュートラルに調整されたであろう少女からは、特徴というものが全く感じられない。強いて言えば、特徴がないことが特徴なのだろう。


ちらと横に立つ部長を見る。よれたスーツを着て、あくびをしながらハネ気味の頭を掻いていた。自分が連れてきておきながら、少女に対する関心は薄そうだ。


「そういうわけで、奉仕部(あっち)から送られてきた奉仕員だ。今日から住み込みで雑務をしてくれるらしいから、ありがたく受け入れるように」


部長は気だるげにそう告げる。あたかも普段の指示と同様だと言わんばかりであったが、今回については明らかに説明不足だ。


「どういうことでしょうか。家政婦を雇いたいと申し上げたことはないはずですが」

「知らんよ。昨日の夜、奉仕部(あっち)から急に連絡が来てな。俺も立ち会いで朝が早くなってたまらん」

「しかし、現状でも部屋の管理を十分に行えています。用意できる仕事の量も十分とは言えず、外部の人間を入れるまでもありません」

「君は最年少国選執行官(エグゼキューター)で知名度が高いのに、褒章や好待遇を拒否してるだろう? その件について、元々本部が気を揉んでてな。その件で奉仕部(あっち)も一枚噛んでおきたいんだろう。急に決まったのはアレだが、まあ、ここは一つ顔を立ててやってくれんかね」

「私が褒章等を拒否しているのは、そんなもの必要ないからです。この少女の配属先に関しては、私よりも適任のところがあるでしょう。第一、奉仕部は部外――」

「おい、サクラ」


続きを話す前に、部長が私の名を呼んで遮った。


奉仕部(あっち)もうちの組織の一部だ。仲間内で当事者かどうかの話を持ち出すのは政治的にややこしくなる。特にこんなご時世では」

「ですが、実際、奉仕部は無関係のはずです」

「だからこそ奉仕部(あっち)は噛んでおきたいのさ。最近は奉仕員も減ってるって聞くし、除け者にされる前に手を打っておこうって魂胆だろうが……あ、ここで煙草はいいかね?」

「不要な消臭コストがかかります。やめてください」

「そうか……まあいい、こいつは頼んだぞ。デメリットはないはずだ」

「厳密には、追加の食費や光熱費等が――」

「いいえ、各種費用については奉仕部が精算するそうです。会計報告も私が担当いたします。一切ご負担にはなりません」


私が口にしようとした正当な懸念は、あっけなく、少女によって払拭されてしまった。


「……そうですか。それでも納得はできませんが、話からして既に決まっていることのようですし、抵抗は無駄でしょう。お受けします」

「話が早くて助かる。後はよろしくな。もちろん、午前は半休でいい」

「それは不要です」

「すぐに済むとは思えん。無理するな」


そう言い残すと、部長はヒラヒラと手を振りながら去っていった。

小さくなっていく背広を眺めながら、私は考える。部長は半休でいいと言ったが、その必要性が全く感じられない。次回執行に関する書類のチェックが残っている上、午後からはブリーフィングもある。受け入れる以上は少女の対応をせざるを得ないが、早急に終えて職場へ向かわねば――


「ふーっ、ようやく行った。こういう場はやっぱり緊張するなあ」


抑揚を含んだ声の後に、はあ、というため息が聞こえた。

少女の方を見る。ニュートラルだと思っていた少女の顔に、先ほどまでは微塵も感じられなかった、やれやれといった人間的な表情が浮かんでいる。

直感的に私は悟った。


「あはは、緊張して朝から疲れちゃいましたよ。で、とりあえず上がっていいですか? せっかくですし、いろいろお話しましょう!」


――どうやら、半休は必要になりそうだと。



***



「そこにあったインスタントの紅茶でいいですか? これ、封が開いてないですけど」

「以前に同僚からもらったもので、開けること自体は問題ありません。ところで、勝手にキッチンを探るのはやめてください」

「奉仕員としてこれから家政婦業務をするんですから、これも私の仕事の範疇ですよ」

「ですが、あなたはあくまで――」

「『当事者は当事者、部外者は部外者として振るまえ』……と、調()()された時に教えられたもので。私はこの部屋を管理する仕事に割り当てられて、当事者として責任を果たしているだけです。その点については、サクラさんにも拒否権はないんですよ」

「…………」

「なーんて、冗談です! あはは、ちょっと意地悪でした。仕事の内容として、もちろんサクラさんに配慮するようにと言われています。次からは気をつけますね。とりあえず、紅茶を淹れてもいいですか?」

「……許可します」

「承知しました~」


彼女、ヒナは上がって早々にキッチンへ入ると、あれこれと物色した後に紅茶を淹れはじめた。おとなしくするよう指示を出そうとするが、会話で切り返してくるせいで上手く制御できない。時間をかけて考えれば十分対応できると思うが、思考している間に彼女は次の行動へ移るだろう。また、彼女が言った通り、私に彼女をどうこうする権限がない。余計に取り扱いが面倒だ。


私はキッチンが見える位置で壁にもたれかかる。彼女について引き続き監視が必要だった。現状、何をするか推測できない。


ヒナは棚の奥から電気ケトルとマグカップ二つを取り出し、ケトルを軽くすすぐと、水を入れてコードを挿した。程なくして、かすかに機械の動作音が聞こえてくる。


「そういえば」


ケトルをちらと確認してから、ヒナが会話を切り出した。


「サクラさんは、どうして執行官になろうと思ったんですか?」

「あなたに開示すべき情報とは思えません」

「じゃあ、言い方を変えます。家政婦としてベストなパフォーマンスを出すために、オーナーの過去について簡単に知っておきたいと思いまして」


ふふん、と得意げにヒナが鼻を鳴らす。

……確かに、これくらいの情報は与えておいた方が得だろう。


「いいでしょう、簡潔にお伝えします」


頭の中で過去を整理しつつ、重要な部分のみをピックアップすることにした。


「もともと私は孤児で、生後間もなく保護施設で引き取られ、親は不詳です。政府の養育施設に入所して一定の教育を受けたのですが、その過程で適性検査を受けた結果、執行官業務を提案されました。私もそれが適切と判断し、必要な資格を取得して就任に至ったという経緯があります」

「うーむ、なかなか大変な境遇ですね」

「そうでしょうか? 衣食住が確保され、十分な教育が提供された恵まれた環境だったと思いますが……それに」


私は、重要な点を付け加える。


「今のあなたの発言は倫理的に問題があります。他人の生い立ちについて、当事者でない外野の人間の価値観で判断してはなりません」

「えー、これくらいは許してくださいよ」

「だから倫理的に、と言っているのです。それとも、当事者保護法違反と言われたいですか?」

「分かりました」とヒナが呟いた。が、明らかに納得していない様子だ。

ヒナは紅茶の箱を開け、中から個包装の紅茶のスティックを取り出すと、カップに中の粉を注ぐ。粉は思っていたよりも白かった。


「ヒナさん。失礼ですが、奉仕員になるにあたっての調()()は真面目に受けられていますね?」

「もちろん。面倒くさい勉強や()()()だらけでしたよ」

「なるほど」


部長の前でのヒナの振る舞いを思い出す。能ある鷹は爪を隠す、とはよく言ったものだ。恐らく、奉仕部でも同様の方法で上手く立ち回っていたのだろう。

皮肉を言う人間など、奉仕部で徹底的に調()()されるはずだ。ましてや、私のところに送り込まれるような奉仕員として選ばれるはずがない。

どうやらヒナは、奉仕部の厳しい調()()を無事に乗り越えてしまったらしい。


私は思案する。私の職業上のリスクと、この少女がそこまでの行動を起こす理由。それは――


「仇討ちか、革命か。あなたはどちらの人間ですか?」


一瞬の空白。その後、ヒナは目を細めてクックッと笑った。


「……私ってそんな風に見えます?」

「違いますか?」

「心外ですね」


沸騰を告げる電子音が鳴った。ヒナはポットを持ち上げて、マグカップに湯を注いでいく。しばらくの間、静寂だけが場に残った。


「仮に、私がサクラさんに敵意があったとしたら」


ようやくヒナが口を開く。


「普通、こんな風に話したりしませんよ。やるとしたら、最後まで真面目な奉仕員を装って、部屋に上がったタイミングで……グサリ、ですね」

「親しみやすいキャラクターを演じて、相手を安心させようとしている可能性もあります」

「尚更ありえません。親しみやすさは、時間をかけて相手に印象付けないとダメです。でなきゃ、却って怪しまれます。でしょ?」

「……」


一理ある。奉仕部の調()()を乗り越えたような人間が、敵の目の前であからさまにボロを出すだろうか。

ヒナが真面目を装っていれば、私を殺傷するタイミングは無数にあったはずだ。親しみやすさを演出するにしても、ヒナが言うように、焦る必要はない。

ならば、この推測は誤り。


「ふふん、知りたいですか? 私がどうしてここに来たのか。奉仕部の事情はともかく、私も配属を希望したんですよ」


とすると、この少女の目的は何か。


「そうですね。この場において、疑心暗鬼になりうる要素は排除しておきたいものです。教えていただけますか?」

「分かりました。何を隠そう、私は――」


一呼吸の後、ヒナは大きな声で告白した。


「サクラさんとお近づきになるのが夢だったんです!」



《―― 〇〇市〇〇小学校 六年生 科目:社会科 》



今日は奉仕活動について勉強するぞ。

後で小テストをするので、しっかり授業を聞いておくように。居眠りしたら成績を落とすからな。


お前たちは、奉仕活動って分かるよな?

ああ、学校で悪いことをした時にする奉仕とは違うぞ。


では、ヒント。

前回の授業で話した『当事者保護法』に違反した人のうち、凶悪犯罪者、つまり重度の違反をした人は死刑になるんだったな。

では、それ以外の違反をした人は?


そう! 奉仕活動とは『当事者保護法』に違反した人のうち、重度でない人に課される罰のことだ。

厳密には、中程度の違反の人に奉仕活動が割り当てられるようになっている。


では、奉仕活動を行うまでのステップを確認する。教科書は六十ページだ。


奉仕活動の対象者には、まず、二度と部外者(アウトサイダー)にならないように再教育が行われる。具体的には、政府の施設に一定期間入所してもらって、そこで勉強や実習を行うことになっている。この一連の流れは『調整』と呼ばれる。


ちなみに、この施設を管理・運営しているのは、行政の『奉仕部』という部署だ。詳しくは中学で習うと思うけど、興味がある人は調べてみてくれ。


この『調整』が終わった人は『奉仕員』となり、各奉仕活動が割り当てられる。

割り当ては、調整時の成績や態度、適性、本人の希望などを踏まえ決定される。

奉仕活動はボランティアが主だが、一部の人間は介護や生活支援などの職業に従事することもある。ただ、原則として賃金は支払われない。ここはよく間違えるところだから、要注意だ。


奉仕期間は大体数ヶ月から一年ほどだが、罪の程度で前後する。


……そうそう、奉仕期間後の人間は再犯が少ないことで有名だ。これは調整の効果が大きいと言われている。これもきちんと覚えておけよ。



***



「サクラさーん、起きてください! 今日は休日ですよね、せっかくなので一緒に――」

「朝からうるさいですね……早朝です、近所の迷惑を考慮してください」


土曜、午前六時。目覚ましが鳴るよりも先に、厄介な()()の声が寝室に響く。ガラスの向こうはまだ薄暗い。昨日は雑務や追加の書類確認があって帰宅が遅くなり、寝たのは結局〇時過ぎだった。体調管理のため睡眠時間を七時間としている私は、目覚ましを普段よりも遅い七時にセットしていた。当然、この起床は予定外である。


軋むベッドから起き上がると、徐々に脳が活動を始めた。数秒間のアイドリングを経て、寝室の入り口に立つヒナと相対する。多少エネルギーを消費するが、この件については詰問が必要だ。彼女は睡眠を妨害した当事者であり、説明責任がある。


「ヒナさん、私言いましたよね。今日は七時に起きると。あなたも分かったと返事をしたはずですが」

「あ、あれ? そうでしたっけ? あはは……忘れてました」


照れ隠しなのか、ヒナは引きつった笑みを浮かべていた。寝起きということもあって、その笑顔が些か不快だ。失敗は誰にでもあるが、失敗した際に笑ってしまうのは問題である。この点については後ほど指摘するとして――


「それで、起こした用件は何です? 朝食にしてはまだ早いですね。怒りませんから用件を述べてください、怒りませんから」


表情筋を調整して、想像する限りで一番穏やかな顔を作る。すると案の定、ヒナは素直に理由を述べた。


「えーと、私はただ、今日は休日なので一緒にお話でもしましょうと提案したかっただけで……」


カチン、という音が聞こえた。脳内で鳴ったのか、現実世界で何かが音を出したのかは分からない。はっきりしているのは、この返答を聞いて私が極めて不快になったという点だ。率直に言って、苛ついた。


「そうですか。では、奉仕部への報告書にそう書いておきます」

「話が違いますよ!」

「私は怒らないと言っただけです。報告しないとは言っていませんが」

「意味合いとしては同じです! あー、もう、許してください! まだちゃんとお話したこともないのに」

「あなたが来てから既に数日が経ちます。お話なら何度かしていますよね」

「本当に事務的な会話だけじゃないですか! 私が言いたいのは、もっとこう、ハートウォーミングで心の通じ合った会話のことで……」


自然とため息が出た。今まで嘆息など滅多にしなかったのに、彼女がやってきてからは癖のようになっていた。数日でこれとなると、全く先が思いやられる。QOLの観点から早急に追い出したいところだ。

だが……私は部長の言葉を思い出す。奉仕部の顔を立てろ、と部長は言っていた。ヒナを追い返したりすれば奉仕部の面子は丸つぶれだ。向こうの立場もそうであるし、こちらとの関係もかなり悪化することが予想される。現状、得策ではあるまい。


幸い、ヒナを追い返すのは簡単そうだ。私が一筆書けば吹き飛ぶ程度の存在でしかないだろう。ならば、彼女が致命的な問題を引き起こすか、奉仕部の側が引き下がるまでは様子見をするのが最善だ。


例えば、私はペットを飼ったことがないが、相当手がかかるものらしい。彼女も同じだと思うのはどうだろうか。役に立つ立たないではなく、ただのペットだと思えば――


「ちょっと、聞いてます?」

「聞いていません。時間の無駄です」

「え、何ですかその言い方は。目の前の人に対して言う言葉ですか? 訂正してください」

「……言い過ぎました」

「サクラさんはそういうところがありますよね。国民の模範たる執行官なんですから、早く直した方がいいと思いますよ」

「そうですか」


そういえば、この生物は人の言葉を話すのだった。中途半端に意思疎通ができてしまうのはペットとして不向きだろう。残念ながら飼育は諦めた方が良さそうだ。

私はもう一度ため息をつく。無駄なエネルギーを消費する前に、とっとと次の行動へ移らなければ。


「少し早いですが、私はこのまま日課を進めることにします」

「日課?」

「はい。休日は、まず二時間ほどランニングをします。今日は一時間早いので三時間としましょう。自宅で朝食の後、職場の道場へ行ってトレーニングをし、食堂で昼食を摂り、図書室で学習をします。帰るのは二十時頃ですね」

「……それってもしかして、明日もですか?」

「はい、休日の日課ですから」

「…………」


ヒナは黙って、顎先に手を当ててものを考える仕草をした。


「ヒナさん、言いたいことがあれば言ってください」

「……そうですね、いろいろと言いたいことはありますが」


心が決まったのか、ヒナはキリッとした目つきになって言った。


「サクラさん、お出かけしましょう」

「買い出しですか? 食品については定期購入していますし、物品についても備蓄がまだ十分に――」

「そうじゃなくて、ショッピングってやつですよ。お店を回って可愛いものを買って、美味しいものを食べて、散歩をするんです。素敵でしょ?」

「無駄ですし、非効率です」

「ほら、また悪いところが出てますよ。すぐに無駄とか効率とか持ち出すの、良くない癖です」

「しかし」


さらに異議を唱えようとすると、ヒナが人差し指を私の口元に突きつけた。遅れて「めっ」という声がする。


「じゃあ、言い方を変えます。トレーニングはともかくとして、図書室だけで勉学は進みません。この多様な世界の中で、文字だけを追っていても意味がないんです。たまには世の中、社会というものを覗いてみないと、視野が狭まってしまいますよ」

「しかし、覗くだけであれば映像でも」

「切り取られた世界は全てじゃありません。自分の目で、体で感じることも重要です。科学が自然の詳細な観察によって生まれたように、世の中をつぶさに眺めることで得られるものもありますよ。私との会話だってその一環です」

「それに」とヒナが付け足す。彼女はにっこりと微笑んで、こう告げた。


「サクラさんはこの国で一番有名な執行官です。自らが手を下す人たちがどういう世界で生きているのか、当事者として、あなたには知る責任があります」



***



予定通り道場で午前中のトレーニングを終えたところで、一旦自宅に戻る。

手早くシャワーを済ませると、久しぶりに私服へと着替えた。普段はジャージで過ごしているので、私服は箪笥の奥から引っ張り出す必要があったが、既にヒナが用意をしてくれていた。白色のTシャツとデニムのジーンズは多少よれていたが、今回の用途では問題ないだろう。「服も新しく買わないとダメですねえ」と小言を言うヒナをよそに、私は外出用の布マスクを着けた。

そうして準備が整ったところで、二人で外へ出た。今日は日差しが強い。時折吹くそよ風が肌を撫でる。まだ先のはずなのに、どことなく夏の香りがした。


官舎を出て少しのところに、鉄製の大きなゲートと守衛室がある。執行官が外出する際は、かならずここで外出手続きを済ませなければならない。職業柄報復を受ける懸念が常にあり、私は知名度もあるため、特に注意しなければならない。手続きは形式的なものがほとんどだが、服装のチェックだけは指差し確認で行われる。安全上の理由から、執行官には私服の制限があるためだ。マスクの着用義務はそのうちの一つである。当然ヒナにはそうした制約がないので、彼女はマスクも着けていない。

守衛室に近づくと、年老いた男の守衛が一人、カップを片手に外を眺めているのが見えた。彼はこちらに気づくと、ゆっくりとした動作で応対用の窓を開ける。有事の際、この老人一人だけで防衛できるのかは以前から疑問である。尤も、監視カメラやセンサーがあれば事足りるのかもしれないが。


「どうも。サクラさんと、ええと、奉仕員さんね。外出ですか」

「ええ、夕方までには戻ります」

「服装を確認しますが……はい、はい、と。問題ないですね。お気をつけて。食事でマスクを外す時は特にね」

「ありがとうございます」


ブザーが短く鳴って、ゲート右側にある扉が開く。守衛に一礼して、私たちはその向こう側へと向かった。


私たちが住んでいる拘置施設は街の中心部にあるため、ゲートを抜けてしばらく歩けば大通りに出られる。

大通りの車の往来は激しく、近くに駅があるせいか、歩道にも多くの人々が溢れていた。

久しぶりの外出のため、人々の群れから若干の威圧感を感じる。タクシーでも借りておけばよかったか、と若干の後悔を感じ始めた時、腕がぐいと引っ張られた。見ると、ヒナが私の二の腕を掴んで何やら口を動かしている。ただ、往来の音に負けて声が聞こえない。そのことに気がついたのか、彼女は声を張り上げた。


「あっちにショッピングモールがあります。行きましょう!」


ヒナは大通りの先を指差した。確かに、遠くに大きな建物らしきものが見える。車もそちらに向けて走っていくものが多いように感じられた。徒歩二十分ほどの場所にモールがあるらしいが、位置からしてあの建物に間違いないだろう。人々が密集する場所に行くのはなかなか気が進まなかったが、これも職務の一環と考えれば仕方がない。

モールに向かって数分間歩くと、歩道の横にあった拘置施設を囲む塀がようやく切れた。つくづく広い敷地だ。これほどの敷地を割り当てることにどんな合理性があるのか、などと考えていると、


「サク……えっと、ツバキさんは何が欲しいですか? モールにはいっぱいお店がありますけど、どれから回ろうか悩んでまして」


ヒナがそう尋ねてくる。最初に私の名前を呼びそうになったが、寸前で中断できたようだ。ツバキは身元の特定を防ぐために事前に決めておいた私の偽名だ。


「欲しい物はありません。ですから、物品の購入はただの浪費です」

「あー、まだそんなことを! でも残念でした、私がいる限り奉仕部の経費で落とせますから。ペアリングとかどうですか、可愛いですよ」

「不要です。それに、そういったペアの装飾品は一般にカップルが身につけるものでしょう」

「私たち同棲してるんですよ、全然平気です!」


ヒナが大きな声でそう発言して、通行人のいくらかがこちらをちらりと見る。頭痛がした。ここで目立ってどうするのか。私の立場は十分に分かっているはずなのだが。


「声が大きすぎます……あなたとはそういう関係ではありませんし、今後恋愛をする予定もありません」

「えー、バッサリ言わなくてもいいじゃないですか」

「どうしてそこまで私にこだわるんですか。初対面の時から疑問でしたが」

「それは今話すことじゃないですね。ほら、ムードってものがないと」


露骨にはぐらかされて、さらにもう一つ頭痛がした。彼女と話しているとどうも話が噛み合わない。コミュニケーション効率が悪すぎる。

世の中の人間はこんな会話を繰り返しているのだろうか。だとすれば、そんな世界のことはできる限り知りたくないものだ。

あれこれと考える私をよそに、ヒナは会話を続ける。


「ところで、ツバキさんはどうして仕事以外のことを切り捨ててしまうんですか? 欲しい物についてもそうですし、日頃の日課にしてもそうですけど。あ、これは当事者たる家政婦としての疑問ですからね」


ヒナの質問は「あなたには関係ない」という返答への対策がなされていた。大事なところには気が回らない割に、そういった点への対応は驚くほど早い。些か奇妙かつ面倒だ。


「職業柄、私は国民の模範である必要があります。仕事に打ち込むのは当然でしょう」

「それは言い訳ですよ。買い物や趣味は一般的なことでしょ。国民の模範というなら、それをしないのはむしろ不自然じゃないですか」


言われてみれば、確かにその通りなのだ。無論、模範として仕事は重要だ。だが、仕事以外に何もしないのが模範だというのは極端すぎるだろう。私も、一般論として趣味等に時間を割くことが良しとされている現状を理解していた。なら、どうして私はそうなっていないのか。

数秒間の思考の後、私は当たり前の事実にたどり着く。とても単純な話だった。


「当然、趣味や浪費……購買についても、理屈としては必要性を理解しています。しかし、政府の施設に引き取られて以降、私は勉学や仕事を徹底せよとの指導を受けました。ですから私はこれまで、趣味などの活動を行うことがなかったのです。とすれば――」

「とすれば?」

「私は、仕事や勉学の当事者であっても、それ以外の当事者とは言えないのではないか。故に、それらを切り捨てることは正当に思えます」

「ふむ……」


小さく声を漏らしてから、ヒナはすっかり押し黙ってしまう。しばらくの間、私たちは何も会話せずに歩き続けた。一分、二分と時間が過ぎていく。静かなことはいいことだが、先ほどまでの騒々しさを考えるとやや不気味な気すらした。そして、ショッピングモールの建物がいよいよ目の前に見えてきた時、ようやくヒナが応えた。案の定大きな声で、


「だったら、当事者になっちゃえばいいんですよ!」


彼女が高らかにそう提案する。


「どういう意味ですか」

「どうもこうも、言葉の通りですけど。当事者じゃないから問題だというなら、当事者になればいいんです! 『当事者は誇り』って標語もあるじゃないですか。ツバキさんなら絶対当事者になれますよ」

「それは政治的なスローガンに過ぎません」

「でも、間違ってはないでしょ? 当事者になれば自由が手に入るんですよ。発言や行動の自由。部外者(アウトサイダー)が立ち入れない聖域へのチケットが――」


そこでヒナは目を細めて、何かをぼそりと呟いた。だが、その声はやはり喧騒に紛れて消えて、


「さあ、そうと決まれば買い物です! まずは服を選びに行きましょう。ヨレヨレの服じゃ名が廃ります、栄誉ある職業人としての誇りを持たないと!」


満面の笑みを浮かべながらヒナは私の手を取る。楽しそうに私を引っ張る彼女の後ろ姿には、影の部分など微塵もないように見えた。


モールに入ってからは、ヒナと一緒に様々なものを見て回った。

私は世の中の流行といったものに全く興味がなかったが、ヒナは様々なことを知っていた。キャラクターのぬいぐるみ、ブランドの小物、新しいスイーツなどの話をしながら、実際に店舗へと足を運ぶ。

展示されているものは、どれも私が知らないものだらけだった。私と世の中にズレがあることを改めて感じる。同時に、それらを新たに知ることで、社会との距離が縮まっていくこともまた実感した。これで、執行官としての不足点を多少なりとも改善できただろうか。

一方ヒナは、アクセサリーショップで品定めしつつ談笑する人々を眺めながら、


「当事者になるって、こういうことなんですよ」


などと呟いて、うっとりとした面持ちでこちらを向く。続けて「ねえ、そうでしょう」と私に同意を求めてきた。私は回答に困ったが、経験上、この場合は無視が最善だろうという気がする。放っておいてもいいだろう。


そんなことを考えていると、突然、通路の方で大きな音がした。

ショップの外を見る。通路の床に杖が落ちていて、その隣に高齢の男が倒れていた。杖の先には木製のベンチがあり、これに躓いたのだろうと推察された。男は小さく呻きながら背中を丸めている。打ちどころが悪かったのかもしれない。


通路を歩く人々は男のことを一瞥すると、踏まないように避けて歩いていく。人々には笑顔が満ちていた。この男に構う客は誰一人としていないだろう。

この男は助けを求めていない。ならば、誰もが当事者ではない。男に触れてよいのは警備員や救急隊くらいだろう。

観察していると、男はうずくまったまま次第に動きが弱まって、動かなくなった。そこで私は興味を失って、ショップの中に視線を戻そうとすると、


隣に、怒りで肩を震わせたヒナがいた。


「どうして誰も助けようとしないんですか!」


そう叫んで男のもとに駆け寄ろうとした彼女の腕を、私はすんでの所で掴む。


「やめなさい。あなたは彼の当事者ではないでしょう」

「でも、転んで倒れてるんですよ!」

「彼には自力で立ち上がるという尊厳があり、それを犯すことは許されません。彼が助けを求めない限り、救助は違法です」

「なら、私が当事者になれば――」

「親族でも知人でもなければ、怪我人に対する応急措置も学んでいないあなたが、当事者になれるとは思えません」

「それは……」

「では仮に助けるとして、具体的にどうしますか? 不適切な対応があれば、あなたが責任を取ることになります。あなたに判断できますか?」

「…………」


ヒナはその場で俯いて押し黙る。しばらくすると、巡回でやってきた警備員が男を見つけて、トランシーバーで応援を呼ぶのが聞こえた。警備員が男を揺すったが、男は反応しない。気絶しているのだろうか。いずれにせよ、じきに救急が来るだろう。


「ヒナさん、彼は()()に対応されました。顔を上げてください」


ヒナが顔を上げる。目の周りには涙の筋が浮かんでいて、店舗の照明が反射してきらりと光った。


「どうして、なんでしょう」


ヒナは呟く。


「そういう法律があるからです。しかし、男性は無事に救助されるでしょう。気に病む必要はありません」

「いえ、そうじゃないんです」


私が答えると、ヒナは頭を振って否定した。


「私が一番許せなくて、一番怖くて、一番嫌なのは」


潤んだ瞳が私を見つめている。小刻みに震えながら、吐き出すように彼女は言った。


「当事者になれないことです。あの倒れている人とも関われないことです。私は、常に当事者でありたい。そうじゃなきゃ生きている意味がない。部外者なんて、ゴミよりも価値がないんです。だから」


ぽつ、ぽつと涙が床に落ちていく。こうしてヒナが泣いていても、誰もが意に介さない。この場において、ヒナと私以外は当事者ではないからだ。店員は店内の巡回を続けている。近くのカップルは、ショーケース内のペアリングを指差しながら楽しそうに笑っていた。


故にきっと、


「だから、私はサクラさんが好きです。サクラさんは、この国で一番の()()()だから」


この告白は私以外、誰も聞いていないだろうと思った。



***



モールから帰宅し、夕飯と簡易的なトレーニング、それから入浴を済ませた。

片付けが終わると、私とヒナはリビングにある食卓の席に座りながら暇を潰す。変則的な日課になったため、いつもより空き時間が増えてしまっていた。だが、寝るには些か早すぎる。先ほどまではテレビを点けていたが、遅くなるにつれて下らない番組が増え、今は電源を落としていた。部屋は静まり、隣室や下階から微かに物音が聞こえてくるのみだ。これが、私にとっては一番穏やかに過ごせる状態だった。


こうして私が心身を和ませていると、真新しいマグカップに入れたビールを飲みながら、ジャージ姿のヒナが口を開いた。


「ねえ、サクラさん」

「何ですか?」

「好きです。付き合いましょうよ」

「……何度もお伝えしていますが、できません。私は、恋愛というものが理解できませんので」

「えー」


ヒナが不満そうに声を上げた。彼女は帰宅してからというもの、私に告白ばかりしている。私の返答は変わらないというのに。

私は手元のカップを見る。私には飲酒の習慣がないため、代わりにココアが注がれていた。外側には流行りのクマのキャラクターが描かれていて、ヒナのものとは色違いになっている。もちろん、これらは彼女がモールで購入したものだ。


「それに、髪はしっかり乾燥させてください。そのまま寝るのは不潔です」

「いいじゃないですか、自然乾燥ですよ」

「それで風邪を引いたりした場合、私にも影響が及びます。考慮不足です」

「あー、はいはい。分かりましたぁ」


ヒナは赤らんだ頬を膨らませる。シャワーを浴びたばかりのヒナの髪は随分と潤ったままだ。普段は整っているせいか、濡れてうねり乱れた髪が一段と目立つ。


「にしても、晩御飯のメンチカツは美味しかったですよね! モールにあんなお肉屋さんが入っていたなんて。また買いに行かなきゃ」

「買いにいくこと自体は否定しませんが、頻度には注意してください」

「お、否定はしないんですね。ふふっ、ようやくサクラさんも分かってきました?」

「……食費が経費として計上される以上、私に否定する権利はありません」

「あはは、素直じゃないですねえ。美味しかったって言えばいいのに」

「味については想定通りでしたが」

「もう……サクラさん、好きです」


ヒナはカップの中身を飲み干すと、透き通った瞳でまた私へ告白をした。

私はため息をつく。この国では十八歳から飲酒が許可されているとはいえ、酒を許したのは失敗だった。ビール缶一本でここまで酔うとは。


「人によって酔い方に差があるのは知っていましたが……こうも酒癖が悪いようなら、飲酒は禁止ですね」

「酷い! 何の権利があって――」

「あなたは私の家政婦でしょう。実害が出ています。私は当事者です」

「はーっ、さすが国一番の当事者センセーは言うことが違うなあ」


ヒナは机の上に腕を放り出すと、拗ねたようにそう言った。


「私は、別に一番というわけではありませんが」

「いや一番ですよ。最年少の国選執行官(エグゼキューター)で執行数も一位って国民全員が知ってます。しかも仕事以外に興味がない執行マッシーンだなんて、他にそんな人いません。総理だって歯向かえませんよ」

「だから好きになったんですけど」とヒナが付け加える。その論理はよく分からないが、好意を持たれているのは十二分に把握した。


「ねえ、サクラさん」

「申し訳ありませんが、私には無理です」

「……うう」


ヒナが上目遣いでこちらを見てくるので、やれやれ、と彼女を見下ろしてみる。なぜ私を好きになるのか……という理由は既に彼女が説明していた。が、納得はできていない。彼女のような()()の人間は、一般的な職業の人間と結ばれるべきだろうと思う。とはいえ彼女の嗜好であるので、口にすることは憚られたが。


「あ、じゃあ、空想だったらいいですか?」


彼女についてあれこれと考察をしていると、突然、ヒナが尋ねてきた。


「どういう意味ですか?」

「いや、現実でダメなら空想で結ばれたいなあと」

「具体例を述べてもらえますか?」

「えー? うーん、例えば、私とサクラさんが愛を囁きあったり、都市や山、海を巡ったり、ディナーを食べながら綺麗な夕焼けを見つめたり……」


小さく甘い声でヒナが語り始める。現実には起こりえないであろう()()()()()妄想を話す度に、ヒナの瞳はきらきらと輝いた。


「ね、素敵じゃないですか? 空想の世界でなら、私は自由に生きていけますよね。好きなように生きて、好きな人たちと未来や世界について語り合って、助け合って」

「…………」

「空想の世界なら私は捕まったりしないし、奉仕部に入れられることもないんですよね。誰かを見捨てたりしなくてもいいんですよね。誰かのことを思ってもいいんですよね」


確かに彼女の瞳は輝いていた。それは少女が妄想に思いを馳せているせいもあるし、話を聞く限りきっと、彼女の過去に何かがあったのだろうとも思った。


「私の中でなら、私は、当事者……」


そこでヒナは机に突っ伏した。声をかけるも、言葉になっていないうわごとが返ってくるのみで、そこから動く気配がない。こうなるともう、眠りに落ちるのを待つのみだろう。

私は隣室のクローゼットに向かって、奥にしまってあった薄い毛布を取り出す。リビングにいるヒナの元に戻ると、穏やかで小さな寝息が聞こえてきた。彼女の顔を観察していると、袖越しに見える赤く染まった頬をきらりと光が伝っていく。


「風邪を引かれると迷惑です」


私は毛布をヒナにかけてやる。ほのかに笑みを含んだ彼女の寝顔は、十八歳の無垢な少女に似つかわしいものだ。

そんな少女が、どうして奉仕員になってしまったのか。どうして、当事者であることにこだわるのか。私は彼女に少しばかり興味を抱いた。


しかし、この興味には問題がある。私は奉仕員としての彼女に対しては当事者だ。だが、彼女の個人的な面については当事者ではない。

彼女の過去を詮索することは、私の立場上許されない。私は、国民の模範でなければならないのだ。

よって、私もヒナと同様に妄想を試してみることにした。自分の中に留めておくだけなら、誰にも咎められることはない。


ヒナの素性についていくつか想像してみる。好奇心旺盛で大胆な行動に出た結果捕まった哀れな少女。私をくまなく調査する任務を課された潜入捜査官。伴侶を失ったショックから暴走した乙女。いずれも突飛とはいえ、全く否定できるほどの材料がないこともまた事実だ。ますます彼女の謎が深まった気がした。

キリがないので、もしヒナが幸せに過ごせる世界があるとしたら、と考えるテーマを変えてみる。が、しばらく考えてみても、その未来を具体的に思い描くことはとうとうできなかった。唯一想像がついたのは、彼女が幸せになった時、私のような存在は不要になるだろうということだけだ。


私は国選執行官(エグゼキューター)である。国民の代表として、人を殺すのが職務である。それが、彼女の求める純粋な幸せと相容れるはずがない。


私は初めて、ヒナのことが羨ましいと思った。



【破】


それから、ヒナとの関係は驚くほど密接になった。まず、朝食と夕食を一緒に摂るようになった。夜に同じテレビ番組を観るようになった。ヒナと会話する頻度が少しずつ増えるようになった。

ヒナとの外出から一週間後には、


「サクラさん、私の布団を持ってきました」

「では、そこに置いて……待ってください。ヒナさん、これは?」

「注文しておいたぬいぐるみですよ! サクラさんに、これを私だと思って抱きながら寝てもらおうと――」

「要りません。返品してください」

「そんな殺生な!」


いつの間にか寝室が同じ部屋になって、さらには、


「サクラさん、もう出会って一週間ですよ! 寝室も一緒になったことですし、私の呼び方を変えてください」

「検討します。具体的にどう呼ばれたいのですか?」

「名前そのままで。ヒナ、でいいです」

「……業務上問題ないですし、いいでしょう。では、ヒナ」

「やったー! ぎゅっと接近できた気分です! このままいけば……」

「よく分かりませんが、あくまで呼び方を変更しただけです。支障がある場合は直ちに戻しますので」

「ふふっ、はいはい」


彼女の要求通り、名前を呼び捨てにするようになった。この頃からヒナはますます調子に乗っている。一度灸を据えるべきなのかもしれない。


さらに一ヶ月が経つ頃には、私はヒナと過ごすことに何の疑問も抱かなくなっていた。彼女の経歴は引き続き気になっていたが、ヒナは自分のことについてほとんど語ろうとしなかった。しかし当然、お互いに生活するうちに肌感覚で察したこともある。例えば、彼女は間違いなくスパイではない、過去に付き合っていた相手がいるらしい、等だ。日常会話から漏れ出した情報を繋ぎ合わせて過去を推測する作業はさながら探偵のようで、情報整理の訓練に丁度いい。日々の報道やその日の出来事を話しつつヒナの出方を伺うのが、私の新たな日課となった。


また、週に一度は一緒に外出するようになった。理由は様々だ。環境調査、地理の把握、流行の確認……どれもヒナの提案で、『執行官たるもの、あらゆることに精通している必要があるのです』と、彼女は外出すべき理由を毎回熱弁した。詭弁な気がするのだが、それでも最後には説得されてしまうのが不思議だった。


こうして、嵐のように訪れた非日常はいつしか新たな日常となって、私の生活をすっかり塗り替えてしまった。それが生活というものの本質なのかもしれない、などと、今日も二人で朝食を摂りながら私は思う。


だがそれ故に、見に覚えがないにも関わらず、早朝の自宅に彼らがやってくるのもまた、十分に起こり得ることなのだ。


「すみません、サクラさんのお部屋ですよね。警察です。お尋ねしたいことがあります。開けてください」


呼び出し音と声がして、私たちは朝食を中断する。インターホンの画面を見ると、スーツを着た大柄な男が三人映っていた。

この官舎の敷地には特定の人間しか出入りができず、それ以外は守衛に身元を明かす必要がある。つまり彼らは詐欺師や強盗でなく、正真正銘の警察だ。

廊下を抜け、言われるがままに玄関を開けると、男たちは手にしていた手帳を無言で開いてみせた。薄暗い早朝でも、手帳のバッジははっきりと視認できる。手帳を持つ彼らの腕はよく鍛えられていて、つまり、()()()()()()の人間たちなのだろうということが容易に分かった。

リビングから出てきたヒナを横目に、彼らは私に尋ねる。


「サクラさん。単刀直入にお尋ねします。現在、ヒナさんと恋愛関係にありますか?」

「いえ、そういう関係ではありません」

「では、ヒナさんのSNS上での発言について把握されていますか?」

「いえ。プライベートに興味はありませんので」

「そうですか」


それを聞いた男たちはお互いに頷きあう。それからヒナに向き直って、予想通りだと言わんばかりの自信に満ちた顔でこう告げた。


「ヒナさん。サクラさんに対する当事者保護法違反の容疑がかかっています。署にてお話を伺いたいのですが、ご同行願えますね」

「ちょっと待ってください、それはどういう――」

「サクラさん」


さらなる予想外の言葉を聞いて咄嗟に聞き返そうとするも、私の声を遮って、ヒナが前に進み出る。


「いいんです、分かってますから」

「何が分かっているのかを教えてください」

「ごめんなさい」


ヒナが謝罪をするも、私の求めていた答えが返ってくることはなかった。

すぐに二人の男がヒナを挟み込むようにして立つ。手錠こそ使わなかったが、逃げ出すことを警戒しているのは間違いない。全く隙がない対応に、私は一抹の恐怖を覚えた。


「では、私たちはこれで。タナカ、後は頼んだ」

「はい」


ヒナたちが外へと移動する一方で、その場に茶髪の男が一人だけ残る。


「サクラさん、さよなら」


去り際、寂しげにたった一言の挨拶だけを残して去っていくヒナを、私はただ見つめることしかできなかった。立場上、この場はとにかく警官たちに従っておくべきだと結論づけて。


近づいていたはずのヒナとの距離は、もうずっと遠い。


「それでは、いくつか事情聴取をさせていただきたいのですが」


玄関のドアが閉まりきると、タナカと呼ばれた男が私にそう尋ねた。


「それ以前に、どうしてヒナが連れていかれたのか、説明をお願いできますか」


質問を質問で返すのは一般に推奨されない行為だ。だが、現状においては状況を把握することが先決だろう。

私の質問に対し、男は不快な様子を見せることなく、むしろ哀れむような表情で答えた。


「いや、SNSのサイバーパトロール中に彼女の投稿が見つかりましてね。彼女はあなたと恋愛する物語をあなたに無断で公表した上、関連する意見も発言していたって容疑がかかってるんですよ。ほら、あなた、仕事以外に興味がないって有名じゃないですか。だから確認に来たんですが……やれやれ、執行官相手に厚顔無恥にも程があると言いますか。身内が部外者(アウトサイダー)だなんて……本当にご愁傷様です」



《―― 〇〇市〇〇小学校 六年生 科目:社会科 ――》



今日は、どうして当事者を保護する必要があるのか考えてみよう。


お前たちは、自分のことを詳しく知らない人が、自分の行動や発言についてあれこれ言ってきたらいい気分になるか? ならないよな。

一人に言われるだけなら我慢できるかもしれない。だが、複数人の野次馬たちがやってきて、次々にアレはダメ、コレはダメ、ああしろ、こうしろって言ってきたら……考えたくないよな。


昔は、それが当たり前だった。昔の人は、テレビやインターネットで見たこと聞いたことに対して、よく知りもしないのに『意見』を発言したり、ひどい時は他人を制限する活動やデモまで起こしてたんだ。


教科書の六十三ページを見てみろ。窓が割られた店や、落書きされた車の写真があるよな。これは昔、ある病気が流行した時に『自粛警察』という人々がやったことだ。他人の事情を詳しく知りもしないのに、中途半端な知識や正義感だけで、こういう行動を起こしてしまったんだ。

それに、隣の六十四ページにあるのは昔のニュースサイトのコメント欄だな。自分たちとは立場も文化も違う人たちに向かって、大した知識もなしに、上から目線で発言しているのが分かる。ほら、上から二つ目とか読んでみるといい。酷いもんだ。まるで自分たちだけが正しいかのようだ。全くおかしい。


こんなことが広まってしまった結果、これらは我が国における大きな社会問題になっていった。誰もがお互いに文句を言い合い、SNSがそれらを拡散させる。終わらない悪口合戦に、みんな疲弊していったんだ。

そして、六十五ページにもある通り、二〇XX年のYY月、△△という有名人が部外者や野次馬の『意見』に病んでしまい、自殺をしてしまった。これは△△事件と呼ばれ、大きく報道された。


そこでようやく政府が動き、抜本的対策として、現在まで続く『当事者保護法』ができたんだな。


この『当事者保護法』のおかげで、部外者はアウトサイダーと呼ばれる犯罪者になった。

人々は自分について詳しくない人、親しくない人から、不快な『意見』をもらうこともなくなった。


他人に傷つけられることもなく、他人を傷つけることもない。素敵な社会だ。この法律のおかげで、みんなは堂々と生きられる。


だから、当事者でない限り、他人に関心を持たないことは正しい。

お前たちも、クラスメイトや先生のことなんて普段はどうでもいいだろう? 怪我したって、死んだって、所詮は大した繋がりのない他人だ。

クラスの責任者、つまり当事者である先生に怒られない限り、みんなは何をしたっていい。文句を言うやつ、勝手に関わってくるやつはれっきとした犯罪者だ。

例えば、困っている人を勝手に助けることは悪いことだって、お前たちも教わっただろう?

宿題ができない人を手伝うのは、その人の成長する機会を奪ってしまう。勉強できない人に勉強しろって言うのは、その人の特徴を潰してしまう。

だから、無関心でいる。

それって、幸せなことだよな。

そう、幸せな世界になったんだ。


でも、実は最近、先生は分からなくなってきてな。


誰かのことを考えて、発言したり行動したりすることは本当にダメなことなのか。

自分とは違う人々、自分たちとは違う文化に思いを馳せて、描いて伝えることは本当にダメなことなのか。

曖昧さを怖れて、全てに線引きをして、機械(マシン)のように生きることは本当に正しいことなのか。


――『当事者保護法』は、本当に良いものなのか。



***



丸一日の()()の後、私は執務室に呼ばれた。

部屋に入ると、来賓用のソファーに黒服の男が二人と、向かいの席には部長が座っていた。男たちは静かに背筋を伸ばし、軽く握った拳を膝の上に乗せている。作法の教科書に載せるような『丁寧な座り方』としてはこれ以上ないだろう。卓上には三つの湯呑が置いてあるが、いずれも十分な量が残ったままだ。

部長は入ってきた私に手招きをして「本日はどうもすみませんね」と男たちに頭を下げた。彼らは表情一つ変えずにそれを無視する。


「監査官のミヤザキです。サクラ執行官、ヒナという奉仕員の件について数点聞き取りをしますが、よろしいですね」

「構いません」


彼らは続ける。


「奉仕員に対し、あなたは恋愛感情を抱いていましたか?」

「いいえ」

「奉仕員は、日頃からあなたへ好意を示していましたか?」

「はい」

「奉仕員に対し、明確に恋愛感情がないことをあなたは示しましたか?」

「……はい」

「奉仕員がSNSを利用していたことについて、あなたは関知していましたか?」

「いいえ」

「奉仕員がSNSに投稿していた、『サクラとヒナ』の恋愛をテーマとした一連の内容について、事実ではないことを認めますか?」

「……はい」

「なるほど。では、聞き取りは以上です、お疲れ様でした」


終始平坦な調子で機械的に質問を済ませると、男らはそのまま立ち上がり、部長を一瞥してから部屋を立ち去った。

時間にしておよそ一分。深堀りもない、あからさまに形式的かつ誘導的な聞き取りは、この件に対する本部の態度を如実に表している。

私は、ヒナが度々倫理的に問題のある発言をしていたことを口にしなかった。聞かれていないのだから、答える義理はないだろう。


執務室のドアが閉まってからややあって、彼らの足音が聞こえなくなった頃、部長がいつにも増して低い、疲れきった声で私に問いかけてきた。


「サクラ、今の受け答え、何考えて話したんだ」

「何も。正直に答えただけです」

「ならそれが、ヒナにどう働くかも分かった上で言ったんだな」

「私は嘘をつけません」

「君は変わったと思ったんだが」

「変化も異常もありません。私はただ、仕事をこなすだけです」

「なあ」


部長がため息をついて続ける。


「人ってのは、どうやっても不甲斐ない生き物だと思わんか。間違いの上に間違いを重ねる。ルールを守り、守る意味を失う。なら、その仕事とやらに果たしてどれだけの価値があるんだろうな?」

「……すみません。分かりません」

「そうかい」


部長は胸のポケットから煙草のパッケージを取り出すと、手の平に向けて小さく振る。

ぽとりと一本が落ちて、部長はゆっくりとそれを噛みしめるように咥えた。


「やれやれ、今は火を点ける気にもならんよ」


そこでなぜだか、私は部長の言葉にどうしようもなく苛立った。


「この建物は禁煙です。偉そうに倫理を語る前に、部長として規則くらい遵守されては?」


部長が驚いた顔をしてこちらを見る。自分でも、不必要な発言が口をついて出たことに対して驚いていた。苛立ちほど無駄な感情は存在しない。だが、今の私の中で、確実に何かが爆発寸前になっているのが分かる。


「……そうだな、君の言う通りだ。八つ当たりなど、全く自分が情けない」


部長は自席のゴミ箱へ向かうと、噛んでいた煙草を中に吐き捨てて、そのまま部屋を出ていった。

私もどうすべきか逡巡した。が、仕事がない上に、現状の心理状態で職場にいることは当然リスクである。自室に戻るのが妥当だろう。


開いたままのドアを抜けて部屋を出る。ひとまずロッカーへ向かわなければ。



『なら、その仕事とやらに果たしてどれだけの価値があるんだろうな?』



頭の中で、部長の言葉、単純な問いがひたすらに繰り返される。

脳内で問いが再生される度、怒りが波紋のように広がっていく。苛立ちは消えない。増幅され、繰り返され、消えない。


……ああ、やはり、人間は嫌いだ。

私が施設で適性検査を受けた、あの日。「どういう職業を望むか」という検査官の問いかけに対し、私はきっぱり答えたのだ。


――感情を持たず、機械のように働ける場所を望みます。私は人間になりたくありません。人間なんて何の価値もありませんから。私が捨てられたように、部外者(アウトサイダー)が見捨てられるように。



***



そして二十二時を過ぎた頃、奉仕部の部門長と名乗る男が自室に訪ねてきた。

こんな遅い時間帯の来客など滅多にない。やや不審に思ったが、どうしても話がしたいと言うので玄関を開けると、


「サクラ様! この度は、誠に申し訳ございませんでした!」


間髪入れず、男は床に額を押し付けて土下座の格好になり、そのまま数十秒間動こうとしなかった。汚れも厭わない行動とは裏腹に、男が着ているダークグレーのスーツは綺麗なもので、汚れ一つ見当たらない。


「状況が把握できません。失礼ですが、説明をお願いします」


男の真剣さはともかくとして、行動の理由が私には全く分からなかった。


「今回の発生した事件では、我々の奉仕員がご迷惑をおかけしてしまい――」

「奉仕員ではなく、奉仕部が私に対してどのような迷惑をかけたのでしょうか」

「それはもちろん、奉仕員を不十分な教育のままサクラ様へ派遣してしまい、結果としてこのような事態を引き起こしてしまった点です」


ああ、と私は納得した。つまり、奉仕部はそれで手打ちにしたいのだろう。

しかし――


「つまり、奉仕部での教育では、部外者(アウトサイダー)となりうる発言についてのカリキュラムが含まれていなかったということですか?」


不毛な質問ではないか、と頭の中で声がする。それでも私は、尋ねることを止められなかった。


「いえ! 我々も、万全を期していたつもりでしたが、実際にこのようなことが起こってしまっては……」

「では、奉仕部では適切な対応を行っていたということになりませんか」

「しかし、奉仕員が引き起こした以上、我々も関係があると考えるのが自然です」

「そうですか」

「そうですとも」


男がそっと顔を上げてこちらを見た。男の顔には不自然なほど純粋な反省の色が浮かび上がっていて、きっとこの顔も、スーツと同様に入念な準備がなされたものなのだろうという気がした。


取るべき行動は分かっている。男、いや、奉仕部の過ちを認め、今後の方針について協議すればよい。少なくとも奉仕部は、そういう対応を望んでいるのだろう。思惑はともかく、向こうにとっても今回の件を大事にしたくないという意思は伝わってきた。対応によっては、ヒナも無事に帰ってくるかもしれない。

だが――私は、この一ヶ月を回想する。奉仕部からの派遣。変わった日常。穏やかな日々。突然の逮捕。そして、今。


ヒナは突然やってきて、私の生活をかき乱した。彼女は当事者として私の生活に介入し、一緒に過ごして、最後はただの外野に――()()()()()()()()


ふと、私は、彼女との生活の当事者だっただろうか、と自問する。確かに彼女とは同じ部屋で同じ時を過ごしていたが、それでも彼女と私の間には未だ溝があったのではないだろうか。それも恋愛成就の有無のような程度のものではなくて、もっと根本的で、シンプルな何かが欠けていたような気がするのだ。


決め手が、私には欠けている。二人の当事者となるために必要な決め手が。



『なら、その仕事とやらに果たしてどれだけの価値があるんだろうな?』



ヒナが連れて行かれた時のことを思い出す。寂しげな表情の彼女を、私はただ見送ることしかできなかった。

彼女は私を『国一番の当事者』と呼んでいたが、あの時の私はどうだ。半端な理性が邪魔をして、連行を止めてやれなかった。生活を共にしていたにも関わらず、彼女を助けてやれなかった。国一番が聞いて呆れる。


そうした事実がどうしようもなく、無性に腹立たしい。


眼下の男を見つめる。男の完成された表情と服装の裏には、底しれぬ怯えが潜んでいるのだろうと思う。彼らはこの件の当事者たちに対して怯えているのだ。だからこそ、武装を固めて相手を飲み込まんとする。そうやって誇示した末に、自分自身を当事者にするつもりなのだ。私たちを差し置いて、ありもしない()()を持ち出して。


人間はいつだってそうだ。都合が悪い時は他人に責任を押し付け、都合が良い時は利点を奪い取ろうとする。

私は出産者から廃棄され、存在ごと政府の施設に押し付けられた。国選執行官(エグゼキューター)となってからは、人々から畏怖と責任を押し付けられた。

奉仕部から、ヒナを押し付けられた。


私は努力した。それが私の存在する唯一の理由だからだ。施設では勉学に打ち込んだ。執行官になってからは仕事に全てを捧げた。

その後、ヒナが来た。最初は仕方なく受け入れた不要な家政婦だった。それが彼女との距離が縮まるにつれ、関係は生活ごと変容していった。ニュースやテレビを見ながら会話をして、外出もして、相手のことをあれこれ想像したり考えたりして、寝食を共にして、呼び方も変えて。

私と彼女は少しずつ、お互いの当事者になりつつあったのだ。


だが、ヒナが少し不注意だっただけで、彼女は部外者(アウトサイダー)として連れて行かれてしまった。

結果行われたのは? 機械的な聞き取りだけだ。誰も私やヒナの感情を汲み取らなかった。つまらない監査官と、この男をけしかけて。部長のように、全てを悟ったように振る舞って。


そしてとうとう、人々は自分たちの都合で、私たちからなけなしの当事者性をも奪おうとしている。

押し付けて押し付けて、最後には奪う。私たちの生活を。ヒナの純粋な幸せを。


私を捨てたのは誰だ。()()()を見捨てたのは誰だ。


真に責任を問われるべきは、誰か。真に当事者となるべきは、誰か。


――いいだろう。当事者になることが、そんなにも甘美であるならば。


「私は、そう思いませんね」


固まっていた男の表情が僅かに動いたのを、私は見逃さない。


「サクラ様、どういうことでしょうか」

「奉仕員であるヒナがこちらへやってきたのは一ヶ月以上前です。その間、奉仕部はこちらに何ら干渉しませんでした。違いますか?」

「それはそうですが」

「さらに、奉仕部のカリキュラムにも問題はなかった。であれば――」


思考が痺れて、収縮して、一点に収束する。

私は決意を固めた。男を真正面に見据えて、堂々と告げる。臆することなく、迷いなく。


「ヒナの管理責任は、私にあると考えるのが()()でしょう」

「い、いや、しかし」


男の表情が崩れ、露骨に動揺しているのが見て取れる。

それはそうだろう。これは言うなれば、


「何か問題でも? 当事者として、私が責任を取るだけの話です」

「……あなた、何を言っているのか分かって――」

「私が、ヒナを執行します」


人殺しの、婉曲的表現に過ぎない。

通常ならまず選ばない選択肢だ――仮に見返りとして、この件についての確実な当事者性が手に入るとしても。


しかし、私は選ぶ。選んでやる。そうしなければ、ヒナと私の存在が認められることはないからだ。


当事者という果実を、ここで渡してなるものか。


「そういうことですから、お引取り願えますか。奉仕部は今回の件について、明らかに()()()ですから。異論がある場合は、奉仕部の責任者から正式な文書でお送り願います」


男の顔が一瞬で青ざめる。シンとした静かな時間がしばらく続いた。


「……まさに、執行マシンだ」


男はそう捨て台詞を吐くと、焦った様子でよろめきながら部屋を出ていった。

彼が上に報告をすれば、たちまち奉仕部や本部は大騒ぎになるだろう。執行官は数々の執行を行ってきたが、身内殺しをした例はない。ましてや、執行官が直々に執行を申し出た例など、決して。

明日以降の呼び出しや必要な手続きのことを考える。関係各所に大迷惑をかける上に、煩わしい仕事が大量に降ってくるであろうことは容易に想像できた。


だが、それでも――


「確かに私はマシンです。ただ、今はそれが誇らしい」


私はもう、迷わない。



***



お上の思惑が存分に汲み取られた形式的な裁判を経て、執行官を裏切った極悪人であるヒナの執行が正式に決まったのは、それから二ヶ月後のことだ。

部長がこの決定を私に伝えた時、彼は善いことだとも悪いことだとも言わなかった。

これはすぐにニュース等で大々的に取り上げられ、ご丁寧にキャッチコピーまで付いている。内容はこうだ。『全国民が当事者です! 国の裏切り者に裁きの鉄槌が下る! 史上初、被害者自らが執行します! 来週火曜十八時より政府広報チャンネルで放映』。


この執行は間違いなく、過去最高の視聴率になるだろう。私は身内に裏切られた悲劇のヒロインであり、身内すらを殺す猟奇的なマシンにもなる――名実ともに、国一番の当事者となるのだから。



【急】


《―― 〇〇市〇〇小学校 全校朝礼 ――》



みなさん、おはようございます。

今日は、みなさんに大事なお話があって集まってもらいました。校長先生の言うことを、ちゃんと聞いておいてください。


突然ですが、今日から、六年生の社会科の先生がいなくなることになりました。

その先生が、法に違反してしまったからです。


当事者保護法、という法律があります。

物事において、部外者(アウトサイダー)から当事者を守る法律です。


世の中には、よく知りもしないのに、他人のことに首を突っ込みたがる人たちがいます。


一昔前、他人に押し付ける独りよがりな正義が流行し、息苦しい世の中になってしまったことがありました。


一昔前、芸能人などに対してSNSでいろんな意見が書き込まれ、問題になったこともありました。


一昔前、他国の人の行動に過剰に反応して、その国の文化を破壊してしまったこともありました。


他人からよく見られたいがために、聞きかじったニュースや情報を元に、耳障りのいい意見ばかりを発言、拡散し、歪んだ正義の()()に乗っかった野次馬たちが、自分たちの思い通りにならない現実の当事者たちを叩き続ける。少し前まで、世界はまさに地獄でした。先生はそうした時代に生きてきました。何を言ってよいのか、何をしてよいのか分からない、息苦しい時代でした。


あらゆる外野、部外者(アウトサイダー)の意見は、当事者の人たちを困らせ傷つけます。

だから今では、そのような発言や行動は全て裁かれるのです。

基準も分かりやすい。自分が当事者であるかどうか。明らかでない時は、当事者ではない。これだけです。こんな単純なルールのおかげで、他人に自分たちの発言や行動を邪魔されることはなくなったのです。よい世の中になりました。


ですから、校長先生からのお願いです。今から言うことを、みなさんに改めて徹底してほしいと思います。


『当事者でない限り、他人には関わらない』。先生も、みなさんもそうです。

特に、安易に他人を助けないこと。助けを求められない限り、放っておきましょう。


さまざまな意見を持つことはよいことです。でも、当事者でない限り、意見を言わないようにしましょう。部外者には、責任が伴わないからです。そんな人たちに、意見を語る資格はありません。


ですから、当事者になる努力を一生懸命しましょう。

当事者であることは、名誉なことだと思いましょう。


校長先生は、この学校の当事者になれて幸せです。みなさんにお話をする自由もありますから。


ああ、本当に、よい世の中になりました。



***



長い読経が終わって、束の間の静寂が訪れた。

小さな執行室の中央にある電灯の光が、青色に塗られた壁に反射して、眼前の少女の横顔を薄青く染めている。彼女は微笑を湛えたまま、稀にふらりと左右に揺れた。

彼女、ヒナは硬直処理(フリーズ)を選択しなかった。執行の瞬間を、訪れる最期を、全て自分で受け止めるつもりだ。

それでも、彼女は穏やかに笑っていた。


私は以前、硬直処理(フリーズ)しない人間はどういう表情になるのかを考えたことがあった。彼らがそのオプションを選択した理由は、それを選ばなければ悲惨な顔つきを見せてしまうからではないかとも思った。しかし実際は、たまたまオプションがあったから選んでみた程度の理由しかなくて、実際はそれがなくても、誰もが笑顔で最期を迎えられるものなのかもしれない。

世の中は奇想天外で、誰もが尤もらしくあらゆる予想を外しながら、ひたすらに馬鹿馬鹿しく生きている。やっていることは難しく見えるが、中身は存外空虚なものだ。世の中やヒナ、そして自分自身を観察するうちに、私はそう思うようになった。


「読経が終わりました! 間もなく、執行です!」


部屋の奥の窓越しに、普段の三割増しの人数がひしめいているのが見える。大きなカメラは相変わらず中央に陣取っており、左右の人々は窮屈そうにしていた。

その偉そうなカメラの向こう側には数百万――いや、数千万の人間がいて、この少女の結末を見届けようとしている。皆が史上初の歴史的瞬間を心待ちにしているのだ。なぜなら、今この場においては、全国民が当事者であるから。


だが、眼前の少女だけは、この時この国における唯一の部外者で、

国民から見捨てられながらも、最も注目されている存在である。


対する私は、国選執行官(エグゼキューター)である。国選執行官(エグゼキューター)は国民の模範であり代表である。人々の願いと怒りを背負い、職務を粛々と遂行することが求められる――相手が誰であろうとも。


故に、私の右手には銃が預けられていた。不義を断罪し正義を知らしめる銀色のボディは、高潔な国民の象徴だ。


『執行官、準備』


部屋に無機質なアナウンスが響く。

私は躊躇うことなく、左手で銃のセーフティーを外す。カチャリ、と普段よりも小気味よい音と感覚がした。


『構え』


少女のうりざね顔の下、首筋に銃口を向けて、


『撃て』


すぐさま、私の首筋に銃口を向け直す。


『――中止! おい、誰か止めろ!』


無機質なアナウンスが途端に有機性を帯びて叫ぶ。が、もう遅い。

私は引き金を引いた。首筋に小さな衝撃とチクリとした痛みがが走る。何度も執行してきた身として、その痛みの弱さに驚いた。これなら、硬直処理(フリーズ)がオプション扱いになるのも頷ける。


そうやって首もとの感覚を確かめていると、慌てた様子の大きな足音の後、扉が乱暴に開けられて、小さな箱を手にした白衣の医者が部屋へ飛び込んできた。持っているのは、執行官が誤射した際に使用する抗血清ナノマシンだろう。あれを注射されたら私の計画は失敗だ。


銃口を向けると、医者はたじろいだ。もちろんナノマシンは一発しか入っていないし、そのことは医者も知っているはずだ。それでも、私が握る銃の威力と意味を目の当たりにしてきた人間は、誰だって銃口が自分に向くのを嫌がる。もしかしたらという思考が、一瞬、医者の脳裏によぎったのだろう。

間合いを詰めるには、それだけの時間で十分だった。


私は医者のもとへ一気に走り寄ると、両腕を構えてバランスを取りつつ、右足で箱ごと思い切り腕を蹴り飛ばした。

箱は医者の背後に吹っ飛ぶと、中から注射針の付いた小さな装置を吐き出して落ちた。すかさず、床に横たわる装置を勢いよく踏み潰す。バキッと軽快な音がして、取り付けられていたシリンダーが破裂した。透明な液体がゆっくりと床に広がっていく。

護身術として学んでいた拳法が役に立った。護身とはまるで逆の使い方にはなったが。


医者はすっかり青ざめた表情で、為すすべもなく呆然と立ち尽くしている。装置が破壊された今、彼にできるのはただ一つ。()()をした、哀れな人間の末路を眺めることだけだ。

私の勝利と敗北は確定した。


ふわり、とした浮遊感を感じると同時に、平衡感覚が失われる。普通の執行対象なら、執行官に支えられている頃だ。立つのが限界になって、私は足を放り出して仰向けになると、首を動かしてヒナがいた方を見た。既にいなかった。さらに首と体を動かして背後を確認すると、そこでヒナが号泣していた。ようやく私は、自分の聴覚が失われていることに気がついた。

ナノマシンは対象の美しさをできる限り保ちながら、効率的に命を奪う。私の外見は一切壊されることなく、魂だけが静かに抜き取られていく。


ヒナが私の目を覗き込む。こぼれ落ちた涙がポロポロと顔に当たっているのが辛うじて感じられた。意識が朦朧とする。重力が消えていく。視界がぼやけて、一面が白く輝いていた。天に歓迎されているようで、晴れやかな気分だ。


失われていく思考が弾けて、ヒナが描いていた妄想を走馬灯のように映し出す。私とヒナが愛を囁きあって、都市を巡り、野山を駆け、潮騒に沿って歩き、夕焼けを見つめて……。

ただ、この物語には欠点がある。どんな幸せがあろうとも、単に生きるだけではまた邪魔されてしまうのだ。ヒナが通報されたように。警察がヒナと私を引き裂いたように。


これを防ぐには、これ以上誰にも介入させないようにすればいい。誰にも文句を言わせないようにすればいい。誰もヒナと私へ届かせないようにすればいい。

つまり、地球上で唯一無二の最強の当事者になれば、これらを達成できる。私たちが望むのは、究極の楽園だ。



『私は、常に当事者でありたい。そうじゃなきゃ生きている意味がない。部外者なんて、ゴミよりも価値がないんです』



『私はサクラさんが好きです。サクラさんは、この国で一番の()()()だから』



最高効率かつ最強の解を、私はヒナに提示する。

自殺を選んだ狂ったマシンと、殺されなかった部外者(アウトサイダー)。こんな存在、二度と現れない。現れようがない。


故に、



――これなら、もう――



私の意識がこの世との接点を失った瞬間、


私たち二人は、永遠の当事者になった。


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