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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
第二部一章 躍る大王たち
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第七十七話 『赫赤短剣』

 赤い左眼の男と貧しい少女は、かつての幹線道路から廃教会へ向かう。

 修道服を失った浅葱色の髪のシスターは、幸運にも居住地の近くに転移したため、既にミンクツに着きつつある。

 そしてイドラとソニアもまたその頃、とにかく人のいそうな山の方角に向けて南方から歩いていた。


「結構歩きましたけれど……まだ遠いですね」

「ああ。道が歩きやすいのは救いだな」

「今は荒廃してるだけで、以前は人も多い場所だったんでしょうか」

「きっとそうだ。建物が縦に長いのも、それだけ土地が足りなかった証拠だろう」


 旧オフィス街を抜けて。風化に晒された道路を歩き、町が生きていた年代に思いを馳せる。

 しかし、その想像もうまくはいかなかった。都市の機能も知らず、ここに住んでいたであろう人々がどんな顔で、どんな服を着て、どんなことをして過ごしていたのか、地平世界から出たばかりのイドラにはまったく推察できない。

 ただわかるのは、こうも高い技術水準を持った街が放棄され、廃墟となってしまうだけのなんらかの要因があったということだけだ。


「あの山のふもとには、人がいればいいが」

「いますよ。ほら、小さく煙が上がってますから」

「え? ……あ、言われてみれば。目がいいなソニアは。まったく気づかなかった」

「えへへ」


 小山の上にそびえる黒い施設。その下には、なんとなく町らしきものが窺え、そのためにイドラたちはその方角へ向かっている。

 けれど遠目で見ても、その規模はここいらの廃墟に比べれば小さく、また建築も拙い。雰囲気はいっそ、イドラたちの世界でもありふれたもののように見えた。

 着いてみて、あそこまで無人だったならば、いよいよ誰もいない世界に来てしまったのかと頭を抱えねばならなかっただろうが——

 その心配は無用のようだ。不死の残滓を残す眼は、まだ常人に比べれば高い視力を備えていた。

 今は、まだ。


(ウラシマさんの遺言に導かれて、ここまで来た。あそこにたどり着けば、先生の真意に触れられるだろうか……)


 雲の上にあったのは、神の国ではなく。かつての栄華を影に残す、荒廃した大地。

 人がいるとわかったのはいい。だが、受け入れてくれるかは話が別だ。

 不安は否めないが、行ってみるほかない。


「それに、ベルチャーナのことも心配だ」

「……はい。いっしょにあの箱舟から昇ってきた二人は、大丈夫でしょうか」

「いやレツェリのやつは全然どうでもいいんだけど」

「そんな」


 困ったように苦笑するソニア。

 ベルチャーナが心配なのは心から本当だったが、レツェリの方は……あの生き汚さだ。もとより味方と言い切れる関係性でもなし、気にかけている余裕もない。

 しかし放っておいたら放っておいたで、なにをしでかすかわからない男だ。

 どこかのタイミングでまた会うことになるだろう。それも、ともすれば敵対する形で。

 気を許したわけではないとはいえ、肩を並べて過ごした呉越同舟のひと時はとうに終わった。同じことは二度と起こらないだろうと、イドラは半ば確信めいて思った。


「そういえば……レツェリと言えば、エンツェンド監獄から連れ出す期間は上限で三ヶ月って話だったな」


 峻険な顔つきをした、監獄でイドラたちを案内したケッテという名の男を思い出す。役職は……看守長だったか看守部長だったか、確かそんなだ。


「あっ。そうでした、けど。でも……」

「レツェリのやつとははぐれちゃったし、正直右も左もわからない状態で、監獄に無事戻れる保証さえない。こりゃ約束を守るのは無理かもな」


 世界を越えるなど、流石にイドラも想定外だ。まして、自分が昨日まで生きてきた世界のすべてが、ギフトをこの世に投影させるための幻のようなものだったなどと。


「ケッテさん、怒りそうです」

「だな……。それにミロウにも悪い。まだ決まったわけじゃないが」


 協会の手引きのおかげで、レツェリを監獄の外へ出せたのだ。今にして思えば、こうして逃げおおせることがレツェリの目的だったに違いない。

 期限を守らせることが叶わず、まんまと囚人を逃してしまったエンツェンド監獄は体面が保てない。それだけでなく、監視役にベルチャーナを送り、手を回したミロウにも累が及ぶ可能性は十分ある。

 イドラは心の中で、金の髪の友人へ、世界を隔てた届かない謝罪を口にする。背後からの気配に気がついたのはその瞬間だった。


「——! 後ろだソニア、ワダツミを抜け!」

「敵……!? はいっ!」


 人間の足音ではなかった。もっと重く響くような、獣——あるいは怪物のそれ。

 見慣れた、そして殺し慣れた不死の怪物の姿を無意識に脳裏に描きながら、イドラは素早く振り向く。


「ヤ、ヤ、ヤス——ヤスイ、ヨ。ヤスイヨ。ヤスイヨー」


 いつの間に接近されていたのか。道路上に悠然と佇むのは、鋳造された金属で象られたかのような、黒鉄の異形だった。

 形は犬に近い。だが毛が生えているわけではなく、体表は金属めいた光沢に覆われる黒。眼は不気味な赤色で、犬らしい鳴き声からはかけ離れた、歪んだ人の声を断続的に繰り返している。


「なんでしょう……これ。イモータル、ではないですよね」

「さあな。こっちの世界にも魔物はいるのかもしれない。魔法器官らしきものは見当たらないが……油断するな。これは僕の勘だが、こいつは僕たちに強い敵意を抱いてる」


 打ち据えるようなプレッシャーは、やはりイモータルを思わせた。本能と経験の両方が警鐘を鳴らし、イドラの背筋に冷たいものを伝わせる。

 自分で口にしておきながら、魔物ではないな、とも思った。

 どちらかと言えばイモータルに近い。だがイモータルそのものではあるまい。

 未知との遭遇。警戒しつつ、イドラはいつものように自身の腰の(ケース)からマイナスナイフを取り出す。そして手癖のように、それを手の中でくるりと半回転させて逆手に構え——

 心底から驚愕した。

 その、十歳の時からともにあった天恵の刃。ラピスラズリのような半透明の青みがかった刀身が、反対の赤色に染まっていた。


「は……!? 赤い? なんで?」

「イドラさん? どうかしましたかっ?」

「赤い……マイナスナイフが赤いんだ! はぁっ、なんだよこれ……!? どうしちゃったんだよ僕のギフトは! こんなこと、これまで一度も……!」


 困惑もむべなるかな。六年連れ添ってきた、巨大なるヴェートラルを含む幾多のイモータルを屠り、あの反則じみた眼球の天恵を有するレツェリに対する最大の突破口にもなった相棒が、形こそ変わっていないものの、その色を大きく変じていたのだ。

 同じ宝石になぞらえるのであれば、ラピスラズリからガーネットに。燃えるような炎の赤色。

 それは否応なしに、あの男の天恵を連想させた。

 同じレアリティ1。視界に映る動体を断裂させる、悪夢のようなあの赤い眼球を。


(能力は……!?)


 原因不明の変化、その正体は、世界の法則に適応したことによる影響だ。非実体の地平世界と違い、この世ではマイナスの刃を実在として象ることはできなかった。

 となれば、能力にもいささかならぬ変化があるだろう。この場にはいない、静止した物体を刻めるようになったレツェリの左眼のように。だがそれを詳しく確かめている余裕はなかった。


「イドラさんっ、前!」

「く……しまっ——」


 黒い大王は待ってはくれない。「ヤスイヨ、ヤスイヨー」と壊れた機械じみて滑稽に繰り返しながらも、動きは獣そのものの敏捷さで飛び込んでくる。

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