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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
第一章 果ての世界のマイナスナイフ
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第七話 友達

 呆けたイドラの視界に、自身に向けて稲妻のように飛び掛かろうと迫る、黒い毛並みの怪物が映った。力の抜けた四肢では防ぐことも避けることもできない。死ぬ。

 呆気なくここで死ぬ。自分の間抜けさを悔いることも、諦めることも抗うことも間に合わない。精神の緩みによって思考はあまりに遅れている。


「すまない。ワダツミを取ってくるのに遅れてしまった」


 眼前に迫ってくる死を呆然と見つめていたイドラのそばで、ふっと一陣の風が吹いた。同時に、聞きなれた声が届く。

 誰よりも安心する、優しい声が。


「せん……せい」


 ローブの裾と長い髪が目の前に翻る。暖かな黒に彩られた彼女は、抜き身の刃物を手にしていた。

 イドラの身長の半分くらいはある、やや湾曲した刀身。柄巻には藍色の糸が使われており、ただそこにあるだけで空気を凍らせるような、鋭い機能美に満ちている。

 見慣れないその武器が、ウラシマが『カタナ』と呼んでいた彼女のギフトであると、イドラは理解した。


「ヴォォォォォオオオオオオ——ッ!」

「ふッ」


 イドラに躍りかかる魔物に対し、庇うようにウラシマは刀を振るう。華奢な彼女の肢体からは想像できない素早い一振りは、空中の魔物を容易に斬り飛ばした。


「っ、浅いか」


 だが致命傷には遠く、空中でぐるりと姿勢を直して着地した魔物はイドラから視線を外し、ウラシマに憎悪の眼を向けて再び飛び掛かる。

 ウラシマは片足を下げ、冷静にカタナを構え直した。


「先生っ!」

「はぁ——!」


 俊敏な魔物の動きに、ウラシマが噛み殺される未来を予測しイドラは叫ぶ。しかし彼が脳裏に描いた危惧は実現せず、ウラシマの挙動はさらに早かった。

 イドラが見たことのない長物を手にしたウラシマの動作は、やはりイドラが見たことのないものだ。足を地から離さない独特の運びで斜めに進んだかと思うと、横薙ぎの一刀がすれ違いざまに魔物を両断する。

 いかな魔物でも、胴が二つになってしまえば生きてはおられまい。イドラと違いウラシマは一匹を倒した後も油断せず、構えを崩さぬまま続く最後の一匹へと体を向き直す。


「ウゥゥゥ……!」


 その残された一匹は、姿勢を低く落としながら、小さく唸りを上げていた。それだけではなく、背から突き出た鉱物じみた質感の奇妙な部分——魔法器官が薄く発光を始める。

 イドラは何度か、森にいる魔物を遠目に見かけたことがある。もちろん母や戦える村の大人が何人も近くにいて、万が一襲われても撃退できる状況でだ。ただ間近で見たことはないし、戦ったことも当然今日までなかったから、それが魔法を行使する予備動作であると気付いたのは、魔法が発現したあとだった。


 咆哮とともに、魔物の背から渦を巻く炎が突然解き放たれる。火種もなしに現れたそれは確かな熱を持ち、現象として成立していた。

 魔法。人知の及ばぬ、魔物が有する力の顕現。一説によればそれは、大気中にある未発見のエネルギー源を魔法器官によって変換しているのだという。

 炎は蛇のように、空中で弧を描いて飛びながらウラシマへと襲い掛かる。さらに、魔物は上方の炎に合わせて突進を開始する。

 地上と空中、二方向からの強襲。ひとたまりもない猛攻。

 牙を剥き爪を振るうだけが魔物の能ではない。神秘を宿す魔法器官の働きこそ、魔物の真骨頂と言えた。


「——氾濫フラッディング


 されど。神秘と言うのなら人にもまた、天の神より与えられた業がある。

 ウラシマの刀、その刀身からぶわりと透明な液体が溢れだす。渦を巻く炎と対を成すように、刀身が水をまとい始める。

 これこそウラシマが有する特異なギフト、ワダツミの持つ能力だった。洪水のように湧き出た水は、ウラシマが空を斬るように刀を振るうと刀身から離れ、液体の刃と化して炎の蛇と相殺する。


「……少し、太刀筋が鈍っちゃったかな」


 イドラが空中の出来事から地表へ戻した時には、既に戦いは終わっていた。

 フラッディングによって生まれた水の刃が魔法の炎とぶつかり合い、粒となって雨のごとく降り注ぐ。その中でウラシマは、こと切れた魔物のそばに立ち、ワダツミについた血を振って払っている。

 その拍子に、彼女の右手首に着けられた黄金の腕輪にイドラは初めて気付いた。ウラシマの利き腕は右のはずだ。あんなものをしていて、カタナを使うのに邪魔ではないのか……などと、少々場違いなことを心配してしまう。


「イドラ、大丈夫か!」

「あ……イーオフ。うん、少し踏みつけられてたところが痛いけど、平気だよ」

「そうか……」


 駆け寄ってきたイーオフの言葉で、イドラは我に返った。目の前で行われた劇的なシーンがまだまぶたに焼き付いている。

 イーオフは珍しく焦った表情で、座り込むイドラの顔を見て、それから体全体に目を向け、爪が食い込んだ胸の浅い怪我以外に外傷がないことを確認すると、ほっと息をついた。


「……すまん、イドラ。そんで、ありがとう」

「え?」


 続いて出た言葉に、イドラは耳を疑う。

 謝った? それから感謝までした? あの意地悪なイーオフが?

 目を丸くするイドラに、イーオフは「う」と小さくうめくと、ばつが悪そうに顔を背ける。


「なんだよ、おれだって礼くらい言う。お前がいなかったら、おれは今頃そこで死んでる化け物に食い殺されてた」

「そ、そんな……お互い様だよ。ウラシマ先生を連れてきたの、イーオフでしょ? それこそ、先生を呼んでくれなかったら絶対僕だって死んでた」

「元々騒ぎの方に向かってて、広場の辺りにいたのを案内しただけだ。おれは……お前のこと、誤解してた」

「誤解?」


 魔物たちが倒れ、家の中や外の物陰に隠れていた村人たちが顔を出し始める。また、魔物を撃退せんと各々のギフトや、農具を手にした男らも遅れて出てきた。

 それらを尻目に、イーオフは続ける。変わらず、視線はイドラから逸らしたままだ。


「お前のこと、なにもできないやつだって。反対に、おれはいざってときに戦える。そういうやつだって思ってた……でも違った。おれはギフトで戦うことなんて頭になくて、お前はそんなおれを助けた。おれがザコギフトって呼んできたナイフで、戦って、勝ってみせた」

「イーオフ……」

「これまで悪かったよ。紙も切れないギフトでなんで勝てたのか、おれは今でもわかんねーけど……魔物に立ち向かえたお前は立派だ。おれは怖くてそれどころじゃなかった」

「——」


 うつむき、今にも涙さえ流してしまいそうなイーオフの姿は、物心ついてから同じ村で過ごしてきたイドラでさえ初めて見た姿だった。


(……あ、いや、小さい頃、村中の家の壁に落書きして村長さんにどやされてた時は半泣きだったっけ)


 とにかく珍しいのには違いなかった。

 子どもの小さな体で立ち向かうには、魔物など恐ろしくて当然だ。イドラは立ち上がり、いつもの気勢を失ったイーオフをなんとか励まそうと言葉を探すも、普段と違いすぎてなんと言っていいのかまるでわからない。

 イーオフはギフトを携帯していなかったのだから仕方がなかった? 運がよかっただけ? 一体どういう風に伝えればいいのだろう。

 そうしてあたふたしているうちに、イーオフは自分から顔を上げた。


「村、出ろよ。出たいんだろ」


 今度は目を合わせ、はっきりとイドラの望みを口にする。


「え。ど、どうしてそのこと……」

「あんなに山ばっか見てたらバカでも気付くっての。……正直、無謀だとしか思ってなかったよ、さっきまではな。今は違う。お前ならやれる」


 それは、選択を前に尻込みしかけたイドラの背を押そうとする、静かな激励だった。


「あんなギフトじゃ危険な村の外になんて出れないって、ずっと思ってた。だけどお前は、ギフトなんてなくてもやっていける。やれるよ」

「イー、オフ」


 なぜか、目が熱くなる。

 イーオフはいつの間にか、イドラが村の外へ憧れを抱き始めていたことを見抜いていた。自身でさえ、強く想うようになったきっかけはウラシマとの出会いでも、確固たる気持ちの始まりがいつなのかわからないその切望を。


「村のことはおれがなんとかする。村長オヤジもおふくろも、お前の母ちゃんも守ってやる! 今度こそ、おれのプロミネンス(ギフト)で!」

「……! うんっ」


 励ますまでもなく、イーオフはいつもと同じ自信に満ちた眼差しで宣言した。

 村のことは心配するな——だから気にせず出ていけ。そう言っているのだと、イドラは初めて、イーオフの強い物言いの裏にある、彼なりの思いやりや責任感を読み取れた気がした。

 イドラが深く頷くと、イーオフも満足そうに頷き、告げることは告げたと踵を返す。それから家の方に歩いていった。


「イーオフっ」

「あ?」


 その背を呼び止める。振り返った友達の、少し潤んだ目には気付かないふりをして、


「こっちこそありがとう。おかげで、踏ん切りがついた!」

「……ふん。せいぜい旅先で野垂れ死んだりするなよな、イドラ」


 イドラは精一杯に笑う。すると、イーオフも犬歯を覗かせて笑ってみせた。



 魔物の死体は、ウラシマや村のみんなで村からやや外れた場所に埋めた。

 人も動物も魔物も、土葬がロトコル教の習わしだった。土に埋めて自然に戻すことで、間接的に神へと還すのだ。

 埋めるのにはイドラも手伝った。命を奪った者として、それがあの魔物に対する礼儀のようなものだと思えた。ウラシマはその行為を褒めつつも、「あまり魔物に対して感情移入しすぎない方がいい」とたしなめもしたが。

 ともあれ作業を終えると、家に戻る前にウラシマはイドラをしばし引き留めた。


「どうやらイーオフ君とも前より仲良くなれたみたいだね。よかった」

「うぇっ、見てたの?」

「そりゃあね。邪魔しちゃあ悪いと思って口出ししなかったけど」


 大きな声も出していたし、当然と言えば当然だった。ただ先のやり取りを見られていたと思うと、なんだか恥ずかしさがこみあげてきた。

 そんなイドラの気を知らないウラシマは、「それで」と真剣な表情で本題を告げる。


「イドラ君ががんばってくれたおかげで重い怪我人は出なかったけれど……山から突然、それも三匹も魔物が下りてくるなんて変じゃない? こういうこと、これまでもあった?」

「あ……ううん。そういえば、一度もないよ、こんなの。たまーに迷ったみたいに一匹だけ村に来ることはあったけど……あそこまで狂暴な感じじゃなかった」

「そう、か。ふつうはそうだよね、やっぱり」

「どういうこと? 山でなにかあったとか?」

「その可能性もあるね、なんともいえない。山の向こう側でもっと強い種類の魔物……それかイモータルが暴れてる、とか」


 イモータル。

 その名前は、やはり魔物と同じように、リティからも何度か恐ろしいものとして伝え聞いたものだ。ただ魔物に比べれば童話か、それか怪談じみたニュアンスが強かった。実在はするそうだが、魔物ほどどこにでもいるわけではなく、姿も個体ごとに違うらしい。

 イドラが知っていることと言えば、それが不死の、正真正銘の化け物であること。魔法器官を持つ個体もいるため突然変異した魔物であるとする説が主流であること。

 それから、この大陸にのみ生息するイモータルを『葬送』するべく、ランスポ大陸においてロトコル教会は半ば独立し、『葬送協会』と自他ともに呼ぶようになっていったことくらいだ。


「村に来たのがそれこそ、魔物じゃなくそのイモータルだったらと思うとぞっとするよ。この仮定は間違いであってほしいね、そういう面では」

「やっぱり魔物よりずっと強いんですか? イモータルは」

「強い弱いじゃない。相手は死なないんだ。傷さえ与えられない。死なないんだから殺せないし、だったら戦えば殺される」

「そんな……先生でも?」


 イドラが危うく殺されかけたあの魔物を、いとも容易く仕留めてみせたウラシマの技量。最後の一撃こそ不注意によって見逃してしまったものの、旅によって培われたのであろう卓越した剣技をイドラは目に焼き付けている。

 氾濫フラッディングと呼んでいた、魔物の魔法を打ち消したギフトの能力。そしてまさに水が高きから低きへと流れるがごとし、無駄のなく滑らかな太刀筋。

 いかにイモータルが強くとも、ウラシマが負ける光景など微塵も想像が及ばない。しかし、彼女はふるふると首を横に振った。


「無理だね、ワタシが向かってもまず殺される。言った通りだよ、戦ったところで無力化する手段がなにもない。長い旅をしてきたけれど、イモータルにはまだ極力関わらないようにして動いてきたのがこのワタシさ。だからこそキミの——……」

「?」


 ウラシマはそこでまだなにかを言おうとしたが、イドラの顔を一瞥すると、思い直したように言葉を止めた。


「……まあ、ともかく。殺せないからこそ、葬送協会の行う葬送っていうのも、地中や海中に沈めて無力化を図るってだけ。根本的にイモータルを殺すっていうのはありえないことなんだ」

「え、そうなの? 葬送って言うからには僕てっきり、葬送協会だけはイモータルを倒せるんだって思ってた」

「できないね、かわいい勘違いだけど。なんにしろ、これだとまたいつ魔物がやって来るかわからない。村にはお世話になっているし、どの道まだ滞在するつもりだったんだ。明日から……いや、今日から警備を申し出てみるよ」


 そう話すウラシマの横顔には、わずかな緊張が見て取れた。

 たったひとりで旅をして、幾多の困難を越えてきたウラシマでも、どうしようもない存在がある。そう思うと不安が胸をよぎるも、同時に、戦えば殺されると断言するウラシマは、今も無事に旅を続けられている事実を意識する。

 避けていれば大丈夫だ。そうイドラは自分に言い聞かせ、旅の決意を折るようなことはしなかった。


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