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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
第三章エピローグ 別れと再会の物語

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第六十七話 一難去ってまた海難

「ベルチャーナ君、雪原で私に見せびらかしたものは持っているな? 投げろ」

「はいはーい、もうっ、上司でもないのに人使いが荒い……!」


 いかなレツェリとて、視界内のすべての位置に『箱』を配置できるわけではない。

 この力には、空間を把握する能力が必要だ。俗に空間認識能力と呼ばれるそれを、万物停滞アンチパンタレイを活かすためレツェリはギフトを手にした十歳のころから自分なりの方法で鍛えてはいたが、それでもあまり遠い距離に仮想の箱を置くことはできなかった。

 この能力には先天的な部分も多い。それに距離を隔てた場所の空間的な広がりを把握し、その場所のある一定の範囲だけを三次元的に切り取って意識するというのは、人間にとって簡単なことではないのだ。


「まさか魔物相手にこれを使う日がくるなんて——ねっ!」


 ベルチャーナは修道服のポケットから、白い液体の入った小ビンを取り出す。その中になにかを入れると、蓋を締め直し、優れた体幹を思わせる整ったフォームでそれを投擲した。

 レツェリの手によって——否、眼によって、クラーケン本体への道を塞ぐものはない。エクソシストの強肩によって投げつけられた小ビンは、あやまつことなくクラーケンの丸みを帯びた赤い頭部——に見えるそれは実のところは胴部であるのだが——に着弾する。

 その時、小ビンが木っ端みじんに爆散した。


「ゥ——ゥゥ————ッ!?」


 小ビンの中身の正体は、エクソシストが葬送に使用する対イモータルの液体爆薬だ。後から別の溶液を入れ、五秒ほどで大きく爆発を引き起こす。

 このように二種を混ぜ合わせるものは聖水の中ではバイナリと呼ばれたが、これは中でも危険性の高いものだ。不死身の怪物に使うためだから当然と言えた。無論爆発でもイモータルは傷つかないが、爆風でその場からどかしたり、一瞬でも動きを止めるために使用する。

 ただどちらかと言えば、葬送檻穽と呼ばれる、イモータルを地中に葬送するための穴を咄嗟に用意したり、地形を破壊して有利を作るために使われることの方が多かった。


「今だ、イドラ!」

「言われるまでもない……!」


 イモータルのための品が魔物に通じないはずもなく。流石に一撃で殺すほどの威力はないが、クラーケンは衝撃に怯み、残った触手をばたつかせる。

 だが、正面の触手はあらかたレツェリが薙ぎ払ったあとだ。イドラは駆け出し、船縁に足をかけ——躊躇なくその身を海へと投げ出した。

 海上に浮かぶクラーケンの本体まで、せいぜい15メートル。

——跳躍は二度。それで十分。


 イドラの両眼にレツェリのような力はない。当然だ。その目はギフトでもなんでもなく、生まれ持ったただの眼球に過ぎない。

 しかし距離に対し、目測で必要な『跳躍』がどの程度か、どの角度と強さで行うべきかを判断することはできる。できるようになるまで、あの聖堂の夜以降、イドラとて鍛錬を積んできた。

 それはあるいは、同じレアリティ1の天恵を持つ男が、その左眼の力を活かすべく、空間認識能力を自分なりに鍛えようとしてきたのとも似ているかもしれない。


「はぁっ!」


 右手に握る青の天恵を、逆手のまま後方へ振り抜く。

 背後の空間がマイナスを帯びた刃に斬られ、膨張する。イドラの体は8メートルほど前方へ押し出され、見様によっては瞬間移動したように現れる。

 だが、そこはあくまで船とクラーケンの中間地点。周囲にあるのは深い海。

 海に向けて自由落下を始める肉体を、ぐっと腕を斜め下に突き出すように制御する。そして今度はそこにある空間を切り裂いた。


 レツェリが世界を『箱』で区切るように、イドラは空間に『壁』を視る。

 眼下、水面の上に広がる壁。微妙に角度のついた床のようなそれは、あくまでイドラの脳の中にだけある。

 仮想の地平。実存を伴わない、偽られた平面。

 それでも、そのシミュレートがなければイドラの能力は成り立たない。ならばきっと必要なことで、価値のあるものだった。


「魔物ごときに——」


 二度目の『跳躍』——空間斬裂による座標移動。

 今度は、斜め上に跳ぶ。イドラは足の下の空間を膨張させたことで、一気に水面を浮かぶクラーケンの上方へと移動した。


「……つまずいてなんかいられるか!」


 赤い怪物が、突然頭上に現れたなにかに気づき、上を向こうとする。それより早く、落下の勢いを乗せながら降り抜かれたナイフの刃が深く突き刺さった。

 無論、右手に持つマイナスナイフの負数の刃ではない。今度は空間を斬っていたそれではなく、左手に持つ通常のナイフだ。


「ゥ——グ————!!」


 期せず、そこは急所だった。クラーケンの心臓はそこに——一見すると頭頂部のようにも見える胴体の先に存在したのだ。

 魔物の体内を巡る血液が、激しく噴き出してくる。

 それは珍妙な、青みがかった色をしていた。


「グ——、ゥ…………ゥゥ」


 やがて、周囲の触手たちが力なく海の中へと沈んでいき、クラーケン本体もまた、ぐらりとその水面へ倒れ込む。


「お、っと」

「イドラさん! こっちですっ」

「ああ!」


 クラーケンの水没に巻き込まれぬよう、イドラは再度右手の負数を振るう。またしても二度の跳躍を伴い、イドラは目測通り、船縁へと無事に着地した。


「すごい……もう完全に使いこなしてますね、移動する能力」

「一撃で仕留めたのにも驚いた。イドラ、クラーケンの心臓があの位置にあることを知っていたのか?」

「心臓? いいや、知らなかった。そうか、やけに出血が夥しいと思ったが……心臓だったのか。ヘンな体の構造だな」

「む……」


 レツェリはごくわずかにだけ、表情を歪める。失言だった。船縁から降りるイドラはそれに気付かないふりをする。

 ともあれ障害は排した。

 まったく突然のことで驚いたが、これで一息つける——

 両手のナイフを腰のケースに仕舞い、イドラは何気なく周囲を確認する。クラーケンが沈み、海には平穏が戻ってくる。

 その青い水面が……どことなく、傾いているように見えた。


「…………。ん?」


 しかし大前提として、海は傾かない。当たり前のことだ。

 だから、あり得るとすれば、傾いているのは海そのものではなく、自分たちで。


「あの。ベルちゃんてば、せっかくキショい魔物を倒してやっと終わったーって場面でこんなこと言いたくないんだけどさ。……なんか、船沈んでない?」


 下を見る。船の床に、薄く水が張っていた。

 一難去ってなんとやら。

 船が傾く——つまるところ、浸水が始まっていた。


「破損箇所を探せ、すぐだ!」


 小休止をする暇は、まだイドラたちには与えられないようだった。レツェリが言うが早いか、一行は船に水が流れ込んできている場所を探す。ほどなくしてソニアが「ありました!」と声を上げた。


「どれどれ……うわっ、おっきい!」


 近くにいたベルチャーナが寄って確かめる。

 船の側面に空いていたその穴は、彼女の手のひらよりも一回りか二回りは大きい、船のサイズからすれば大穴と呼んでも差し支えない程度のものだった。

 原因は言うまでもなくクラーケンだろう。触手が何度かぶつかってきた際、外装が耐えきれなかったのだ。まだ見つかっていないだけでほかにも破損している部分や、壊れかけているところがある可能性もある。


 不幸中の幸いだったのは、その穴が海面ぎりぎりのラインで空いていたことだ。海水の流入は少しずつで済んでいる。これがもし、海面より下の位置で穴が空いていれば、船は段違いの速度で沈没を初めていたに違いない。

 しかし——その幸いも、少しばかりの時間的猶予をもたらす程度でしかなかった。

 少しずつ流れ込んだ海水が溜まり、船がより沈めば、いずれ穴は海面のラインを下回る。そうなればことは同じだ。


「うぅっ、せっかくクラーケンを倒したって言うのに……っ!」


 悔しさを声ににじませながら、ベルチャーナは修道服を勢いよく脱ぎ始める。柔らかくも引き締まった健康的な肢体にぴたりと沿う黒いインナー姿になった彼女は、手早く修道服を丸めて船の大穴へぎゅっと詰め込んだ。

 船の浸水を遅らせる的確な処置だ。判断の素早さに、彼女のエクソシストとしての優秀さの一端が現れていると言えよう。

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