第六十二話 死ぬほど羨ましかった
「穏やかじゃないな、復讐とは」
「まーね」
やや沈黙があって、ベルチャーナは静かな声で続きを話す。
「ベルちゃんの生まれは、テートレスって町だった。連邦は広いけど、その中でもそこそこ大きなところだよ」
「東の方だな。僕も立ち寄ったことがある」
「それで9歳の時、町の外からイモータルがやってきた。そいつは凶暴で、ベルちゃんたちの住んでた地域はめちゃくちゃにされた。……家族はみんな、そいつに殺された」
イモータルに町や村を蹂躙される。そんな悲劇は、この大陸では毎日のように平然とどこかで起こっていることだった。大陸の外に出ても、今度は魔物が同じことをする。人が似たことをするケースだってあるだろう。
人間はか弱い。ギフトという、天の恵みがあってもだ。
「わたしは、隠れて震えることしかできなかった。外の嵐が過ぎ去るまで、家の隅にあった物置に入って、使ってない家具の隙間で縮こまることしか」
「それで復讐、か。イモータルを殺す……葬送するために」
「そう。それだけが家族の弔いで、あの日震えてたわたしが前に進む唯一の方法。……なんて、エクソシストの中じゃ別段珍しくもない目的だよ」
家族を亡くした復讐のため、協会の門を叩いた。
動機自体はイドラにも少し似通っていた。イドラが不死殺しとして放浪の旅を始めた理由に、ウラシマを助けられなかった要因——直接的な原因はオルファだが——であるイモータルに対する報復がないとは言えない。
しかし。二者において決定的に異なるのは、その手に刃があるか否かだ。
イドラにはマイナスナイフがある。不死を殺す唯一の天恵。
ベルチャーナにあるのは、今も彼女の胸元で凛とした輝きを湛える、銀のリング。
「なのに修道院に入ったわたしが10歳になって手にしたのは、傷を治すしか能のないギフトだった。悔しかったよ、とっても。葬送——イモータルを葬ることのできる、エクソシストになることだけがわたしの望みだったのに」
「でも、今はエクソシストになれてるじゃないか」
「それはもう、ちょーがんばったんだよぉ。体の訓練と聖水の勉強をたくさんしてね。ヒーリングリングも、殺傷力は皆無だけど傷を治せるのはそれなりに役立つし」
「なるほど。ギフトに頼らずエクソシストになるっていうのは、僕が想像するよりずっと大変なことなんだろうな」
ミロウも、ベルチャーナのことを優秀だと言っていた。
いつものあっけらかんとした振る舞いの裏には、血のにじむような努力があったのだ。
「だけどね。エクソシストになってイモータルたちを葬送しながら、たまに思ってたの。これは、イモータルに対する報復になっていないんじゃないのかって」
葬送檻穽に入れ、イモータルを地中もしくは海中に埋める。それが協会における葬送の手順だ。
イモータルを殺しているわけではない。ただ、目の届かない場所に追いやり、閉じ込めているだけとも言えた。
「そんな時に、不死殺しの——イドラちゃんの話を聞いてね。正直ちょっぴり、嫉妬した。完全にイモータルを殺して、存在を抹消できるなんて、って」
「ベルチャーナ……」
「わたしはたぶん、死ぬほど羨ましかった。だからスクレイピーの時も突っかかるようなことを言って。この前も、新しい能力まで使えるようになったイドラちゃんを見てると、胸に嫌な感情が湧いてきた。ごめんね、わたし……嫌な子だ」
イドラがまるで気付いてこなかった羨望と嫉妬を、ベルチャーナは告白する。普段と違う、自嘲を帯びた哀しい笑みだった。
不死殺しへの憧れは、裏を返せば自身のギフトへの失望でもある。
折り合いはつけていた。だからこそベルチャーナはエクソシストの中でも抜きんでた実績を残せている。
けれどそれが、不死殺しを見て再燃した。埋めた穴を掘り返すように。
ミロウも最初、イモータルを完全に殺害するイドラのギフトにエクソシストとしての誇りを揺らがされ、反発的な態度を取っていた。
表に出していなかっただけで、ベルチャーナはそれよりずっと強く不死殺しに妬心していたのだ。イモータルに家族を殺された分、そして、自身のギフトが殺傷力に欠けたものであるという引け目の分だけ。
「スクレイピーの時、ベルチャーナが僕に言ってくれたことは間違いじゃない。僕のギフトは本来、傷を治すためのものじゃなくて……だから、これを使って怪我を治すやり方は、まっとうじゃない」
「でも、傷を治せるのは確かだよ。あの言葉はわたしの醜い嫉妬でしかなかった」
「確かに僕のナイフで助けられることもあるだろう。だけどベルチャーナのギフトは、より多くを助けられるギフトだ。痛みに苦しむ弱者を救うことができる」
安易な慰めではなく。イドラは心からそう思う。
ソニアを助けられたのは間違いなくマイナスナイフの力のおかげだ。
だがそれは、不死を宿す特異性にマイナスナイフの性質が合致したことに加え、体に刃物が突き刺さる激痛に耐える精神力があったからこそ。
その精神力が、誰しもに備わっているわけではない。痛みを引き換えにするマイナスナイフの治癒は、誰もが許容できるものではないだろう。
「僕だって、あのままひとりでイモータルを殺し続けていれば……いつか、限界が来ていたはずなんだ」
ひとり、大陸を放浪しながら不死を狩っていた日々。
まだ昔というほどではないというのに、ずっと以前のことのようにも思える。
そのころ、イドラは自身の肉体を顧みていなかった。どれだけ怪我をしてもマイナスナイフで治せばいい。そう思い、腕がへし折れるのも腹が裂けるのも脚が砕かれるのも厭わず、イモータルに刃を突き立て続けた。
「……そうなの?」
「何年経っても痛みに慣れなんてしなかった。今思えば無茶もいいとこだ」
「無茶してることにさえ気づいてなかったんだ。そっか……イドラちゃんもちゃんと、弱いところがあったんだね」
「恥ずかしながらな。マイナスナイフを刺すのは、未だに慣れない。……だから昼間、傷を治してくれて改めてありがとう。ここだけの話、ほっとした」
「——っ」
思えばスクレイピーの一件で初めてベルチャーナに傷を治してもらった時も、内心驚いたものだ。
シェイにやられた腕の傷は、もうすっかり痕さえ消えている。ベルチャーナのヒーリングリングのおかげだ。
皮膚を破り、体内に刃を突き刺す必要もない。痛みに耐えるどころか、暖かで心地のいい感覚。それはイドラのマイナスナイフでは決してできない、ベルチャーナのギフトにだけ作れる恩恵だった。
気恥ずかしさから笑い混じりにイドラが話すと、ベルチャーナは途端にそっぽを向く。
「そういうことだから、ベルチャーナのギフトは立派な……ベルチャーナ? どうした?」
「ん……なんでもないっ」
「なんでもないって、お前」
「ないのっ。大丈夫、ありがと。イドラちゃんが気を遣ってくれてること、伝わったから」
強引に会話を打ち切る。彼女はそのまま立ち上がると、イドラと目を合わせないまま、露骨に寝床の方を見た。
「もう寝よ! 寝不足であくびなんてしちゃったらあの生意気囚人になんて言われるか」
「はは。それはそうだ、あいつ態度でかいもんな。マジで腹立つ」
「うんっ。じゃ、おやすみ。イドラちゃんも早く寝なよ」
「そうするよ。おやすみ」
唐突ながら挨拶を交わし、そそくさと去っていくベルチャーナの、緑がかった長い髪が揺れる。
その合間に見えた耳の赤らんだ姿を、澄んだ月光が暴いていた。
「……どうにも、胸が落ち着かないな」
藍の空には丸い月。早寝を促されはしたけれど。
イドラはあと少しだけベルチャーナの眺めていた景色を見て、それから眠ることに決めた。
*
旅は続く。砂漠は酷暑と厳寒を何度も繰り返し、一行を消耗させる。
イドラは、実際にはわからないが、かつてウラシマの旅した足跡を辿っているような気分になった。
ともすれば初めて旅というものをしているような気持ちさえした。
どうしてそんなことを思うのか、イドラは自分でもわからない。だが事実、ランスポ大陸を放浪していたころとは明確に感じるものが違った。
環境のせいか。生まれた大陸から離れたから。それとも、個性的な三人の同行者がいるからか。
歩けども答えは出なかった。
しかし歩き続ければ、かならずやってくるものはある。
終わりだ。いくつかのオアシスとそこにある集落を経由してついに、砂の果て、ハンドク砂漠の終わりがイドラたちを出迎えた。
砂漠を越えれば、港のあったソサラの町の周辺のような、赤褐色の荒地が広がる。結局は砂漠の向こうも草木は乏しく、レツェリの言っていた通り不毛な土地ばかりが横たわっていた。
そこからは魔物やイモータルに遭遇することもなく、夕暮れ時にはフィジー大陸の端の町、テレスに着いた。陸路はそこが終着点だった。
大陸の果て。ロトコル大陸の南端で生まれたイドラは、その北にあるフィジー大陸の最西端にたどり着いたのだ。
「ようやくここまで来た。急ぎ足の、大変な旅だった——」
「もうゴールした気になるのは早計ではないか? むしろ肝心なのはここから、果ての海に出て箱船のところに行くまでだろう」
「——わかってるよ。これからはいっそう気を引き締めようとか、そんな感じのことを言おうとしてたんだよ僕はっ」
その日くらいは流石に、長旅に疲れた肉体を休めねばならない。
イドラたちは酒場を兼ねた食堂で食事を摂る。酒は誰も頼まない。レツェリは欲しがったが、監視役が許してくれなかった。
もっとも雑味の強いビール程度しか置いていないからか、レツェリもさして残念そうではなかった。食事もデーグラムで出るものよりずっと簡素に見えてしまい、これは店の問題ではなく土地の問題なのだろう。
「おおっと、これは失礼した。話の腰を折ってしまったかな? 不死殺し殿の大切なご高説のなァ」
「お前の腰が折れればよかったのに、老化で」
「あ?」
「やるか? おい」
「これ、もう喧嘩しすぎて逆に仲良しじゃない?」
「なんだかわたしもそう見えてきました……」
丸い木のテーブルを挟み、類まれな天恵を持つ男ふたりがにらみ合う。
だがそれだけだ。双方とも、まばらとはいえほかの客もいる以上、店内で暴れ出すほど常識なしではない。それがわかっているから、ソニアとベルチャーナも焦らず食事を続けている。
加えて言うなら、旅中でふたりの諍いにも慣れたのかもしれない。




