第五十六話 続・四者四様
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「なんてね。ベルちゃん個人としてはレツェリ元司教には思うところもあるけれど、肝心のミロウちゃんはその辺りは整理ついてるみたいだから。唆された自分が悪い、って」
「ミロウらしいな。あいつ、昨日も言ってたよ。なくなった腕は、自分の間違いの証明だって」
「真っすぐだからねーミロウちゃんは。……ベルちゃんが気付いてあげられたら、よかったんだけど」
レツェリは二人の会話に口を挟まない。だが聞いていないわけではないことは、二人の方に顔を向けていることから明らかだ。
「そんなわけだから。どーぞ、少しは寒さも和らぐでしょ。拘束があるから袖は通せないし、肩に羽織るだけになっちゃうけど」
「……分厚い生地だ。礼は言っておく、助かる」
ある意味かつてまとっていたローブとは対照的な、真っ黒い無地の外套を受け取ると、レツェリは枷で手が使えないまま器用に肩に掛けた。このひと月で手枷にも慣れているのかもしれない。
「それでレツェリ。早速だが、手紙に書かなかった部分について話してもらうぞ。ビオス教に語られる箱船がある場所を、お前は知っているんだな?」
「そうだ。なに、焦るな。時間はある。なにせ大陸を渡らねばならん」
「大陸を?」
「とにかくこの陰気な監獄の前に居続けてもろくなことはない、場所を変えるぞ。経路から話さねばならない。目的地を目指すのは明日の朝からになるだろう」
「場所を変えるのは賛成だけどさー? あんまり仕切らないでよね、元司教さま。あくまで案内役なんだから」
レツェリは唐突に、黒い右目でソニアの方を見た。
「……っ?」
「あのブレストギフト……水を生むカタナは持ってきているな」
正確にはその背にある。彼女の身長に比して大きな武器を。
それからベルチャーナに視線を戻し、毅然とした声で指針を告げる。神の代弁者であるように。
「案内役、その通りだ。まさしく私の仕事は水先案内人——しかし、水場に出なければそれも始まらん」
イドラは分厚い眼帯の奥で、赤い眼が輝いたように錯覚した。
*
エンツェンド監獄から東へ。一行は急ぎ足に夜を行く。
そうしてたどり着いたのは、国境近くのごく小さな町の宿。食事のあと、早く寝たいのは四人ともやまやまだろうが、疲れを押して部屋に集まる。
「ようやく一息つけた。これで話し合いができるな」
「四人もいるとちょっと狭苦しいけどねー」
「そ、そうですね」
「寒いし逆にちょうどいいさ」
「どうでもいいが声は少し抑えたほうがいい。壁が薄い、寒いのはそのせいもあるだろう。……ボロ宿め」
悪態を漏らしながら、レツェリは壁にもたれかかる。重い手枷がはめられているせいで前傾姿勢になりがちだった。肩がこっているのかもしれない。
「レツェリ元司教の前に、ベルちゃんとしてはイドラちゃんがその話に乗っかった理由について気になるんだけど。箱船ってビオス教の伝説でしょ? なんでそんなもの探してるのさ」
「雲の上に行くためだ。それがウラシマ先生の……恩人の遺言なんだよ。伝説が本当なら神の国とやらがあるんだろ? その辺りはどうでもいい。肝心なのは雲の上に行く、この一点だ」
この三年、曇天の庭に遺されたそのメッセージを忘れたことはない。
逆さの血文字。それはきっと、イドラに向けて書かれたもののはずだ。だから従う。
イドラにとってはそれだけだ。伝説が事実かどうかだとか、神の姿だとかはどうでもよかった。
「……。ウラシマ?」
低い声で反応したのは、思わずと言った風に壁から身を離したレツェリだ。
「なんだレツェリ。あんた、先生のこと知ってるってのか」
「古い知り合いの名だ、もう六十年ほど前になる。信徒でもないくせに聖堂にやってきた……ああ、古い記憶だとも」
「なら僕の知る先生とは別人だな。先生は若くてきれいな人だ。六十年も経ってるはずがない」
「でも、珍しい名前ですよね。ウラシマさん……わたしももうあんまり覚えてないですけど、集落に来た時はなんていうか、堂々としてて魅力のある、つい憧れちゃうようなひとでした」
「そうなんだよ、ちょっとミステリアスなところがあって、そこがまだかっこいいんだよな。しかも魔物と戦う時の強さといったら! ワダツミの使い方もこう、動きが滑らかで隙がなくて……すごい剣術だったんだ」
「そ——そうだったんですか。……ぅぅ」
「なんかウラシマって人のことになると早口になるねイドラちゃん」
ソニアの言う通り、珍しい名前なのは事実だった。
だが世界は広く、ウラシマは旅人だ。ほかの大陸ではポピュラーな名前なのかもしれなかった。
「遺言ということは、ウラシマは死んだのか」
「ああ、そうだよ。オルファさんがやったんだ。あんただって知らないわけじゃないだろ、あの一件でオルファさんは協会の方に身柄を移送されてったんだから」
「そういうことだったのか、それはまったく考えの埒外だ。今さら知っても詮ないことではあるが……そうか」
「だけどあんたの知るウラシマって人とは別人だろ」
「そうかもな。しかし——」
「……?」
レツェリは黒い片目で一瞬、イドラの左の腕の辺りを見た。けれどそれだけで、なにも言おうとはしなかった。
とりあえずベルチャーナも、イドラの目的については納得したようだった。
箱船の場所を知っている。レツェリのそんな甘言は、まったくの嘘である可能性さえある。しかしそうだとしても、イドラにとっては効果てきめんな、決して無視できない餌なのだ。
嘘だったら海に突き落としてやろうとイドラは思った。
それから、手紙に記せなかった具体的な『箱船』までのルートをレツェリから聞く。
果ての海は無限の海原。レツェリを監獄から出せる期限は三か月と、多いようで少ない。もし果ての海の、遠い遠い地点にあるのなら最悪期限を破ってしまうことも視野に入れねばならない。
密かにイドラはそう考えていたが、幸いにして、そこは陸地からそう離れておらず、陸地の移動の方が時間がかかるくらいだそうだった。
(まあ、そもそもあんまり遠ければレツェリが見つけられてないか)
どうしてレツェリがそんな代物を見つけ、知りながら秘匿していたのか。
イドラにとってはやはり問題ではない。ただ、雲の上に行く手段として最も期待値が高いそれに頼るのみだ。
「しかし、大陸を出るのは初めてだな……お隣とはいえ」
「わたしもですっ。どんななんでしょう、フィジー大陸っ。北の国も行ったことがないのに、そのまた向こうなんて楽しみです!」
「暑い上に草木も育ちづらい不毛の地ばかり。どこもかしこもひもじい、ろくでもない大陸だ」
「おい元レツェリ、ソニアの夢を壊すな……! あんたの頭を不毛の地にしてやろうか、百歳越えのおじいちゃんが!」
「歳のことは言うな小童がァ——!」
「えっ、レツェリ元司教こんなに煽り耐性ないんだ……」
「お、落ち着いてください二人とも! 暴れないで! 壁薄いって言ったばかりじゃないですかぁっ」
イドラとレツェリは犬猿の仲だった。ここに至るまでの経緯だけでなく、元々の性格も合わないのかもしれない。
二人が喧嘩——一歩間違えれば刃物が出そうなくらいには険悪だ——をして、それを止めるソニア。一方で止めようともせず、けらけらと笑っているベルチャーナ。
湿地へ向かう、あの日の馬車のような光景ではあったが、それに気付く者はいなかった。
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ひとまず三章の終わりまでは一息に書き切りたいと思っているので、引き続き応援よろしくお願いします!




