第二十七話 聖堂の礼拝堂
馬車は、湿原から北へと進んでいた。
やがてミロウが御者席に戻り、デーグラムの町の門に到着する。門番に止められるも、その門番も修道服を着ているのをイドラは馬車の小窓から確認した。同じ葬送協会の人間のようだ。当然、ほとんどスルーの形で中へ通される。
「この町は協会のおかげで栄えてるようなものだからねー。ある意味、この町だけ別の国みたいなものだよ」
「ふうん……」
「わあ、窓から見える範囲でもすごく大きな町だってわかりますっ。わたし、こんなところ来たの初めてです!」
窓にぴったりと顔を寄せ、瞳を輝かせるソニア。
イドラはなんとなく、村の外にあこがれていた少年時代を思い出した。もうずっと昔のことのように思えるが、まだ三年前だ。それとももう三年経った、と考えるべきなのだろうか。
「なんですかあれ? あそこ、男の人の像みたいなのがありますよ? うーん、都会だとああいうのがアーティスティックっていうか、流行りなんですねっ」
「なんだ……なに? 像? うわ、本当だ。なんだアレ。なに? なんだ?」
「そんなに食いつくほどのものかなぁ……いやベルちゃんは立場的にこんなこと言っちゃだめかもしんないけど」
門を抜け、デーグラムの町に入ると、そこは夜だというのにきらびやかな、街道がそのまま続いているかのような道幅の広い街並みをしていた。
人も多い。路傍を行く人もおおければ、建物の中から火の明かりとともに笑い声がいくつも漏れている。聞いた通りの活気だと、イドラは思った。以前訪れた王都にも負けていない。
そしてソニアが指差したのは、そんな活気ある町の入口の広場に、ぽつんと佇む銅像だった。
暗くてよく見えないが、それは手に持った棒状のものを掲げたシルエットをしていた。
男の像らしい。それもイドラよりよっぽどがっしりとした大男だ。イドラは妙にそれが気になった。単に、邪魔臭そうな場所にあるからかもしれない。
「英雄ハブリ。512年前、聖封印で原初のイモータルを渓谷に封印した英雄さまの像だよー。知らない?」
「知りませんっ」
「まったくもって」
「うそお。ソニアちゃんはともかく、旅してるイドラちゃんまで?」
「デーグラムに来たのは初めてでね。聖封印は母さんから聞かされたこともあるけど、ハブリなんて人の名前は初耳だ」
「……もしかしてもしかして。イドラちゃんってば、協会となんかあったの? え、エクソシストとトラブっちゃったとか? だからスクレイピーの手柄が前準備として必要だった?」
「そんなんじゃ……ない」
「えぇーなにその間。ほんとっぽいじゃん。えっ、そうなの? だいぶ旅に慣れてそうなのにデーグラムに行ったことないって、あんまり聞かないから」
「なんでもいいだろ。それより今はその、ハムとかいう人のことを教えてくれよ」
「そんなおいしそうな名前じゃないよぉ? ああもう目も合わせてくれなくなっちゃったし……」
三年前の惨劇は、やはり人に語る気にはなれなかった。死人が出ている以上、聞く方もいい気にはならないだろう。
ひょっとすると、あの一件で協会に身柄が送られたオルファのその後を、ベルチャーナやミロウは知っているのかもしれない。アサインドシスターズとエクソシストはまったく別の役職ではあるが、それでも協会の、同じロトコル教の一員には違いないのだ。もしかするとなんらかの交流がある可能性は、ゼロではあるまい。
だがそれも、訊く気にはなれなかった。恨んでいる、憎んでいるのかと問われれば、そうかもしれないし、そういった強い感情はもう風化してしまっているのかもしれない。
自分でもわからない。そして、わからないままでいたかった。
「ベルチャーナさん、それであのナムさんは何者なんですか? 聖封印……はなんとなく、なーんとなくですが聞いたこともなくはないかもなんですけど……」
「ハブリね? どんどん遠のいてるよすごい勢いで。うぅーん、こういう説明は苦手なんだよねー。ほんとはミロウちゃんに丸投げしたいけど……今御者席だし……作戦にもアレでアレするから、ちょこっとだけ話しちゃおうかな」
「アレじゃわからないが、助かる」
「はいはーい。こほん、よくわかるベルチャーナちゃん解説のコーナー! はい拍手っ、ぱちぱち~」
「ぱ、ぱちぱち……!」
ベルチャーナが口でオノマトペを言いながら手を叩くと、ソニアもそれに乗っかる。イドラは『前置きはいいから早くしてくれ』の意味合いを多分に込めた、非常にゆっくりとした手のひらを打ち合わせる低い音の拍手で返した。
その意味はしっかりと伝わったらしく、ベルチャーナはむっと唇を尖らせる。
「かわいくないなぁ、もう。まあいいや、実際時間もなさそーだし、ちょこっとだけね。512年前、ヴェートラルっていう世界で一番初めに観測されたイモータルがいたんだよねー。それで、そいつはすっごくすっごく大きくて、みんな困ってた」
「ごひゃく……とっても前ですね。えっと、わたしのおばあちゃんの、そのまたおばあちゃんの……」
「あはは、何代さかのぼるんだろうねー。それでともかく、そんなのいたらすっごく困るから、封印することにしたんだよね」
「ちょっと待て、封印ってなんだ? 葬送とは違うのか?」
「違う。なにが違うのかって、聖封印は英雄ハブリのギフトによって行われたものだから。あの像、手に杖持ってたでしょー? あれがアイスロータス。今でも協会に保管されてる、イモータルを封印できる英雄の天恵」
「英雄の天恵……」
馬車が進み、像は遠のいた。だが今でも小窓からかすかに見える、銅色の人影が掲げる棒を見つめる。その先端にはなにか、開いた花のような意匠があるらしかったが、この距離では細部は見て取れない。
イモータルを封じ込めるギフト。そんなものが過去にあったとは、イドラも驚きだった。今となっては使い手であるハブリはとうに亡くなり、伝説はあくまで伝説なのかもしれないが。
しかし現代には、封印どころかイモータルを殺すギフトが実在している。葬送よりも決定的な、死。不死に死を与えるという矛盾を断行する、負数の刃が。
知らずイドラは、腰の左に下げた革のケース越しに自身の天恵に触れた。
協会が実在を疑ったのも頷ける。このナイフは、かつての英雄のギフトと同等か、もしかするとそれ以上にとてつもない効果を持っている。
我がこととは思えず笑い飛ばしたくなる。紙さえ切れず、友人にはザコギフトだなどと蔑まれていたギフトが、気づけば英雄並みときた。
「イドラさんのギフトだって負けてませんっ。封印よりも、倒せちゃうほうがすごいです!」
「実際そうかも。だから不死殺しの噂が出たとき、当初の協会はでまかせだって決めつけてた。英雄なんてのはそうそう現れないから英雄だもん。だけど噂の波はいくら経っても引かず、むしろ強まった。英雄の再来だって騒ぐ人も増えたもんだよぉ」
「そんなに騒がせてたのか。避けてたから全然知らなかった」
「イモータルを倒しきれるだなんてきっと、とってもすごいことですもんね。英雄って呼ばれる人に負けないギフトを持ってるんだから、イドラさんだって英雄です!」
「柄じゃないよ。英雄だなんて呼ばれたら全身がかゆくなる」
「あは、いいの? そうなったらイドラちゃんの銅像も建ててもらえるかもだよー?」
「だから柄じゃない。その時は代わりにソニアの銅像にしてもらう」
「わたしですか⁉」
やいのやいのと騒いでいると、御者席からミロウが顔を出す。なぜこんなに賑やかなのか、と疑問符を浮かべた表情で、しかしそこは口にせず端的に指示を出した。
「ここで降りましょう。ベルチャーナとソニアは宿へ、わたくしとイドラは聖堂へ。聖堂に着いたらわたくしは馬を連れて厩舎に向かいますので、イドラにはしばし待っていてもらいます」
三者は頷きを返し、久しぶりに腰を上げた。道の脇で馬車が停止する。
イドラはここからソニアとベルチャーナは別行動になるので、しばしの別れだ。馬車を降りる直前、ソニアと目が合う。するとこそりと近づいて、耳に顔を寄せてきた。
「イドラさんがなんて言っても、わたしにとってはイドラさんは英雄です。あの暗いところから連れ出して、命まで助けてもらったんですから」
「……そっか。ありがと」
なにを言うかと思えば、そんなことだった。イドラは笑顔を直視できず、目をそらしたまま短く礼を口にする。
「ふふ、意外と照れ屋さんですね。——また、後で会いましょう」
ソニアは先に降りたベルチャーナの方へと、小走りに去っていった。
英雄。そんな肩書は、誰が見ても大言壮語だろうとイドラは息を吐く。
暗い部屋に閉じ込められているよりは、こうして街を笑って歩いている方がよっぽどいいに決まっている。それに、感謝されるのは素直に嬉しい。
だが見返りのために助けたわけではない。英雄だとか、そんな名声はいらない。そぐわない。
見返りのためではない——
なら、なんのために?
「イドラ? どうかしましたか」
「ぁ……いや、なんでもない」
「でしたら急ぎましょう、もうすっかり夜ですから。司教さまを長らく待たせてしまいます」
「ああ」
イドラは左の手首に着けた黄金の腕輪を、ぎゅっと逆の手で握った。
*
聖堂の前で、隣にあるという厩舎へ馬を連れていったミロウを待つことしばらく。
星のない空を見上げていると、時間はすぐに過ぎた。やがてミロウが戻り、聖堂へと足を踏み入れる。
聖堂は壁も柱も真っ白い、ドーム状の屋根をした巨大な建物だった。しかし壮麗かつ精緻な外観も、イドラは特段興味がなかったし、だいいち夜はよく見えない。ろくに目もくれず中へ入り、夜だというのにお決まりの白と藍のラインが入った服と何人かすれ違い、奥へと進む。
が、静かな廊下に出たところでミロウは足を止めた。
「司教さまの部屋は別にありますが、今日は特別に礼拝室でお会いになるそうです。この廊下の突き当たりの、あの大きな扉がそうです。くれぐれも失礼ないように」
「ミロウは来ないのか?」
「はい。それとも、わたくしがいなくては寂しいですか? 不死殺し」
「言っとけ、あんみつ十指」
「精密十指です! わたくしが司教さまから戴いたのはそんなおいしそうな名前ではありませんっ!」
「……なんか似たようなツッコミ聞いたばかりな気がするな」
そもそもその異名の由来がどこから来ているのかもよくわからない。
もとから緊張などさしてしていなかったが、わずかにあったそれがちょうどよくほぐれてくれたのを覚えながら、イドラは硬い床を扉の前まで進んだ。
樫かなにかの分厚い扉は細かく傷が入り、年季と、同じだけの威厳を感じさせた。そっと押し開く。
「——」
真っ先に視界に飛び込んできたのは、鮮やかな色彩の数々だった。
吸い込まれるように室内へ入る。わっと声を出せば強く反響するであろう、広い部屋だった。物も不自然なほど少なく、奥の壁面を彩るそれが一層に際立っている。
色とりどりのステンドグラス。
それ自体はイドラでも目にしたことはあった。北の国で飾りに使われているのを幾度か目にした。
しかし、この礼拝室の壁にあるそれは、鮮やかさも大きさも段違いだった。一面を埋め尽くすほどの、圧巻の光景だ。
「すごいだろう? これを見せたくて、わざわざ礼拝室を選んだんだ。物がないから声の通りもいい。清貧だなんだと言って、椅子の一つもないのは私としてはたまに腰がつらくなってしまうけれど」