第二十話 不死殺しと祓魔師
イドラがソニアを連れてくると、ミロウはその特異な髪の色を訝しむようにしばし彼女のことを見つめたが、なにも言わず視線を外した。
「驚きました。連れというからどんな人物かと思えば、こんなに小さな子どもだなんて」
「込み入っていてね。深く話す気はないが、この集落の子だ」
「——。そういう」
ミロウは表情を変えず、しかしなにかを察したように小さく頷く。
この短いやり取りで、ある程度事情を悟ったらしかった。大した洞察力だ。ただ、馬車を集落に停めて丸一日過ごしたようだから、そこで『不死憑き』の少女が囚われていたことも聞き及んでいたのかもしれない。
「あ……えと、ソニアです。よろしくお願いします、ミロウさん」
「ええ、よろしくお願いします。……ところで」
「ん?」
ぺこりとお辞儀するソニアに、会釈を返す。それからミロウは再度イドラの方に顔を向け、
「子どもに荷物持ちをさせるなど、何事ですか。それもここまで大きな刃物を……人として軽蔑します」
目線で、ソニアが背負うワダツミを示しながらそう言った。
「誤解だ。この子は僕よりずっと力もちなんだよ」
「そ、そうなんです。わたしこう見えて、パワフルなんですっ」
「もう少しうまい言い訳をすることですね。そんなことあるはずないでしょう、こんなに幼い子が。ソニア、あなたもこんな男を庇うのはやめなさい。めっ、ですわ」
「ぴえっ」
「本当なんだって…………」
取り付く島もなかった。時間がないというのは事実なのか、誤解を解く間もなくイドラたちは馬車へ連れられる。小窓には内側からカーテン代わりの布が掛けられ、中の様子は窺えない。
「ベルチャーナ、不死殺しを連れてきました。……ベルチャーナ?」
ミロウは荷台部分を改造した箱型の車体に近づくと、革手袋をした手で扉にノックをする。が、返事は返ってこない。
「……さては寝ていますね? まったく、あと一日待ってみようと言い出したのはあなたでしょうに。ベルチャーナ、さっさと起きないと聖水を投げ込みますわよ!」
もはやノックを通り越し、バンバンと扉を叩く。車体が揺れる。流石エクソシスト、女性とは思えない腕力だとイドラは感心した。ソニアは扉が壊れないかと心配し、そわそわ落ち着かない様子だった。
幸いなことに、ソニアの懸念が現実となるより先に、扉はわずかにきしむ音を立てながら開かれた。
「うぅ~、起きてるよミロウちゃーん。ふわ……ぁ」
「誰がどう見たって、完全に今起きた感じじゃありませんか。もう」
「えへへ」
現れたのは、ミロウと同じ修道服に身を包んだ女性だった。目じりに涙を浮かべ、あくびをしながらにっといたずらっぽい笑みを浮かべる。歳はミロウと同じか少し下くらいだろうか。髪は浅葱色で、潤んだ瞳も同じく、明るい緑の色を湛えている。
その目を見た瞬間、イドラの耳の奥で、記憶の底から割れるような声が響いた。
——わかるもんですか、小さくとも豊かな村で育ったイドラくんに! わかってたまるかぁッ!!
「っ? どうかしましたかイドラさん? いきなりふらついて」
「……いや。なんでもないよ」
緑がかった瞳。白い布地に真ん中だけ藍色のラインが入った、ロトコル教特有の修道服。少なくとも上辺は無邪気に見える笑顔。それらが、イドラにとって忘れがたい女を思い出させる。
シスター・オルファ。望郷の念に駆られた彼女の凶行に、怒りや憎しみを幾度となく抱いた。
今でも許すことはできないだろう。しかし今のイドラはそういった気持ちだけでなく、萌芽のように別の感情が心の奥底では顔を見せていた。
失意を抱えて始まった旅。イモータルの情報を聞きつけては、様々な場所を巡った。そんな中、貧しい村はいくらでもあった。作物の育たたない土地のせいだったり、魔物のせいだったり、イモータルのせいだったりした。
救える範囲では、救ってきた。人に優しくがモットーだ。
だが、イドラ個人ではどうにもならないこともある。リティの言った通り、目に映るすべての人間を助けることなどできなかった。
傷ついた人がいれば、治す。イモータルがいれば、殺す。魔物は……不得手ではあったが、マイナスナイフの逆側、右の腰のケースに仕舞った通常のナイフを使って対処する。
けれど、瘠地や干ばつ、洪水といった自然の問題はどうすることもできない。そしてそれらよりも解決しがたい問題が、人間同士の諍いだ。
つまり、イドラはこの三年間を経て——比較する対象を得て、理解した。
生まれ育った村は。メドイン村は、自然があるばかりで、ほかになにもないところだったが、これ以上ないくらいに恵まれていた。
恵まれた場所で、生まれ育った。そのことをイドラは改めて自覚した。
父がいないぶん、母は熱心に愛してくれた。周囲の村のひとも、気を使って接してくれた。ひとりだけど友人もいた。村はいつも穏やかで、豊かでなくとも食べるものに困ったことはなかった。
この世のどこを歩いても。あの村の、変わり映えせずつまらないと思っていた風景以上に幸福で綺麗なものは、落ちていないらしかった。
「へー、その子が不死殺し? イモータルを殺すんだって言う割には細身だねー。ちゃんとご飯食べてるの?」
「う……!?」
突如、視界にベルチャーナの顔がずいっと割り込んできて、イドラは知らぬ間に浸っていた追憶から引き上げられた。
その際、彼女の胸元で揺れるきらめきが目につく。
教会の人間はあまり派手な装飾を好まない。清貧、というやつだ。だからその、チェーンを通したリングのペンダントの銀色は、強くイドラの目を引いた。
「無駄口を叩かないでください。急ぎ出発しましょう、日が傾く前に済ませたいですから」
「はあい。あ、なにやるかは話したの? 聖封印の——」
「ベルチャーナっ!」
「えッ——ああ! これ言っちゃダメなんだった〜、ごめーん!」
「ごめんじゃないですよ、もう! あなたはいつも……この前もそう、葬送の手順をすっ飛ばして! だから事前に工程を覚えているか訊いたのに、あなたは笑って平気平気って、そういう気の緩みがいつか大きな事故につながると昔から何度も——」
「あの? ぐだついてるとこ悪いんだけど、早く行かなきゃなんじゃなかったのか」
「ぐっ」
まだ言い足りないという様子のミロウだったが、イドラの指摘に苦々しい顔を浮かべると、小さく肩を落とす。
「……改めての自己紹介、それから依頼の内容は詳しい説明は道すがら行います。いいですね」
「ああ」
「は、はい」
「はぁい」
薄れた緊張感の中、イドラたちは馬車に乗り込み、朝日を背に出発した。
*
車体の中は、外から見るよりは快適だった。腰掛けがあって、壁は見た目同様の薄さではあったが、気温が暖かだから苦ではない。
しばらくすると、ミロウも御者台から布の仕切りをめくり、四人が箱の中で向き合う。流石に四人もそろうと少々手狭だ。
小窓からはのどかな風景が流れ続ける。御者がいなくなっても、馬は勝手に道に沿って進んでくれているらしい。
「……で。いい加減、どこへ向かっていて、僕はどんなイモータルを殺せばいいのか、そろそろ教えてほしいな」
ベルチャーナに名を告げる頃には、イドラの中で彼女をオルファと重ね合わせることもなくなっていた。似ているのは服装と、目の色だけだ。髪の色も違えば性格も違う。明るいところも似ているかもしれないが、オルファのそれは残忍さを覆う嘘偽りの顔だった。
もっともベルチャーナがそうでないとは、まだ言い切れないが。
「行き先はデーグラムから西側の海岸です。正確にはその手前の湿地ですが」
「西の海岸? そこって、セグメ海岸ってとこですよねっ。おさかながいっぱい獲れるっていう」
「ええ、そうです。よくご存じですのね、ソニア」
「えへへ……以前、集落に来た旅人さんに聞いたことあったんです」
「で、そんな漁業が盛んな場所だけに、すぐ近くの沿岸湿地にイモータルがいるってことでみんな困ってるんだよねー。不死殺しのイドラちゃんにはそれをなんとかしてもらいたいわけさ!」
「ちゃん付けはやめてくれ……いや、そんなことより、それは今も正確な情報なのか? 沿岸にイモータルが出たって言ったって、すぐにどこかへ移動することもあるだろう」
イモータルは白い躰と金の目を持ち、どれも死なず、人を襲う。しかし逆に言えば、共通項はその程度だ。その見た目も、習性も……魔法器官を使うか否か、使う場合どのような魔法を繰り出してくるかも、個体によって様々だ。まったく同じイモータルは存在しないとされており、大体五十匹は塵に変えてきた不死殺しのイドラも同一のものは見たことがない。
「それが、件の個体は特殊なんです。大きく場所を移している可能性は低いと見ていいかと」
「特殊? 特殊でないイモータルがいるものか。あいつらはどれもが特異で、異常なんだ!」
「無論、わきまえています。わたくしとてエクソシストですから——あなたよりもずっと、あの白と金の異形について知っていますとも」
「……ほう? 僕よりも、とは大した自信だなミロウ」
「自信家はあなたの方でしょう? わたくしは葬送協会のエクソシスト、その中でも筆頭! 肉体と精神、そしてギフトに適性を持つ者だけが門をくぐることを許される、過酷な訓練を積む戦闘部隊の牽引役なのですから。そんなわたくしに張り合おうとすること自体、おかしなことです。エクソシストでもないくせに」
「はっ。そのご立派なエクソシストさまだってイモータルを殺せはしないだろうが。いくら訓練を積もうとも」
「なんですって? わたくしたちを侮辱するつもりですか! 協会に属さない、得体のしれない流離が……!」
ミロウの青い、射抜くような視線が注がれる。それを正面から受け止めるイドラとの間にたちまち険悪な雰囲気が立ち込める。
「うぅ、落ち着いてくださいお二人ともっ」
「そーそー。こんな狭いところで喧嘩なんかしちゃやだよー。馬車も壊れちゃう!」
「ば、馬車の心配ですかっ!?」
今にも爆発しそうな静寂へ、さながら爆弾処理班の緊張でソニアが仲裁に入る。ベルチャーナはにこにこしていた。
「わたくしは十二のイモータルを葬送し、レツェリ司教様に『精密十指』の名を与えられました。あなたとは背負うものが違うのです!」
「十二? 僕は五十は狩ったね、その理屈で言えば僕は指四十本だ」
「いけしゃあしゃあとデタラメを言いますわね……! あと名前は討伐数とは関係ありませんッ、ギフト由来です!」
「そうか。ならやっぱり僕は不死殺しだな。結局のところ、あんたが葬送した十二のイモータルだって死んじゃいないんだ」
「減らず口を——」
「ま、まあまあ! まあまあっ、仲良くしましょうよ! ねえイドラさんっ、ミロウさん!」
「——う……」
さっきより大きな声で割って入ったソニアに、ミロウとイドラは続けていた言い合いを止める。狭い車内を嫌な空気で満たしてしまったことに気付いたらしい。二人してばつが悪そうに目をそらす。
「……こんな小さな子に諭されてしまっては言い返せませんわね。すみませんでした、少々熱くなってしまいました」
一転して静まり返った車内。車輪がでこぼことした路面を走る音だけが響く中、先に謝ったのはミロウの方だった。姿勢を正し、その金髪の頭をイドラに下げる。
驚いたのはイドラだ。さっきのやり取りで、意固地で固いプライドを持った人間なのだと判断しかかっていた。それがこうもあっさり非を認め、頭を下げるとは。
「——」
そんな風に思っていると、唐突に強い視線を感じた。
ちらりと横を見ると、ソニアがじっと見つめてきている。なにかを促すような……そんな意思を橙色の瞳に込めて。
言わんとすることはすぐ理解できた。しかし三年旅をしてもイドラはまだ十六歳、感情をすぐすぐ割り切れるほど大人ではない。あとその横のベルチャーナが妙にニマニマしてるのも微妙に気にくわなかった。
気にくわなかった、が——
「ああもうっ、確かに僕も言いすぎたよ。こっちも悪かった、僕が殺したイモータルだって半分くらいは協会が葬送して無力化を済ませた個体だ。あんたらのおかげで色んな村々が助けられてたってことくらい、僕も知ってるさ」
——このままでは僕ひとり悪者みたいじゃないか。
早口に言って頭を下げ返し、イドラは『これでいいんだよな』と下を向いたまま横目で視線の送り主を見る。ソニアは大層満足そうに笑顔で何度も頷いていたので、イドラもそれで溜飲を下げることにした。