第十九話 氷糸のエクソシスト
「そういえばソニア、自分のギフトはどうしたんだ? もう十歳は過ぎてるよな」
「あ、はい。もうすぐ十四になります。でも……不死憑きだって言われて、あの暗い部屋に閉じ込められる時に、わたしのギフトは没収されちゃったんです。たぶん捨てられたか、両親が持ってると思います」
「両親……そうだ。親御さんは?」
そういえば、集落でもそれらしき者は見なかった。
それとも、あの集まってきた集落の者らの中に、ソニアの親もいたのだろうか。実の娘を村八分にするような真似をしていたのだとすれば、それはひどく悲しいことだ。可能性を考慮しただけで、イドラは胸がきゅっと縮むような痛みを覚えた。
「追い出されたみたいです。わたしを産んだから、不死憑きの親だって言われて」
「どこに行ったのかもわからないのか?」
「はい。生きていることを祈ります。でもきっと大丈夫です、お母さんはわたしと同じで病気がちなところがありましたが、お父さんはとっても強いひとなので」
「……そうか。ああ、きっと大丈夫だ」
——悲観的なことを考えないようにしている。
幼い顔には、ありありとそう浮かんでいた。ソニアの両親は既に集落にはいなかったようだ。イドラにはただ、頷くことしかできない。
もうすぐ十四と言えば、まだ十三。ちょうど、村を出る前のイドラと同じ歳だ。
(そんな年齢で……両親と離されて、こんな仕打ちを受けてきたのか。この子は)
殺してください、と懇願した声がイドラの耳に蘇る。それだけの不幸が、幼く細い肩にのしかかっている。
会話が途切れると、ふわぁ、とソニアはそんな境遇を感じさせないほど呑気にあくびをした。
「ごめんなさい、あんなに寝たのにまだ眠くって」
「それだけ疲れてるんだろう。たっぷり寝るといい、どうせ夜の内にできることもない」
「はい……」
静寂を取り戻した森。少しすると、また安らかな寝息が聞こえはじめる。今度は苦しみに目を覚まし、叫び出すこともないだろう。
落ち着くと、思い出したかのようにイドラも睡魔を強く感じた。
しかし、寝る前に明日の予定を軽くでも立てておかねばならない。目を閉じ、眠りに落ちるまでの数分間、イドラは昼間見たあの葬送協会の馬車について思考を巡らせた。
*
翌朝、イドラの携帯していたとても硬いパンで朝食をしながら、それからの予定について話し合った。と言っても、昨晩イドラが考えたことを話すのがほとんどだ。
「当たり前だけど、キミを元の体に戻す方法を探すためにも、それから僕の目的のためにも、ずっとこの森にいるわけにはいかない。どこかしらに移動する必要がある」
「そ……そうですよね。あの、イドラさんの目的って——んぅっ、なんなんですか? イモータルを殺すこと、ですか?」
「あれは報酬をもらって、旅の路銀を稼ぐためにやってることだ」
それだけでなく、イモータルに対する個人的な感情もあるが。
ほんのり塩味のするパンを噛みちぎり、咀嚼して飲み込む。そんなイドラの目の前で同じように食事を試みる彼女は、さっきから苦戦しているようだった。が、まだ口出しはしないでおいた。
「雲の上に行きたい」
「んっ。雲の……上?」
「ああ、遺言なんだ。恩人の」
三年前。曇天の庭で見た、花壇に血で残された逆さ文字。
雲の上に行け。翼も持たない人間にそんなことができるのか。できたとして、なにがあるのか。
わからないが、ウラシマの遺した言葉であれば、その通りにしたい。するべきだ。そうイドラは考え、三年間イモータルを殺しながら色々と情報を集めてみたものの、収穫はなにひとつとしてなかった。
「神さまの国に行く、ってことですか? ん、んぅ、うぅ——」
「……たぶん、手でちぎった方が早いぞ」
「はっ。そ、その発想はなかったです!」
丸いパンにかぶりつくも、一向に噛みちぎれないソニアに、イドラはそろそろ助け舟を出してあげた。このままでは食べ終える頃には昼になってしまう。
「で。昨日、ソニアをあの岩屋から連れ出した時、葬送協会の馬車がやってきたのを覚えてるか?」
「あ、はい。わたしを葬送——殺しにきたんだって」
「すまん、あれはおそらく僕の勘違いだ」
「えっ」
ただの早とちり。どうも、冷静に考えればその可能性が高そうだった。
「集落のやつらに葬送協会を呼んだなんて素振りはまったくなかったし、御者の女は僕のことを不死殺しと呼んで止めようとしていた。ソニアが目的じゃなかったかもしれない」
「確かに……あの人たちが、能動的に協会に連絡をすることはないと思います。明確に殺すと決めないといけないので」
「……ああ。ちょっと、協会にはいいイメージがなくてな。早とちりしちゃったかもしれない、ごめん」
「いえっ、そんな! こうして助けてもらえて、イドラさんには感謝しかないですっ」
「ありがとう。まあ、そういうわけで、もう一度あそこに戻ろうと思う。まだ葬送協会の連中がいるかはわからないけど、用があるならきっと僕にだ。それで、だけどやっぱりソニアが目的だって線も完全には捨てられない」
イドラは葬送協会に関わることを避けていた。だから、組織の内情について詳しくない。
あそこが、あの集落のように、イモータルといくらかの共通項があるというだけでソニアに危害を加えようとする過激な集団だという可能性は否定しきれない。
……ただアサインドシスターズの任期が長いという理由だけで、世話になった村の人間を皆殺しにしようとしたシスターがいただけに、その『もしも』はイドラの中でそれなりに大きな心配だった。
「だから一旦、僕だけで様子を見てこようと思う。ソニアはその辺の木の陰にでも隠れててくれ」
「なるほどです! わかりました、バッチリ隠れておきますね」
そういうわけでパンを食べ終えると、桃水で持っていかれた口内の水分も補給し、イドラはソニアとともに川の流れに沿って集落の方向へ戻った。
そして集落の近くにまで来ると、ソニアにそこで待っているよう指示を出す。
「まだ距離があるが、一応用心してこの辺りまでにしておこう。ソニアの髪は目立つし、今はワダツミを背負っているから余計にだ」
「あんまり近づくと、人に見られちゃうこともなくはないかもですもんね。合図があるまではここらへんでしゃがんでおきます」
「うん。いい子にな」
ソニアが屈みこむと、紐で背負ったワダツミの鞘尻が地面にぶつかってコツンと音を立てた。やはりソニアが持つには大きすぎるように見えるが、それは見た目だけだ。実際はイドラよりよっぽど実用的に扱えてしまう。
信頼のこもった橙色の瞳に頷きを返し、イドラはその場を離れる。
「……ん。なんだ、あっさり見つけちゃったな」
そして集落に入ると、昨日の今日で戻ってきたイドラに、大人たちが怪訝な目を向けてくる。気にも留めず少し歩いてみると、横長の家屋がちょうど死角になっていたようで、広場の端に昨日の馬車が停まっていた。
「それはこちらの台詞です。てっきり戻ってはこないものかと思っていました」
「——っ」
近づこうとすると、不意に背後から声を掛けられ、イドラは心底驚いた。
人も、動物も、魔物も、イモータルも。気配には、常に敏感であるよう気をつけているのに。動揺を悟られないよう取り繕いながらゆっくりと振り向くと、そこには昨日の御者が立っていた。
「念のため、一日だけ待ってみることにしていたのですが……正解だったようですね。ベルチャーナに礼を言わなければ」
間近で見てみれば、彼女は大層な美人だった。歳はイドラより上で、背も高い。肩より短く切りそろえられた金髪はくせひとつなく、手足もすらりとして立ち姿さえ美しくさまになっている。
しかしそんな優美さは、どうにも冷たく、触れがたい印象を伴っていた。教会——葬送協会に限らず世界中でロトコル教信者が着込んでいる——の修道服がそうさせるのか、それとも両手を覆う高級そうなダークブラウンの革手袋のせいか、あるいは死線を幾度となく踏み越えてきた人間特有の氷じみた隙のなさゆえか。
(エクソシスト……それもきっと、かなり強い!)
果ての海を思わせる、深い青の眼を見て直感する。
協会の人間と関わりあうのを避けてきたイドラにもわかる。この女性は教会の戦闘部隊とも言えるエクソシスト、そして葬送教会においてはこの大陸でのみ出没する不死の化け物を相手取るためさらに強さが求められる彼らの中でも、トップクラスの人間だ。
「申し遅れました、わたくしはミロウ。そして茶髪で細身の少年……あなたが名高い不死殺しに相違ありませんわね?」
「名高いかはわかんないけど。一応、そんな風に呼ばれてる。物騒なんでふつうにイドラって呼んでほしいかな」
「それもそうですね。『殺し』なんて言葉、市井で口にすべきではありませんでした。では、イドラと」
「ああ、よろしく。ミロウ」
イドラの頭にあるのは、『どういう目的か知らないが、対等な立場を崩さないでおこう』という方針だった。
これまでのやり取りではっきりした。協会は想像通り、ソニアではなく、初めからイドラを探していたのだ。それもこんな、凄腕の祓魔師を使ってまで。
その真意が読めない。
ひょっとすると、対象を消そうとしているという部分は、昨日の誤解が的中しているかもしれない。なにせイモータルを次々に殺して回るイドラは、葬送協会にしてみれば商売敵のようなものだろう。協会の威信を揺るがす行為だ。
(居場所を当てられたのは……たぶん、ここに来る直前にいた、海岸沿いの漁村から情報が漏れたんだろうな)
それにしても耳が早いし、足も速い。だが耳に関してはアサインドシスターズが大陸中に散っている以上情報網はかなりものだろうし、足も馬を使ったのだから納得できる。特にここは、葬送協会の聖堂があるデーグラムから行き来が容易い。距離はそれなりにあるが、道が整備されている。
それにしたって、かなり馬を飛ばしたのだろうが。
「わたくしたちがイドラを訪ねたのは、どうしてもあなたに頼みたい依頼があるからです。昨日は顔を見られるや逃げられてしまい、悲しかったのですが……」
「え——あ、ああ。すまない。あれはちょっと、誤解があった」
「誤解? ですの?」
上下に長いまつ毛の生えた目が細まり、じっとイドラを見る。
敬語から、時折高貴な言葉遣いが覗く。もしかするとミロウはいい家の生まれなのかもしれないな、とイドラは内心で思った。しかしそんな人間が魔物やイモータルと戦うエクソシストになるというのも、あまり想像しづらいものがある。
「まあそれよりも、その依頼っていうのを聞かせてくれよ」
「そうですわね。端的に言えば——イモータルを、葬送していただきたいのです。それもただのイモータル……いえ、イモータルなどどれも尋常ではないですが、その中でも格別の怪物を」
「それは、協会じゃ手に負えないからってことか?」
「そう思っていただいて構いません。口惜しいですが」
あっさりとミロウは協会の力不足を認めた。
ならば、経緯はこうだ。協会のエクソシストたちでは葬送のできないイモータルが現れて、困った葬送協会は、どこの馬の骨かも知れない不死殺しに助けを請いに来た。
本当だろうか? 嘘ではないか? なにか、裏があるのでは?
(どうしても疑いたくなる。これはオルファさんの一件で、僕が協会にいい印象を持てないせいか? それとも……)
イドラの疑念をよそに、ミロウは眉ひとつ動かさない氷の戦闘員としての表情を取り戻している。
「報酬は弾みます、ことが済めば司教様より譲与される予定です。依頼を受けていただけるのならわたくしたちの馬車へ。なるべく早くことを進めたいので、道すがら詳細をお話しますわ」
「ほかに人が?」
「ひとりだけ。ベルチャーナという、わたくしと同じエクソシストです」
「そう、か」
はっきり言ってイドラは迷っていた。
ミロウの話には、不透明感と不信感があった。しかしそれらが、三年前に自身の村で起きた事件が心のうちで尾を引いており、心理にバイアスをかけて見せる幻なのではないかと、イドラ自身もはっきりしなかった。
そうしていると、イドラの煮え切らない態度になにを思ったのか、ミロウはどこか冷たさを増してこんなことを口にする。
「悪い話ではないと思いますわ。もしもあなたが、本当にイモータルを葬送できるのなら」
「なに?」
訊き返すも、ミロウは薄く目を閉じて答えない。
そこでイドラは初めて、自分がミロウを疑うように、眼前のミロウもまたイドラのことを疑っているのだと気が付いた。
この三年、協会の人間を避けてきた。だから協会はまた聞きでしか知らないのだ。イドラのマイナスナイフ、不死を死へ引き戻すレアリティ1のギフトを。
「……一応言っておくが、僕の葬送はあんたらのそれとは違う。完全に、息の根を止める」
「ええ、そう聞いていますわ。死なず、傷さえ負わないイモータルを倒しきる——ふふ。まるで子どもに読み聞かせる、おとぎ話のような力を持つと」
「わかっているならいい、後で文句を言われちゃごめんだからな。あんたらの、穴を掘って見えなくするだけのやり方と違うって」
「——、言ってくれるではありませんか。イドラ」
イドラの不死狩りに葬送檻穽は必要ない。地中に埋めるでも、海中に沈めるでもなく——ただ殺す。
そこが、協会の葬送との違いだ。協会が行うのは殺害ではなく、無力化に過ぎない。
「依頼を受けよう。僕にもひとり連れがいてね、同行を認めないなんて言わないよな。ミロウ?」




