かいせん寿司
初投稿です。稚拙な駄文では有りますが少しでも暇潰し材料になれば幸いです。
鬱蒼と生い茂る灰色の摩天楼の元、煌々と煌めくネオンの果実を実らせるコンクリートジャングルの中に似つかわしくない看板が堂々たる趣で立っていた。
「かいせん寿司」妙な事を書いているな、昨今は多種多様な寿司が増えてきたが元来寿司とは海鮮がメインな物だ、回転寿司ならまだわかる、だが、海鮮寿司とはこれいかに。明らかに怪しいと自らの本能が訴えかけるが、この違和感を違和感のままにして置きたくはない。
意を決し「かいせん寿司」の敷居を跨ぐ覚悟して入ったものの、その実思っていた様な異様さは感じられない大将を幽閉するかの様に配置されたカウンター至って普通の寿司屋の風貌な訳だ。
ただ、ある一点を除いては、大将よりカウンターへと伸ばされているのは歴史によって形成された嗄れた手ではなくいくつものケーブル達
「へいらっしゃい」
退店すべきかどうか考え倦ねている私を動かしたのは大将の鶴の一声だった、声をかけられた以上否が応でも座らざるをえない状況になってしまった。腹を括り大将の正面へと腰を下ろす
「お客さんウチのご利用は初めてで?」
威勢良く座ったはいいが何をすれば良いのか戸惑っていた私を見兼ねてこの店の説明を始めた
「ウチは世にも珍しい寿司の情報を食べられる店なんだ」
寿司の情報を食べる?聞き慣れない単語にまた疑問符を浮かべると大将は話を続
ける
「お客さんこの世界にいくつの寿司が生まれ、消費されていったと思う?」
今まで出た寿司とあらば百万は下らぬだろう、されど自信満々に答えた私の答えを安々と大将は否定した。
「そんな少ない訳ないだろう寿司ってぇのは一度握れば全く同じ寿司を握るなんざ出来やしねぇんだ、その日その時の気温、湿度、体調、精神状態、それら全てが寿司に起因する一人の寿司職人が生涯に渡って寿司を握り続けるだけで数え切れねぇ、何だったら天文学者でも呼ばねぇと行けねぇわけよ。」
なんと、同じネタとシャリを同じ人間が握っても同じ寿司には成らない考えもしなかった。つまりこの寿司の情報と言うのは今まで夜に出た寿司全てを擬似的に食べられると言う訳なのか。
「鋭いねぇお客さん。ウチのキモはそこ、あの時食べた味が忘れられないって人の為にその人の記憶と、ウチのデータベースを照合して同じ寿司を疑似体験させる回線寿司ってなもんよ!」
なるほどと思ったがしかし待て、結局の所人の身でそれを味わう事は叶わないのではないか?人間の体にケーブルを挿すアダプタなんて存在しないだろう。
「ウチを甘く見ちゃいけんよ、この生体コネクタって奴を第一頸椎の隙間にちょこんと押し当てりゃ人でも気軽に回線寿司が楽しめるって寸法よ、それに急に引っこ抜かれてもちいとばかしの頭痛で済むし、安心安全な寿司が楽しめるって訳よ」
なるほど、話には聞いていたがまさか生体コネクタが実用化されあろう事かこのトンチキな店でお目にかかるとは思わなんだ。
一体どんな体験なのか浮足立つ気持ちを抑えながら生体コネクタを首に当てると、スッとする感覚の後にぬるりとした感触が首を伝う。得も言われぬ感覚だあまり気持ちの良い物ではないが、これも寿司の為、接続できた旨を伝えると大将は中を指差し何やら操作している様相を呈している。なるほどAR(拡張現実)か、とはいえHMDやらは見えないがまさか、
「あぁ…これね、目ン玉をそっくり機械に変えてるんだよ、慣れない内はなかなか大変だけど慣れてくると便利でね」
不思議そうに見つめていた故か大将は喜々として解説を始める
「昨今はスマートゴーグルも小型化が進んじゃぁいるけど如何せん近眼の俺には辛いのなんのって、何ならいっそ目ン玉ごと変えちゃあ良いだろって思った訳よ。
お、ロードに入ったな、もう少しで寿司が味わえるぞ」
大将の目に注目してみると見覚えのある欠けた果実のマークが刻印されていた。なるほど眼球ごと変えるのも手の内の一つなんだな。この初老の男性は私なんかよりも遥かにテクノロジーに迎合し、適応していた、だからこその回線寿司を開けた訳か。
しかしながら待てどもただ一向に訪れる事のない寿司体験に訝しげな表情を浮かべていると、大将は投影されてるであろう画面を見ながら驚いた様に喋りだす。
「お客さん思い出深い寿司がないんだね、寿司の記憶ファイルがほぼほぼ404になっちまってらぁ。」
私の脳が吐き出した404エラーつまるところ寿司に関する記憶が消去、或いは存在しないと言うことだろう。
しかし、ふと考えて見れば確かにもう一度食べたいと思う程寿司を食べた思い出が無い訳だ
「折角来てもらってるってぇのに何も食わせずに、はいさよならとは行かねぇしなぁ。」
恐らく今まで見たことが無い種の客層故だろう、大将は腕を組み何やら思案する様子だ
「そうだ!もう二度と行けねぇ名店を一通り味わって貰うってのはどうだい?」
そう言って投影されてるであろう操作パネルを弄るように指を運ばせる
「まずはかれこれ50年前に廃業しちまった稀代の銘店、銀座八兵衛の鮨懐石から行こうか」
私が産まれる遥か昔の銘店、一体どれ程の物か胸を躍らせていると、突如として私の脳内に幾つもの情報の奔流が流れ込んで来た。
色とりどりに並べられた握りの数々、目に見えずとも鮮明に浮かぶその勇姿、鮨たちの隊列とも言える壮観な景色そして立ち所に口に湧き上がる磯の薫り、赤酢の甘みのある酸味、食べている筈では無いのに口中に溢れ返る複雑怪奇にして均衡の取れた鮨の味わい。
時にして約一刻程の体感時間の後、多幸感と満足感に包まれる。
さりとて、実の所経過した時間は一秒程でありながら、これ程の満足感を得られるとは稀代の銘店に恥じぬ体験だった。
「これだけで満足してもらっちゃぁ困るぜ。まだまだ失われた銘店ってのはあるんだ」
それから私は幾つもの銘店を巡り様々な鮨を堪能した。実際の店舗で回るとなれば途方も無い金と時間が必要な筈だが、ここでは身一つほんの数刻もすれば全て味わえてしまう訳だ。
「そう言えばお客さん、あんたの地元って何処なんだい?折角だし地元の銘店も体験したいだろ?」
私は朧気な記憶から地元の名を告げた
「カンナギ区ヒノエ町か、確か旧神奈川県、箱根市だったなちょいと待ってくれよ。お、あったあった多分ここが一番評判の高い店だろう」
初めて食べる筈なのだが、何故か私はその味を知っていた、酷く朧気であるが故体験するまで忘れていた遠い遠い過去の記憶だった。
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私の家はあまり裕福な家庭ではなかった。むしろ貧しい方だったと思う、私の服も玩具も全て兄のお下がりだった。
日々の食事も質素な物で鮨など夢のまた夢だった。
「俺さ、一杯勉強して良い仕事見つけて皆に鮨を食べさせてやりたいんだ」
兄の口癖だった、己の出生を呪う事なく誰よりも優しく、誰よりも聡明な兄の目標だった。家族に鮨を御馳走する。
しかし、その夢は思わぬ形で叶う事となった、兄の事故死による多額の賠償金が転がり込んできたのだ。
それは兄弟含めて大学に送り出しても尚、余るほどに、唐突に訪れた家族の死、悲しみと言う感情を測る尺度は存在しないだろうが、確実に私よりも母の方が深い悲しみに苛まれている筈だった。
今まで家族の前で決して弱みを見せることなく気丈に振る舞っていた母ですら涙を見せたのだ、最初で最後に見た母の涙だった。
兄の葬儀も終わり一段落着いたとき、母は私を鮨屋へ連れて行ってくれた。
「お兄ちゃんとの約束守らないとね。」
その一言は私の心を壊すのに充分過ぎた。
初めて食べた鮨の味を忘れさせる程に。
ふと我に返ると視界が曇っている事に気付いた。どうやら私は泣いていたらしい。
「もう一度食べたい鮨が見付かったみてぇだな。」
私の古い記憶から、過去のトラウマ故に消し去っていた味、それとようやく再開したのだ。ずっと胸に抱えていた悔恨や哀愁が、すっと軽くなった様な気がした。
大変貴重な体験をさせて貰った、一体いくらになるのだろうと思いながら懐を探る。
「お代は要らねぇよ。ウチはお客さんから頂く情報でやってんだ、またいつでも来てくれよ。新鮮な情報を用意してるぜ」
見送る店主の声を背にまた外へと踏み出した。日々の仕事疲れも感じぬ程の充足感に満ち溢れていた。
飽くまでも情報故だろう。私の腹は未だに空腹を訴えていた。
そうだ、今日の夕食は鮨にしよう。何処の店の物でもいい本物の鮨を食べて腹を満たそう。
幸福な空腹感を抱えながら軽やかな足取りで男は街へと姿を消した。