親友の妹を嫁に貰いましたが、無理なので家族になりました
揺れている。
頬がヒヤリとする感覚に、オレは目を覚ました。
ぼんやりと目を開けると同時に、後頭部に鈍い痛みを感じた。
あぁ、つぅー。痛い、と声に出したかったが、口を布で塞がられ呻くだけだった。
両手は体の後ろに縛られ、両足もきつく縛られていた。
(いったい、何が?・・・ユキ)
その日は朝から暑かった。西海から吹く風も今日は、なんだか生温い。
ユキは川の底に仕掛けた手製の籠を引き揚げて中身を確認する。
ひーふーみー、と数えてニンマリする。
「ユキ!」
呼ばれて振り向くと、芳仲が慌てた様子でこちらに来た。
「あぁ、もう。またそんな格好して」
「芳にぃ、見てこれ。魚が6ぴき入ってる」
今回の罠の仕掛け、上手いった。と喜んでいる所で、芳仲がユキを川から抱き上げた。
「ユキ、魚取りもいいけど、もう少しきちんとしなさい」
ユキはぽかんとした。
「誰も来ないよ、こんな所」
「誰も居なくてもオレがいるでしょっ」
最近の芳にぃは、何かと口うるさくなってきたと思う。
ユキは足の付けねスレスレの所まで託し上げた着物の裾を直した。
春の頃に芳仲の家に嫁として連れて来られてから、もう夏が始まっていた。
嫁じゃなくて、家族として芳仲の家に置いてもらえる事になり、現在に至る。
芳仲の所は居場所が良かった。
好きな物を作ったり、試したい事が出来たり、遊び放題だった。
その為、芳仲の家を占領する事となってしまい、申し訳なく思っているものの、芳仲は温かく迎え入れてくれた。
「芳にぃは今から仕事?」
「ああ、焼き物の絵付けをするんだ」
「じゃあ、今日は夕飯は窯場に持って行くね」
芳仲が絵付けの作業をしている所をユキは見た事がない。
粘土を捏ねたり、整形する仕事の手伝いはたまにさせてもらっていた。
ユキは昨晩のうちに仕掛けた籠を自慢げに見せた。
「魚の炊き込みご飯にするね」
「そうか、ありがとう」
言って、大きな手でユキの頭をぽんぽんと撫でた。
くすぐったい気持ちにユキは嬉しくなった。
午後になると、東の山から厚い雲がかかり、辺りをどんより暗くした。
やがてゴロゴロと雲が鳴り出し、雷雨となった。
バタバタと雨の強い音のなか、芳仲がユキの所にやって来た。
「ユキ、大丈夫か?」
「大丈夫。芳にぃ、仕事は?」
「ああ、こんな雨だから、もう上がった」
ふぅ、と雨に濡れた身体を芳仲は竈門の前で暖めた。
その姿にユキはドキリとする。
長身で、程好く締まった体つきにユキは思わず見惚れた。
「こんな雨の中で夕飯持って来るのは大変だろう?夕飯は一緒に食べるよ」
「え?そう、分かった」
変な気持ちで芳仲を眺めていたので、なんだか恥ずかしくなり、うつ向く。
普段はそんなに気にならないのに、ふいに男らしい所を見せる芳仲にユキはいつもドキドキしていた。
だから、つい無口になる。
「好き」って、正直に言ってしまったら絶対に芳仲は離れていってしまう、それだけは嫌だった。
今はまだ妹のままがいい。
「じゃあ、夕飯にしよっか」
「そうだな、お、旨そうだな」
炊きあがった飯の匂いを嗅いで、二人は笑い合う。
ユキはこの上なく幸せだった。
夕方から降りだした雨は止むどころか、ますます強さを増していった。
激しく打ち付ける雨に、小さな家の屋根は穴が空きそうだった。
「雨漏りしてるな、こりゃ」
入り口の戸板は以前、芳仲が修理して新しくなっていたが、隙間から雨が漏れでていた。
「この家、壊れちゃう?」
心配するユキに芳仲は安心するように言う。
「それは大丈夫だろ、小さくても造りはしっかりしてるから」
芳仲はうーん、と外の様子を見て考えこんでいる。
「今から窯場へ行くのも危ないし、今夜はここで寝るか」
え!?
「でも、前に作った網は魚の仕掛けに使って無いし」
「そうなのか?」
ユキは頷く。だって、どうしよう。こんな狭い場所で寝るなんて、無理!
そんな事には構わず芳仲は、部屋に床の準備をする。
いつもは敏感なくらいユキと距離をとるのに。
なぜ!?
戸惑うユキの反応に芳仲はニヤリと笑う。
「大丈夫、オレの寝相は普通だからな」
以前の寝相をからかわれた事でユキは真っ赤になった。くやしいぃ~。
「ほら、ユキはこっち、壁側に寝なさい」
ユキの口はまだムの字になっていたが、大人しく言うことをきいた。
「う、ん」
横になった芳仲の隣にユキは身体を横たえる。
「お休みなさい」
堪らす先に言って、目を瞑る。こうなったら先に寝るしかない。
芳仲もお休み、と言って背中合わせの格好で寝た。
雨音と、時おり遠くから聞こえる雷の音。
ユキは以前に一度だけ一緒に眠った時の事を思い出していた。
芳仲の手がユキの足に触れた感覚が甦る、恥ずかしくなって体を小さくした。
雨のせいか今夜はひどく冷えていた。
ユキはぶるりっと震えると上掛けにしている着物を肩まで被った。
ユキの動きに気づいたのか、芳仲はむくり、と起き上がり、寝ているユキに近づいて言った。
「寒いか、ユキ」
耳をくすぐるように聞いてくる。
ゾクッとする感覚に堪らす無言で頷いた。
芳仲はユキの身体を暖めるように密着してくる。
「こうすれば、あったかくなるな」
満足そうに芳仲は寝息をたてる。
ユキは心臓が、そのまま口から飛び出してくるんじゃないか、と思うほどドキドキしていた。
ユキは思った。
これは家族に対する感情でしかなくて、恋情からくる触れあいじゃない。
芳仲の体温があったかくて、ユキは切なかった。
期待と怖さと嬉しさがない交ぜになって、苦しかった。
ユキが目を覚ました時には芳仲はいなかった。
戸口の隙間から明るい陽射しが差し込んでいる、昨晩の激しい雷雨は止んでいるようだった。
ユキは家から出て、外の様子を見たが家の周りを見回しても、芳仲の姿はなかった。
窯場の方かしら。ユキは芳仲を探しに窯場に向かう、清々しい青空なのに、何か嫌な予感がした。
いつも見ている風景がなんだか違う。
窯場の付近で芳仲がポツンと立っていた。
ユキも、思わず足を止めた。
芳にぃ、と呼んでも反応しない。
「芳にぃ!」
と、叫ぶように呼んで、やっと振り向いた。
「・・・ユキか」
無表情な顔で芳仲はユキを見た。
なんて言ったらいいのか分からない。
ユキは芳仲の胸に飛び込んだ。
ぶつかってきたユキに芳仲はそっと抱き留めて言った。
「全部、無くなっちゃたな」
ユキの目から涙がこぼれる。
二人の目の前に、昨日まで存在していた窯場は、土砂崩れで跡形も無くなっていた。
「ユキ、泣くな」
「・・・でも、芳にぃの・・・大事な」
嗚咽で言葉が続かない。
昨日までそこにあったはずの日常が、跡形もなく無くなってしまったなんて。
泣いているユキによしよし、と優しくユキの頭を撫でた。
「大丈夫だ、ユキの所に居たお陰で、オレは命が助かったんだ」
うん、うん、と泣きがらユキは芳仲を抱きしめた。
二人は一旦ユキの家まで戻り、他にも土砂崩れが起きてないか見て来る、と言って芳仲は出ていった。
ユキは心配だった。
この家で待つように言われたが、じっとして居られなかった。
なるたけ丈夫で長い縄を肩から下げ、小刀を懐にしまう。腰紐に常備食の炒り豆の入った小袋をくくり付け、鎌を持って村まで降りてみる事にした。
下り坂の途中、川のように水が流れている所もあっが、土砂崩れは起こっていなかった。
おそらく芳仲も村へ向かったのだろう、途中の道には枝や石が、人が1人通れる程度に退けてあった。
村にたどり着くと、田んぼが大きな池のようになっていた。
川との境目が無くなり、足首まで辺り一面水が溢れていた。
ここまで酷い水害を見るのは、生まれては初めてだった。
「ユキ!」
鋭い声にハッとユキは振り向く。怒っているような、焦った顔で芳仲が呼び止めた。
「危ないじゃないか、どうして来たんだ!」
「ごめん、じっとしていられなくて」
正直に言う、芳仲はため息をついたが、それ以上ユキを責めなかった。
「その道具を持って来たのか?」
「うん、何か役に立つかと思って」
そうか、と言う芳仲との間にほっこりとした空気がながれた。
それを邪魔するように、また怒鳴り声がした。
「ユキ、何やっているんだ!」
バシャッバシャッと水音を立てながら今度は喜田時がやって来た。
「こんな時に危ないじゃないか、怪我したらどうするんだ!」
芳仲と同じ事を言われたが、なんだかムッとする。
ユキはササッと芳仲の背中に隠れるように移動した。
「もう、また芳仲を心配させて、実家に帰されても知らないぞ」
ユキは芳仲の背中にしがみつきながら、ドキッとした。
「そんな事ないよ、芳にぃは優しいから」
「いくら芳仲が優しくても、ものには限度があるだろ」
喜田にぃの言いたいことは分かるが、今は素直に謝れなかった。
「お前は本当に、どうして人の言うことを聞かないのか」
イライラと喜田時は頭の毛をかきむしる。
芳仲の背に隠れて、何も言って来ないユキにため息をつく。
「今は大変な時だから、この辺で止めとくが、次は良く覚えておけ」
メッとユキに向かって睨む喜田時に芳仲が仲裁する。
「まぁ、オレたちが心配で来たみたいだから」
「芳仲は甘い!普段からおかしな事ばかりやってるんだ、また次も何かするぞ」
さすがにユキもムッとする。
こちらは心配して来たのに。
「喜田にぃの心配はしてない。芳にぃが無事ならいいもの」
「なっ!」
「はい、そこまでね」
芳仲は収まりを見せない兄妹喧嘩の止めに入る。
「ユキ、喜田時の家は無事だから行って、近所の人の手伝いをしてくるといい」
「うん、分かった」
ユキは自慢げに喜田時に視線を送る。
「その縄と鎌は使わせて貰っていいかい?」
「もちろん」
「ありがとう、気をつけて」
「わかった」
去り際に喜田時に向かってべーっと舌を出した。
「まったく、誰に似たんだアイツ」
「フブキさんじゃないかな?」
「ゾッとする事言うなよ」
はは、と笑うが芳仲に愉快になれる力は出なかった。
少しの沈黙の後、芳仲は思いきって口を開いた。
「オレの窯場、土砂崩れでみんな無くなったんだ」
「なに!?」
「雨が酷かったから昨晩はユキの所で寝たから、今オレは生きてる」
その時の光景をおもいだして、たまらず涙が滲んできた。ユキには見せられない姿だった。
「そんな、芳仲・・・」
「うん、だから。あまりユキを叱らないでほしい喜田時」
力無く項垂れる芳仲に喜田時はそっと肩を貸した。
「分かった」
「それに、流されたのは、オレだけじゃないだろ?」
こんどは真っ直ぐ前を向いて喜田時に言った。
「ああ、村の5~6軒はダメだった。でも、昨夜のうちに水路をみんな抜いていたから、この程度ですんでる」
「そうか・・・」
「村長は?」
「今、村の被害を皆からまとめてる時だ」
「オレたちはどうする?」
「これから港に行く」
「港に?」
「年寄りが話してたんだ。この時期に山から来る雨は酷い、で、何度か続くらしい」
「そうなのか?」
「ああ、だから今のうち港でも対策をやっておかないとな」
そして芳仲と喜田時が港から戻った時は、夕方になっていた。
芳仲に言われ、喜田時の家へ向かう途中、懐かしい声に呼び止められた。
「ユキ~、久しぶり。」
「チヨ!」
腕を大きく振って、チヨはユキにしがみ付く。
「良かった~、山の中で雨に流されたのかと思った!」
「大丈夫、チヨの所は?」
聞かれると、鼻息荒く言った。
「もう、寝てる最中にびちょびちょになったわよ」
ユキはチヨの手を取った。
「でも、みんな無事なのね」
「もちろんよ、こんな所で死にたくないもの」
あはは、と二人は笑いあった。
チヨの明るい言葉にユキは幾分心が軽くなった。
それから、二人は喜田時の家に集まり、近所の人と洗濯をしたり、炊き出しを手伝っていた。
炊いたばかりの玄米に塩を付けて、握り飯を作っていた時、チヨが聞いてきた。
「ねぇユキ、新婚生活はどお?」
「どお、て・・・楽しい」
それを聞いてチヨはニンマリする。
「芳仲さんて、この辺じゃあんまり見ない顔よね」
「そう、ね」
「背も高いし、優しそうだし。本当、ユキが羨ましい」
「チヨもいい旦那がいるじゃない」
「優しかったのは、最初だけよ。今は何とか我慢してるだけよ」
「そうなの?」
「この間なんて、港の酒場で芸妓と遊んでたのよ」
チヨは丸く握ったおむすびをぎゅうっとした。
「今度やったら、フブキ党で懲らしめてやるんだから」
「まだその党やってたの?」
ユキはいささかあきれた。
フブキ党とは数年前、まだフブキが嫁入り前の事、チヨと同じように夫の芸妓遊びに泣き暮らしていた友人に代わり、フブキは志しを同じくする女性たちを集め、徒党を連れてその夫を成敗したのだ。
当時の話しによれば、鬼ように恐ろしく、最上級の芸妓にまで頭を下げさせる程の勢いだったと言う。
フブキ党に入っている妻を持つ男衆はフブキの党を恐れおののき。
フブキ党員からは首党のフブキは巴御前もかくや、という崇めたて奉りようだった。
「ユキも入ったらいいのに」
「遠慮する」
短く断ると、手早く最後の握り飯を作り始めた。
何とか大雨の片付けや被害の対策に目処が立った頃、喜田時と芳仲が港から帰って来た。
「お帰り、港はどうだった?」
ユキがお茶を持って出迎えた。
居間に座った二人は、出されたお茶を飲み、何だか疲れた様子で顔を見合わせた。
喜田時が口を開く。
「港の方は大丈夫だ、村田屋の船も無事だったし・・・」
何だか歯切れが悪い。
「他に何かあったの?」
芳仲は湯飲みを持ったまま考え混んでいる。
代わりに喜田時が言った。
「村田屋の客に身なりの良い男が居てさ、珍しく」
どおゆう事か首を傾げると、喜田時は芳仲に視線を移して言った。
「その客っていうのが、芳仲の腕を気に入ったみたいで・・・」
やや興奮ぎみに、喜田時はユキに説明する。
「芳仲の作った酒瓶を港の酒場に卸した中に、女の姿絵が描いた物を気に入ったらしくてさ」
飲んでいる湯飲みに浮いた茶柱を見つめながら、芳仲は言った。
「その男から都で仕事をしないか、て誘われたんだ」
芳仲はユキの反応を窺うように見る。
「なんで、都まで・・・」
突然、思ってもみない話しにユキは動揺する。
「芳仲の窯場もあんな事になったし、俺はその誘いに乗ってもいいんじゃないか、て」
港から村に帰っている途中、二人はずっとこのやり取りをしていた。
しかし、芳仲は慎重だった。
ふぅ、と息を吐くと残りのお茶を一気に飲み干した。
「その話しが本当にならね。それに祖父の代から、あの絵付けの技術は誰にも教えるな、て約束があるんだ」
「そんなの!今さらだろ、何でもっと欲をみない?」
「怪しい話しには、乗る気にならない」
芳仲はキッパリ言った。
「それに今はこんな状態だし、人手はいるだろ?明日、あの話は断ってくるよ」
芳仲のはっきりした答えに喜田時はそれ以上、何も言わなかった。
その晩は喜田時の家に泊まる事になった。家を失った村人も何人か泊まる事になり、喜田時の家は大所帯になった。
芳仲はユキの部屋で一緒に寝る事になり、お互い今日の出来事を話した。
「今日は大変だったね、お疲れさま」
芳仲は隣に横になるユキを労った。
「ありがとう、芳にぃも大変だったね」
曖昧な表情にユキが何を言いたいのか分かった。
「都まで行かなくてもまぁ、何とかなるさ」
本心はどんな気持ちでいたのか、ユキは気になった。
「本当にいいの?」
「誘われて嬉しかったし、喜田時がオレの事を心配して、言ってくれるのも嬉しかったけど」
「今はユキの側にいるよ、家族だからな」
その言葉に泣きたくなった、側にいてくれる事が嬉しかった。
ユキはそっと布団から手を出して芳仲の手を握った。
「ずっと、一緒にいてもいいの?」
「あぁ、いいぞ」
柔らかく笑った芳仲は、小さい子にするようにポンポンとユキの頭を撫でた。
静かに夜が更けていく。
早朝、芳仲は一人港へ向かった。
それから、村に帰って来る事は無かった。
「おやおや、もう目が覚めたのかい?」
調子のいい声がした。
「もうちょっと気を失ってて欲しかったけど」
言って男は芳仲の口を塞いだ布を取った。
「ここは、船か?オレをどうする気だ」
ずっと口を塞がれていたせいで喉の奥がひりつく。
「だから、最初に会った時に言った通り、都で仕事をしてもらうんだよ」
「だからって、ここまでするか?」
痛む喉を我慢して呻くように芳仲は男に言った。
「悪いね、こっちも時間が無くてね」
男は悪びれるようすが無ない。
「訳はちゃんと話すよ。あなたが暴れなければね、どお?」
さすがに、このまま縛られるのは嫌だった。
「分かった」
「良かった、こうゆうの好きじゃないんだよね」
ほっとしたように言って、男は芳仲の拘束した縄を解いた。
芳仲は縛られたせいで軋む体を、ゆっくり起こすと男と対した。
「ふふ、やっぱりどこか似ているね」
男は意味ありげに笑う。
「どおゆう意味だ?」
すると男は芳仲に畏まった礼をとる。
「私の名は姓を河井、名を克仲と言う。あなたの親類にあたる者だよ」
思ってもみない自己紹介に、芳仲は驚いた。まさか、親類がいるとは思わなかった。
「その感じだと、何も知らないみたいだね」
「知らないって、あんたはオレの何を知ってる?」
克仲は少し考えると、提案をした。
「長い話しになるし。輸送用の船だけど、個室を取ってあるから、そこで話そう」
克仲に案内され、芳仲は素直について行く事にした。
「さて、都に橘家という一族がいる。古くから神事における儀式用の面を作っている一族がね」
芳仲にはまだ何の話しだかわからない、続く克仲の話しを聞いた。
「あなたの祖父には兄が一人いて、橘の家業と伝統を継ぐため、日々修行に励んでいた」
いきなり祖父の存在を出されて芳仲は戸惑う。
祖父の思い出と言えば、厳しい修行と寡黙な人だったくらいだ。
「しかし、兄より弟の方に才能があってね。本来なら長男が跡継ぎだったけど、当時の当主は弟の方を跡継ぎに決めたんだ」
「まさか」
「それからは、跡継ぎとして当主は弟の方に橘の技法を継承したんだけど」
そこで克仲は芳仲の目をフイ、とそらす。
「その直後に当主が亡くなった。跡目をまだ正式に継いでいなかった弟は兄に追い出された。て言う、まぁよくあるお家騒動さ」
「追い出された。それが、オレの祖父?」
「そおゆう事、ちなみに私はその兄の娘の子供ね」
「それで、何で今さらオレに関わる?」
「橘家を継いだ兄は初めは何とかやっていさ。しかし、子供の代、孫の代になった頃には、面を作る技術が足りず、落ちぶれて行く一方になってしまってね」
克仲は懐から酒瓶を手にした。瓶には女の後ろ姿と、藤の花が描かれていた。
その女の後ろ姿を指差した。
「ご覧、この女の髪。これ程繊細な描き方は橘の技法そのものだ」
「見ただけで分かるのか?」
「もちろんだよ、私も子供の頃から先々代の作品を見ていたんだ」
そして克仲は真っ直ぐに芳仲を見据えた。
「間違いなく、あなたは橘家の伝統、技法を継承した正統な当主さ」
芳仲は信じられない、と首を振る。
「いや、無理だろ」
「無理でも嫌でも、連れて行くよ」
不敵に笑う克仲は酒瓶を手に言った。
「あなたはこれだけの物を作る才をお持ちだ、間違いない」
「違ったらどうする?」
「どうするかは、今の橘当主次第だよ、何せ追い出した血族を今さら探して来い、て言ったの彼だからね」
酒瓶をフリフリ揺らしながら、逃さない目で言った。
「まぁ、悪いようにはしないよ」
クスリと克仲は笑った。
「ユキ、芳仲は?・・・帰ってないのか」
今日も朝から、浸水した家の片付けをしてきた喜田時は、ユキのすぐれない顔を見て察した。
断りの返事をするだけなら、昼前には、港から戻って来てもいいはずだったのに、いくら待っても芳仲は姿を現さなかった。
ユキは迎えに行くと言い出したが、家で待つよう、言い聞かせたのだが。
どっかりと居間に座ると、足を投げ出した。
「一体、何やってるんだろうな」
ごめんください。
玄関から男の声がして、喜田時とユキはバタバタと急いで出る。
「なんだ、太一か」
そこに居たのは疲れた様子の太一が一人立っていた。
「どうした?港で何か・・・芳仲の事か?」
喜田時は、はっとして太一に詰め寄せった。
「太一、芳にぃがどうなったか、知ってるの?」
「ちょ、話すから、わぁ!」
二人で勢いよく同時に聞いてきたので、太一は倒れそうになった。
とりあえず、喜田時、ユキ、太一の三人は居間に集まった。
「それで、何があった?」
上座に座る喜田時は腕を組んで、太一を威圧的に見た。
「あの人は、朝早くにウチの宿に泊まっている客に会いに来たんだけど」
太一は居心地悪そうに言った。
「確かなのか?」
「親父が二人の相手をしてたから」
それで、と今度はユキが冷めた声で言う。
「何か二人で話していて、あの人はそのまま帰ったんだ」
「あの人って、芳にぃの事?」
ユキに凄まれ、太一はこくこくと、うなづいた。
「他に何を知っている」
兄妹の尋問にオドオドしながら、太一は負けじと話した。
「確かな事は分からない、けど芸妓の藤乃さんが・・・」
「藤乃?」
ここで意外な名前が出た事に喜田時は驚く。
「店の用心棒をしている奴が、仕事中に一人居なくなって。しばらくしたら、結構な金を持って昼から酒を飲んでたんだ」
「店を仕切っている藤乃さんが問い詰めたら、都から来た客に金を渡されて、何か仕事を頼まれた、て」
「どんな仕事だそれは、芳仲と関係あるのか?」
「藤乃さんが聞き出した話だと、男一人の気を失わせて、船に乗せるだけだった、て」
まさか、とユキは口に手を当てる。
「確かなのか?」
「船に乗せられたのが、あのひ、芳仲さんかは、誰も見ていないから分からない」
居心地の悪さに太一は話を早く切り上げようと声を荒げる。
「とにかく、藤乃さんからこの事を早く知らせるように頼まれただけだから!」
太一は逃げるように、じゃあ、帰る。と言って立ち上がった。
「待って、あたしも連れてけ!」
ユキが太一の上着の裾を引っ張って止めた。
うわぁ、と太一はその場にすっころぶ。すかさず、喜田時が太一の首根っこをつかんだ。
「よーし、ユキ良くやった!」
再び兄妹二人の凄みのある笑顔でニタリと笑われ、ヒィッと後ずさった太一は、観念して言うことを聞くことにした。
太一が、案内したのは桜園と看板が下げられた酒場だった。
店に入ると、酒と料理の匂いに男たちの喧騒があった。
太一は使用人の1人に何やら声をかける。
使用人の男は喜田時、そしてユキを見つけると、怪訝な顔をした。
「あんた、藤乃姐さんに何の用だって?」
横柄な態度で二人を見る。
ユキを背に庇うように前に出る、喜田時は使用人に言った。
「藤乃に聞きたい事があるんだ、会わせてほしい」
はっと笑い飛ばす使用人。
「坊っちゃん、コイツら銭もなしに藤乃姐さんに会いたいって?」
馬鹿にするように使用人は二人を指差した。
「おい、ふざけるなよ」
そう言うと、使用人はユキを舐めるように見た。
「ソコの後ろに隠れてる女を銭に変えたって、ニワトリ持って来たほうがまだ高く付くぜ」
ゲラゲラと唾を飛ばしながら、下品に笑っていると、パシリッと鋭い音が鳴り響いた。
先ほどまでの喧騒が鎮まる。
「おどき、私の客だよ」
涼やかな声をした方を見ると、艶やかな着物を着た、豪奢な女が、扇で目の下を隠しながら、使用人をねめ付けた。
静まりかえる店の中、ササッと使用人が退く。
女は喜田時とユキの前まで来ると、「こちらへ」と、短く優雅に、垂れ帯を引いて店の奥へ入っていく。
再びざわつき初める店内、喜田時はユキの手をしっかり引き、使用人の横をすり抜けながら、藤乃を追った。
店の奥にはいくつかの部屋があり、廊下を突き当たると、階段があった。そのまま上がり、細い通路を行くと海が一望できる部屋に出た。
他とは違う造りのいい場所が藤乃の私室だった。
小上がりを一段ある所に上質な座布団を敷き、ひじ掛けにゆったりと座りながら、藤乃は喜田時とユキを迎えた。
「知らせは、早かったようね」
藤乃は、満足そうに太一を労った。
「本題に入ろう、私の用心棒の事だが」
「ああ、だいたいの話しは聞いた」
うん、と藤乃は頷く。
「船に乗せた男は、昨日お前と一緒に居た男に間違いないだろう」
「本当か?」
「お前の連れは、かなり目立つ存在だったから覚えている」
「じゃあ、芳仲を連れ去った奴が誰かも?」
「おそらく、都からの客だろう」
「今朝、一番の船便。しかも輸送船で行ってしまったから」
「そんな・・・」
ユキの顔は真っ青になっていた。
「よほど急いでいたみたいだったね」
藤乃はひじ掛けから体を起こすと、手をついて頭を下げた。
「私の用心棒が済まない事をした」
喜田時はいや、と遮る。
「思っても見ない不足の事態だ、藤乃は謝らなくていい」
喜田時の言葉に藤乃は笑みを浮かべると、扇で口元を隠した。
「それで、船の行き先は?」
代わりに今度は太一が言う。
「今日の一番便は、都行きだ」
都行き、ボソリとユキが反応する。
「あたしも都へ行く!」
「バカ、船旅は女には無理だ」
太一が言うと、ユキはキッと睨みつけた。
「無理なんかじゃない、行ける」
「今日、出た船は往復するんだ、次の都行きの便はずっと先だ」
「次の都行きの便の予定は?」
喜田時は押し黙ったユキの代わりに聞いた。
「ウチの船だったら、速くても、夏の終わりくらいだ」
その場が静まりかえる。
「大丈夫だ、ユキ。時期が来たら俺が芳仲を連れ帰ってやるから」
な、と安心させるように喜田時がそう言っても、ユキは下を向いて首を振る。
それを眺めていた藤乃がユキに優しく言った。
「そう、気を落とすな。太一、北方の大型船が補給によるだろ?」
「え、でも・・・」
「そろそろ、店の繁盛するころだ、違うか?」
藤乃の言葉にユキは顔を上げる。
「大型船ならユキ一人乗るくらい、わけないだろ」
「本当に?」
期待な満ちたユキに、喜田時はハァーッとため息を着いた。
「分かった。その代わり一人で行くのは駄目だ」
「俺も一緒に行くからな」
ユキは嬉しさで、みるみる笑顔になる。喜田にぃありがとう、と喜ぶ。
喜ぶユキのその顔を見ていた太一は、内心面白くなかった。その一瞬の態度を見逃さなかった藤乃は、やれやれ、と息をついた。
藤乃は太一を手招きすると、兄妹に聞こえないように、コソリと言った。
「太一、ユキに無体な事をした詫びはちゃんと晴らせ」
声は落ちついているが、目は笑っていない。
太一は何か言おうとしたが、言葉が出ない。
「ユキは諦めなさい」
悔しそうに下を向くと、叱られた子供のように太一の顔が赤くなる。
可愛い弟を見るように、藤乃は太一を慰めた。
「叶わぬ想いも、いつか忘れる」
「・・・忘れない。それくらい、いいだろ」
か細い声で太一は言った。藤乃は呆れたが、それもいいか、と扇を閉じた。