チャンス
思い悩んでいるうちに冬は終わり、春になった。
社交シーズンが始まると、王宮は賑やかになる。
いつもなら、それを煩わしく思っていた。
舞踏会も晩餐会も、インベルには関係ないことだ。
社交会デビューである、デビュタントすら果たしていない。
インベルは、貴族の娘にも劣るのだ。
しかし今年は違った。
サフィラスがいる。
自室に引きこもり『隠者』と呼ばれていたサフィラスは、今年に限って社交会に現れた。
サフィラスは過去の功労者だ。
事業で王家の財政難を救ったことがある。
没落しかけていた貴族や、卑賤として蔑まれていた商人たちは、サフィラスに救われた。
そのサフィラスが、10年近くの時を経て戻ってきた。
貴族たちは沸き立った。
その人気は、王をも凌いだ。
インベルが社交会に参加することはなかったが、サフィラスが表舞台に現れたことで、王宮のそこかしこで顔を見られるようになった。
なんとかもう一度話をしたい。
そう思い、チャンスを待っていた。
すると、サフィラスが現れた。
廊下を歩いていると、向いからサフィラスも歩いてきたのだ。
サフィラスは大勢の貴族に囲まれていた。
楽しそうに談笑している。
今は舞踏会でも晩餐会でもない。
公式な時間でないならば、インベルが話しかけてもいいと思った。
「叔父様。サフィラス叔父様……」
サフィラスはちゃんとインベルに気づいてくれた。
「ちょっと失礼」
そう言うと貴族の輪から離れ、インベルの元に来てくれた。
「どうかした?」
「私、お話がしたくて」
「どうぞ?」
「いえ、ここでなくて。もう少し人のいない所がいいの」
「そう。じゃあ外へ出る?」
「ええ」
インベルは率先してテラスへ向かった。
1年前、サフィラスに口付けされたテラスだ。
テラスには誰もいなかった。
以前は夜だった。
以前と同じ月桂樹の影に行く。
明るいテラスは、以前と様子が少し違った。
テラスから街を見下ろすと、春の陽気に包まれ人々が忙しなく働いていた。
「あの……。私、叔父様がどう思っているのか知りたいの」
サフィラスが片眉を上げる。
インベルはもじもじした。
「だから、去年の夏。ここで……」
サフィラスは「あぁ」と言った。
言わなければ思い出せない程度のことだったのだろうか。
インベルには一大事だったのに。
サフィラスにとってはよくある出来事だったのだろうか。
サフィラスがインベルのことを好いてくれていると思ったのは、勘違いだったのだろうか。
「今頃ですか?」
サフィラスは呆れたような顔をした。
インベルは急に不安になった。
あれから1年近く経っている。
遅すぎたのだろうか。
恋とはそんなにも簡単に通り過ぎてしまうものなのだろうか。
「そうだね。まだ間に合うかもしれない」
サフィラスの言葉に、インベルは怪訝な顔をした。
「でもあまり時間はないよ」
「どういうこと?」
「覚えているかな。義務の話を」
インベルはうなずいた。
この1年、そればかり考えていたと言っても過言ではない。
「じゃあまずはそれからだ」
「義務を果たすとどうなるの?」
インベルは欲しかった。
サフィラスの言葉が。
義務を果たしたのち、サフィラスがインベルの恋の相手になってくれるという確証が。
サフィラスは優しく笑った。
「去年教えてあげたでしょう」
サフィラスがインベルを引き寄せる。
頬に手を当て唇を重ねる。
ゆっくりと、しかししっかりとした口付けだった。
1年前のものとは全然違った。
サフィラスがそっと顔を離す。
インベルはうっとりとサフィラスの顔を見つめた。
「義務を果たしなさい。アウラよりも早く」
インベルは小さな声で「はい」と言った。
翌日インベルはアウラを呼び出す事にした。
廊下を歩くシモーヌを捕まえる。
「あの、アウラは今何をしているかしら」
シモーヌが怪訝な顔をする。
「ほら、もうすぐ誕生祭でしょう? 忙しくなるし、それまでにゆっくりとお話をしたいなと思って。おめでとうも言いたいし」
夏になると、アウラの誕生日がやってくる。
アウラが15歳になって成人すると、クラウィスとの婚約が公式に決定される。
インベルは、それまでにアウラからクラウィスを奪わなければならない。
しかし、どうしても気が進まなかった。
何度考えても、アウラに悪い気がしたのだ。
だから、アウラの気持ちを聞こうと思った。
「アウラ様でしたら、今はクラウィス様との語らいの時間です」
アウラとクラウィスには、定期的に親睦を深める時間がある。
「そう……」
インベルは残念そうにうつむいた。
「でも、そろそろ投げ出している頃でしょう」
「え?」
「アウラ様にお伝え致します。中庭でお待ちになって下さい」
「ありがとう!」
語らいの時間は、王妃候補のアウラにとって特別大事な時間だろう。
その時間を、インベルのために空けてくれるとは思わなかった。
ましてや、従者であるシモーヌが。
シモーヌは、いつもぴったりとアウラに張り付いる。
アウラを守るのは自分の使命だと全身で主張していた。
アウラに近づく者は、シモーヌの鋭い眼光にいつも退治されていた。
「喜ばれます」
ぽつりとシモーヌが言った。
「え?」
インベルが小首を傾げる。
「アウラ様は、誕生祭があまり嬉しくないようです。周りが騒ぎすぎて、置いてけぼりにされている気がするのでしょう。インベル様に祝って頂くと、きっと素直に喜ばれます」
お祝いが言いたいと言ったのは、アウラと話す口実に過ぎなかった。
インベルの胸がチクリと傷んだ。
アウラの誕生日にはまだ少し時間がある。
それなのに、城の中はもう誕生祭の準備が始まっていた。
今年の誕生日は、成人を祝うものであり、婚約が発表されるものでもある特別なものだ。
例年にも増して、豪勢な誕生祭が開かれるのだろう。
インベルの誕生日など、祝ったこともないのに。
(そういえば、私の誕生日っていつなんだろう……)
それすら知らなかった。
すると、シモーヌが言いにくそうに口を開いた。
「あの……」
常にてきぱきしているシモーヌには珍しいことだ。
「なんですか?」
「インベル様は、王家の方と結婚されたいのですか?」
インベルの胸がドクンと震える。
「え……どして……」
「余計なお世話かもしれないですが、お相手は慎重に選ばれた方が良いかと」
(バレた! アウラからクラウィスを奪おうとしていることがバレてしまった!)
インベルは、かっと頭に血がのぼった。
「どうせシモーヌはアウラの味方ですもんね!」
そう言うと、インベルは走ってその場から逃げ出した。