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夏の離宮

 離宮での生活は夢のように楽しかった。


 離宮はウィリデ山脈の中腹にある。

 標高が高いので、王都に比べ涼しかった。

 また、離宮自体が夏のために建てられた建物だ。


 絽で作られたカーテン。

 タイル張りの床。

 籐の家具。

 壁に吊るされた紗の布。


 歴史の詰まった王宮と違い、何もかもが軽やかだ。


 白亜の壁は真夏の太陽を受け輝き、周りを彩る草木は青々しく尖っている。

 ヤシの木に、モンステラに、パキラやガジュマル。


 品のある王宮の中庭にはないものばかりだ。


 裏庭には、アプ川から引いた水で造った池がある。

 お昼間は、そこに船を浮かべて遊んだり、水浴びをした。


 夕食の頃には、くたくたに疲れた。

「インベル。晩ごはん、あんまり食べちゃダメよ」

 アウラが悪戯っぽく笑った。

「どうして?」

「すぐにわかるわ」

 クスクス笑う。


 夕食は王宮の料理と変わりなかった。

 ただ、いつもいる親戚たちがいないので、随分と気が楽だった。

 アウラは申し訳程度に料理をつつくと、すぐにご馳走さまをした。


「もう食べないの?」

「いいからいいから。インベルも早く食べ終わってよ。お風呂行こう」


 まだ食べている途中だったが、アウラは強引にインベルの手を引き浴室に向かった。


 王宮では部屋に浴室がついている。

 インベルはいつもシャワーで済ましていたが、離宮の浴室は広かった。


「わぁ、泡風呂だ」

 お風呂の中が、泡でいっぱいになっている。

 それに綺麗な薔薇の花が散らしてあった。


 お昼間散々水浴びをして肌がふやけていたが、泡風呂はまた別格の楽しさがあった。


 いい具合に茹で上がり、寝室へ行くとまた驚いた。


「何これ?」


 ピンクのクリームに、色とりどりのベリー。

 ドライフルーツの乗った華やかなタルト・フリュイに、マスカルポーネチーズをたっぷり使ったティラミス。

 チョコレートでコーティングされ、ナッツやアザラン、金箔などが散りばめられたラスク。


 寝室には、見たこともないようなお菓子が並んでいた。


「ふふふ。あんまり夕食を食べたらダメだと言ったでしょう?」

 アウラは両手を広げた。


「これ、ぜーんぶ食べていいのよ!」

「え、でも今から寝るんでしょう?」

「まさか! バカンスの夜に、寝ているヒマなんてないのよ!」

 アウラは走ると、ベッドの上に飛び乗った。


「今から朝までお喋りよ! お菓子を食べて、喋って、疲れたらまたお菓子を食べる!」

 くるくるとベッドの上で回る。


「素敵でしょう!」

 アウラの瞳がキラキラ光る。


「パンチもあるのよ。とっても美味しいの。飲んだことある?」

 インベルは首を横に振った。


「ほどほどにして下さいましよ。去年は酷い目にあいました」

 後ろに控えるシモーヌが言った。


「去年はちょっと飲みすぎちゃっただけよ」

 アウラはベッドから降りると、パンチボウルの元へ行った。


 大きなボウルに、輪切りになったオレンジ、チェリー、メロンや柘榴が浮かんでいる。

 そこにブランデーやラム酒、炭酸水や果汁などを混ぜたのがパンチボウルだ。


 甘いのが特徴で、飲みやすい。


「ちょっと、ですか」

 シモーヌがため息をついた。

 どうやらその様子では、相当飲んだようだ。


「今年はインベル様もいらっしゃるのですから、あまりハメをはずさないで下さいよ」

 アウラが「はーい」と返事をする。


 シモーヌはアウラの従者だ。

 王族の従者は、王族の分家の中から選ばれる。


 分家は基本的に、貴族と同じ扱いになる。

 王から領地を拝領し、税を徴収する。

 税が唯一の収入源だ。

 そうして収入を得る見返りとして、王に仕える。


 しかし領地を継承できるのは長男だけだ。

 だから、領地を継承できない次男以下の子どもたちは、従者として王族に仕える。

 貴族にはないカルディア分家の特権だ。


 インベルの母も、そういった従者のひとりだった。

 従者は同性から選ばれるが、分家頭であるインベルの祖父は、権力にものを言わせ無理やり娘を王の従者にした。

 そうしてインベルを身篭り、王妃の座を手にした。


 インベルはちらりとシモーヌを見た。

 同じ立場でありながら、母は王妃になった。

 きっとシシモーヌは、立場を弁えぬインベル親子を蔑んでいる。


 シモーヌはいつも無表情だ。

 何を考えているのかわからなかった。



 アウラはシモーヌにたしなめられたにも関わらず、よく食べ、よく飲んだ。


「はぁ。毎日がバカンスだったらいいのに」

 アウラは苦しそうにお腹をなでた。

 インベルもその通りだと思った。


「ここには家庭教師もいないし。お勉強もしなくていいし。マナーの授業もない」

 インベルにはどれも縁のない話だ。


「クラウィスのワガママに付き合うこともないし、王家の義務もない」

「王家の義務?」


 それは、サフィラスの言っていた『子をなす』ことだろうか。


「そうよ。毎日毎日嫌になっちゃう。あれが無ければ、もう少し朝もすっきり起きられる気がするわ」

「朝?」

「インベルはそう思わない?」


 インベルにはわからなかった。

 インベルは知らなかったが、カルディア王家には義務がある。


 ルヅラを生産することだ。

 ルヅラは王家の血液から生み出される。

 王家の血液は、空気に触れるとたちまち硬化し、ルヅラに変わる。


 金の何倍もの価値があるルヅラは、王家の大切な財源だった。


 ルヅラを確保するため、王家の者は毎朝採血をする。

 専用の機械を使って、毎日決められた分の血液を抜くのだ。

 それを王族たちは『王家の義務』と呼んでいる。


 しかしインベルの血はルヅラに変わらない。

 ルヅラに変わるのは、血のような紅の瞳を持つ者だけだ。

 だから義務が課せられていない。


 ルヅラが王族の血液からできていることは、王家最大の秘密だ。

 インベルは、血液がルヅラに変わることも『王家の義務』も、なにも知らなかった。


 インベルは勘違いした。

 アウラの言う『王家の義務』は、サフィラスの言う、子を産み次代に繋げることだと思ったのだ。


「でも、それは王家の存続に必要なことだから……」

 インベルに婚約者はいない。

 相手もいない自分が偉そうなことを言ってもいいものだろうかと思った。


 しかしアウラは関心したようにインベルを見た。

「偉いのねぇ」

 そして「うんうん」とうなずく。


「そうね。王族にしか出来ない崇高な仕事よね。悪く言うべきではなかったわ。インベルありがとう。私、頑張るわ」

 アウラはにっこり笑った。


(王族にしか出来ない崇高な仕事……。それをすれば、私も王族として恥じることなく存在できるのかしら……)


 アウラはそれからいつものように、恋について語った。

「いつか素敵な恋をしようね」

 これはアウラの口癖だ。


(そっか。アウラも早くクラウィスとの子を産んで、恋がしたいんだ)

 インベルはパンチグラスをもてあそんだ。

 中のフルーツがくるくる回る。


(アウラは誰と恋をするつもりなのかな)

 サフィラスの顔が浮かんだ。

(私は──)


「インベルぅ、もっと食べなさいよぉ!」

 ふと見ると、アウラの顔が真っ赤になっている。

 パンチボウルを見ると、気づかないうちに随分減っていた。


「もういっぱい食べたよ」

 いつもの倍は食べた。

 王宮の料理はとても質素だ。


 良いルヅラを作るため、王宮の食事は良い血液を作ることのみに特化している。

 だから、あまり美味しいとは言えない。


 レバーパテ。

 ほうれん草のソテー。

 イワシのマリネ。

 海藻サラダ。

 青菜のクルミ和え。


 それくらいしかない。

 だから目の前にあるお菓子は、生まれて初めて食べるものばかりだ。


 美味しいと思ったし、たくさん食べた。

 しかし甘すぎる。

 最初は美味しいと思ったが、すぐに苦痛になった。


「さすがに食べすぎです」

 シモーヌがアウラからフォークを取り上げる。


「ああん。まだ食べるぅ」

「去年のように、もどしても知りませんよ」

「やだぁ。食べるぅ」

 アウラが赤ん坊のようにだだをこねる。


「それに飲み過ぎです。そろそろ休みなさい」

 そう言って、アウラの目の前に手を当てる。


「やだぁ。もっと喋るぅ。インベルとお話しするぅ。すごく、楽しみに、して……たの……にぃ」

 アウラから力が抜けて、だらんとなる。


 シモーヌはアウラを抱きかかえると、ベッドへ移した。


「申し訳ありません。少し、はしゃぎすぎたようです」

 アウラを丁寧に布団でくるむと、シモーヌは振り返った。


「いえ、私も楽しかったです」

 インベルはシモーヌから目をそらした。

 分家の分際で、でしゃばりすぎだと言われるだろうか。


「あなたと一緒に過ごせることを、とても楽しみにしておいででした」

 シモーヌが、てきぱきとアウラの散らかした食器を片付け始める。


「あ、私も」

 インベルがフォークを拾う。

 シモーヌは、その手をやんわりと止めた。


「あなたのなさることではありません」

「でも……」

「あなたも疲れたでしょう。ゆっくり休んで下さい」

「は、はい……」


 インベルが立ち上がる。


「ただひとつだけ」

 シモーヌが鋭い眼光を放つ。

「な、なんでしょう!」

 インベルの背筋が伸びる。


「休む前に、歯を磨きなさい。アウラ様は、今日は無理そうですけど」


 インベルはほっと息をついた。


「はい」

 知らぬうちに、笑顔になっていた。

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