図書室の出会い
インベルが自分の気持ちを持て余していると、テラスのドアが開いた。
「ここにいたのね」
振り返ると、アウラがいた。
後ろに従者のシモーヌを携えている。
「アウラ……。どうかした?」
声が震えた気がする。インベルは慌てて咳払いをした。
平静を装う。
「ねぇ、インベル。一緒に離宮へ行かない?」
「離宮?」
「夏のバカンスよ」
アウラはいつも、社交シーズンが終わると離宮へ避暑に行く。
その離宮はアウラの亡き母、アグノティタが愛した物で、息を引き取ったのもそこだと聞く。
「お父様にはもう聞いたの。インベルだったらいいって」
「お父様が?」
アウラは、厳重に管理されている。
一日の行動は細かく決められ、誰と会い、誰と話すかも全て決められている。
他の王族と話すことも滅多にない。
一同に会する夕食の場でも、常に父の横に座ることが義務づけられていた。
貴族など、近づくことすら許されない。
時期王妃に、間違いなどあってはならないからだ。
アウラが話してもいいのは、父と、婚約者である弟と、家庭教師と、あとは従者のシモーヌくらいだ。
一方インベルは王家の鼻つまみ者だ。
アウラに限らず、ほとんどの王族と話したことがない。
だから両者の邂逅は奇跡的なものだった。
図書室に行った時のことだ。
インベルは図書室に行くのが好きだ。
というか、王宮の中で行けるところが、自室と、庭師のいる庭と、図書室くらいしかない。
どこに行っても『分家のくせに』と言われるからだ。
家庭教師もついていないし、社交会にでることもない。
インベルには、することがなかった。
日がな一日、自室に閉じこもっている。
あまりにも退屈すると、庭をぷらぷらしたり、図書室へ行ったりする。
だから図書室に入って、アウラの姿を見つけた時は驚いた。
アウラがひとりだったからだ。
これがいつものように、ぞろぞろと警備員に囲まれ、従者を脇に従えていたら、インベルはすぐさま回れ右をしただろう。
「あなたも本、好きなの⁉︎」
顔を合わせるなり、アウラはそう言った。
別に本が好きなわけではない。
本を読むくらいしか、することがないのだ。
「私も大好きなの!」
アウラはルヅラ糸で織られた赤い布張りの本を抱えていた。
「ひとり?」
インベルはおずおずと尋ねた。
分家が話しかけるなと罵られるかと思った。
「うん! 毎日毎日お勉強で嫌になっちゃう。だから逃げ出してきたの。あなたもそう?」
「私は……えっと……」
「あのね、私、この本大好きなの。面白いよ。読んでみる?」
アウラは抱えた本を差し出した。
「あ、それなら。もう読んだよ」
「本当⁉︎ とっても素敵よね! 私、この話大好き。私もこんな恋がしたいなぁ」
アウラは屈託なく笑った。
もう読んだと言ったのに、あらすじをぺらぺらと語った。
「あぁ、なんて素敵なのかしら。私もこんな人と恋をしたいわぁ」
うっとりと本をなでる。
インベルは「そうかなぁ」と思った。
主人公の男性を、インベルはあまり好きになれなかった。
一方的すぎるのだ。
ヒロインの話も聞かず、自分の気持ちを押しつけている気がする。
もっと、ヒロインの気持ちを汲むべきだと思った。
(私が恋をするなら、もっとこう。私の気持ちに寄り添ってくれる人がいいなぁ)
インベルの胸の内など気づかずに、アウラはお薦めの本を教えてくれた。
インベルは図書室にある本をほとんど読んでいたので、全て読んだことのある本だった。
(この子とは、あまり好みが合わないな)
インベルはそう思った。
アウラが好むのは、どうやら甘ったるい恋の話らしい。
インベルはそういったものより、偉人伝や戦記の方が好きだった。
「私、あなたとお話しできてとても嬉しいわ。ここには同じ年頃の子どもは少ないから。私たち、お友達になれるよね?」
アウラとインベルは腹違いの姉妹だ。
アウラはそのことに気づいていないのだろうか。
「大変! そろそろ戻らなくちゃ。ドュールスが待ってるわ」
「ドュールス?」
「護身術の先生よ。私、体を動かすのは大好きなの。だからドュールスの授業は好き」
インベルはもちろん、護身術など習っていない。
だからドュールスの授業など受けたことがなかったが、その名前は知っていた。
王国憲兵隊の将軍。
王国憲兵隊は陸海空に次ぐ第四の軍隊。
しかし王国憲兵隊は、王家直属の軍隊でもある。
卓越した軍人だけがなれる、超エリート集団。
その中で一番偉い人。
「ドュールスに教えてもらっているの……」
「そうよ。ドュールスはとっても厳しいけれど、とっても強いのよ」
当たり前だ。
ドュールスは生きる偉人。
カルディア王国の中で最も強いと言われる人。
アウラの家庭教師たちは、国で最も権威のある人の中から選ばれるのだろう。
インベルには、家庭教師のひとりもいないというのに。
「じゃあね。また遊びましょう」
アウラはひらひらと手を振って図書室から出て行った。
それからは、図書室で会うたびに話した。
たまには連れ立って、庭を散歩したりもした。
友達のいないインベルにとって、それは嬉しいことのはずだった。
だがアウラと話すたび、アウラがいかに恵まれているかを知り、落ち込んだ。
自分がいかに孤独なのかを知った。
アウラの話は、大抵恋についてだった。
「私たちも、いつか素敵な恋をしましょうね」
そう言って笑うが、インベルは内心辟易していた。
それでも無視できなかったのは、寂しかったからだろう。
「ダメかしら?」
アウラが尋ねる。
「それとももう、他にバカンスの予定があるの?」
インベルは笑った。
バカンスなど、あるはずない。
「お父様は、本当に一緒に行っていいと仰ったの?」
「そうよ。さっき聞いたの。だから私、慌ててあなたを探しに来たの」
先ほどアウラが父に尋ねていたのはそのことか。
父がいいと言ったならば、行きたいと思った。
「アウラがいいなら……」
「いいに決まってるじゃない! 嬉しいわぁ。私、一度あなたとバカンスを過ごしてみたいと思ってたの!」
アウラは手をとって喜んだ。
両手をぶんぶん振り回され不快だったが、それでも生まれて初めて行けるバカンスに、心は踊った。