円卓の隙間
晩餐の間には、多くの人がいた。
食事をとる王族。
給仕をする従者。
料理を運ぶメイド。
こんなにもたくさんの人がいるのに、インベルに注目する者はいない。
サフィラスを除いて。
インベルはナプキンを取ると、席を立った。
何も言わずにサフィラスがついてくる。
晩餐の間には、いくつもの円卓がある。
親戚たちは、思い思いの席に座り、円卓を囲んでいる。
和やかな声。
楽しそうに談笑する人たち。
その間を縫うように進む。
血の繋がった親戚たちは、誰ひとりインベルに声をかけなかった。
メイドも、従者も、インベルが歩いていることに気づかない。
空気か透明人間にでもなったように、ふらふらと歩く。
ガラス戸を開け、ホールから出る。
さぁっと風が走った。
「本当。涼しいわ」
テラスに出て、端まで歩く。
目立たないところに行く癖がついている。
そこはちょうど月桂樹の影になり、誰にも見つかりそうになかった。
テラスからは城下町が一望できた。
王宮は、霊峰ウィリデ山脈の山裾にある。
そこを頂点に、街は扇状に南へと広がっている。
ウィリデ山脈から流れ出たアプ川は、王宮の手前で二手に分かれ、王宮を包む。
そこからさらに幾つもの支流に分かれ、街中を縦横無尽に走る。
川は水路として整備され、主な交通手段として船が利用される。
別名水の都。美しい街だ。
王宮に近い北側には貴族の屋敷が立ち並び、南へいくほど大衆的になる。
大きな屋敷にも、小さな家にも、灯りが灯っている。
その灯りひとつひとつに家族があるのだろう。
インベルは羨ましかった。
王宮という大きな大きな建物の中で、王族というたくさんの血縁者がいるにも関わらず、インベルは孤独だった。
インベルの隣に、サフィラスが立つ。
インベルの肩が、ぴくっと震える。
「そんなに警戒することないだろう」
「警戒してるんじゃないわ」
「じゃあ何?」
「緊張したの」
「どうして?」
問われて、どうしてだろうと思った。
サフィラスの顔を見る。
(あぁ、わかった)
この顔のせいだ。
この雰囲気のせいだ。
「サフィラス叔父様が、美しすぎるのよ」
女性的なのに雄々しい。
儚げなのに力強い。
楚々としているのに妖しい。
相反する要素が美しさを際立たせている。
サフィラスは、己の頬をつるりとなでた。
「そうかな?」
細く尖った顎。
陶磁器のような滑らかな肌。
髭の1本も生えていない。
「ええ、とても」
彫りの深い目。
高く、通った鼻梁。
小さな鼻翼。
薄い唇。
どこからどう見ても美しかった。
「たいしたことないと思うけど」
インベルは思わず笑った。
「サフィラス叔父様がたいしたことなかったら、この世にいるほとんどの人が不細工よ」
サフィラスも笑う。
「でも王族ってみんなこんな感じだろ? 僕にはどれも同じに見えるよ」
「とんでもない!」
インベルは少しオーバーなくらい否定した。
カルディア王家の者たちは皆、白に近い金髪に、真っ赤な瞳をしている。
背は低く、華奢な者が多い。
共通項だけ挙げればたしかに同じだろう。
しかしサフィラスは違った。
サフィラスのような美しさは、他の王族にはない。
そう力説してから、ふと気づく。
「あ、でも……。アウラは似ているかも……」
半分だけ血の繋がったひとつ歳上の姉は、サフィラスと雰囲気が少し似ている。
「まぁ、アウラの母は、僕の姉だからね」
そう言ったサフィラスは、どこか悲しげだった。
「サフィラス叔父様?」
「インベルは、アウラからクラウィスを奪うことに抵抗を感じているの?」
「え?」
「昼間の話の続きさ」
インベルは「あぁ」とうなずいた。
「まさか、本気で言ってるの?」
サフィラスが肩をすくめる。
「別に、君にその気がないなら勧めないよ。君が、王宮での立場を気にしていたみたいだから」
インベルは考えた。
「アウラからクラウィスを奪う……」
具体的に、声にも出してみた。
しかしピンとこない。
クラウィスはまだ9歳で、恋の相手には不足すぎる。
(あ、恋はしなくていいんだった。恋は、結婚して、子どもを産んだあとにすればいいって)
インベルはサフィラスを見上げた。
「僕が思うに、君が罪悪感を感じる必要はないんじゃないかな?」
「どういうこと?」
「例えば──。例えばだよ。例えば、君がクラウィスとの間に子どもを作る。そうすると、アウラはクラウィスの結婚相手でなくなると思うんだ」
「どうして?」
「だって、国王の娘が第二王妃っていうのは、少し外聞が悪いだろう?」
「まぁ、たしかに」
インベルの母が第二王妃でも問題なかったのは、母の地位が低かったからだ。
アウラは国王の娘。
この国の中で、最も位の高い娘。
(私も、国王の娘なのに……)
「アウラとクラウィスの婚約は、公式にはまだ決定されていないだろ?」
それが決まるのは、アウラが成人する15歳の誕生日だと聞いている。
「だからさ。婚約が成立する前に、君とクラウィスが子をなせば、アウラは別の人と結婚すると思うんだ。未来の国王と同じくらい地位の高い人と。だから君が気にする必要はないよ」
「そう……なのかな……」
「でも君は、自由になるにはクラウィスと結婚するくらいしか手がない」
「どうして?」
「だって、まがりなりにも君は国王の娘だよ。その辺の適当な貴族と子をなしたところで、結婚が認められるわけない」
「そうなの?」
「でも、クラウィスなら文句のつけようがない。男子を産めば尚更だ。だから君の相手は、クラウィスしか務まらないのだよ」
「そうなの……」
「アウラより先にクラウィスと子をなせば、君は正妃になれるんだ。追い出される心配なんてしなくていい。肩身の狭い思いをすることもない」
「そう……なの……?」
「そしてその後は、君は自由になれる。誰とだって恋ができる。愛し合うことができる」
「愛し……?」
「そうだよ」
サフィラスが微笑む。
「愛しい人と、愛を紡ぐんだ」
サフィラスの腕が、インベルの肩にかかる。
サフィラスの顔が近づき、インベルの唇にちょんと触れた。
インベルはびっくりした。
サフィラスはすぐに肩から腕を離した。
「この続きは、義務を終えてからだね」
「義務……」
「そう。王家の義務。カルディア王家の血を後世に残すための、大切な義務」
「子どもを、産むことね」
「そうだよ」
サフィラスは、インベルの頭を「良い子良い子」となでた。
途端に子ども扱いされている気がして腹が立った。
それなのに、お腹のあたりがほわほわと温かかい。
お父様にも、お母様にも。
こんな風に、頭をなでてもらったことはない。
サフィラスは何も言わずに立ち去った。
インベルは胸の鼓動が落ち着くのを待った。
細く、長く、息を吐く。
サフィラスのしたことをよく考えた。
唇が、唇に触れた。
(私、キスをしたんだわ!)
その途端、また胸が早鐘のように鳴った。
(サフィラス叔父様と……)
頬が熱くなる。
(どうして?)
頭の中は疑問符でいっぱいだった。
避ける隙もなかった。
あっという間の出来事だ。
でも、避けることができたなら、自分は避けただろうか──
(私、嫌じゃなかったわ……)
とても驚いたが、嫌ではなかった。
それどころか、またしたいと思った。
そう思った自分に驚いた。
(だって、必要とされている気がしたんだもの)
サフィラスがインベルにキスをして、得することなどひとつもない。
サフィラスはすでに王の弟という地位を持っている。
インベルなど必要とせずとも、王とのパイプは太い。
それなのに、インベルに構ってくれた。
キスしてくれた。
それは、インベルを必要としているからではないのか?
(必要? どうして?)
地位も名誉もある歳上の男性が、なんの価値もないインベルなんかをどうして──
(もしかして、私のことが、好きだから?)
そう思うと、胸が熱くなった。
鼓動が早くなる。
これ以上早くなったら死んでしまう。
でも──
この上なく嬉しかった。
(いやだ。これが恋なの?)
インベルは、恋に落ちてしまった。
いつの間にか、腹痛は治っていた。