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手袋とチョコレート

 両手いっぱいに向日葵を抱え、インベルは母の部屋に入った。

 母はどこかへ行っているらしく、部屋は無人だった。


 早く花瓶に生けてしまおう。

 お母様が戻った時に、綺麗な花があったらきっと喜んでくれる。

 お母様のために育てたと告げたら、どんな顔をするだろう。


 びっくりするだろうか。

 それとも喜んでくれるだろうか。


 母の反応を想像したら、わくわくした。


 部屋にある花瓶に向日葵を入れる。

 しかし花瓶はすぐに倒れてしまった。

 向日葵が大き過ぎるのだ。


 もっと大きな花瓶を探さなくては。

 しかし都合良くそんな物はない。

 どうしたものかと思案していると、部屋のドアが開いた。

 母が帰ってきたのだ。


(ええい。このまま渡してしまえ)


 インベルは抱えた花束を、母に向かって差し出した。


「お母様、おかえりなさい」

 母はインベルを見て驚いた。

「これ、お母様に差し上げますわ。私が育てましたの」


 大きな花束から顔を出すと、頬を打たれた。

 向日葵が床に散らばる。


「おかあ……さま……?」


 母は真っ赤になって震えていた。


「何をしているのです!」

「あの……お母様に……」

「なんですか、その手は! 泥にまみれて!」

「育て……たんです……。庭で……」


「花を育てたですって⁉︎ そのようなこと、王家の者がする事ではありません!」

「わた……私は……」

「あなたはそんなに母を悲しませたいのですか⁉︎ これ以上母を失望させないで!」


 インベルは何か言おうとした。

 しかし声は途中で消えた。

 しゅるしゅると小さくなり、口から出る頃には無くなってしまった。


 母はメイドを呼びつけた。

「早くこれを片付けて!」

 ヒステリックな声が響く。


 母の言った『これ』とは、向日葵のことだろうか。

 それともインベルのことだろうか。


 メイドはてきぱきと向日葵を拾い、あっという間に何も無かったかのようになった。


「陛下に見つかったらどう思われると思うのです。よく考えて行動なさい」


 母の声は厳しかった。

 インベルが何も言えないでいると、さっさと部屋から出て行った。


 ひとり、部屋に残された。


(あ、着替えなくちゃ……)

 泥だらけの姿を見られたら、また怒られる。

 手も洗わなくてはならない。


 正妃の子どもには、専属の従者がついている。

 従者は分家の中から選ばれる。


 インベルに従者はいなかった。

 分家の者に必要ないのだろう。


 隣にある自分の部屋へと入る。

 手を洗い、自分で服を取り出し、自分で着替える。


 自分で水差しからグラスに水を注ぎ、一気に飲む。


 汗をたくさんかいたから、喉が乾いていた。

 何杯も飲んだ。

 水差しが空になった。

 食堂へもらいに行かなければ──


 しかし足は動かなかった。



 その日の晩餐は気が重かった。

 晩餐は王族全員でとる。全員が集まり円卓を囲む。


 どこに座ってもいいが、インベルはいつも同じ席に座っていた。

 ホールの端の目立たない席だ。


 母はいつものように、父の隣に座っていた。

 甲斐甲斐しく世話を焼いている。


 正妃であるアグノティタは、もう何年も前に亡くなっている。

 だから、自分が正妃であるかのように振る舞っているが、誰からも話しかけられていない。


 ただひたすら一方的に、母が父に話しかけている。

 父はいつものように不機嫌だった。


 父の向かいには弟のクラウィスが。

 父を挟んで母の反対側には、姉のアウラが座っている。


 アウラは嫌そうにレバーパテをつついていた。

 そして何か思いついたように、父に話しかける。

 父が一言返事をする。

 アウラの顔が華やぎ、嬉しそうにはしゃぐ。


 その顔を見ていると、きりきりとお腹が痛んだ。


「食が進みませんか?」

 突然話しかけられインベルは驚いた。

 振り返ると、サフィラスがいた。


「後ろから話しかけるのがお好きなんですね」

 サフィラスがインベルの隣に腰掛ける。

「そんなつもりは無いんだけど。はい、プレゼント」


テーブルの上に可愛いパッケージの箱が置かれた。


「チョコレート?」

「約束の物だよ」

 サフィラスが手のひらをひらひらしてみせる。


(手袋か……)

 サフィラスから渡しても違和感がないように、チョコレートの箱に入れてくれたのだろう。


 お腹がチクリと痛んだ。


「もう要らないの」

「どうして?」

「お花を育てるのはもうやめる」

「喜んでもらえなかったの?」

「どうかしてたのよ。あんなこと、王族のすることではないわ」

「素晴らしいと思ったけどね」

 インベルは黙って首を振った。


「食事はもう済んだの?」

 皿に盛られた料理はほとんど減っていない。

 さっきからずっと、お腹が痛いのだ。

 チクチクチクチク。

 針で刺されるように痛い。


「食欲がないの」

 この痛みには慣れている。

 母に叱られた時。

 祖父に罵られた時。

 親戚に馬鹿にされた時。

 姉に憐れまれた時。

 いつもやってくる。


 無難に、平穏に、何事もなかったように振る舞っていると、痛みはいつの間にかなくなる。

 だから今日も、痛くなくなるのを辛抱強く待っている。


 なぜならインベルには、痛みを和らげてくれるものがないのだから。

 優しくなでてくれる温かな手はないのだから。


 自分で自分の腹部をぎゅっと握りしめ、痛みが去るのを待つしかない。


 すると、サフィラスが歌うように言った。


「外に出ようか」

「……外?」

「今日は暑いからね。きっと外は涼しいよ」

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