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大人だけの秘密

 真夏の太陽がギラついている。

 インベルは汗だくだった。

 汗を拭こうと思い、手が泥だらけなことに気付いた。


「暑いね」

 隣を見ると、サフィラスが額の汗を拭っている。


「あの、サフィラス叔父様……」

「なあに?」

「泥が……」


 サフィラスは自分の手を見て「おっと」と言った。

 サフィラスの額は泥だらけになっていた。

 ふたりして笑った。


 むせかえるような暑さのせいで、頭が沸いていたのかもしれない。

 インベルは、ぽつりと言った。


「私、王族として認められていないのよ」

「どうしてそう思うの?」

「だって、まだ婚約していないし。分家の出身だし」


「だから?」

「お母様はもっとそう。今はまだお祖父様の権力があるからいいけど。お祖父様が亡くなったらきっと王宮から追い出されるわ」

 それは、常々母が言っていることだ。


「私が男だったら少しは違ったのかしら……」

 それは、常々祖父が言っていることだ。

『お前が男だったら、国王になれたかもしれないのに』

 祖父は酔うと、必ずそう言う。


 サフィラスは懐からハンカチを出し、額を拭った。

 そしてそれをインベルに差し出す。


「手を拭きなさい」

「泥がついてしまうわ」

「もうついてるよ」


 額を拭ったハンカチは、すでに泥のシミがついている。


「ホントね」

 インベルはハンカチを受け取った。

 手についた泥を丁寧に拭う。

 しかし、拭いても拭いても泥は落ちなかった。


「ダメね。水で洗わないと。ハンカチをありがとう。洗ってからお返しします」

 するとサフィラスはインベルからハンカチを取り上げた。


「皇太子を産んだら?」

 サフィラスが言った。

 インベルは苦笑した。


「無理よ。お父様は、お母様を愛していないもの。今更子どもなんて……」

「お母様ではないよ。君が、だよ。皇太子を産めば皇后だ。王宮での地位は万全だね」


 インベルは驚いた。

「私が?」

 そして失笑した。


「無理よ。いくらなんでも、私がお父様の子を産むなんて」

 近親婚が当たり前の王族でも、流石に父親との婚姻は認められない。


「兄さんじゃなくて、クラウィスだよ」

「クラウィス?」


 クラウィスは、インベルと半分だけ血の繋がった弟だ。


「まだ即位はしてないけど、クラウィスは次期国王だ。クラウィスの子を産めば、未来の皇后の地位は約束される」

「クラウィスの……。でも、クラウィスはアウラと結婚することが決まっているじゃない」


「そんなもの、関係ないだろう。だって現に、君のお母様は、正妃のいる王と子をなして、第二王妃になったのだから」

「私に、クラウィスの第二王妃になれと言うの?」


 サフィラスは肩をすくめてみせた。

「さぁ?」

 インベルはぷっと頬を膨らませた。

「なによそれ」


 サフィラスは肩を落とすと、隣に置いてある向日葵の花弁に触れた。


「でも、こんな王宮の片隅の、全ての人から忘れ去られたような場所で、ちまちま花を育てているよりかはいいよね」


 インベルは萎れた。

「ちまちまね。たしかにこんな物、無意味だったかも」

「お母様を慰めるには充分だよ。でも、花を育てても、君の王宮での立場は変わらない。そう言っているのさ。それに、子を産み義務を果たせば、自由な恋愛が出来るよ」


「どういうこと?」

「おや、知らなかったかい? しまった。失言だったな。忘れてくれ」

「忘れてくれって言われても、もう聞いてしまったわ。無理よ。気になるわ。教えてちょうだい」


 サフィラスは「弱ったな」と頭をかいた。

「いいかい。これは本当は、大人しか知らないことだ。だから、子どもの君が知ってはいけないことなんだ。誰から聞いたか、誰にも言っちゃいけないよ」


 インベルがうなずく。


「絶対に内緒だよ」

「ええ。誰にも言わないわ」

「だったら──」


 周りには誰もいないのに、サフィラスはインベルの耳に顔を近づけ、小さな声で言った。


「王族は、生まれてすぐに許嫁が決まるよね?」


 低い声が耳朶をくすぐる。

(私にはいないけどね)

 そう思った。


 しかし高くもなく、低くもない声が心地よくて、耳を貸してしまう。

 艶やかでいて潤いのある声だ。


 インベルはその声を、耳たぶや、首の皮膚の薄いところで感じ、ぞわぞわした。


「結婚して、子どもを産む。これは王家の義務だ」


 子守唄のように、サフィラスの声が脳内に入ってくる。

 蕩けるように優しい声は、まるで甘い砂糖水だ。


「しかし、王族といえども恋愛はしたい。愛は素晴らしいからね」


 もっと欲しい。

 この甘くて幸せになるような感覚をもっと楽しみたい。


「だから、王族は結婚し子をなすと、自分の好きな相手を愛することが許されるんだ」

 そこでインベルは我に返った。


「そんなの聞いたことないわ」

「それは勿論、大人だけの秘密だから」

 サフィラスは、指を口元に当て

「しぃ」とした。


 ハンカチで拭ったものの、その手にはまだ細かな泥がついている。

 爪の間に詰まった泥を見る。

 インベルとは全然違う手だ。


 女性のように細くて綺麗な指をしているのに、とても大きい。

 お父様の手もこんなだろうか。

 インベルは見当違いのことを考えた。


「あなたは愛することを許された時、一体誰を選ぶのかな」

 口元に当てたサフィラスの手が動く。


「美しい瞳だね」

 インベルの目尻に、そっと触れる。

 サフィラスの指についた泥が、インベルの頬についた。


 ザラザラとした感触がする。

 真夏だというのに、サフィラスの手は氷のように冷たかった。


 その冷たさが、心地良かった。


 寄せた顔が近い。

 こんなに近くで人の顔を見るのは初めてだ。


 サフィラスは何歳だろう。

 インベルよりずっと歳上なのは間違いない。

 それなのに、赤ちゃんのようなすべすべの肌をしている。


 白に近い金髪が、太陽の光を受けキラキラ輝く。

 真っ赤な瞳が近づく。

 目が離せない。

 頭がぽぉっとする。


「その相手が、僕だと嬉しいな」


(あ、相手……?)

 胸がドキドキしている。

 汗が止まらない。

 頬が熱くなる。


 サフィラスは、ふっと微笑むと立ち上がった。


「それでは、また」

 サフィラスは中庭から去って行った。


 インベルが自分を取り戻すには、少々時間がかかった。

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