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揺らぐ余炎は朱に彩る


 「いつにも増して大人しかったな」


 「…………何を仰る! 元気ですぞ!? 今なら蕎麦10人前はペロリと食べられますれば!!」


 「いや………それはいつもだろ………ヨエン爺みたいなシャベリ方やめろよ。アタシと2人ん時くらい無理にテンション上げるなって」



 図書室での会合が終わった後。偶に二人で訪れる眺めの良い丘の上にシュトラは一人で来ていた。設置されたベンチに腰掛け、沈み行く夕陽を眺め、物想いに耽っていた。

 背後から声を掛けられても、特に驚く気持ちも無い。自分の許嫁は割と大雑把だが、こういった時には目聡い。自分の感情の機微に対してもそうだ。それを良く理解しているシュトラはヒサネが後を追い掛けて来る事くらい予想していた。



 「良かったな。友達が増えそうだ。アンタ好みの人間じゃないか?」



 断りもなく隣に腰掛けながら、ヒサネが穏やかに話す。

 この遠慮の無い距離感が心地良い。



 「…………そうだな」



 誰の事かなんて聞くまでも無い。丁度その男の事を考えていた。この目の前で沈み行く太陽の様な、暖かい心を持った男の事を。



 「誰かさんみたいにお節介焼きだ」


 「………………………迷惑だったか?」


 「()()()か? まさか! 今でもアタシの大切な想い出さ」



 そう心底嬉しそうに笑いながら話すヒサネの顔に、少しホッと胸を撫で下ろす自分が居る事にシュトラは気が付いた。

 お節介焼き。そう言われてシュトラが一番最初に思い浮かべるのは、今よりだいぶ昔。まだ、ヒサネよりも随分と背が低かった頃の事。

 思えばその時の話を こうして改めて話すのは初めてかもしれない。




 ・

 ・

 ・




 「真面目に生きなさい。お前は他の子よりも元々真面目な性格だ。生きる上で、時にそれが邪魔をする事も有るだろうが、それでもその真面目さはお前の美徳だ。真面目に、直向きに生きていきなさい」



 シュトラの父、アカトラの息子へ向けた言葉だった。ある日を境にガラリと変わってしまった己が息子を慮っての、背を押す為の言葉だった。


 物心ついた頃、気が付けば自分よりも背の高い幼馴染の少女の隣で、何の疑問も持たずに自分よりも大きい槍を一生懸命に振り回していた。

 元々実家が槍術の道場を営んでおり、周りはいつでも武道を嗜む大人達で溢れかえっていた。

 そんな環境に産まれ、誰に言われるまでもなく鍛錬に勤しむ大人達に混ざって槍を振り回すのは、幼いシュトラにとっては玩具で遊ぶのと変わらなかった。


 ただ、その遊び方は同年代の子供たちとは少し違っていた。


 ただ、直向きに

 ただただ、一生懸命に


 痛くとも辛くとも。汗を流しながら誰よりも真面目に取り組む。

 産まれつき真面目なこの男は、幼少の頃からそうして誰よりも真面目に生きていた。手を抜くという事を知らなかった。そこに、何の疑問も持たなかった。


 始めの内は周囲の大人達も、微笑ましい物を見る目で接していた。


 態度が変わり始めたきっかけは、道場に通う大人達の、その子供達から。


 いつだったか、道場が休みの日に同年代の子達に誘われて遊びに行った。先に公園に来て砂場遊びや鬼ごっこに興じていた子達と合流して、他の子供達に遊び方を教えて貰った。

 槍を振り回す以外に、こんなにも楽しい事が有ったのかと。シュトラは衝撃を受けた。初めての、同年代の子供達と興じる本物の〝遊び〟は、何も知らなかったシュトラを夢中にさせるには充分過ぎる程の魅力があった。



 そう、夢中になってしまった。



 悪癖 というと少し語弊があるのかもしれない。シュトラの父が言った様に、それはシュトラの美点ではある。


 しかし、まだ幼い子供達の目には、シュトラのその生来の生真面目さは殊の外不気味に写った。



 「なんだおまえ! ムキになっちゃってさ! きもちわりー!!」


 「…………えっ!?」



 鬼ごっこで鬼役になり、夢中で追い掛けていた時だった。

 道場での日々の大人顔負けの訓練で。既にシュトラは身体強化(ライズ)を習得しており、身体能力は同年代の子供達の中でも群を抜いていた。

 それでも手を抜くでもなく、その性格故に真面目に全力で追い掛けていた。元より幼い子供。そんな配慮などある筈も無い。

 元々表情は豊かとは言えないシュトラだが、何かに真面目に取り組んだ時のその顔は、シュトラよりも少しばかり年端のいかない少年にとっては鬼気迫るものがあった。

 その身体能力の高さとその顔に、遊びとは思えない恐怖を感じた少年は、必死で逃げたその先で躓いて転んでしまったのだ。

 膝を擦りむいて泣きながら蹲るその少年に駆け寄って介抱するグループの年長の子が放った一言は、幼いシュトラの心に突き刺さった。



 「ち、ちがうよ! 僕は……」


 「あ〜!! レンくんば泣かせた〜!!」

 「いけないんだ〜!! レンくんはいちばん小さいから優しくしなくちゃいけないのに!」


 「ちがうっ! ちがうよ!」


 「レンくんに優しくできないならおまえなんかとあそばない!」

 「そうだ! でてけ!」

 「「「でーてーけ!でーてーけ!」」」


 「ちがうよ…………ちがうのに…………」



 子供というのは、時に残酷で。

 人との付き合い方というものをまだ学び切れていない分、配慮や遠慮というものも知らずに。

 責めるべき物を見つけた時にもまた容赦無く突き放す。



 それは、誰が悪い訳でも無かった。



 年長の子は、自分が一番歳上だという事を幼いながらにきちんと理解していた。朧げとは言え、責任まで感じていた。

 だからこそ、誰かが虐められたり危ない目に遭えば、自分が護らなくてはいけないと、既に一端の男としての自覚を持ち始めていた。

 だから新参者のシュトラに対しても少し警戒していた。そして危惧していた事が起こり、過剰に反応して攻撃してしまっただけだった。


 集団心理という物は、年齢を問わずに存在する。その恐ろしさを知らない子供達は、ブレーキの掛け方もまた知る由もない。


 まだ精神的にも未成熟なシュトラには、何よりも苛烈な攻撃としてその心に深い傷を負わせた。


 何がいけなかったのかも解らない。


 いや、解ってはいた。


 誰かに怪我を負わせる事も

 自分より弱い者を虐める事も


 それは悪い事だという事は解っていた。

 そんな意図が無かったにせよ、今こうして自分よりも歳下の子を泣かせてしまった事はいけない事なのだと、そういう認識はあったのだ。


 だからこそ突然目の前で、自分の所為で。小さい子が転んで泣いてしまった事で、シュトラはパニックに陥り、呆然と立ち尽くしてしまったのだ。


 違う! そんなつもりじゃ無かった!


 年相応に、そんな言い訳が頭の中をぐるぐると巡って。そんな落ち着かない無防備な心に、年長の子の言葉が容赦無く突き刺さった。



 本当は、すぐに謝りたかった。事情を話して理解して貰いたかった。


 だが、それを冷静に言葉にして伝えるには、シュトラはまだ幼過ぎた。


 口から出てくるのは弱々しい否定の言葉。


 相手取った子供達からすれば、何に対しての否定と受け取ったのか…………それは単なる、自分が犯した罪を否定するだけの、言い逃れの言葉にしか聞こえなかった。



 訳も分からず、パニックのまま集団で責められ、罵られ。


 シュトラは物心ついてから初めて泣いた。泣きながら家に逃げ帰った。



 「あら? あらあらあら珍しい。どうしたのシュー君そんなに泣いて!あんまり涙流すと干からびちゃうわよ? ただでさえ属性偏向が火で乾燥気味なんだから」


 「〜〜〜〜!! コサネおばちゃん!」


 「おっとっと。よーしよし。大丈夫よ〜大丈夫大丈夫。ホントに珍しいわねぇ今日は槍でも降るのかしら?」



 この日、両親は急用で出ており、帰ってくるシュトラの面倒をヒサネの両親に頼んでいた事など知らないシュトラは、逃げ帰った先に居た、口は悪いが優しい慣れ親しんだおばさんに飛び付いた。



 「ぅ゛ぅ゛………うぇ〜〜〜〜ん」



 己の母よりも少し柔らかいその胸元に掻き抱かれて安心したシュトラは堰を切った様に、泣き疲れて眠るまで泣いた。


 ヒサネの両親がそこに居るという事は、ヒサネも当然そこに居る訳で。 他人の母親に思いっきり甘えるその姿を幼馴染の少女にバッチリしっかり見られてしまったのはシュトラにとっては不運としか言いようが無い。



 泣きに泣いて疲れ果てて目が覚めたのはあくる日。もう日は登り切っていたが、事情を聞いたシュトラの両親は、敢えて起こさず寝かせておいてくれたらしい。

 目が覚めたのは、自宅に併設された道場の門の方から声が聞こえたから。



 「……………おとうさん?」



 声の主は、父と誰か。

 眠気眼を擦りながら声のする方へと歩み寄った。時折聞こえる自分の名前に、何か不吉な物を感じて、そろりそろりと静かに近付いた。



 「しかしうちの子がその様な事をしたとは考えたくないのだが………」


 「それは勿論です。先程も申し上げた通り、我が子も少し言い過ぎたと反省しておりました。シュトラ君がわざとやったとは私にも思えませんし、あんな〝真面目〟な子がその様な事をするとは思いたくもない。しかし問題はそこにあるのです。状況を考えるに、わざとやったのでないのなら、考えられるのは……………師匠もお解りではないのですか」


 「……………真面目さ故に……か。遊びという物を教えなかった事がまずかったか」


 「…………一概には言えんでしょう。シュトラ君を見ていれば解ります。大人に混ざり鍛錬に励む事もまた彼は楽しんでいる。彼にとってはそれもまた遊びなのではないかと思うのです。しかし楽しみ方が………その…………」


 「うむ、構わん。〝特殊〟ではあろう。あの子は何かに真面目に取り組む事をこそ楽しんでいる節がある。此度の事もまた、追いかけっこに大真面目に取り組んだ結果の事と言いたいのだな」


 「……………ええ。師匠がそれもまた良しとしている事は存じております。私もそれは理解できる。彼の直向きさは美徳だ。しかし、そう見れない者が居るのもまた事実。今、門下生の中でシュトラ君がどう思われているのか………師匠もお気付きでしょう」


 「しかしだな…………」



 「あら、起きたんだ、泣き虫シュトラ」


 「うわっ! ……………なんだよヒサネか」



 襖を少し開けて、父親と師範代の会話を盗み聞きしていると、背後から忍び寄って来た幼馴染の少女に驚かされた。



 「泣き虫ってなんだよ」


 「泣き虫じゃない。昨日あんなに泣いちゃって。なっさけな〜い!」


 「だまれよ」


 「なにしてたの?」


 「かんけーないだろ」


 「なになに? あれ? あ〜っ! 盗み聞きしてたんだ〜! おばさんに言ってやろ〜!」


 「そんなんじゃない!やめろよ!」


 「おばさ〜ん! あのね、泣き虫シュトラがね〜!」


 「おい! …………もぉ〜〜〜!!」



 シュトラにとって幸か不幸か。悪戯を告げ口しに行ったヒサネを追い掛けて行った事で、この時自分が門下生達からどう思われているのかを聞く事が出来なかった。どの道聞いたところで、年端のいかない少年が理解できる程単純な話ではなかっただろう。しかし何も解らない無防備なまま悪意を向けられるよりは………………



 数日後。

 何故か暫く道場に寄るなと父から言われ、自室で退屈な日々を過ごしていた。



 「シュトラ! 道場にいくわよ!」


 「え……? でも………」


 「だいじょうぶよ! アカトラおじちゃんもいいって言った!」



 正確には、〝言わせた〟だった。

 ヒサネの両親が、シュトラの現状について話をしているのを盗み聞いて知ったのだ。シュトラの事を告げ口する資格など ヒサネには無い。


 ともあれ、ヒサネとしては泣きじゃくるシュトラを見て、少し思うところがあったらしい。私がお姉ちゃんとして、自分よりも背の小さいこの男の子を護らなくてはならない と。


 このまま道場に顔を出さなければダメになる。そう思ったヒサネはシュトラの父を説得。『何があってもわたしがまもるから!』と。必死に訴えるヒサネに絆されて許可を出した。



 ヒサネに手を引かれ、久々に道場へと足を踏み入れる。



 道場の空気が変わった。



 始めの内は解らなかったが、次第にシュトラも感じ始める違和感。

 大人達からの視線が突き刺さる。


 実はここ暫く、シュトラの才覚が開花し始めていた。

 開いた才能はその直向きさに後押しされ、槍術に於いてもその試合に於いても。流石に師範代クラスとはいかなくとも、高弟達となら互角に闘えるレベルにまで達していた。


 そうなると面白くないのはシュトラに負かされた門下生達である。


 始めの頃こそ微笑ましく見守っていた大人達も、道場の主人の息子とはいえ、いざ幼い子供に負け始めると尊厳を気にし出す。


 「まぁシュトラは頑張り屋だから」

 「おいおい手加減し過ぎだぞ」


 そんな風に笑っていた大人達も、負けが混み始めると表情が変わって来た。


 中には幼い少年相手に本気を出し始める者までいる始末。


 それでも…………気付くのが遅かった。


 シュトラの才能と、愚直なまでの真面目さは、既に彼等の手の届かない所までシュトラを運んでいたのだ。



 門下生全員が槍術に対して真摯に取り組んでいるか と問われれば

 そんな事もないのが実情というもので。


 道場に通う武闘家の何割かは〝強く成りたい〟ではなく、〝強く見られたい〟と思っている。いや、決して口には出さない。そんな事は尊厳や体裁を気にする者にとってはあまりにも恥ずかしい台詞だ。深層心理として、そう思っているのだ。

 〝かの高名なホムラ槍術道場の門下生である〟と。他の者からの羨望の眼差しが心地良いと感じる者達も集まっているのだ。

 その様な心意気で挑む高みなど その実力など。高が知れているというもので。

 〝自分は高名な道場の門下生だ〟というプライドだけは一端の人間が混ざっているのは救いようの無い事実。


 そんな者達が、年端も行かない幼い少年に敗けている


 許される事ではなかった。そんな醜聞を誰かに知られる訳にはいかなかった。

 彼等の小さな自尊心が、幼い少年に牙を剥いた。



 「見よ………少しばかり強くなった程度で鼻を高くして………」

 「この場を何と心得るか。我が物顔で闊歩しおって」

 「自分よりも歳下の少年を痛めつけたそうだ」

 「許される事では無いぞ!武道家の風上にもおけん!」



 それは一体全体誰に当て嵌る話なのか。

 プライドを守る事に必死な大人の足掻きは、易々と自分の事を棚の上に上げて見せた。


 責める材料さえあるなら何だって良かった。幼い少年にさえ勝てないみっともない自分達の名誉を守れるならそれが何であれ責め切ってみせる。

 その気持ちを少しでも自分を高める事に向けられたのならどれだけ彼等は強くなれただろうか。進む方向を間違えた覚悟はどこまでも堕ち行く。



 シュトラは、訳が分からなかった。難しい言葉を自分に向けられているのは解った。それが自分を責めているのだという事も敏感に察した。


 しかし、何故こんなにも悪意を向けられているのか。いくら考えても解らなかった。


 思い出すのは数日前、何を言う事も許されず、ただただ責め立てられたあの肝が潰れる様な感覚。



 足が竦む

 身体が震える

 視界がぼやける



 そもそも、だ。

 誰と比較するでもなく、黙々と自分を磨いていたシュトラは、あまり他人に頓着があるとは言えなかった。誰が強いかどころか、勝ち負けにすら興味が無かった。高弟の何人かや師範代の様に、懸命に努力する者達ならば尊敬もしていたし、だからこそ名前も顔も覚えていた。だが、小さい自尊心に縋り付き、努力を怠る者達の事など、門下生だろうと顔すらも覚えていなかった。

 嫌悪していたか?

 いいや違う。興味すら無かった。嫌う以前に目にも意識にも入っていなかったのだ。


 そんな顔にすら覚えの無い、知らない大人達から向けられる威圧と負の感情に、シュトラは心底震え上がった。子供達からの罵声は、その感情はただ、自分達を護るための過剰防衛であって、そこに悪意は無かっただけまだましな方だった。

 


 思えばシュトラの激しい人見知りの始まりは、ここだったのかも知れない。



 「……………!! 貴様らァ!!───っ」



 当然、人格者は黙っていない。ウスイ武具操術道場門下生並びに師範代の数人は色めき立つ。声を荒げたのはあの子供達の年長マサツグ君の親である、ホムラ槍術道場師範代。

 しかし師範代は言葉を途中で呑み込んだ。


 目の前に翳された手を伝い、伸びるその元へと目を移す。



 「待て、マサイチ」


 「師匠! ───ですが!」


 「少し様子を見よ」



 アカトラは、元より気付いていた。

 シュトラの才能にも

 その愚直さと危うさにも

 門下生達の鬱憤とその情けなさにも



 当然何もしなかった訳では無い。

 道場の当主として、すべき事はしている。シュトラを少しばかり道場から遠ざけたのもまた、そうした〝調整〟の一環だった。

 だが、全てをどうにかしようとする人間でも無かった。この世界に産まれ、理を解している者達は皆そういった心構えを持っている。


 最低限の干渉はするが、自然の摂理のままに。


 人の感情 悪しき感情もまた自然の摂理。


 無理に抑えつけて調整を行っても良い結果には繋がるとは限らない。

 そのまま腐ってしまうのか。これを期に一念発起して一皮剥けるか。

 体裁や自尊心ばかり気にする彼等が、シュトラの実力を前にどうするのかというのも試していたのだ。


 そして何より、シュトラ自身の為に。


 遅かれ早かれ、シュトラの性格ではいずれ()()なる事など目に見えていた。

 辛い思いをするかも知れないし、心に大きな傷を負うかも知れない。

 それでも、息子にとってはそれは大切な過程であり、乗り越えた時には大きな糧になる。

 そう信じて口を挟みたい衝動を抑えていた。とは言え、アカトラもまた人の子であり人の親。親心から少しでもショックを和らげたいと願い、もう少し熱りが冷めてからにしようと、シュトラを道場から遠ざけていた。


 そんな時だった。

 一人の少女が自分の所を訪ねて来たのだ。



 「アカトラおじちゃん、 最近シュトラはどうしてたんれんをしにこないの?」


 「おや、ヒサネちゃんかい。う〜〜む………どう説明したものかな」


 「だいじょうぶよ、おじちゃん! オトナのじじょうっていうのはヒサネだってわかってるから! だからおじちゃんは『ありのまま』をヒサネにおしえてくれればいいの!」



 最近どうやら〝お姉ちゃん〟に目覚めたらしいヒサネに、微笑ましくも苦笑いを噛み殺しきれないアカトラ。

 有りのままなどという言葉を何処で覚えて来たのやらとか。

 どうやら既に事情を知っている様子に、カマヒゲとコサネの会話を盗み聞きしたのだろうとか。


 色々とツッコミを入れたい衝動を一先ず置いて、おませなヒサネの言うがままに話をしてみた。



 「そう………やっぱりそうなのね。あのね、おじちゃん」


 「うん? どうかしたかい?」



 腕を組み、顰めっ面を造って見せるヒサネに、なんとか笑いを噛み殺しながら優しく問う。



 「あのね、ヒサネはね、このままじゃダメだと思うの」


 「……………! ダメ……かい?」


 「うん! このままお部屋からでてこなかったら、シュトラはダメになっちゃうと思う」


 「そうだね。ダメにならない為にはお部屋から出なくちゃならないね。でもどうしようか? お部屋から出て道場に行ったら、シュトラはきっと虐められてしまうよ?」


 「だいじょうぶ。ヒサネがシュトラをまもるから!」


 「…………! ふふ! そうだね、お姉さんだもんね」


 「うん! だからね、おじちゃん。あしたシュトラをごうどうげいこにつれて行かせて?」


 「…………ふむ。……………そうだなぁ。ヒサネちゃん、シュトラを頼めるかい?」


 「うん!!」



 『このままではダメ』。それはアカトラとて同じ気持ちだった。それをこんな幼子に諭される。


 アカトラの心には、屈辱の気持ちなど塵一つ積もらない。


 今湧き上がるのは、ただひたすらに暖かく心を包む歓喜の感情。


 ホムラ槍術道場とウスイ武具操術道場は、遥か先代まで遡りライバル関係にあると言う。

 しかしそれは決して歪み合う関係では無く、互いに切磋琢磨し合える良き関係が代々築かれて来た。

 今代のアカトラとカマヒゲは特に実力伯仲で仲も良く、常日頃から家族絡みの付き合いをしている程だった。

 そうなってくると、同時期に産まれた息子のシュトラと御息女であるヒサネは幼馴染として過ごす事が自然になる。

 その関係は当然、互いの親と子も親密になるもので。

 互いの両親が互いの子を自分の子よりも可愛がり甘やかすという不思議な構図が出来上がっていた。


 そんな実の息子以上に目に入れても痛くないヒサネの成長が何よりも喜ばしいと感じるアカトラ。

 一抹の不安は残るものの、ここは一つ任せてみるのがヒサネにも、またシュトラにも。人としての成長が見込めるというのも事実。失敗したとて、それはそれで得るものはあるだろう。

 そう思い、カマヒゲとコサネにも話を通して臨んだ今日この日。


 得てして、予想は現実となり、息子は責められその身を縮こまらせて震えている。そしてヒサネは───



 「くっだらなーい! シュトラも怖がっちゃってなっさけなーい!」


 「…………っ! だって………!」


 「だってもなにもないでしょ! じぶんよりも弱いひとたちにおこられたくらいで! それともなに? また泣くの?」



 ヒサネが選んだ道は、挑発。それも、()()に向けて。

 『自分よりも弱い人達に』。敢えてそう言った。自我の成長著しいヒサネは、カマヒゲやアカトラ達の思っている以上によく考え行動し始めている。

 道場を営む両親やおじさんおばさんと慕う者達を観て、人を導き育てる事のなんたるかを正確に把握していた。そしてその意を汲む為に、畏れを隠して挑発した。


 〝このままではダメになる〟


 それはシュトラに向けてだけの話では無かったのだ。幼いながらに、他者や 殊更に弱い者を虐げるその行為の未来(さき)の乏しさを嘆くその心は一人の少女を突き動かした。



 大人達が、取り分けシュトラを虐げる発言をしていた者達が色めき立つ。闘気すら放つ者まで出始める。


 たまらずに動き出すのは高弟や師範代達。


 しかしそれよりも早く動き出した小さな勇者が2人。



 「そ、そうだよ!! いまみんながやってることだって弱い者いじめじゃんか!! そんなのだめだ!!」


 「………っ………っ!」



 敵意に晒されたシュトラが

 それを庇う様に前に出たヒサネが




 震えていた




 周辺の子供たちのリーダーだったマサツグは、シュトラの件を境に、強さを欲した。親に似て責任感の強い彼は、いざという時に誰かを守れる様に。堂々と立ちはだかり止める為の力を欲して道場の門を自ら叩いた。シュトラの一件、それを彼なりに反省し、必死な故にシュトラを攻撃する事しか出来なかった自分を恥じた。更には今、道場に通う様になって一目惚れしてしまったヒサネが勇士を見せている。自分はその背中を見ているだけなのかと良心に問われ、考える間も無く飛び出した。


 レンは気弱だが好奇心のある少年だ。子供達のグループの中では最年少で、マサツグが造ったルールの元、皆に優しくされながらのびのびと過ごしていた。そんな中、シュトラという未知の生物が遊びに来た。未だかつて感じた事の無かった、生物としての恐怖。遊びの最中に恐怖を抱いた相手が、後で震えながら謝りに来た。あんなに怖かった相手が、随分と小さく見えたのが不思議だった。レンは歳こそ一番下かつ気弱ではあったが、頭は良かった。アカトラがレンの親に事情を説明して謝罪をしているのを聞いて、あの時何があったのかを正確に把握していた。

 今、目の前で小さくなり震えている未知の生物が、恐ろしい存在では無く、興味の対象になった。自分と同じく、何かを恐れて震える少年は、ただただ真剣に遊んでいたのだと理解した。

 自分が気弱だという事も理解していたレンは、同じく気弱な彼が、あんなにも強大な存在に感じた事とその真面目な性格、槍術道場に通っているという事実を結び付けて考えた。

 レンとて男の子だ。自分も、もしかしたら彼くらい強くなれるのかもしれない。

 そう考え、親に頼み込み、シュトラと同じ道場に来てみた。

 その憧れた彼が、泣きそうになって震えている。ここで動かなかったら、勇気を振り絞らなかったら。今までと同じ弱虫のままだ。

 レンはマサツグよりも早く動いていた。



 震えるシュトラを ヒサネが庇い、並び立ってレンが立ちはだかり、それを隠す様にしてマサツグが両手を精一杯広げる。



 「シュトラがレンを泣かせたのはわざとじゃない! ちゃんとあやまった! シュトラだってはんせいしてる!!」


 「ぼ、ぼくが! ぼくが弱虫だったから! だからシュトラくんはわるくなくて………!」


 「あんたたち! どきなさいよ!」


 「やめて! みんなあぶないよ! ヒサネもみんなもやめて! ぼくのせいなんだ! それなのにみんなが怖いおもいをするのは嫌だよ!!」



 現状に誰よりも焦りを見せたのはシュトラ。

 自分を巡ってのトラブルだというのは解っている。そのせいで誰かが恐ろしい目に遭うくらいなら自分がその責を負いたかった。



 「なによ! 泣き虫シュトラはだまってなさい!震えてるじゃない!」


 「ヒサネだって震えてるっ!!」



 シュトラの目にはしっかり写っていた。強がって挑発してはいるものの、隠し切れない身体の震えがその脚に現れていた。

 誰の為に恐怖を押し殺して立ち塞がっているのか。そんなもの考えるまでもない。何よりも自分の所為で親しい誰かがそんな想いをする事だけは、シュトラには許せなかった。



 

 「………………………ふむ。あまりに情け無くはないかのう?」




 混沌とし始めた状況に釘を刺したのは、アカトラより前、先代からの門下生である壮年の男だった。

 その男は、決して槍術に長けていた訳では無かった。ついぞ、高弟と呼ばれる事も無く。師範代の地位など夢のまた夢。それでもその男はこの歳になるまで道場に通い続けた。



 「片や誰よりも一生懸命に槍術に、人生に。真面目に向き合う幼子とそれを庇う友人達。片や己が尊厳や体面ばかりを気にする厚みのない大人達。お主ら少し頭を冷やさんか。客観的に観てみよ。あまりにも情けなくはありゃせんか」



 そう告げながらマサツグの前まで歩み出る。


 誰も 何も言えずに居た。


 その男が、どれほど真摯に槍と向き合って生きて来たのか、全員が知っていた。地位は築けず、それでも尚、未だ現役で旅人として活動し、誰よりも真剣にこの世界で生きて来た男の言葉に。その説得力に。異論など挟める者など居なかった。



 「シュトラ殿、其方の真摯さは誰よりも輝いておる。下らぬ戯言でその輝きを曇らせる事など無かれ。ヒサネ殿、その意はこの老いぼれにはしっかりと届きましたぞ。何も間違ってはおらぬ。胸を張りなされ。マサツグ君、レン君。儂は感激しましたぞ!脱帽じゃ! 何が気弱か。二人の勇敢な姿を この老いぼれは生い先短い生涯でも忘れる事はなかろうて」



 周囲がどよめくのも意に介さず、地に膝を着き、幼き者達へと首を垂れる。



 「ヨエン殿!! おやめ下さい!!」

 「何をなさっておいでですか!!」

 「なんという………!」


 「黙れ小僧共!!」



 誰も、稽古以外でヨエンのこんな大声を聞いた事が無かった。



 「シュトラ殿、ヒサネ殿。この老いぼれが至らぬ者共の代表者として、ここに心よりお詫び申し上げまする。自尊心に縋る事しか出来ぬ不甲斐なき我等をお許し頂きたく存じます。どうか………!」



 額を地面に擦り付けるヨエンを 神妙に見詰める師範代や高弟達。ヨエンはこの場を治める為だけではなく、心より詫びをしているという事を解っていた。しかしそれはヨエンという男の責では無い事は明らかで。高弟未満の門下生達、特に此度積極的にシュトラを責めた、未だ自分の行いを省みる事の出来ていない未熟な同胞達を嘆き、見るに耐えなく代わりに謝罪を述べているという事も解っていた。

 下唇を噛み締め俯くのは一喝された者達。彼らは蹲るヨエンを観て何を思うのか。


 ヒサネは、ホッと胸を撫で下ろす気持ちだった。思い切って挑発したは良いが、思ったよりも反応が苛烈だった事に焦りを感じていた。


 そしてシュトラは…………………






 激しく動揺していた。






 父と同じくらいに尊敬するこの道場の年長者が、位も年齢も遥かに低い筈の自分達に土下座をしているというその光景にショックを受けていた。

 自分のしでかした浅はかで思慮の掛けた行動の顛末の咎が巡り巡って、誰よりも真面目で尊敬していた壮年の男性へと廻ってしまった。 つまりは自分の所為で、自分にとって偉大な人が頭を下げている。その事実が、何よりも悲しかった。



 「もうよいでしょうヨエン殿。その責は貴方が背負う者ではありません。顔をお上げください」



 道場主のアカトラにそう言われてはヨエンも従う他無い。それでも精一杯の誠意として、暫し頭を下げ続けた。



 「此度の件、特に誰かに罰則等を設けようとは思わん。しかしだ。思う所のある者も居るだろう。この機に少し己を見つめ直すように。さぁ、折角の合同稽古だ。そろそろ始めるぞ」


 「「「 はっ 」」」





 この日を境に、道場の空気が少し変わった。

 ある者はホムラ槍術道場を去り、別の槍術道場へと向かった。

 ある者は少年少女達の必死の訴えを観て、ヨエンの見せた姿に諭され、己を恥じ、心を入れ替える事を誓い、今となっては下らないと見下げる自尊心を捨て去り、シュトラやヨエンを手本として懸命に稽古に励み始めた。



 そしてシュトラも 変わった。

 変わってしまった。



 顔も名も覚えていない大人数から向けられた悪意の篭った視線は、幼いシュトラの心に深い深い傷を付けた。慣れ親しんだ者を除いて、極端に人を恐れる様になった。他人と接するのを恐ろしく感じる様になった。


 極度に人見知りをする様になり、知り合いの背後に隠れる様になった。



 そして、シュトラなりに反省をした。


 興味が無いから人の顔も名前も覚えていなかったが、それは失礼な事だと気付けた。些細な事ではあるが、それもまた彼等のプライドを刺激したというのは事実。それを直すのは良い。そこまでは良かった。


 その他にも反省をした結果、シュトラは不真面目になった。いや、それもまた少し違う。

 依然としてシュトラは真面目に考え、真面目に努力をしている。

 ただ、表面上。誰かと接している時に真面目さを隠す様になった。稽古をサボり、試合では手を抜き、全力を出す事をしなくなった。

 その分を取り戻す様に、朝早くに駆け足と筋力トレーニング、素振り等。誰の目にもつかない様気を付けながら。


 二度とヨエンのあんな姿を見たくない。

 二度と誰かに自分の尻拭いをさせたくない。


 此度の一件、元を辿れば自分の性格が招いた事。何も考えていなかった。配慮が足りていなかった。ただ無我夢中に生きていれば二の轍を踏む。

 一生懸命に生きる事は止めるつもりはない。それが間違っているとは思えない。それでも、体裁という物を少しは考えるべきだ。



 そう考えたシュトラはもう止まらない。大真面目に〝不真面目〟を演じ始めた。

 真面目に生きる姿を人に見せる事を禁じ、巫山戯た態度を取り始めた。



 下らない、差し障りの無い冗談を普段から言い、おちゃらけた姿を見せて、人当たりを良くする。

 そうして少し柔和に成れば良かった筈なのだが、やはりシュトラは真面目過ぎたのだ。

 〝不真面目〟に対して、全力で取り組んでしまったのだ。



 かくして、シュトラの人を喰った様な剽軽な態度と極度の人見知りという性格が形成された。




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