あの日過ぎ去りし風は今も尚行方は知れず
「ヴェンティ様」
レヴィン・シルヴァリア。
ファルヴェの従者であるこの男が、塞ぎ込んでしまったヴェンティの部屋に来て、机に両肘を載せて俯くヴェンティに呼び掛ける。
「…………レヴィン?…………なに?」
「…………気は晴れませぬか」
「……ほっといてよ」
ファルヴェは………一時落ち着きを見せたかに思えたある一件の対処に追われていた。ヴェンティが何か落ち込み、塞ぎ込んでしまっているというのはレヴィンから聞き及んでいた。だがその一件が、自分のみならず最愛の孫にまで危害を加えかねない物とならば、どうしてものっぴきならないと。
ヴェンティの様子を観に来る暇すらも与えられずに方々で動き回らざる得ない状態だった。
だから代わりに。レヴィンはこうして時折ヴェンティの様子を窺いに来ていた。
だが。
今日こうしてレヴィンが来たのは別の要件。
「そう仰るのであらば、私としましては待つのも吝かでは御座いません。ですがヴェンティ様、2日後に行われる〝歓待式〟には出席なさる様準備の程を」
「歓待式?」
「左様で御座います」
歓待式。
上級貴族であるルドラシア家がとある者をある要件でお呼びし、その者を主賓として迎え入れる事を大々的に世に知らしめる為に催すパーティー。文字通りに歓待する事を謳う式。
誰を?
主神 イルダーナ
並びにその依代 マツリ・I・フラクシア
この世界の 主神である。
「シュヴァル様がルドラシア家として、イルダーナ様と依代であらせられるマツリ嬢を ルドラシア家へと招かれました」
招いた と言えば聞こえは良いだろう。
上位の貴族や王族を自身が催すパーティーに招く事などはままある話ではある。
此度、シュヴァルが行ったのは謂わば〝呼び出し〟だ。用があり、その必要もあっての事とはいえども、いち貴族がこの世界の主神を 〝神〟を。
自領へと呼び出すというのは中々畏多くて出来ない事。
だがシュヴァルは呼び出し、そしてイルダーナがそれに応じた。
「〝ルドラシア家〟としてイルダーナ様をお呼びした以上、ルドラシア家の末子であるヴェンティ様にも出席の義務が御座います。如何なる理由があれど欠席は認められませぬ」
「…………わかった」
自分は本当にその〝ルドラシア家〟の一員なのか。ならば彼等の〝仲間〟と認められなかったのは何故なのか。〝仲間〟とは何なのだ。
ここ暫くずっと考え続けていたそんな疑問が口から溢れそうになるのを堪えて、了承の意をなんとか絞り出した。
その〝義務〟を無視してでもヴェンティが欠席していればもしかすれば…………………否、たら・ればの話をすればキリが無い。どの道ヴェンティは出席した。〝出席しない〟という選択肢など、元より存在しないからこその〝義務〟なのだから。
・
・
・
2日後。
主神・イルダーナ来訪の日。
それはルドラシア家とその分家総出で仰々しく出迎えられた。
最近拵えられた贅を尽くした貴賓館付きの別邸の庭に整列するルドラシア家の面々には緊張が滲む。
ゆらり───と。誰も居なかった門前に突如一人の騎士が現れた。
門前にて待機をしていた侍女が動揺に揺れる。
それを無視して、現れた騎士は勝手知ったるかの様な素振りで門番の対応を待たずに門を開け放ち、堂々と敷地に入って来た。
何事か! と俄にざわめくのはルドラシア家の、特にシュヴァルの取り巻きの下級貴族達。
その他のルドラシア家の面々や近隣の領地を治める上級貴族の領主達には動揺は見られない。
それは不躾ともとれる行いをした女騎士の、その軽装とも言える簡易な鎧の拵えられた騎士の礼服から、その意匠や刻まれた紋章の意味から、どういった身分なのかを理解していたが故に。
「イルダーナ様のご来訪です。跪きなさい」
冷たく澄んだ声音が唐突に現れた騎士から発せられる。
直ぐ様跪き首を垂れる上位貴族の面々。それに倣う様にして他の者達も跪く。
唐突に現れた騎士と同様に、ふわり───と。
翼の生えた純白の馬二頭に引かれた馬艇が現れた。
馬の嘶き、蹄音。
車輪が無く、重力魔導で地面より少しばかり上を浮かぶ馬艇の威容だけは、跪き首を垂れる者達には感じられない。
蹄音が庭の半ばまで来た所でピタリと音が止む。
次いで誰かが馬艇から軽やかに降り立つ音。その足が数歩だけ整えられた芝生を踏むと、静かにドアが開かれる。
「お手を。イルダーナ様」
「ん」
トスッ
気の抜けた返事と芝を踏む軽い音。
されどこの場の全ての人間が感じたのは深い神気。
紛れも無い。
この世界の主神が、この場に顕現した。
「…………………はぁ〜〜」
深いため息。
主神の口から最初に放たれたのは不快さ不愉快さ、不満や呆れ。あらゆる負を孕む物だった。
場に緊張が走る。
すわ、何か不手際が!? と。 とりわけ前列で跪く領主や家の主人格達の額に汗が滲む。
が、そんな不安や焦燥を他所に、イルダーナは不満気な雰囲気を隠しもせず、傍に控えた先程イルダーナの手を取った騎士に言葉を投げ掛ける。
「これは何?」
「決まっているではありませんか。貴方様をお迎えするにあたって最上位の敬意を払うのは当たり前の事に御座います」
「仰々し過ぎる。歓待の気持ちは嬉しいけどあまり大々的にする必要はないからと伝えて、と私は言った筈」
「しかし我が君、此度は畏れ多くもルドラシアの若造が貴方様を呼び付けたのです。以後同じ様な不敬な輩が妙な野心を持たぬ様に───」
「それはあなたとルドラシアの次男やその取り巻き達との駆け引きの話。私と他の人達を巻き込まないで」
「───ですが『火急の用がある』と貴方様や我らをルドラシアの次男坊が呼び出したのは確か。そんな事柄にわざわざこうして我が君が御足労なさると言うのは───」
「それもまたあなたとシュヴァルヴェンの間での互いの思惑の話」
巻き込まないで。
ピシャリと側仕えの騎士の言葉を終わらせる神の御言葉。
「今回私がこうしてシュヴァルヴェンの呼び掛けに応じたのは、ルドラシアの現当主との共通の古い友人に会いに来たに過ぎない。久々に様子を見に来たかった所に丁度良くシュヴァルヴェンからのお呼びの声があったからついでにそれに応じただけ。私にとっての主題は友人の顔を見る事。ただの慰問と思って欲しい。皆、頭を上げて。跪く必要など無い。立って楽にして」
一転、申し訳なさそうな、労う言葉にルドラシア家の者達も来訪者達もほっと息を吐き、少し戸惑いつつも立ち上がる。
「それで良い。準備をしてくれてるのはよく解った。形式を軽んじるつもりは無いから。歓待の儀もあるだろうからそういった堅苦しい事をさっさと終わらせてしまおう。案内してくれる?」
執事長として最前列に待機したレヴィンに声を掛ける。
恭しく頭を下げるレヴィンに対し、自分に案内を頼まれなかった事が不満な男が鋭い視線をぶつけていた。
そも、ここはルドラシアの迎賓館。警護にあたり屋敷の間取りや詳細な見取り図を頭に叩き込んであるとは言え、この男がエスコートする所以も元から無いというのに……
〝主神尊一教ブリリアンス〟の保有する戦力の内の最高戦力、〝神衛隊〟。
その第一部隊〝盾〟の副部隊長 ドム・クルセイス
ブリリアンスという宗教団体自体が世に言う狂信者の類の者達の集まりだが、この男もまた例に漏れない。
・
・
・
出鼻から挫かれ、少々不穏な空気の漂った歓待式だが、その後はつつがなく終わり、イルダーナが希望していたファルヴェとシルヴィアとの会談も叶った。
そして……シュヴァルが予てより申請していた、主神イルダーナと………寧ろシュヴァルの狙いとしては主に神衛隊に対する陳情報告の為の面談もまた、叶ってしまった。
内容としては『代行者でも無い分際で、神の御意志を騙る身の程知らずへの裁定を』という異端審問の提起。
イルダーナが、不敬や不遜に対してあまり頓着が無い事は有名な話だった。そんな問題の提起も軽くあしらわれる事も十分に考えられた。
だが。
ブリリアンスの連中は違う。
だからこそ。
こうして大々的な歓待を催してまで呼び付けたのだ。
仮にブリリアンスにも声が届かなくとも、〝そういった事があった〟という事実さえ拵えられたのなら十分だ。その事実は間違い無く醜聞として広がる。それは確実にファルヴェの足元を揺るがす事に繋がる。
家名にも泥が付く事になろうが、今は何に差し置いてもファルヴェを本気で追い落とす為に行動するべき時。止む無しだ。家名へのダメージを最低限に留める為に表面は豪勢な歓待によって装った。だがいくら装おうがまず間違いなく目敏い………つまりは他者の足を引く事に躍起になり目を光らせる連中の耳目は眩ませられないだろう。
それで良い。
ファルヴェを糾弾しつつも、自身は主神様一向を丁重に持て成したという事実は残る。
そうなれば目論見通りだ。
仄暗い笑みをその顔に貼り付けたシュヴァルが先頭に立ち、迎賓館から出る。
歓談を終えた一向は、広い中庭へとシュヴァルによって誘われた。
「日和も良い。お帰りになられる前に庭園での茶会に御参加なされては?」
これはシュヴァルの取り巻き達から請われた事。
ブリリアンスは狂信者達の集り。しかしてそれはつまりはこの世界の主神の敬虔な信仰者達でもあるという事。
宗教の、それもこうして実際に地に降り立った神がおわす世界でそれを信仰する者達の威光というものは、政から離れていようとも限りなく強い物がある。
ましてやその団体の上位者である神衛隊ともなれば、細くとも繋がりを持ちたいと考えるのが常。
謂わばこの機に面通しをしておきたかったのだ。
一向の談話の間、招かれた他の者達はこの庭園にて催された茶会にて持て成されていた。
「いかが致しますか、我が君」
「…………シルヴィア、貴方の愛し子は今日来ているの?」
───ええ。言の葉を交わされますか?───
「………いいえ。この目で観るだけでもいい。お言葉に甘えさせてもらう」
「有り難きお言葉。クルセイス卿におかれましては私が懇意にしている者共を紹介預からせて頂きたく」
「先の話に出ていた者達の顔見せか。良いだろう。次代の真の信奉を誓う貴殿の紹介ならば無碍にはしない。だが私はイルダーナ様のお側を離れるつもりはない。悪いが其方から一人ずつ呼び寄せてくれ」
「ええ。そのように」
「はぁ〜〜……………かっこいいよなぁ。おれ、ぞくせいへんこうが土だったんだ。しょうらいはああいうふうに正義のみかたになりたい」
「ドム様ですよね?ぼくはアルディ様かなぁ。ドム様のたくましいかんじも良いですがアルディ様のスマートなかんじがかっこいいです」
「ええ〜?ナル様のお美しさがわかんないかなあ〜」
ドロドロとした陰謀が潜むこの会場にも、客として招かれた貴族達の子息である年頃の少年達が居た。
まだ正悪の判断すら覚束ない、ある意味純粋とも言える彼等の目には、〝狂信者〟というフィルターはかかっておらず。そうなると自ずと見えて来るのはこの世界の主神を護る聖なる騎士。勇壮で清廉な正しく正義の代弁者。
自分達の親が低姿勢で媚び振る舞うのに対し、堂々たるその立ち居振る舞いは彼等に憧れを抱かせるには充分な魅力を放っていた。
そんな彼等から少し離れた場所で同じく瞳を輝かせる少年が一人。
彼の憧れはその出自から来る物で。
彼の生家の家名は、主神を護る為に産まれた神の一柱、〝風ノ騎士〟たる風神ルドラスから賜った物。
騎士とはならぬとも、その心に一条の騎士道を掲げし者達の末裔。
表面上だけには視えている騎士然とした神衛隊の有り様には少なからず情景を持って観ていた。
「ちっ、おいみろよ。出来損ないがおれたちとおんなじかおしてみてるぞ」
「なまいきですね」
「ヴェンゼル様とちがってあいつはおはなしにもよばれてなかったよな。いいきみだ」
そんなヴェンティに気付いた彼等の表情が歪に型取られる。
「へへっ、いい事おもいついた。なあしってるか?父上からきいたんだけどさ、よその世界にはわるい奴はなにをされてもしかたないっていうふうに考える世界もあるらしいぞ。そういう奴にはみんなで石をなげつけるんだってさ。なんだったっけ?……りん……りんち?とかいうらしいんだけどな」
「え?それっていいんですか?」
「いいんじゃないのか?あいつも出来損ないだ。きぞくとしてヴェンゼル様にわるい事もしたよな」
「へっへ、そういうこと。しんえいたいの人たちもやってるんだろう? ちがいほうけん?だったか?どくじの…………なんとかってやつでドム様たちは正義のやる事だからってじぶんたちで決めてわるい奴をやっつけてもいいんだ」
見てろよ?
そう言って先日ヴェンティを仲間外れにした少年達のリーダー格が掌をヴェンティに向け、最近判った自分の属性偏向を意識しながら力元素をその手に集めて魔力に変換して練り上げる。バレない様に小声で詠唱。
精製されたのはまだまだ強度の足りない小石。拙いが初歩の初歩とも言える土の攻撃魔導〝石弾〟
「しゅくせいってやつさ。おれもドム様みたいに正義をじっこうするんだ。おれたちただしいきぞくができそこないのわるい奴にばつをあたえてやる。おりゃっ!」
少し放物線を描いて射出された小石は狙い違わずヴェンティの額に直撃した。
「うわっ! いた…………え!?」
何かが飛んで来た方に目を向けるヴェンティ。
そこには元・仲間達。
「あたった!すげーー!!」
「へへ、まだまだ。正義しっこうだ!」
調子付いた様子は力元素の操作にも影響を与え、次弾は少年の思惑以上の威力で直線的に放たれる。『あっ……』と言う呟きは誰から聴こえた物か。それを呟いた彼の表情は何を意味するのか。本人以外に気付かれる事の無かったそれらの意味する事を誰も知る由はない。
何が起きているのか解らないヴェンティはしかし、明らかな殺傷力を持ち迫る石片に恐怖を覚えた。
こんな時、無難に護ってくれるいつも側に居る筈のシルヴィアは今はファルヴェと共にイルダーナの傍に。
迫る身の危険に自分で対処する他無い。
どうすればいい?
躱す 去なす 弾く 止める 返す 叩き落とす
数多ある筈の対処の方法も経験の少ない幼子には選べない。
「う………わああああああ!!」
反射的に身を護る為に両手を突き出し、咄嗟に全力で力元素を放出する。
防衛本能のみで放たれた力元素には属性偏向が如実に反映され、意図せず風の塊の魔導の形を成して。
いくら殺傷力を持ったとは言えど碌な訓練もしていない幼子が放った小石の様な石弾などとは比べるまでも無く。
風に愛された少年は自身に向かう危険をその風で軽々と弾き飛ばした。
自分に向かって来た時の優に十数倍の威力と速度に加速させて。
「 っ!! 」
カォォォォォォ───…………ンン
バタフライ・エフェクト。
蝶が羽ばたき小さな風を生めば、その風は巡り巡って星の反対側で嵐となると言う。
投げられたのは小さな小石。水面へと落ち波紋を拡げた。その波紋は波となり大きな海流へと転じ……………
海流は、風を創り嵐を産む。
「…………陶……器?」
誰かが呟いたそれはイルダーナを囲む形で地面から迫り上がった白い壁とでも呼ぶべき物を言い表した言葉。頂部を削り取った円錐状の表面には、高速で飛来する硬い何かが当たったのだろう傷が入っている。
「……………二度も狙われるとは我々も舐められたものだ。先の大罪人の狙撃の件からまだ舌の根も乾かぬうちに」
壁を創り上げた男の呟きは、一瞬で静寂に包まれた茶会の会場によく響き渡り。
それに反応し事態を把握したシュヴァルが吠える。
「ヴェンティィィイイイイ!!!! 貴様ッ!! 何のつもりだあああ!!」
「ヴェンティ………? ほう、件の」
「……ッ! クルセイス卿! これにはッ! 我々は一切───」
「結構ですよシュヴァルヴェン殿、問答は無用。貴殿の反応を見れば判る。まあ後ほど話は聞かせて貰いますがね。それより今は此方だ。現行犯。これもまた問答無用」
ドムが、その手をヴェンティへと向ける。
「粛清する」
ドムの足元からイルダーナを護った白い壁と同じ素材の塊が迫り出し、伸び、ヴェンティを刺し貫かんと迫る。
ギャリリリ………リ…………
回転しながら迫る白い突起に目を瞑るしか出来なかったヴェンが感じたのは衝撃ではなく、硬質な物同士が擦れる耳障りな音。
「レヴィン!」
目を開くと目の前に祖父付きの執事が立っていた。普段は目にしない、模擬剣ではなく本物の細剣を手に、白槍を押し留める体勢で。
「ヴェンティ様! お離れくだ───」
「邪魔立てするならば貴様も粛清対象だ」
「グっ!」
いつの間にか迫って来ていたドムが横薙ぎに剣を振るう。片手剣とは思えぬ幅と厚みを持ったその剣の銘は〝シェルド〟。神衛隊〝盾〟の者達が扱う、〝盾〟の名を冠した重量級の剣の一閃には、細剣などそこらの枝も同じ。去なしきれなかったレヴィンがたたらを踏む。
「………ッ!! お待ち下され! 今のはヴェンティ様である筈が───」
「聴こえなかったか? 現行犯、問答無用だ。かの世界では不当であるとして神が止めに入ったと聞き及んでいるが、この世界にその神は居ない。そも、この世界の真なる神は唯一! その神に牙を向いたならば甘んじて受けるが良い!! 〝投石罰〟!!」
「───!!」
ヴェンティを囲う様にレヴィンを巻き込む形で周囲の地面から無数の石の弾丸が放たれる。
レヴィンの剣技は相当の物だ。小回りが利き取り回しのし易いレイピアとレヴィンの腕が合わさればこの程度の小石の雨にも対処は可能である。 ただし庇うべき対象がその渦中に居なければ。
(………!数が多過ぎるっ! ヴェンティ様を庇いながらでは叩き落としきれん!)
「ぐっ、ぉ……ぉおおおお!!」
「レヴィン!!」
途中、迎撃を諦めてヴェンティへの被弾を無くす事を優先したレヴィン。方法は至ってシンプル。風の結界を張る間も無いと判断したレヴィンは自らの身体を差し出した。ヴェンを抱き締める形で自らの身体で覆い隠す。
包まれたヴェンにはレヴィンの身体を削る石の振動が直に伝わる。
礫の雨が終わると、ガッチリと拘束していたレヴィンの腕が力無く下がった。モゾモゾと這い出したヴェンティの目に映ったのは自身を抱き留めていた正面部分以外がズタボロになった口煩く少し煩わしいと思っていた男の姿。
「レヴィン………どうして……!」
普段からレヴィンに対しては冷たい態度を取っていた。なのにどうして。
何よりレヴィンの腕があれば全ての石を弾き、躱し、無傷でやり過ごす事も出来るとヴェンティも知っていた。
『まだまだですな』と。涼しい顔で自分に向けて撃たせた風の礫を全て剣のみで叩き落として魅せてくれたのはつい先日の事だ。
自分さえ居なければ…………そうだ………自分という足手纏いが居なければこんな事には………! 庇う対象が居なければ………レヴィン一人だけだったなら!
「〝白陶磁器ノ錐弾〟」
「───!! ぬぅ…ぁああ!」
傷だらけの身体に鞭を打ち、レヴィンはヴェンティを狙い高速回転させながら放たれた白い凶弾の前に立ち塞がる。
ライフリングの様な紋様の刻まれた白い円錐状の弾丸は、軽々と細剣を端折り、レヴィンの身体を貫き、僅かに軌道をずらしてヴェンティの頬を掠める。
「「退け」」
「ぐぁっ!」
立ち尽くすレヴィンの左右から二人の神衛隊騎士が盾剣を振るう。
顔面を交差する様に振るわれた剣に、対応の遅れたレヴィンは躱し損ねて斬られたらしい。派手に血を撒き散らしながら仰向けに倒れる。
そこで漸く周囲も事態を把握したらしい。会場に招かれていた貴婦人が金切り声を上げ、それにつられる様にして我先にと離ていく招待客達。俄に恐慌状態に陥る会場内で、ヴェンティは倒れ込むレヴィンの側に屈み込む。
「レヴィンっ! ───ッ!!眼が!?」
浅く息をするレヴィンの顔には斜め十字の大きな傷。その一筋は右眼の真上を通っていた。
「ヴェン……ティ様っ………お逃げ………下さいっ」
「レヴィン! なんで………どうしてっ………!!」
嫌っていた。だから冷たい態度も何度も取った。それなのにこの執事は態度を変えずに忠言し、時には優しく諭し、決して距離を置こうとしなかった。こんな事になっても身を挺して護ってくれた。事ここに及んで尚、息も絶え絶えに紡がれる言葉は自分の身を案じる物。開いた左眼にはまだ力が残っている。その眼もまた言っている。『自分は良いから逃げてくれ』と。残った眼を閉ざし息が止まり腕が力無く堕ちるその瞬間までずっと。
嫌ってはいても剣の腕は尊敬していた。自分など及ばない域に居る者が。一人ならどうとでも対処出来ていたであろうこの男が。
なぜこんな出来損ないの為に犠牲となるのだ。
「ぅぅうあああああああ!!」
─── ッ!!風の子よっ!! ───
「!? シルヴィア!? くっ……まずいっ!!」
怨嗟の含まれる慟哭。
何に対しての憤りなのか。それすらも解らぬままにヴェンティは叫ぶ。感情のまま畝る力元素はヴェンティを中心に気流を産み、異変に気付き逸早く近付いて来ていた風の大精霊を巻き込み、勢いを増して吹き荒れる。シルヴィアと共に駆け寄ったファルヴェにも止め様は無く、あまりの空密度にヴェンティに近寄る事も出来なくなった。
「副隊長!」
「ああ。力元素暴走だ。構わん、殺れ」
「「御意!」」
レヴィンを斬り伏せた二人の騎士がヴェンティを挟み込む位置に移動し、其々魔力を練り上げる。
「〝熱光子線〟」
「〝水槍〟!!」
真っ直ぐ一直線に放たれた確殺の魔導はしかし
「 なっ……!? 」
「 ───!? 」
ヴェンが左右に水平に掲げた両掌に当たる直前に掻き消え霧散した。
「ぅっ!?」
「がっ!?」
隙を付いたファルヴェの風弾が二人の騎士の鎧の無い部位に直撃して吹き飛ばす。
「開封 〝薔薇嵐〟」
「っ! 貴様もか」
ドムに肉薄したファルヴェがレイピアを振り抜き斬り結ぶ。目にも留まらない速度で振られるファルヴェの剣の全てを ドムは左の盾と右の盾剣にて捌ききる。
合間に強く踏み込んだ足から地に魔導を伝えると、ファルヴェに向けて数本の白杭が突き上がる。
それを斬り払おうと振った剣閃は弾かれ、ファルヴェは目を剥いてバックステップで距離を置いた。
(セラミックか!! それも相当な硬さだ。こんな物をよくもあんな刹那の内にて精製するものだ………この男、さては属性偏向は土のみではないな? しかし参ったのう………ここまでの騒ぎになってしまえば言葉のみでの収拾は叶わんだろうと思い、一度武を持って鎮圧してから叛意は無いと表明しようと考えたが、それすらも叶わんか………神衛隊。よもやこれ程の腕前とは…………あと数年若ければ……今となっては………シルヴィアの助力か若しくはセラミックが絶縁体と言えども雷の加速を以ってすればまだ貫けん事も無いとは思うのだがな………シルヴィアは力元素体故にヴェンの暴走に巻き込まれ、雷はヴェンが側に居るこの状況では使えん。どうしたものか………歳は取りたくないのう)
ファルヴェが心中で状況を整理し、毒付いている最中も状況は揺れ動く。
ヴェンティが
水平に拡げた両腕を前へと合わせて向けた。
その手に収束するありったけの風を纏った力元素。
暴走状態のヴェンティに理性は残っていない。今ヴェンティに残されているのは、力元素暴走の引き金となった『大切な者を害する物を遠ざけたい』という意思。
矛先は今この瞬間において最も脅威度の高い『あの白い石』へと向けられている。
一点に寄せ集められた嵐の塊がイルダーナを包んだ白陶磁器へ向けて放たれた。
「っ!? いかん!!」
「ふん。ジャリの暴走程度で崩れるものか」
ドムは自分の守護に自信を持っていた。
それは防御力に関してでもあり、そして警護対象を護る技術に関してもそうだ。
以前起きたイルダーナ襲撃事件においてすら、自分がその場に居さえすれば、狙撃が主君に届く前に防げたと。主君の手を煩わせるまでも無かった筈だと考えていた。
その傲慢にも届き得る自信故に、意にも介さなかった。
確かに、幼子の癇癪で起きた暴走の余波程度気に留める必要は無かっただろう。
だが、ドムは幾つかの要因を見過ごしていた。
知る由も無いと言えなくも無いが、
見過ごした。
一時の拮抗の後、ガシャンッ と派手な破砕音を立てて防護壁の表面が割れて初めてファルヴェから目を離した。
「!? 馬鹿な!!」
ヴェンティの潜在能力
暴走に取り込まれたシルヴィアの力
ヴェンティとシルヴィアが合わさった相乗効果
そして。
防護壁の内側から、既にイルダーナが魔導を解除しかけていた事。
他にも思いの外レヴィンとファルヴェとの攻防で集中力のリソースを持っていかれていた事等。
様々な要因が重なり、ドムの想定から外れた結果が映し出される。
則ち、防護壁の破砕。
爆散とも呼べる有様で砕け散る超硬セラミックの壁。
飛び散る破片の合間を縫いなおも進み続ける風の塊。
初めて触れる、独特な組成の物質に力元素を流して強化された魔導の解除に集中していたイルダーナの驚いた顔が見えた。
だがそれも一瞬。自らに向かい来る風の塊に手を伸ばし、握り込み、
「……………シルヴィア?」
紫檀色の力元素で押し潰しきってしまう前に眼を細め呟く。
風の塊は潰しきられる前にイルダーナの掌の中で弾けた。
弾けた風弾はイルダーナの、マツリの小さな手を傷付けた。
「───ッ! お、おのれぇええええ!!」
ドムが激昂する。己の怠慢を棚に上げて。否、そんな打算すらも考える間も無く、主君に傷を付けた事そのもののみに純粋に怒り狂う。向かう先は当然、全ての力を出し尽くして意識を手放し倒れ伏すヴェンティ。
「シルヴィアや………おぉ、小さくなって。済まんが今少し力を貸してくれんか」
弾けた風弾から風に乗り流れて来た小さな風妖精を柔らかくその手に受け止め、ドムの前に立ちはだかりながらファルヴェが呟く。
「風の精よ 〝空気ノ壁〟」
「!! そこを………どけぇええええええ!! 貴様らっ!! 一族郎党滅ぼしてやるぅうううあああ!!」
(……………ここまで………かのう。何がどうあれ、これだけの衆目の中で、実際にイルダーナ様に傷を負わせてしまった。事実の覆し様は無い。儂に出来ることがあるとすれば…………)
ドムを結界にて阻みながら考える。そしてファルヴェの出した答えは……………
イルダーナと眼が合う。
じっ と見ていると、イルダーナの眉尻が下がり、哀しそうにその眼を伏せた。
それを確認すれば今度は近寄って来ていたヴェンゼルへとその眼を向ける。
ヴェンゼルの瞳にはどうするつもりなのかと焦燥が顕になっていた。諭す様に頷きかける。
ドムに向き直り、その血走った眼を真っ直ぐに見つめ、大きく息を吸って
「フフハハハハハハ!!」
「ギザマぁ!! なにが可笑しいいいい!!」
「ワハハハハ! 神衛隊の小童めが。これが笑わずにおられるか。望む通りに動いてくれよってからに。ほれ守人よ、主君殿からこんなに離れて良いのかね」
イルダーナとドムを隔てる形で更に空気ノ壁を展開する。
「……っ!! 貴様これは何のつもりだ!!」
「シュヴァルの言葉を聞いておらなんだか? 儂は『神に成り代わろうとする不遜な輩』なるものなのであろう? 馬鹿馬鹿しい。そんなつもりは毛頭無いが………〝代行者〟の一族であるという自負は待っておる」
「………! なんたる不届き!! シュヴァルヴェン殿の言は真実であったか!!」
「フハハッ! 不届きは何方かのう? 激情に身を委ね護るべき主君から離れ、己が使命も全う出来ぬ程度の者が〝神衛隊〟の副隊長などと名乗りを上げて高慢に振る舞っておる。全くの不届き者よ。〝代行者〟として嘆かわしい事この上ないのう。シュヴァルもそうだが代行者たる者として行動以てそれを教えてやろうとする様な高尚な者など今のルドラシアにはおらなんだ。そも、そんな心を持つ者すら儂以外にはおらんじゃろうが」
「………貴様個人の意志か! 益々シュヴァルヴェン殿の言う通りルドラシアの意思ではない。…………!? まさかそのガキは自分の意思ではなく貴様が………!?」
「……………さぁて? どうかのう?」
「己が孫子にこの様な行いを!? 公の場で衆目の面前で!! 不評を被せる様な真似を!? なんという外道か!!」
「───っ」
一連の騒動をオロオロと遠巻きに観ていたシュヴァルが息を詰まらせる。
「ほう? 信仰に狂った者にも一欠片の良心は残っておるのか。見直したわい。さて、お喋りは終わりにしようか。不遜な小童よ、お主に現実を見せてやろう」
「………何を……する気だ」
「なぁに、そう怖れるな童。坊のどうしても護りたい主君殿に少しばかり怪我をして貰うだけじゃ。坊の目の前で、坊が何も成す術なく。傷付けられる主君殿を唯々そこで観ておるが良い」
スッ と剣先をイルダーナの頭上に向ける。それを目で追ったドムの視線の先に空気の歪みが見て取れた。その場が僅かに帯電し、眩いスパークを放ち始める。
「やめっ───!! やめろぉぉおおおおおお!!!」
「〝霹靂〟」
風切音と共に指揮棒の様に振り下ろされるファルヴェの細剣。
導かれる様に堕ちる極太の落雷。
雷光が辺りを埋め尽くし轟音が全てを震わせる。
イルダーナが片膝を付いた。
「…………っ」
「我が君!!」
そんなイルダーナから視線を外すファルヴェ。
ゆっくりと巡らせた視線の先には帯電し、発光する細剣を祖父の首に添える少年。
「…………どうした? ヴェンゼルや」
「…………っ、う、動くな!!」
「足らぬ。相も変わらず中途半端なままか? ヴェンゼルや。嘗ての訓えを忘れたか」
「──────! っっ! ル、ルドラシアの名で神に楯突く愚か者よ!! ここまでだっ!! 次代のルドラシアを担う私が貴様を叛逆者としてここに誅する!! 大人しく拘束を受けよ!!」
ニコリ……と。普段ヴェンティに向ける好々爺然とした笑顔を ヴェンゼルにだけ見える様に向け、ゆっくりと薔薇嵐を手放す。
カランッ と乾いた音を響かせて転がる装飾杖。
解かれる空気ノ壁。
騒動の終わりを感じ、周囲が騒めき出す。
「我が君!!」
ドムがイルダーナに駆け寄る。それに片手を上げ制し立ち上がるイルダーナ。
「おお……もう回復を………流石にございます」
目も向けず返事も無い。が、それはいつもの事。気にも留めずにドムは大罪人へと向き直る。
「何をしておる!! 拘束などと生温い事を!! さっさと首を刎ねんか!!」
「黙れ」
「なっ!? こ………このっ、大罪を犯したルドラシアの嫡男風情がぁっ!!」
「黙れと言っている! おじ………この男には聞かねばならん事がある。罪を犯したのがルドラシアの現当主のこの男ならば誅したのもルドラシアの後の当主となるこの私だ! これは当家の内輪の話! 神衛隊と言えども口出しは無用だ!」
「餓鬼めが何を屁理屈を! 事の範疇は貴様等の家などとうに超えておる!! 御神に手を出したのだぞ!」
「で、あるからして当家にて拘束し聞き出すべきを聞き出し、後の処遇については貴様等ブリリアンスに引き渡して任せてやろうではないか。拘束と投獄の手柄も譲ってやろう。そのくらいは此方も譲歩してやる」
有り難く思いこの辺りで引き下がれ。
そう言わんばかりのヴェンゼルの態度に、顳顬に青筋を立てて小刻みに震えるドム。
「こ……こっ…………このっ………クソ餓鬼がっ………!」
「 よせ。もう良い 」
「わ、我が君っ! しかし、これでは我々の面目が───」
「貴様等の面子が潰れて何だと言うのか。私の知った事では無い。抑に於いてだ、貴様等ブリリアンスの者共は再三の私の忠告を無視し、貴様等の勝手な価値観によって他者に罪禍を押し当て、独断によって断罪などと宣い命を奪って来た。其の様な傲慢さの目に余る者の此度の失態はどうだ」
「し、失態……ですと?」
「失態であろう。些末な無礼までをも罪に問う様な不遜な輩が。激情に身を任せ、頼みもせなんだ私の警護などと言う自ら掲げる誇りをも捨て置いて離れ行き、分断され。己の自尊心を満たすだけの、護衛と銘打って表面を取り繕っただけの行いすらも満足に果たせずに、指を咥えるだけしか出来なかったのは何処の者であるのか。これを失態と言わずして何と呼べば良いのだ。何という体たらくか」
「……………っ」
「其の様な貴様の失態を少しでも覆い隠してやろうという其処な坊の慈悲に満ちた心遣いにすら気付けぬ程にまで高慢なるは貴様の咎であろう。恥を知れ」
「グ………ゥゥ……………」
「皆の者、聞け! 今日、この場にて見聞きした事を 愉悦の類によって無闇に伝聞する事は許さぬ! この世界の主神である我がイルダーナの名に於いてそれらを禁ずる! 〝ルドラシア家〟、〝神衛隊〟。その両者の名誉を 年端も行かぬ幼子が、決死の覚悟を以てして護ろうとした姿を努々忘れるな!」
誰も、耳にした事は無いのではなかろうか。
そんなイルダーナの張り上げた怒声にも似た言の葉に神威を受け、ファルヴェとドムの2名以外の全員が地に平伏せた。
「ヴェンゼルと申したか。面を上げよ」
「はっ!」
命ぜられるままにヴェンゼルは顔をあげ、思いの外低い位置にあるイルダーナの顔を見上げる。
ハァ〜〜っ……… と。長い息を吐き出してからイルダーナがヴェンゼルへと言葉を述べた。
「と、いうわけで。私はもう帰る。疲れた」
「っ!? は……、はっ!!」
思いの外低かったのは頭の位置だけでは無かった。
それはテンションなのか、声のトーンなのか、はたまた神としての威厳なのか。
「あとの事はシュヴァルでもドムでもなく、貴方に任せる。意味は解る?」
「…………! はい!」
「そう、ならお願い。それと───貴方のお祖父様の事だけど、」
─── ごめんなさい ───
「 っ! 」
「彼の訓えは正しい。護りたいものを護る為には、今日見せたくらいの覚悟が必要。前途は明るくは無いかもしれない。それでも、迷わず進みなさい」
「………………っ、勿体なき……お言葉…………!」
零れる雫を隠す為にも首を垂れるヴェンゼルをしっかりと目に納めてからファルヴェへと歩み寄る。
「ファルヴェ…………」
イルダーナから発せられた紫檀色の力元素がファルヴェと繋がる。
「貴方の犯行………いえ、貴方が犯人。これで、良いのね?」
哀しい目を向け問うイルダーナにファルヴェは答えを返さない。ただ、じっと穏やかな表情を向けるのみ。
「………そう」
儚い声。
ファルヴェが眠る様に眼を閉ざし、僅かに。ゆっくりと首を横に振る。終始穏やかな顔で。
それを確認したイルダーナもまたゆっくりと頷き、踵を返して馬艇へと乗り込んだ。
緊張から始まり、一騒動どころか波乱の巻き起こった〝主神のルドラシア家訪問〟は、こうして幕を閉じた。
『お前達は最後まで責務を果たしてから帰れ。それまで戻る事は許さない』という、馬艇に乗り込む前にドムに向けて放たれた冷たい声音も、
その後鬱憤を晴らす様にアルディとナルへと、『いつまで惚けているのだ!! とっととその男を拘束せぬか!!』などと喚き散らしながら指示を出す恥知らずの姿も。
皆が皆、神の仰せのままにその心の内に秘めたまま。




